総トン数 | 18,184トン |
---|---|
主機 | ターボ・エレクトリック2軸 |
出力 | 32,400馬力 |
垂線間長 | 190.7m |
幅 | 22.6m |
深さ | 12.5m |
喫水 | 8.84m |
速力 | 23.0ノット |
旅客 | 1等:149、2等:144、3等:281 |
「神鷹」は、ドイツ客船「シャルンホルスト(Scharnhorst)」を改造した航空母艦である。 1935年(昭和10年)に完成後、姉妹戦の「グナイゼナウ(Gneisenau)」、「ポツダム( Potsdam)」とともに東洋航路に就航した。 1939年(昭和14年)8月に神戸に入港したが、第二次世界大戦勃発により帰国できなくなった。 そのまま神戸港に係留中であったが、ミッドウェー海戦後の航空母艦増勢計画により調査の結果、改装可能とされ、日本海軍が買収した。 1942年(昭和17年)9月21日より呉海軍工廠で航空母艦への改装工事に着手した。
シャルンホルスト
飛行甲板は長さ180m、幅24.5mで、新田丸級貨客船を改装した大鷹型航空母艦より大きく、搭載機数も艦上戦闘機12機(常用機9機、補用機3機)、艦上攻撃機21機(常用機18機、補用機3機)の計33機で大鷹型を上回った。 対空兵装は、12.7cm連装高角砲4基、25mm3連装機銃10基を装備した。
「シャルンホルスト」の機関は、ターボ電気推進、2軸、ワグナー式空気予熱器付2胴水缶管4基から構成される。 この電気推進装置は、AEG式直結交流発電機2基と電動機2基より成る。 ボイラの蒸気条件は、圧力50kg/cm2、温度470℃の高温高圧缶であった。 航空母艦改装にあたり、主機関はそのまま使用する計画であったが、公試運転中にボイラ管の破裂が頻発したため、完成引渡し後にロ号艦本式水管缶に換装された。
竣工時 | |
---|---|
艦種 | 航空母艦 |
基準排水量 ※1 | 17,500トン |
公試排水量 ※2 | 20,900トン |
垂線間長 | 180.6m |
水線長 | 189.36m |
全長 | 198.34m |
最大幅 | 25.64m |
喫水 | 8.18m |
飛行甲板 | 長さ180×幅24.5m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)2基 |
主機 | AGEタービン式発電機2基+電動機2基、2軸 |
出力 | 26,000馬力 |
速力 | 21.0ノット |
燃料 | 重油:2,760トン |
航続力 | 18ノットで8,000浬 |
兵装 | 40口径八九式12.7cm連装高角砲4基 九六式25mm3連装機銃10基 |
航空機 | 艦上戦闘機12機(常用機9機、補用機3機) 艦上攻撃機21機(常用機18機、補用機3機) |
乗員 | 834人 |
その他 | - |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
---|---|
1934年(昭和9年)5月3日 | ブレーメンのDeSchiMAGで起工 |
1934年(昭和9年)12月14日 | 進水。 Scharnhorstと命名。 |
1935年(昭和10年)4月30日 | 竣工。 船主:Norddeutschen Lloyd、船籍港:Bremen、 |
1935年(昭和10年)5月3日 | ハンブルク〜ブレーメン〜横浜 |
1937年(昭和12年)2月6日 | (A.179)ハンブルク〜ブレーメン:2月09日〜アントワープ:2月12日〜サザンプトン:2月13日〜ゼノア:2月18日〜2月21日:ポートサイド〜2月22日:スエズ〜3月1日:コロンボ〜3月5日:シンガポール〜3月9日:マニラ〜3月11日:香港〜3月13日:上海:3月15日〜3月17日:横浜:3月19日〜3月20日:神戸:3月22日〜上海:3月26日〜香港:3月28日〜マニラ:4月30日〜シンガポール:3月4日〜ペナン:3月4日〜ベラワン:3月5日〜コロンボ:3月8日〜3月15日:スエズ〜3月16日:ポートサイド〜3月19日:ゼノア〜3月21日:バルセロナ〜3月22日:パルマ・ド・マローカ〜3月25日:サザンプトン〜3月26日:ロッテルダム〜3月28日:ブレーメン〜3月29日:ハンブルク |
1937年(昭和12年)5月8日 | (A.186)ハンブルク〜ブレーメン:5月11日〜アントワープ:5月14日〜サザンプトン:5月14日〜パルマ・ド・マローカ:5月18ひ〜バルセロナ:5月19日〜ゼノア:5月20日〜5月23日:ポートサイド〜5月24日:スエズ〜5月31日:コロンボ〜6月4日:シンガポール〜6月8日:マニラ〜6月10日:香港〜6月12日:上海:6月14日〜6月16日:横浜:6月18日〜6月19日:神戸:6月21日〜上海:6月25日〜香港:6月27日〜マニラ:6月29日〜シンガポール:7月3日〜ペナン:7月4日〜ベラワン:7月5日〜コロンボ:7月8日〜7月15日:スエズ〜7月16日:ポートサイド〜7月19日:ゼノア〜7月21日:バルセロナ〜7月22日:パルマ・ド・マローカ〜7月25日:サザンプトン〜7月26日:ロッテルダム〜7月28日:ブレーメン〜7月29日:ハンブルク |
