ヤマボウシ

ついに見つけたヤマボウシの花。

2つ前のスケッチ、「エニシダ」の時に探して見つからなかったヤマボウシの花をもう一度捜しに行く。エニシダのときとは逆ルートで、奥さんに国道から山道に入るところまで送ってもらい山に入る。この季節になると、ウツギの花も終り木々に咲く花は何もない。ただ、「この向こうの山にある」という言葉だけを頼りに小さな林道から谷を登る。

花の形はネットでも調べ又、6月の始めに例の法然上人25霊跡参拝で奈良の葛城市「當麻寺」に行った時庭に咲いていたのをしっかりと記憶している。とにかく今、山の中で「4弁の白い花」が咲いているはず。それらしきところを歩き回るが一向に見つからない。半分あきらめかけたとき、大きなサルトリイバラがクヌギに這い登っている。この葉っぱは、子供のころ蒸して柏餅をくるんだなぁ〜と思いながら、「写真でも撮って帰ろ」と、独りごちて、小さな尾根を越えた。

すると、白い渡り鳥の一群のようなものが14−5m先の緑の潅木の中に見え隠れする。

直感的に「見つけた」と思った。

直ぐ確認をしない。先ずはペットボトルのお茶を飲み、腰を下ろして双眼鏡で確認する。双眼鏡で見る距離でない。ここが心理的に不思議な行動である。よく、葉っぱが裏返って白い部分を見せている木もあれば、この時節三分の一ぐらい葉っぱが真っ白い木もある。しかし、その何れでもない確信がぱっと見ただけである。人生でもよくある現象である。要するに信念が通じた瞬間である。

双眼鏡の中にはまぎれもなく4遍の真っ白い花の群である。ゆっくりと近づく。

見事だ。まだ深くはない緑の中に真っ白い花びらが、まるで小さな渡り鳥が群れを成して飛んでいるようだ。蝶々でなく羽を広げた渡り鳥でなくてはならない。それが初夏の夕闇が迫る木漏れ日とあいまって幻想的だ。それに比べて、その幹は径5−6センチで貧弱で鹿に以前やられたのか大きな傷も持っている。花は地上2メートルから3メートルぐらいに咲いている。それを斜面から見あげるのでいっそうきれいだ。「當麻寺」で見たものは花自体は大きくきれいであったが全体としては、植木の一つでしかなかったが、

どんな理由でここにだけ生えたのか知らないが、自然の中で誰にも見られず幾多の悪条件の中で咲く花の見事さがある。

この変哲もない山林の中の一本を花が咲いていないときに「ヤマボウシ」と確認した、あのエニシダの時の人はプロだ。

携帯で、現状を報告してエニシダのときとは逆ルートで349地点へ登り近道の谷を下りて充実した2時間ほどを費やした。