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舎羅林山(2010.6.11)

 

山下古道を歩く(2010.3.17)

 

早春の山々山を越え谷を越え(2010.2.24)

 

道迷い(2010.1.10)

 

大堂越と野間三角点(2009.11.15)

 

川尻連絡道(2009.11.03)

 

天台山ルートから上止々呂美へ(2009.10.24)

 

サンコウチョウとの出会い(2009.7.31)

 

初谷川から天台山コースへ(2009.3.31)

 

2009年元旦トレッキング(2009.1.1)

 

あまり意味のないトレッキング2008.11.18

天台山三角点  2008.3.26

旧村連絡道(吉川村から止々呂美村へ

送電鉄塔めぐりトレッキング

高代寺2等三角点

2008.1.19 天候晴れ

444.1地点から 上杉尾根へ

青貝山散策

能勢妙見山へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舎羅林山(シャラリンサン)

(長尾街道を歩く)

 2010.6.11 晴天

江戸から明治にかけて大坂、伊丹、尼崎方面からこの街道をとおり盛んに妙見山詣でが行われた。妙見道(長尾街道)は池田市古江橋の道標で、能勢街道と分かれて古江・長尾山を経て吉川に入り妙見山に向かう(豊能町教育委員会によるうけうり

 

この長尾街道は、能勢電車が一の鳥居まで通じた事により、以降「花折れ街道」に取って代わられる事になる。この長尾街道は、池田市へこの地方の主産業であった「菊炭」を運搬するにも重要な街道であった。

 

その長尾街道を通り舎羅林山へ向かう。舎羅林山の手前に大規模宅地造成地と伏尾ゴルフ場があり長尾街道は遮断されてしまっている。地図でC〜Iまでいけるかどうか確認が目的である。

ネットで調べても通過した人は1件のみであった。その人の記録や地形図を何度もシュミレーションして頭に叩き込み出発。

 左下へ

◆◆◆◆

 @→A

◆◆◆◆

9:55豊能町東ときわ台2丁目信号を西へ住宅内の道に入り山すその写真の部分より入る。

この道路は、豊能町の水道管理道路として伏尾ゴルフ場に突き当たるまで続いていると予備知識。

このポールをすり抜けて入ると直ぐにネットで閉鎖されており、その右側に長尾街道への入り口がある。その細い踏跡をものの20m程行くと、何のことはないこの舗装道路に降りられる。皆降りている踏跡がある。以降、この舗装道路に沿って右に、左に長尾街道らしきものが部分的に続いているが連続しては歩けない。 管理道路は、長尾街道に沿ってつけられたのだろう。

 

写真のような舗装道路がゴルフ場に突き当たるまで大きなアップダウンもなく続く

右上へ

途中、「台場仕立て実験木くぬぎ」の看板とともに小さな台場クヌギが現れる。

「台場クヌギ」というのは、クヌギを植えてからおおよそ8年ごとに伐採し炭の原料とする。クヌギは伐採した後から芽を出し再生していく。伐採は、鹿・ウサギなど野生動物から新芽を護るために地上1-1.5m程度で伐採する。それらを何度か繰り返すうちに、下部の幹が太っていく、そういう形をしたクヌギを言う。50−100年経つうちに樹液を吸いにきたハチやカブトムシなどの昆虫が傷をつけ台場に大きな洞(ウロ)ができる。それを実験しようとするものであろうと想像するが、100年−150年の長いスパンである。私が子どもの頃クワガタやカブトムシを採集に行った台場クヌギは、今見ても当時と大きさが変わっていないように思われる。大きな洞ができるまでの時間を想像すると、その時代はどんな時代だろうと一服しながら思い巡らした。

  

途中ネジキの白いちょうちんをつなげたような花や、カラコギカエデでを見ながら進むと、右側の長尾街道沿いに石灯籠が散乱している場所に出る。舗装道路より1.5m程上がって石灯籠に書かれた文字を確認すると「妙見山」や「妙見宮常夜灯」と掘られている。(写真の中央が長尾街道らしく、石灯籠の左が舗装道路)(左下へ)

◆◆

ウワ−

◆◆

石灯籠を見て舗装道路へ降りようとしたとたん、ズボンが何かに引っかかる。イバラと判断して強引に舗装道路へ降りようとした途端、ビリー。ズボンがカギ型に破れる。「なんやなんや」「えっ」さびた有刺鉄線が引っ張っている。誰や、何のためにこんなところの有刺鉄線を張ったのは。写真からもわかるように石灯籠の右前に長尾街道と舗装された管理道路との境界にネットフェンスが3枚ほど設置されている。それに続いているような感じ。どうせ町が管理道路と一緒に設置したものだろう、何のために?。そんなことより、帰りは舎羅林山より平野駅に下りて電車で帰る予定なので「かっこ悪いなぁ〜」。

 

どのくらい来たのやろ、小休止、GPSでチェック。「え!」もう行き止まりのほん手前。給水もそこそこにカーブを曲がると前方がAの地点行き止まり。前にネットフェンス(写真)左中央にゴルフ場のグリーンが見える。人声も聞こえる。

ここで、ゴルフ場と宅地開発地の間を歩くために、右の谷を越える。地形図で確認。これからが本番、GO!。(右上へ)

◆◆◆◆

 A→B

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右をのぞくと、谷へ降りているような道らしきものがある。長尾街道だろう。ものの5mも進むと前はゴルフ場、道はまったくない。枯れた笹や潅木を掻き分け掻き分け下りる。こんなのは慣れている。直ぐに谷へ下りる。谷は沢があり川につながっているのが自然の摂理。ところが、この谷はゴルフ場に阻まれて行き場がない。せき止められている。水は流れていないが、大雨ではプールになるだろう。そういう形跡があった。左は直ぐ傍に電気柵が張り巡らされ、その向こうの芝生では数人の男女がプレーを楽しんでいる。ちょっと覗き見をする。

 

そう、まさに覗き見である。イメージとして、こちらは悟られまいとして相手の様子を伺う。

のぞきながら、ちょっとの間心理分析をする自分である。向こうは純白の服を着た上流階級さわやか汗イメージ(考えが古いなぁ)、こちらは、有刺鉄線でかぎ穴に破れたズボンとくもの巣だらけの顔、リュックの中は自前の梅干を入れたおにぎり、野良仕事で陽に焼けた顔、手足。相手も陽に焼けているが、焼ける過程が違う。

