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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

昭和16年(1941年)のマル追(○の中に追)計画で3隻が計画された補給潜である。 1941年(昭和16年)9月に出された最初の要求では、洋上での飛行艇に対する燃料、魚雷、弾薬、糧食等の補給にあたるものであった。 艦型が決定したのは1942年(昭和17年)9月で、最初の案に対し、航続力を延伸、主砲および機銃を装備し、発射管を増加(艦首2門)するかわりに補給物件量を減ずることとなった。 1943年(昭和18年)5月に第1艦が起工されたものの、1944年(昭和19年)9月になって、離島などに対する航空燃料、消耗兵器補給の要求が出され、水中航続力増加、主砲撤去、機銃増備、補給物件減少等の変更が実施された。

1945年(昭和20年)1月28日に竣工した伊号第三百五十一潜水艦は、当初目的とは異なる南方とのガソリン輸送に投入され、1回目は成功したが、2回目の帰途にアメリカ潜水艦に撃沈された。(1)

要目(2)(3)

新造時
艦種一等潜水艦
艦型潜補型
水上排水量 ※12,650トン(基準)/3,512トン(常備)
水中排水量 ※13,512トン
垂線間長107.00m
全長111.00m
最大幅10.15m
喫水6.14m
主機艦本式二十二号十型ディーゼル機関2基、2軸
主電動機特八型×2基
蓄電池一号十三型×240個
出力3,700馬力(水上)/1,200馬力(水中)
速力15.8ノット(水上)/6.3ノット(水中)
燃料重油:590トン
航続力14ノットで13,000浬(海上)/3ノットで100浬(水中)
乗員77名
兵装14口径三式8cm連装迫撃砲1基
九六式25mm3連装機銃1基
九六式25mm連装機銃2基
九五式53cm魚雷発射管4門(艦首)
九五式魚雷4本
安全潜航深度90m
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)

履歴(4)(5)

年月日履歴
1943年(昭和18年)5月1日起工。
1943年(昭和18年)12月22日伊号第三百五十一潜水艦と命名。
1944年(昭和19年)2月24日進水。 呉鎮守府籍に編入。
1945年(昭和20年)1月28日竣工。 先遣部隊(第六艦隊)第十一潜水部隊(第十一潜水戦隊)に編入。 呉発。 伊予灘において訓練。
1945年(昭和20年)1月29日呉発。 伊予灘において訓練。
1945年(昭和20年)2月3日呉着。 補給整備。
1945年(昭和20年)2月4日呉発。 伊予灘において訓練。
1945年(昭和20年)2月19日呉着。 補給整備。
1945年(昭和20年)3月1日呉発。 伊予灘において訓練。
1945年(昭和20年)3月8日徳山着。 補給整備。
1945年(昭和20年)3月10日徳山発。 伊予灘において訓練。
1945年(昭和20年)4月4日第六艦隊第十五潜水隊に編入。
1945年(昭和20年)4月7日呉着。 補給、出撃準備。
1945年(昭和20年)5月1日呉発。
1945年(昭和20年)5月15日シンガポール着。 航空燃料を搭載。
1945年(昭和20年)5月21日シンガポール発。
1945年(昭和20年)6月3日佐世保着。 航空燃料を揚陸。
1945年(昭和20年)6月22日佐世保発。 接収したドイツ潜水艦に配属される、士官、軍医官等が便乗。
1945年(昭和20年)7月6日シンガポール着。 輸送人員を揚陸。 航空揮発油500kLを搭載
1945年(昭和20年)7月11日シンガポール出港後、消息不明。
1945年(昭和20年)7月14日ボルネオ沖(北緯4度30分、東経110度)でアメリカ潜水艦「ブルーフィッシュ (Bluefish)」の雷撃を受け沈没。
1945年(昭和20年)7月31日南支那海で亡失認定。
1945年(昭和20年)9月15日除籍。

参考資料

  1. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 20巻 潜水艦伊号 伊400型 改甲型 潜高大 潜補 丁型 呂号 波号 特殊潜航艇他.東京,光人社,1997,p76-77
  2. 日本潜水艦史.東京,海人社,1993,p78,世界の艦船.No469 1993/3増刊号 増刊第37集
  3. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p53
  4. 渡辺博史.鉄の棺 日本海軍潜水艦部隊の記録 資料編 3下.名古屋,ニュータイプ,2005,p935-937
  5. 前掲.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 20巻 潜水艦伊号 伊400型 改甲型 潜高大 潜補 丁型 呂号 波号 特殊潜航艇他.p93