呂号第百七潜水艦は小型(呂百型)潜水艦の8番艦である。
呂百型(小型)潜水艦は、太平洋の離島防御用として計画された局地防衛用の小型の潜水艦である。 急速建造も考慮されており、川崎造船所泉州工場ではブロック建造方式により、工期1年ほどで完成させている。 本型は離島防御用のため小型で居住性が悪く、航続力も短いため外洋作戦には向かなかったが、北方方面や中部太平洋方面の作戦に投入され、全艦が戦没した。 (1)
新造時 | |
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艦種 | 二等潜水艦 |
艦型 | 小型(呂百型) |
水上排水量 ※1 | 525トン(基準)/601トン(常備) |
水中排水量 ※1 | 782トン |
垂線間長 | 57.40m |
全長 | 60.90m |
最大幅 | 6.00m |
喫水 | 3.51m |
主機 | 艦本式二十四号六型ディーゼル機関2基、2軸 |
主電動機 | 特九型×2 |
蓄電池 | 一号十五5型×120 |
出力 | 1,000馬力(水上)/760馬力(水中) |
速力 | 14.2ノット(水上)/8ノット(水中) |
燃料 | 重油:50トン |
航続力 | 12ノットで3,500浬(水上)/3ノットで60浬(水中) |
乗員 | 38人 |
兵装 | 九六式25mm連装機銃1基 九五式53cm魚雷発射管4門(艦首) 九五式魚雷8本 |
安全潜航深度 | 75m |
その他 | - |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1941年(昭和16年)12月17日 | 昭和十六年度計画の第二百十七号艦として、呉海軍工廠において起工。 |
1942年(昭和17年)4月8日 | 呂号第百七潜水艦と命名。 本籍を佐世保鎮守府と仮定。 |
1942年(昭和17年)5月30日 | 進水。 本籍を佐世保鎮守府と定める。 |
1942年(昭和17年)12月26日 | 竣工。 警備潜水艦と定める。 呉潜水戦隊(呉鎮守府部隊)に編入。 呉鎮守府部隊(呉鎮守府司令長官)潜水部隊(呉潜水戦隊)に編入、内海西部において就役訓練に従事。 |
1943年(昭和18年)2月7日 | 呉発。 |
1943年(昭和18年)3月15日 | 呉潜水戦隊から除かれる。 第七潜水戦隊(第八艦隊・南東方面艦隊)に編入。 戦時編制。 呉鎮守府部隊から除かれる。 南東方面部隊(南東方面艦隊)潜水部隊(第七潜水戦隊)に編入、南東方面に進出を下令される。 |
1943年(昭和18年)3月31日 | 佐世保発、トラックに向かう。 |
1943年(昭和18年)4月7日 | トラックに進出、補給待機。 |
1943年(昭和18年)4月9日 | トラック発、ラバウルに向かう。 |
1943年(昭和18年)4月12日 | ラバウルに進出、補給待機。 |
1943年(昭和18年)4月15日 | 第七潜水戦隊は、第八艦隊から除かれ、南東方面艦隊に編入。 |
1943年(昭和18年)4月20日 | 艦はサンクリストバル島方面に配備、敵艦船攻撃を下令される。 |
1943年(昭和18年)4月22日 | ラバウル発、ガダルカナル島南東方に向かう。 |
1943年(昭和18年)5月14日 | ラバウルに帰着、補給休養。 |
1943年(昭和18年)5月27日 | ラバウル発、ガダルカナル島南東方に向かう。 |
1943年(昭和18年)6月20日 | ラバウルに帰着、補給休養。 |
1943年(昭和18年)6月30日 | アメリカ軍がレンドバに上陸。艦は出撃して、敵兵船攻撃を下令される。 ラバウル発、レンドバ方面に向かう。 |
1943年(昭和18年)7月3日 | ブランチェ水道北側の配備につき、索敢。 |
1943年(昭和18年)7月4日 | レンドバ東方から、ブランチェ水道に侵入、索敵。 |
1943年(昭和18年)7月8日 | レンドバ方面の敵艦船を奇襲するため、ブランチェ水道から移動するよう下令される。 艦は以後、消息を絶つ。 |
1943年(昭和18年)7月12日 | コロンバンガラ島ベネット東方でアメリカ駆逐艦「テイラー(Taylor)」の砲撃と爆雷攻撃を受け沈没。 |
1943年(昭和18年)8月1日 | ソロモン群島方面で亡失認定。 |
1943年(昭和18年)9月1日 | 除籍。 |
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