人それぞれと、ひねくれはそれまでとして、眼前の倒木だらけの写真のような急斜面を登り稜線にでよう。(左下へ)

◆◆◆◆

 B→C

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30m程、倒木を乗り越えかいくぐり、滑りながら斜面を登り稜線にたどり着く。尾根伝いに道らしきものが続く。進行方向の反対側はどこに通じているのだろう。GPSで゛確認するとイメージトレーニングとおり の場所である。次は小ピークを経て送電線の真下(C地点)を通るまで歩けばよい。左下に綺麗な芝生を見ながら進むと右側に宅地開発現場が木々の間から見え、送電線の真下というより鉄塔(北大坂線37)そのものに到着。この送電線は高槻市の運動公園付近の北大阪変電所より茨城を経て鉢伏山山頂をとおりこの地を経て宝塚変電所に至る。

送電線鉄塔はおおよそ400m程度のスパンであるから、変電所から37番目ということは、約15kmの距離という事になる。写真は37鉄塔真下より真西方面の眺望。

◆◆◆◆

 C→D

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さて、これから先のルートを探る。稜線伝いに進みたいが南西方向はゴルフ場にさえぎられ、進むとしても急な斜面の谷になり困難。造成地はダンプカーが1台動いている以外は人の気配もない。

 

とりあえず゛造成地へ下りる。上の写真の37鉄塔より手前に降りてくる。下の写真は造成地の道路Dの地点。正面に見える山が舎羅林山

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 D→E

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ここで失敗。D→Gまで舗装道路を歩けば何のことなかったが、少し歩いて先ほどの急な斜面辺りを過ぎると、どうしても稜線伝いに舎羅林山に到達したい思いから再度稜線へ向けて登る。Eの地点。

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 E→F

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直ぐに稜線に達し進行方向に向かって左手、見下ろせばゴルフ場の芝が目に鮮やかにグリーン。例によって電気柵の向こうに。

このゴルフ場と右手の造成地の間、馬の背を歩こうという計画。ところがこれまた松の枯れた下枝が網の目のように行く手をふさぎ、1本1本枝を整理しながら進まねばならないしアップダウンの連続で、帽子は枝に引っかかりその反動で飛ばされ、拾いに戻らななあかんし、リュックは引っかかるし、「あっ痛ー」腕がミミズ腫れになって血がにじんでいる。シャツの腕にも血がにじむ。 松の枯れ枝が引っかかった。アカン、もう一度、造成地に降りよ。Fの地点

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 F→G

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造成地へ降りると立派な歩道に出る。Dの地点よりまっすぐ歩いていたら何も問題がなかった。次は正面の舎羅林山へ登る糸口をどこにつけるかである。写真より少し行くと左手は深い側溝があり又、 よう壁で渡れない。この歩道の突き当たり大きくカーブしたところに渡るところがあった。Gの地点。時刻は正午少し前、小休止をして現在地が分っているので舎羅林山を磁石であたる。ほぼ真上間違いない。両手で立木につかまりながら登っていると直ぐに、朽ちかけた立ち入り禁止の看板があり、道らしきものを発見。だらだらと山を巻くように逆方向へ登っていく。この道は必ず平野駅からの登山道と合流することを確信する。

合流した。Hの地点。後は、登っていくだけ。

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 I

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程なく、岩山にぶつかりそれを登るとイメージトレーニングとおりのケルンが現れる。欠けた三角点もある。眺望もそこそこの舎羅林山頂上に到着。12時10分。誰もいない中で

 

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 I→J

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昼食と眺望に30分ほど費やし後は下山するだけ。三角点の直ぐ下の道は東方面へ通じている。この道はEへ通じていたらしめたもの、帰りと反対方向へ探索に出かける。250m程平坦な踏跡をたどると、途中右への分岐がある。おそらくゴルフ場から、伏尾方面へ下る道ではあるまいか、道なりにまっすぐ進むとゴルフ場の崖の上、行き止まりである。Jの地点。この電気柵をたどればCに出ると思われるが、ゴルフ場と宅地造成地の間は稜線でなく小さな尾根を横断する事になり荒れ果てた山の急なアップダウンが続き無理に思える。やはり、ここへ来るには造成地の歩道を借りるしかないと思った。三角点に引き返す。

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 J→I→K

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三角点を右に見てきた道を引き返す。登ってきたHの合流点もトラロープで閉鎖されている。直ぐに山下線鉄塔53の真下に出るKの地点。この送電線は北大阪変電所から伊丹変電所の途中分岐で山下付近の企業用と思われる。この鉄塔の真下で道は3方向に分かれている。北北西へは鉄塔の巡視路(?)南へは多田、伏尾方面、西へ取ると平野方面か?。地形図とおりでないので先ず平野方面と思われる西へ進む。直ぐに見晴台のような大きな岩に出る。

先ずは昼食をとる。

岩の上に上ると北西面180度の展望が得られる。先ず、高代寺山の電波塔、妙見山の星嶺会館、その間の振野山、その左に八幡神社の社務所が双眼鏡では確認できる。わずか264mの低山でも周囲に高い山がないからその眺望はすばらしい。ズボンにかぎ穴を作ったり、腕に引っかき傷を負っただけの甲斐はあった。

 

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 K

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ここからの眺望が最高。今、造成地方面を眺めているが、この造成地は再開されるらしいが、バブルがはじけた典型的な事例である。これだけ広大な縁の台地を削ってしまった。GoogleEarthで見ると隣のゴルフ場と同じくらいの面積。

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 K→L→M

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あとは下るだけ、どこに出るかは不明。しっかりとした道なので平野駅付近と推定し、見晴らしもなくただ淡々と下る。不意に人家の前に出る。スペイン坂とある。住宅が両サイドに並ぶその急な坂道を降りると病院の裏手にでて、平野駅に到着Mの地点13:30。家に携帯。ズボンも破れているなら・・・ということでお迎えの車で無事帰宅。

 

所要時間3時間30分、当日は晴天で暑かったが、大きな高低差もなくシャツを着替えることもなく、十分楽しめた。念願の長尾街道の一部も歩けたし、舎羅林山にもこの街道を利用して行くことができた。実際の長尾街道はゴルフ場を通り伏尾から古江に通じていたのだろう。ゴルフ場で遮断されているが、@のスタート地点の住宅開発でも遮断されている。住宅内は歩くことができるがゴルフ場は進入できず残念である。