1937年(昭和12年)8月7日 | (A.192)ハンブルク〜ブレーメン:8月10日〜アントワープ:8月13日〜サザンプトン:8月13日〜パルマ・ド・マローカ:8月17日〜バルセロナ:8月18日〜ゼノア:8月19日〜8月22日:ポートサイド〜8月23日:スエズ〜8月30日:コロンボ〜9月3日:シンガポール〜9月7日:マニラ〜9月9日:香港〜9月11日:上海:9月13日〜9月15日:横浜:9月17日〜9月18日:神戸:9月20日〜上海:9月24日〜香港:9月26日〜マニラ:9月28日〜シンガポール:10月2日〜ペナン:10月3日〜ベラワン:10月4日〜コロンボ:10月7日〜10月14日:スエズ〜10月15日:ポートサイド〜10月18日:ゼノア〜10月20日:バルセロナ〜10月21日:パルマ・ド・マローカ〜10月24日:サザンプトン〜10月25日:ロッテルダム〜10月27日:ブレーメン〜10月28日:ハンブルク |
1937年(昭和12年)11月6日 | (A.199)ハンブルク〜ブレーメン:11月9日〜アントワープ:11月12日〜サザンプトン:11月12日〜パルマ・ド・マローカ:11月16日〜バルセロナ:11月17日〜ゼノア:11月18日〜11月21日:ポートサイド〜11月22日:スエズ〜11月29日:コロンボ〜12月3日:シンガポール〜12月7日:マニラ〜12月9日:香港〜12月11日:上海:12月13日〜12月15日:横浜:12月17日〜12月18日:神戸:12月20日〜上海:12月24日〜香港:12月26日〜マニラ:12月28日〜シンガポール:1月1日〜ペナン:1月2日〜ベラワン:1月3日〜コロンボ:1月6日〜1月13日:スエズ〜1月14日:ポートサイド〜1月17日:ゼノア〜1月19日:バルセロナ〜1月20日:パルマ・ド・マローカ〜1月23日:サザンプトン〜1月24日:ロッテルダム〜1月26日:ブレーメン〜1月27日:ハンブルク |
1938年(昭和13年)8月16日 | 神戸〜シンガポール〜上海〜8月28日:マニラ |
1938年(昭和13年)8月 | マニラ〜中立国へ入港するよう指示がある〜08月--マニラ |
1938年(昭和13年)8月30日 | マニラ〜9月1日:神戸(十九番浮標) |
1939年(昭和14年)9月1日 | 神戸で係船。 |
1942年(昭和17年)6月30日 | 航空母艦への改造を決定。 |
1942年(昭和17年)7月2日 | 買収。 |
1942年(昭和17年)9月21日 | 呉海軍工廠で航空母艦への改装工事開始。 |
1943年(昭和18年)10月7日 | 呉発。 出動公試。 同日、徳山着。 |
1943年(昭和18年)10月8日 | 徳山発。 操舵公試。 主管破裂。 同日、呉着。 |
1943年(昭和18年)10月30日 | 呉発。 諸公試。 |
1943年(昭和18年)11月18日 | 呉発。 終末公試。 同日、徳山着。 |
1943年(昭和18年)11月19日 | 徳山発。 航空兵装公試、電探公試。 同日、徳山着。 |
1943年(昭和18年)11月20日 | 徳山発。 缶破裂。 同日、呉着。 |
1943年(昭和18年)12月8日 | 呉発。 終末公試。 12月9日呉着。 |
1943年(昭和18年)12月15日 | 改装工事完了。 航空母艦に類別。 「~鷹」と命名。 舞鶴鎮守府籍に編入。 |
1943年(昭和18年)12月20日 | 海上護衛総司令部付属に編入。 |
1943年(昭和18年)12月21日 | 呉発。 |
1943年(昭和18年)12月23日 | 因島着。 入渠。 |
1943年(昭和18年)12月30日 | 出渠。 |
1943年(昭和18年)12月31日 | 因島発。 同日、呉着。 |
1944年(昭和19年)2月18日 | 海上護衛総司令部部隊附属部隊に編入。 |
1944年(昭和19年)5月23日 | 呉海軍工廠に入渠。 |
1944年(昭和19年)5月31日 | 出渠。 |
1944年(昭和19年)6月9日 | 弾火薬搭載。 |
1944年(昭和19年)6月17日 | 制動索試験施行。 |
1944年(昭和19年)6月20日 | 爆弾搭載。 |
1944年(昭和19年)6月23日 | 25mm単装機銃12門増備完了。 |
1944年(昭和19年)6月26日 | 呉発。 機関公試。 6月27日佐伯湾着。 |
1944年(昭和19年)6月27日 | 爆弾、基地物搭載。 |
1944年(昭和19年)6月28日 | 佐伯湾発。 伊予灘で発着艦公試。 同日、佐伯着。 |
