伊号第三百六十一潜水艦は改マル五(○の中に五)計画で建造された伊三百六十一型(丁型)潜水艦の1番艦である。
潜水艦で兵員・物件を輸送する案は戦前より提案されていたが、本格化するのはミッドウェー海戦後で、主として陸戦隊の兵員、機材の輸送という形で要求された。 計画当初は陸戦隊約110名、陸戦隊用機材10トンを艦内に収容し、特殊上陸用舟艇2隻を後部甲板に搭載する予定であった。 その後、建造中に仕様変更が行われ、1943年(昭和18年)には人員搭載施設を廃止し、物件搭載量を艦内125トン、艦外20トンと改めた。 さらに水中航続力増加の要求から艦内搭載量を65トンに減じた。
1944年(昭和19年)5月25日に竣工した伊号第三百六十一潜水艦はウェーク島などへの物件輸送に従事していたが、1945年(昭和20年)に入ると大型の伊号潜水艦の不足のため、本型にも回天搭載が実施されることとなり、3月に川崎神戸で回天搭載工事をうけた。 甲板上の兵装を撤去し、回天を前甲板に2基、後甲板に3基、合計5基を搭載するよう改装され、沖縄方面へ出撃したが、アメリカ護衛空母「アンツィオ (Anzio)」搭載機の攻撃を受け沈没した。(1)
新造時 | |
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艦種 | 一等潜水艦 |
艦型 | 丁型 |
水上排水量 ※1 | 1,440トン(基準)/1,779トン(常備) |
水中排水量 ※1 | 2,215トン |
垂線間長 | 70.50m |
全長 | 73.50m |
最大幅 | 8.9m |
喫水 | 4.76m |
主機 | 艦本式二十三号乙八型ディーゼル機関2基、2軸 |
主電動機 | 特八型×2基 |
蓄電池 | 一号十五型×240個 |
出力 | 1,850馬力(水上)/1,200馬力(水中) |
速力 | 13ノット(水上)/6.5ノット(水中) |
燃料 | 重油:282トン |
航続力 | 10ノットで15,000浬(水上)/3ノットで120浬(水中) |
乗員 | 55名 |
兵装 | 40口径十一年式14cm単装砲1基 九六式25mm単装機銃2基 九五式53cm魚雷発射管2門(艦首) 九五式魚雷2本 |
安全潜航深度 | 75m |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1943年(昭和18年)2月16日 | 起工。 |
1943年(昭和18年)10月20日 | 伊号第三百六十一潜水艦と命名。 |
1943年(昭和18年)10月30日 | 進水。 本籍を横須賀鎮守府と定める。 |
1944年(昭和19年)5月25日 | 竣工。 第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。 |
1944年(昭和19年)6月1日 | 呉発、周防灘において訓練。 |
1944年(昭和19年)6月12日 | 伊予灘において訓練。 |
1944年(昭和19年)6月14日 | 準備出来次第、由利島付近に至り、伊第三十三潜水艦の沈没位置の確認および、行方不明者の捜索を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月19日 | 呉に入港、整備補給。 |
1944年(昭和19年)7月24日 | 呉発、伊予灘において訓練。 |
1944年(昭和19年)8月1日 | 周防灘において訓練。 |
1944年(昭和19年)8月2日 | 伊予灘において訓練。 |
1944年(昭和19年)8月5日 | 呉に入港、整備補給。 |
1944年(昭和19年)8月15日 | 第十一潜水戦隊から除かれ、第六艦隊第七潜水戦隊に編入。 作戦輸送および奇襲を下令される。 |
1944年(昭和19年)8月18日 | ウェーク島に対する作戦輸送を下令。 |
1944年(昭和19年)8月19日 | 呉発、横須賀に向かう。 |
1944年(昭和19年)8月20日 | 捷号作戦命令を下令される。 |
1944年(昭和19年)8月21日 | 横須賀着。 輸送準備、物件搭載。 |
1944年(昭和19年)8月23日 | 横須賀発、ウェーク島に向かう。 作戦輸送。 |
1944年(昭和19年)9月7日 | ウェーク島着。 糧食等86トンを揚陸、工員30名を収容して、横須賀に向かう。 |
1944年(昭和19年)9月17日 | 横須賀着。 整備休養。 |
1944年(昭和19年)10月4 日 | 東京湾において訓練中に座礁。 |
1944年(昭和19年)10月12日 | ウェーク島に対する作戦輸送を受令。 |
1944年(昭和19年)10月17日 | 横須賀発、ウェーク島に向かう。 作戦輸送。 |
1944年(昭和19年)10月29日 | ウェーク島着。 糧食・弾薬等67トンを揚陸、患者5名を収容して、横須賀に向かう。 |
1944年(昭和19年)11月9日 | 横須賀着。 整備休養。 |
1945年(昭和20年)1月9日 | 横須賀発、ウェーク島に向かう。 作戦輸送。 |
1945年(昭和20年)1月23日 | ウェーク島着。 糧食等67トン、兵器若干を揚陸したのち、横須賀に向かう。 |
1945年(昭和20年)3月17日 | 横須賀発、神戸に向かう。 |
1945年(昭和20年)3月20日 | 第七潜水戦隊は解隊。 第六艦隊第十五潜水戦隊に編入。 |
1945年(昭和20年)3月21日 | 神戸着。 回天搭載設備等の整備。 |
1945年(昭和20年)4月1日 | 神戸発、呉に向かう。 |
1945年(昭和20年)4月2日 | 呉着。 以後、内海西部において回天との訓練に当たる。 |
1945年(昭和20年)5月22 日 | 回天特別攻撃隊轟隊に編入。 第六艦隊司令長官の指揮下に、沖縄−マリアナ間の補給路攻撃を下令される。 |
1945年(昭和20年)5月23 日 | 呉発、光基地において、回天5基を搭載、出撃準備。 |
1945年(昭和20年)5月24 日 | 沖縄方面に向かい光出撃後、消息不明。 |
1945年(昭和20年)5月30 日 | 沖縄島南東(北緯20度22分、東経134度9分)でアメリカ護衛空母「アンツィオ (Anzio)」搭載機の攻撃を受け沈没。 |
1945年(昭和20年)6月25日 | 沖縄方面で亡失認定。 |
1945年(昭和20年)8月10日 | 除籍。 |
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