この長尾街道から自宅横をとおり妙見山へ、各地から多くの人がお参りをし、私たちの集落が門前町として栄えた思いをはせながら・・・。

 

 

 

 

山下古道を歩く

2010.3.17 薄曇

 

山下古道

その昔、吉川地方から山下へ抜ける間道があった。高代寺の正面下より現在の新光風台の住宅地を抜け、笹部地区へ通じていた。住宅地ができその間、道はなくなったが、現在の新光風台小学校へ登る階段下の信号、西側の調整池より新たなスタート地点として残っている。道は急な上下もなく低山で里山ハイキングやマウンテンバイクのコースとしてニーズがあるらしい。

「らしい」というのは、つい最近まで人に聞くまで知らなかった。早速、地図やネットから調べ一度チャンスがあれば、と思っていた。

先ず、奥さんの運転する車で信号機のところまで送ってもらう。その道筋、私と同年輩の集団が明らかにハイキングの服装でstart地点へと向かっている。今まで平日の、時間帯も遅く、マイナーな場所ばかりでトレッキング中、人にあうことはほとんどなかった。まさか、同じコースではあるまいな、高代寺を目指しているのだろう。

とりあえずstart地点に着き、最初は保の谷三角点を踏む事にあったので、地図を広げて場所を確認していると、なんとあの集団の声が近づいてくるではないか。三角点は2−30メートル上の小高いところにあり、その方角に道なき道を登る。その辺をうろうろしていると、その集団の声が直ぐそこまで迫ってきて、「えらい早いなぁ〜」先に行ってもらおう、とおもっていると私が道なき道を登ってきた反対側から登ってきた。「えっ」「道があったんや」、それぞれ挨拶を交わしていると、「○○さんやろ」と、私を呼ぶ声がして振り向くとなんと知り合いの人だった。「笹部方面へ行くの」という私の問いに「そう」という返事。これで安心、これだけの人が前を歩いてくれると、新しい踏み後ができ迷うことはないやろ。

先に行ってもらい三角点を探すも見当たらない。GPSの位置はほぼ「ここ」をさしている。四角い境界杭は2-3ある。そのそばに赤と白の模様の測量棒が立っている。いくら探しても見当たらない。とりあえず@の三角点は、又の機会にして先を急ぐ。

Bの池に向かう

aのルート(地図の青いルート)をまっすぐ進めば能勢電鉄の笹部駅付近に出るはず。そのルートを集団は向かっていると判断。あまのじゃくの私は、どうしてもBの池がどんなものか見たかった。ネットで調べたとき2つの池の間を自転車で走っている事がかかれており、それらしき分岐がAであった。しばらく、松とクヌギの混生林を下ると眼下に大きな池が見える。順調、順調と独り言をいい、絵に描いたようにカモのつがいが遊んでいる。その土手がまたすばらしいし、何よりもネットフェンスがないのが実にいい。ここで昼寝をしたら最高の幸せ。(カモのつがいはインデックスのバナー写真、下の写真の中央奥に水が波立っているところにいる)

下にも小さな池が見えるが、先を急ぐので又今度の楽しみ。

 

 

 

Cの分岐点へ

池より尾根に登る道が見える。とにかく尾根に立ち、尾根沿いに西に進む事になるはず。途中、つつじが咲いていた。「はやいなぁ〜」と思いながらシャッターを押す。結果として今日は後にも先にも花はツツジ以外見れなかった。

Cに着く。地形図にはないがしっかりとした尾根道に突き当たる。左は笹部と誰かがつけた標識がある。右(東)は光風台であろう。

次の目標はEの大昌寺三角点を踏む事にある。ここで又集団との出会い。B-C間で西のほうから人声がするのは分っていた。それでCの尾根道があるのも確信できていた。

C-D間で@の三角点で追い抜かれた人たちにまた出会った。相手は帰路である。笹部まで行ったにしては早すぎるし?。こちらはC→Dへ集団はD→C。地形図の道だけならA→H→Dを回ってきたことになりあまりにも早すぎる。「笹部まで行ってこられた?」「いや、途中でU ターンです」??。

ということはAから池には分岐がなかった。ということはAを過ぎてからDCへ出る道があるということ?」

Eの分岐点へ

Dの分岐点は何も標識がないが、道なりの北側のルートを取る。次のEの分岐点で間違った。

左図で緑色の矢印が地形図の分岐、黒い色の矢印がGPSが書いた軌跡。このEの地点で大いに迷った。光風台より道なりに進めば三角点方向と読める。しかし、そこにあるのは三叉路であり道なり以外に来た道を引き返すように分岐道がある。本当はその引き返すような分岐に入らなければ三角点には行けない。机上であれば、分岐点へ進入してきた角度が違う事に気づいただろう。又、その地形図の分岐位置はGPSのさす位置とずれていた。

実際は笹部の方向に間違って下りていたE→F。途中で明らかにおかしいと気づいたが一度、笹部に下りるつもりなのでそのまま下る。E→Fの中間ぐらいに手製の標識がある。助かる。大昌寺と善源寺分岐である。迷わず大昌寺に下りる。途中、西国三十三番の二十二番目の總持寺から始まり二十一番目の穴太寺の石仏群・・・で下りたところが一番だった。なぜ二十二番までかな?。その途中で山下が見渡せる場所で昼食を取る

F→Hへ

下りた所は平野神社の境内、隣が曹洞宗大昌寺。大昌寺の門から中を覗いたり、鐘楼を見たりして、さてどこから先ほどの尾根に戻ろうか。

地形図にあるのはH→I、ネットではGより尾根筋を登れるような記事がありそれを探すがわからない。とりあえずG付近の池を確認し、そこからも登れそうにないのでG→Hへ水路に沿って歩くうちH

地点らしき登り口を見つける。傍に祠がある。そこを一気にI(往路のD)まで登る。先ほどの場所である。これから又再度Kの三角点へ挑戦。先ほどの道を又たどる。

J(E)→Kへ

又、J(E)に着く。途中分岐はなかった、ここしかない。再度コンパス、GPSで確認するが確信がもてない。とりあえず引き返す方角へ行ってみる。すると道がだんだん北から西に変わり尾根筋を西に進む事になり、この方向が正解と確信する。しばらく進むとピークを両側からまくような道がありそのピークが三角点の場所と確信し一気に上る。あった。後はおまけである。ここまできたら山下城址も見ておこうとさらに西へ。やがて一庫ダム建設当時の発破時間表看板が無残にも転がっている(3箇所見つける。大林組・佐藤工業のJVとある。山の中で片づけずにほおっておいたらしい)。道は倒木としだ類で疲れる。城址に行っても何もないらしいし、この辺で引き返そうと思ったのがLの地点。14時。