1944年(昭和19年)6月29日 | 佐伯発。 操艦訓練、砲煩公試。 同日、杵築着。 |
1944年(昭和19年)6月30日 | 杵築発。 接艦訓練。 同日、佐伯着。 |
1944年(昭和19年)7月1日 | 杵築発。 内海西部にて操艦訓練、標柱間速力試験。 同日、杵築着。 |
1944年(昭和19年)7月3日 | 杵築発。 同日、大分着。 |
1944年(昭和19年)7月4日 | 大分発。 内海西部にて発着艦訓練。 同日、臼杵着。 |
1944年(昭和19年)7月5日 | 臼杵発。 内海西部にて発着艦訓練。 同日、児島着。 |
1944年(昭和19年)7月6日 | 児島発。 広島湾にて出撃準備。 同日、呉着。 |
1944年(昭和19年)7月6日 | 第一海上護衛隊に編入。 |
1944年(昭和19年)7月7日 | 出撃準備、諸物品搭載。 |
1944年(昭和19年)7月8日 | 出撃準備。 |
1944年(昭和19年)7月9日 | 呉発。 広島湾にて輸送用飛行機(零戦5機、雷電8機)搭載。 同日、岩国着。 |
1944年(昭和19年)7月10日 | 岩国発。 内海西部にて教練対空射撃、飛行機隊(九七式艦攻12機)収容。 同日、部崎着。 |
1944年(昭和19年)7月11日 | 部崎発。 同日、六連着。 |
1944年(昭和19年)7月13日 | 六連発。 ヒ69船団護衛。 |
1944年(昭和19年)7月17日 | 左営着。 |
1944年(昭和19年)7月18日 | 左営発。 |
1944年(昭和19年)7月20日 | マニラ着。 |
1944年(昭和19年)7月22日 | 輸送用飛行機揚陸。 |
1944年(昭和19年)7月25日 | マニラ発。 |
1944年(昭和19年)7月31日 | シンガポール着。 |
1944年(昭和19年)8月4日 | シンガポール発。 ヒ70船団護衛。 |
1944年(昭和19年)8月14日 | 有川湾着。 |
1944年(昭和19年)8月15日 | 有川湾発。 同日、大分港着。 |
1944年(昭和19年)8月16日 | 大分港発。 同日、呉着。 |
1944年(昭和19年)8月17日〜9月3日 | 呉海軍工廠で船体兵器機関整備。 |
1944年(昭和19年)8月31日 | 爆弾搭載。 |
1944年(昭和19年)9月5日 | 呉発。 試運転。 同日、佐伯着。 |
1944年(昭和19年)9月5日 | 19.09.05:佐伯発。 伊予灘にて訓練。 9月6日部崎着。 |
1944年(昭和19年)9月7日 | 19.09.07:部崎発。 同日、門司着。 |
1944年(昭和19年)9月8日 | 六連発。 ヒ75船団護衛。 |
1944年(昭和19年)9月8日 | 伊万里着。 同日、伊万里発。 |
1944年(昭和19年)9月13日 | 高雄着。 同日、高雄発。 |
1944年(昭和19年)9月22日 | シンガポール着。 |
1944年(昭和19年)10月3日 | シンガポール発。 ヒ76船団護衛。 |
1944年(昭和19年)10月11日 | 三亞着。 |
1944年(昭和19年)10月16日 | 三亞発。 10月17日反転。 |
1944年(昭和19年)10月18日 | 楡林着。 同日、楡林発。 |
1944年(昭和19年)10月24日 | 六連着。 同日、六連発。 |
1944年(昭和19年)10月24日 | 佐伯着。 |
1944年(昭和19年)10月25日 | 佐伯発。 同日、呉着。 |
1944年(昭和19年)10月27日〜28日 | 燃料、糧食搭載。 |
1944年(昭和19年)10月29日〜30日 | 弾薬搭載。 |
1944年(昭和19年)11月1日〜6日 | 三、四号主給水「ポンプ」修理。 |
1944年(昭和19年)11月7日 | 呉発。 訓練。 同日、佐伯着。 |
1944年(昭和19年)11月8日 | 佐伯発。 同日、徳山着。 |
1944年(昭和19年)11月9日 | 徳山発。 同日、門司着。 |
1944年(昭和19年)11月13日 | 門司発。 同日、伊万里着。 |
1944年(昭和19年)11月14日 | 伊万里発。 ヒ81船団護衛。 |
1944年(昭和19年)11月15日 | 巨文島錨地着。 同日、巨文島錨地発。 |
1944年(昭和19年)11月16日 | 巨文島着。 同日、巨文島発。 |
1944年(昭和19年)11月16日 | 珍島着。 |
1944年(昭和19年)11月17日 | 珍島発。 |
1944年(昭和19年)11月17日 | 済州島西南西200kmの地点で、アメリカ潜水艦「スペードフィッシュ(Spadefish)」の雷撃を受け沈没。 |
1945年(昭和20年)1月10日 | 除籍。 |
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