途中展望所らしきところがあったが立木が邪魔しかすかに一庫ダムの赤い橋が見える程度。帰りはJ(E)を迷わずUターンするようにICへと向かう。途中I-Cの間で南から進入してくる道を2箇所発見。この何れかを、例の集団の人たちが回ってきたと推測。今度確認する。

C→@へ

往路、池から上がってきて合流したCの分岐を光風台方向へ取ると直ぐにスタート地点に出た。ここで再度@へ登り発見できなかった三角点を見つけなければ気がすまない。

再度@に立つ。設置場所は調べてきてあるので、GPSで移動する。ピタリの場所があるがそこは境界杭。その境界杭をなでていると、その傍にビニール製の小さな角柱があり、かすかな文字が読める。軍手でこする。4等三角点とある。何のことない、境界杭と思っていたその石柱が三角点やったとは・・・。

直ぐに奥さんに連絡して迎えを依頼し、ああ疲れた。

 

 

 

 

このルートは、池以外には見るべきところがないし、花も咲いていなかった。ただ、道はしっかりとしており、高低差もなく低山で、歩いたり、マウンテンバイクにはもってこいのよいコースと見た。道がしっかりとしているだけあって、分岐点にも何も表示がなく迷いやすいことは確か。分岐店も多い。迷っても、1時間も歩けば里に出られるが。途中道が消えたり、獣道と間違うような場所はない。

 

 

 

早春の山々 山を越え谷を越え

2010.2.24 晴れ4月の陽気

 

 

 

 

 

 

 

地図の赤い線はGPSのカシミール3Dソフトの軌跡である。やはり谷筋は若干ずれているがその他はピッタリである。

午後、時間が空いた。目的はa点より学校をまいてa-b昼間の町道までを歩き、炭焼きカマの場所調査にあった。それは30分ほどで終え、汗ばむほどの陽気と中途半端な時間の消化にb点より吉川三角点を踏んでe点へ降りるか、349ピークを経て帰宅するか迷いながらb点のR477の新山谷橋下をくぐり、道無き沢を遡上してc点の吉川三角点に到着。この三角点は今年になってからもう数回は踏んでいるなじみの場所である。そこから、少し北へ下り「天狗の松の根っこ」に敬意を表して、一気に初谷川へ降りる

(c-e)。

c-e間は、写真のような岩石の崩れた急に勾配の沢で、滑って転ぼうものなら問題が発生することはわかっていた。このルートはいつもならもう一つ東側の沢を降りる。(道迷い参照)しかし、そのためにはこの沢の途中から尾根を越える事になり、これもしんどい。何とか無事にe点の初谷川に下りることができた。時計は2時56分。活動時間を4時までとすれば残された時間は1時間。このままかえればちょうどよい時間だが・・・。

2時間あれば東ときわ台-天台山ルートへ登り、一気に帰れば5時にはつける。体調もよい。少し迷ったが、このまま初谷川を遡上し源流から数えて2番目の砂防ダム下より、川を渡り南東面の沢に入る。この沢は天台山の伏流水でかなり上まで常時水は流れている。既知の沢であるが沢よりg点に登るルートがいつもより一本手前の未知の沢を選んだ。登りやすそうに見えたのと距離が若干短いように思えた。ところが途中より沢を突き詰めたところより急峻で杉の枯れ枝ですべり登れなくなり、獣道に沿って小さな尾根に登り一息つく。足はぼちぼちガタが来ている。g点は直ぐそこと思ったが、GPSと地図で確認すると勾配はゆるいが、距離は1/3残っている。失敗失敗と独り言を言いながら何とかg点にたどり着いた。35分かかった。

天台山コースのg点付近はうっそうとした杉林だが、極々最近間伐されたらしくスカーとして夕日が差し込んでいた。今日の発端は炭焼きカマの確認であったが、このあたりは一面クヌギ、コナラ林であったことは間違いない。池田炭で有名な菊炭の生産地であった。その証拠にこの尾根筋から止々呂美へ下りる沢筋には杉、檜林の中に朽ちた炭焼きカマや炭焼き小屋が点在している。今日のa点付近のカマの真ん中に自然に生えたと思われる径15センチ程度の檜が立っていた。間伐された年輪を調べると40数本数えることができ、1970年代初期に植林されたと思われる。

これは、生活エネルギーが木炭から電気、ガスに転換された時代と一致する。私は炭焼きを体験している。経験でなしに体験程度であるが中学生が最後だったと思う。当時はマキでご飯をたき風呂に入り、魚はカンテキで炭を使っていた。台所の土間には大きな釜から小さなものまで5つぐらい並んでいて、一番大きいものは牛の餌に今頃であれば、タンポポやアザミなどをとってきて藁とともにゆでていた。それに糠をふって大きなたらいで牛にやるのである。牛にとっては大いにご馳走であっただろう。いまどきあんなことをしたら電気代かガス代がばか高くつくだろうと思う。炭、マキが不要になれば、 クヌギ、コナラは活用がない。政府の補助もあって日本全国一斉に杉や檜に代わってしまった。利便性と引き換えにそれらのつけは、保水や野生動物の食物連鎖が破壊され生態系が代わってしまった。

思い出にふけっている場合でない。先を急ごう。

g点は青貝山コースの分岐点である。迷わず青貝山を目指す。h点の送電線鉄塔下をくぐり青貝山へと急ぐ。この鉄塔から青貝山まで尾根を歩くといっても簡単なようでボーと歩いていると、小さな枝尾根がいくつかありそこに迷い込む。迷っても箕面森町に至るだけで大きな危険はないが時間との戦いでは、迷ったという気持ちと日が暮れるという焦りとが大いに危険を生み常識外の行動をとることもある。常に尾根は大きく曲がっているという意識がなければ、特に雪があったり落ち葉がたまっているところでは踏跡が消え注意を要するところである。周囲には注意しているがマンサクは見つからない。まだ早いと思うがチラホラもないのだろうか。なぜ、マンサクにこだわるかといえば、又炭焼きの話になるが、炭焼きガマを作るには天井の骨組みとして「ネソ」の木を使った。その「ネソ」の木だけは、他人の山に入って採集してよいと暗黙の了解があったと古老は言う。「ネソ」とはマンサクの方言である。「ネソ」は粘りがあり飛騨高山の合掌造りの屋根材を固定するために縄の代わりに使用されていると聞く。子どもの頃山で柴をくくる(束ねる)のにその木の細いところを使ったように記憶する。4時を少し回った青貝山に到着。

この青貝山三角点、標高391.4なれど、位置的に優れ、大阪湾から神戸の海、五月山連峰から妙見山と見渡せる位置にあり、昔は狼煙(のろし)をこの山で上げ情報発信の中心であったと聞く。

また、山名のいわれが、深海の青貝という化石が発見され、太古は海であったとか・・・伝え聞く。三角点の近くにウグイスカグラが綺麗に咲く。まだ蕾も見えない。

そのとき携帯がなる

「あんた今どこにいるの」

家からの生存確認の電話である。

「今青貝山や、これから1時間以内に帰る。」

「・・・」

その前にb-c間にいるとき、

「真央ちゃん銀やった」

と連絡があったとき吉川三角点に登って帰ると告げてあった。

いくら方向音痴でも、「・・・」となったのである。

青貝山から下の鉄塔に下りる間に、早咲きのアセビの花が咲いていた。アセビの木はあちこちにあるのに咲かないのがほとんどであり雌オスがあるのだろうか。

 

その鉄塔の下ではクロモジの花芽が膨らんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お〜」ウグイスカグラが咲いている。花は1つか2つしかなかったが今年は早い。時間を忘れて早春の芽吹きを堪能する。

林道に下りて、昨年咲いていたサンシュユの木を確認する。まさに時間の問題のような花芽のふくらみ。

まさに春はそこまで・・・

あっちこっちと寄り道をして5時過ぎに帰着。寸暇と陽気に誘われて足は想定よりガクガク。歳を感じる。今日も誰にも会わなかった。

 

 


道迷い  2010.1.10

 

赤い線がGPSが記録したルート(カシミール3Dによる)。

こげ茶の実践が予定していたルート

点線は過去の実績ルート

-1 年末から風邪を引き、

楽しみにしていた3年連続元旦妙見山トレッキングはできなかった。熱は出ないのにせきや体調が思わしくなく外出できなかった。

体調が戻りつつあるので、空模様は怪しかったが「はな」(雑種犬)の散歩にと午後2時半過ぎより初谷川を1.8キロ遡上する。時間もあるので、初谷川の北の分水嶺にある「天狗の松」まで登り、444の三角点をとおり349地点を経て帰宅約2時間以内とよみ@の地点で「はな」のリードをはずし鈴をつけ杉林の沢の獣道を登る。このルートは上下とも数回経験している。

ふうふうゼェーゼェー言いながら、Aの地点に到着、いつもはここよりA〜Bにと小さなピークの間のコルを越えBの沢に入りそれよりまっすぐに登れば稜線のコルのところにある「天狗の松」に到達する。はじめからBの沢を登ればよいが、沢の両サイドが急峻で大きな岩や1−2メートルの瀧があり、獣道をたどるにしても危険だったから敬遠した。<左下瓦礫の急斜面へ>

-2 瓦礫の急斜面

今日は、Aの地点より「はな」が先行して真上の瓦礫の急斜面をジグザグに登っている。正規のルートを取るため「はな」を呼び戻し、地図を見る。「はな」がまた、ブッシュに向かって駆け上がる。シカかなにかの気配がしたのだろう。又、呼び戻すのもと思い急峻な瓦礫を登る。いずれにしてもこの上は「天狗の松」から上杉ハイキングコースに出る尾根に出るはず。ところが一歩前進一歩後退でなかなか進まない。何とかジグザグに、片手は三脚にカメラをセットしているので片手しか使えない。瓦礫が40−50メートル続く、その上は少し平らになっているのか見えない。そこを見たかった。

瓦礫を上り詰めたらさらに前方と左はまばらな杉とブッシュ、右はブッシュと潅木とイバラの混成。このままでは不安。「はな」を呼び戻し、リードにつなぎ、水を飲ませ、飴を与えて少し落ち着かせ、その間に地図を見る。現在地は完全に把握している。

「あかん、しまった!。このまま登れば上杉ルートに突き当たる。」

逆に上杉ルートからのこちらの状況は知っている。

「あんなところに出ようとしたらイノシシに逢うか、鹿に会うか、まして100m近く登らなあかん。引きかえそう」

ところが、瓦礫の急斜面は、下るほうがはるかに危険。「はな」は鈴を鳴らしながら、西へ山を巻いている。ちっちゃな尾根を越えて下の沢に下りれば、予定のルートに合流する。 その方向を選択する。笹につかまりながら少しずつ滑り落ちながら何とか尾根を越える。「はな」はもう下の沢の突き上げたところまで降りている。

(写真は瓦礫の突き上げたところ)

<◆-3へ>

 

-3 天狗の松

悪戦苦闘の末、「天狗の松」にたどり着く。汗びっしょり、そこへ細かいあられが降ってきたがなんのその、ここまできたら、昨年も7-8回ぐらいは来ている三角点をとおり一目散に帰宅できる。

この天狗が一服していたという「天狗の松」といっても、70年ほど前に枯れて今は根っこのみ。400−500年も生きたという人もいる。それほどの松の根っこである。「はな」が松の根っこにポーズをとったので三脚を立て、一緒に記念撮影して証拠とする。

444地点、ここは吉川四等三角点、10m径ぐらいクヌギは伐採され綺麗な広場となっている。「点の記」によれば昭和42年に設置され、平成18年に改測されている。

そこでも写真をとり、時間は3時45分、40分程度で帰着できるとふむ。

(写真は天狗の松の根っこ)

 

-4 ルートをはずす

「おかしい、この場所と違う、もっと尾根が細く水が削った溝のような場所がもう現れるはず。チェックポイントAである。間違わない自信のあるところで間違った??。「はな」を呼び寄せる、どこへいったのかなかなか帰ってこない。GPSと地図を付き合わせる。尾根だから衛星は捉えている。緯度経度は予定ルートとほぼ一致。しかし、おかしい「戻ろうか、三角点近くまで」、しかし、「はな」は先に行ったのか戻ってこない。笛を小刻みに吹きながら、少し引き返すが、「はな」が先に行ったとするとほっておくわけにも・・・、チェックポイントAのGPS軌跡が迷いをあらわすように輻輳している。

どっちにしたって、土地勘はある。間違っているにしてもこのまま下れば既知の場所に出る。<◆-5へ>

 

 

-5 決定的なミス

ここで決定的なミスを犯している。GPSに頼りシルバーコンパスを使わなかった。Eから少しいったところだと、GPSの誤差か、机上でやっているわけでないので隣の尾根に乗っているのが分らなかった。若しシルバーコンパスを使って尾根の伸びている方向を当たっていれば、正規の方向でないことが一目瞭然、隣の尾根に乗っていることが分ったはずである。

とにかく、「はな」のこともありその尾根を下る。少し下れば「はな」が駆け上がってきた。ここまできたら下るしかあるまい。すると赤いビニールテープのマーキングが出てきた。ここを以前とおった人がいる、いや、自分が過去にマーキングした可能性も捨てきれない。もうルートを外れていることは100%確信する。松や常緑の潅木で先が見えないが、尾根が急に落ちるようなところに出た。ここで「はな」をどこにも行かないようにリードにつなぎ、現在地確認。又もGPSに頼ってしまった。チェックポイントBである。尾根であるから精度は信頼できる。もし、そのとおりの場所とすると真左手には同じくらいの高さで349のピークが谷の向こうに見えるはず。「見えた」間違いなしに349のピーク、するとこの左手の斜面を降りれば「中ん谷」いつも沢水が流れていて、春にはウツギ、ヤブデマリ・・・何度も見に来る既知の場所。

ここでもう少し冷静に地図を読めば、尾根を直進すると「中ん谷」の支沢に出る。ここは巾300ぐらいだがはっきりとした道がある。その道からこの尾根を見るとクヌギやコナラの下りやすい場所に突き当たることが分ったはず。コンパスで尾根の方向を確認していれば当然気がつくはず。

ところが、冬の午後4時を回っている。間違わない道を間違った。心のゆとりがなかった。

「はな」に水を飲まし、飴を食べさせ、「さぁーここを下りるぞ、と指を刺し、「はな」のリードをはずす。「はな」は考えている。「ここは這うようにしてくだらないとイバラと潅木と急な砂地の斜面やで〜」と人の顔を見る。

「ええー、直ぐ下は道や早よ行け」とけしかける。

「はな」は一目散に鈴を鳴らして下っていく。<◆-6へ>

(写真はヤブデマリ)

-6 ちょっとした事故

こちらは毛糸の帽子が何度も木に引っかかり、カメラを片手に悪戦苦闘する。それでも何とか、潅木を抜け今度は視界は良好で下の道も見える。「はな」はもう沢に入って水を飲んでいる。後30メートルその間はぎっしりと胸長けまでの自然のお茶の木が密生している。これが厄介、胸の辺に枯れたつる草、イバラが縦横無尽に絡み合って足元は滑っていくが胸元は弦に絡まれている。そのとき事故が起こった。

 

足元は見えない、足はすべる。左手はカメラ三脚、右手はしっかりと茶の葉をつかんでいる。当然右面を下にしてズルズル。止まった、「痛い!。」何でこんなところに枯れた木の根っこ、右耳下が痛い。すかさず手袋の手でさするが別にどうこうない。それを繰り返しながらやっと道にたどり着いた。

「はな」はすっ飛んできた。「さあ、これから349地点へ最後の登りや」と「はな」をけしかけ、ふと手を顔にやると血がついている。「えっ!」「さっき滑ったときの傷か?」「あまり痛さも感じないし、ペットボトルの水であらい、里へついたらマフラーで隠して 歩かんとかっこ悪いなぁ」と考える。本来のルートの尾根に戻り、349を登るのもしんどいのでそれを巻くルートでGの地点を通過する。すると携帯が鳴った。「今どこ?。もう帰り道にいる?。あと15分程度で帰る。 」「はなはどうしている、」とはなを心配してる。びっしょりと汗をかいたので直ぐに風呂に入りたいので湯を張っておいて、と携帯をきる。

傷はどうということないが少し深いらしく傷張りテープが今も貼ってある。

 

-7 反省

Eの地点までは、右からの尾根が上がってきているのでそこに入らないよう(三角点へはその尾根も何回か使っているので)注意していたが、頭にはとにかく横にそれないでまっすぐ尾根筋を降りれば正解と考えていたが、実際はよく地図を見るとEで主尾根が曲がっている。まっすぐに降りると 今回のルートに乗ってしまう。先ずGPSよりもシルバーコンパスを使いこなすこと。そして乗っている尾根の方向から現在の尾根を確定することが教訓となった。しばらくして再度この地点を検証したい。

それと、冬の午後2時過ぎからの冒険はやめよう。

 


 

 


大堂越と野間三角点 2009.11.15 (日)

昨日も雨、明日だけが行楽日和、月曜日は崩れるという情報を元に何時もは日曜日は避けるが、今が紅葉70%の見頃、一度行ってみたいと思っていた「黒川から能勢」への間道「 大堂越」なるものを歩いてみたいと思っていた。

予定していたコースは、@→A→B→G→Iである。結果はC→Hが追加されたルートとなる。

 

◆上杉尾根へ@→A

先ず、9時50分妙見山を目指す。能勢電鉄妙見口駅からは東南側から天台山コース・初谷川コース・上杉尾根コース・新滝コース・ケーブル、リフトコース・大堂越コースがある。

今日は、吉川四等三角点を踏んで、天狗の松の根っこを見て、途中から上杉尾根コースに乗る。Aが合流点である。Aまでは上杉尾根の枝尾根を広葉樹林の中をただひたすらに登る≒1時間でAに到着。Aからの眺めはすばらしい。あいにくの曇天で遠く神戸港、淡路島は確認できないが、近場のときわ台、光風台の街並、特に天台山の紅葉が時折雲間から射す陽光に目が痛いくらいに綺麗だ。

 

 

◆上杉尾根を妙見山へA→B

今までは山でほとんど人は見たことないのにさすが日曜日、I→A→Bと登ってくる年配者のグループを3組ほど抜いてBの駐車場に到着。しかし、今日も女性(私と同年配もしゃべりながらタフなもんだ。

 

◆妙見山三角点から本瀧寺へB→C

妙見山二等三角点を踏んで時計は11時40分、大堂越へ下りるには、駐車場へバックしてリフト乗り場まで下りるのがコース。しかし、地形図からは三角点の位置から真西に大堂越があり、それに は 境内から一気に下りれば早いと考えその尾根筋を探すため境内の一番奥の本瀧寺への降り口より山に入り、西へ回りこみ尾根を探そうとした。踏み跡もまったくない。地図を頼りに下りても、何せ大堂越その場所は初めてであり、土地勘もないし、・・・このまま本瀧寺へ行こ。いつかはここも歩かねば・・・。ただ問題は本瀧寺を通過して一度車道に出る。それから延々と歩き 「野間」から大堂越を越える脚力があるか。幸いにも今日は前回のように道なき道を歩いたわけでなく体調に何の異変もない。車道へ出れば奥さんに電話して迎えに来てもらう事もできる。

本瀧寺まで800メートルとある。一気に下りる。

 

◆本瀧寺 C

(本瀧寺はNETで「本瀧寺」として検索してください)

妙見山より真北にしばらく尾根筋の道を下り、尾根は北西に変わるが今度は真北の谷底へと下る。直ぐにぱっと視界が開け2匹の狛犬に守られ緑・黄・橙・赤混色の紅葉に囲まれた本瀧寺の本堂が現れる。狭い谷間の中にいかにもかって修験者が修業したことをうかがわせる気配が漂う。堂内からは厳しい法曹の声が飛び交っている。それと対象に、境内のベンチではここでも、おばさん優先のハイカーが数組食事にぱくついている。もちろん口は食べることとしゃべる事に忙しい。

気がつけば正午ジャスト、他人のことはさておいて、ベンチのすみを貸してもらって昼食の握り飯を2個平らげる。寺は、谷の突き上げたところにあるので、空は真上にしかない。幸いにも薄日が射して気温も若干上昇してきたようだ。空の周囲はまさに見ごろの紅葉、感嘆の一語に尽きる。

食事休憩20分、人里離れた幽玄の世界を後に、もうひと歩きして車道へ。

 

◆本瀧寺より大堂越入り口へ C→D→E→F

車道下の沢までは急な坂道と急な階段(左の写真/下に沢が見える)を経て沢を渡り車道までは散歩道感覚。

直ぐに車道へ出る。ここは妙見山越えのヘアーピンカーブのうどん屋のあるところ。熟知している場所に出る。とりあえず一安心で自宅に携帯で居場所を知らせ黒川まで大堂越を歩くことを連絡。

 

さあ、ここで思案、車道から大堂越の近道の進入路がわからん。一般的なコースはここから、「奥の院」へと歩いていく。しかし、そこへは行かない。しばらく歩くと「奥の院」への進入路を通り過ぎる。私の近道はそれまでに左側にあるはず。元の場所へ車道を引き返す。(地図上でEから少し北へGPSの軌跡が伸びている部分が迷ったところ)引き返す途中、下の川に降りれそうなガードレールの切れ目があり、そこからイノシシのとたん柵に沿って下へ降りる。出た。ここは若干土地勘がある。ある関係で、2ヶ月ほど前に水稲の被害調査をしにきた場所だ。その時は車に同乗してきたので綺麗に区画整理された棚田だ、という感覚しかなかったが、実際に歩いてこの場所(E-Fの中間点)に立つと、先ほどの川の下流「野間川」へ注ぐ「宮浦川」の水で潤う綺麗に土手が整備された緩勾配の田んぼに続く「野間」の集落一帯がすばらしい景観をなしている。ひと一人として見当たらない。まさにのどかな風景である。リュックとウエストポーチを下ろし、しゃがんで地図を広げFの地点を探る。橋を渡り神社のそばを通ればよいことが分る。山中では谷尾根がはっきりしているので地形図と周辺の景色はあわせやすい。ところが等高線の巾の広い平地では難しい。と、思いこの部分はヤフーの地図の拡大を持ってきているので橋のかかっている場所も、付近の人家も判別でき、迷わずしてその橋の上に立つ。GPSも展開した場所なので6つ以上の衛星を捉えているはず。位置もピッタシ。ためらわず橋を渡り神社の傍を通り抜けタイヤ痕のある若干上がり勾配の道をどんどん進む。昨日の雨で水が流れている沢を右手に見て。やがて土管が埋められた沢を初めて渡る。沢は左手になりここから道が細くなる。ここまで、いたるところに砂防堰堤が築かれ要所要所では川の両岸は石積みされている。この土木工事のために、ここまで道が拡張されたことは想像できる。自民政権の残した功績の一つかもしれない。

道が細くなり直ぐに地形図で大堂越間近と思われる谷に合流する。上にコル(尾根と尾根をつなぐ鞍部)のようなものが見える。そこまでジクザクに最後の登りをゼエゼエと登っていると、上のほうで鈴の音が聞こえる。本滝寺の下の車道から始めての人影である。まもなく「大堂越」に到着。人影はない。ここは、西北に黒川から「野間」に抜ける間道の一番高いところ、この峠を東へ登れば妙見山、西へ登れば「野間」三角点の十字路となっている。(三角点の看板はない)。出会わなかったことを考えれば先程の鈴は黒川からここで妙見山へと登っていった人だろう。「おっ!」今度は黒川側から自転車を押した人が上がってくるではないか。

「下から自転車でここまで来たん、かついでやろ。、ようやるなぁ〜、妙見さんまで行くの?」

「いえ、野間へ抜けます」

「ちょっとだけ急なくだりの細い道や、後はええ道や、キイつけてナ」と自分のことはさておいて余計な忠告する私。

ええ歳をしておっさんの方こそ危ないぜ・・・という目をしてながら、「分りました」という相手のにいちゃん。

そんな目をした行きががり上、直ぐに自転車にまたいで谷を下る兄ちゃん。お互いええ恰好してたら危ないなぁと思いながら首を伸ばして見ているとスイスイと下っていきよった。

 

◆野間三角点へ(振野)G→H→G

さて、ここで又も思案。ここまで来た限りは上の三角点を触ってきたい。標高差130メートル片道20分とふんでコンパスを三角点にセットし登り始める。踏み跡は無いがとにかく頂上へ出ればよい。左手はカメラをセットした三脚、右手一本で植林後20ー30年の杉につかまり、時にはその杉を背もたれにして一息つきながらまだ見ぬ三角点を想像しながらただ一筋に上へ上へ。障害物もないし道も無いので一直線に登れる。この山の反対側は広葉樹林。「高代寺-八幡神社コース」からはいつかこの三角点に登りたいと思っていた事が今実現すると思えば自然と踏む足にも力が入る。

やがて、杉林は消えて勾配も緩やかな明るい広葉樹林帯になる。日が入るということは下草、特に笹が生えるブッシュ帯になる。不安になる。こんなところに石の三角点があってもワカルやろか。頂上らしきところに出て笹を掻き分けるが枯れ枝に引っかかり転倒するばかり。

偶然転倒してつかんだ木の枝に古いが赤いテープのマーキング。ということは、まだ他にもマーキングがあるはず。しばらく笹の中を泳いで踏み跡らしきものにぶつかる。コンパスの指す方向に向かっている。ここは頂上と違う?・・・。GPSで確認するとまだ三角点は先、この頂上は西長になっている。ある、あるマーキングが。もうこれ以上行けば頂上から落ちるという頂上の西端に三角点はあった。確かに地形図ではそうなっている。そこまで冷静に地図が読めていない証拠である。そして黒川と野間の境界線上に三角点はある。境界石は登ってくる途中ずっと確認していた。帰宅してから国土地理院の「点の記」を調べれば、わずか1メートルほど野間側に入ったところに設置されていた。平成9年に調整、と、あるからずいぶんほったらかしになっている。2-3の山登りグループの記念札が下がっていた。

登り始めが13時34分、三角点を触ったのは13時56分で22分かかった。三脚を立て、一人ぼっちの記念撮影をする。

ここから、西尾根を300メートル下りると国道477へ出る。それは無謀なので元の大堂越に引き返す。何せ頂上付近でかなり右往左往したので念のためコンパスを大堂越にセット。帰りは、マーキングと踏み跡に沿ってブッシュ帯を抜け一気に12分で下りる。

 

◆黒川へH→I

ただ、沢筋に沿って道を下るだけ。15分でケーブル乗り場に下山。

 

◆GPSの精度について(グラフはカシミールよりカット

大堂越から黒川までの下山はルートは合っているのに高度が機能していない。それから国道を歩いている間は位置、高度とも大きくずれている。山道に入ると正常値に戻る。国道は周囲が開け衛星は捕捉できているはずだが何故か不明。

◆総括

予定外のルートを取ったが大堂越も見たし、何よりも野間の三角点も踏めた。又、本瀧寺の幽玄な修験場も見れ、物語の創造力も膨らんだ事が成果である。GPSの歩行距離は17km時間は5時間30分。

 


川尻連絡道 2009.11.3

今回は、前回チラッと確認したb点から伸びているA地点の川尻へ通ずるルートに挑戦する。(地図参照、赤いルートはGPSのログで(カシバード)、ピンクのルートは谷間のせいか北緯がずれていたので修正したもの)

 

今日は天気は良いが寒い。11月下旬の気候らしい、がトレッキングには最上の日。祭日でもあるし誰かと出会うかもしれない。昔、川尻地区からわが集落まではこのルートが一番近いと思われ(初谷川へ下りるには)、この道を活用したのではないかと思い、昨夜から地図上で入念にチェックした。

◆ルート

先ず、天台山ハイキングコースに乗るため、東ときわ台の給水タンクから青貝山三角点を踏み送電鉄塔122を通りa点に出る。a点からコースを南側にそれ(@の地点)前回既知の点bにいたる。ここからAへ至るのが今回の目的でその先は成り行き任せ。

◆b−c間

天台山の南尾根を巻くルートで巾30センチほどの道もはっきりしている。南側の谷は深く急峻でヒノキがぴっしりと生えている。途中から向きを変えジグザグに尾根に上る。道かどうかは分らないが地形図上の道とその様態は合致している。周囲は40年程度たった檜林であ り上空は見えないが谷底でないためGPSはしっかりと働いている。山の手入れもちゃんとされているようだ。やがて「今、尾根を越える」とはっきりと分るC点に達する。この地点は、地図からはっきりとコル(鞍部)を越えることが先読みできるが、現地に立つまで認識できていなかった。C点には数百年は経っていると思われる大きな木が朽ちて半分倒れている。是非、詳細に見たいと思ったがそれよりも先にする事があった。ここで、dへ進むと思われる正規の道、尾根筋の南への道、南西への道と3分岐している。南への道は何者かと探る。又少し先のピークからこの尾根に建っている送電線の鉄塔が見えれば100%この地点が確認できる。20メートルほど進むとテレビアンテナが見え、CATVの基地だと分り、そのメンテナンス 用の道らしい。周囲の木立が邪魔をして鉄塔は見えない。南西への道は谷へ下りておりおそらく前回の止々呂美へ下りる谷と合流すると思われる。又、逆方向から 来た場合は間違いそうだとも思い、あれやこれやしているうちにすっかりと朽ちた木のことなど忘れてしまっていて写真も撮れなかった。この朽ち木にこだわるのは、ここにも天狗伝説があったかもしれないし、このホームページの「天狗の松」にも繋げたかったからである。 いつか、もう一度こよう。

◆c−e間

c点を越えたところで遠くでサイレンの音が聞こえる。正午である。タイミングよくその場所だけ檜がなく寒いながらも陽光がさしている。ここからは里に近づくため道が消える心配はなさそうで、先ずは腹ごしらえをする。思惑からは1時間以上の遅れであり、15分程度の休憩で直ぐに出発する。直ぐに天台山分岐がありd点である。以前に見た天台山三角点から道が伸びていたが、ここへつながっていた事に納得し、ここからジグザグに急な雨水で削られれ木々の枝だらけのV字型の道を急いで下る。北側の小さな谷には階段状に石垣が見え暮れする。おそらく放棄された棚田であろう。ということは集落は目前と思っていたらぱっと視界が開けe点の集落についた。所要時間1時間13分距離1.8km@-Aを抜けた。しかし、このようなしんどい道を通ったかなぁ。

◆法輪寺-光明山-清滝分岐へ

2時過ぎさて、これからどうする。時計は12時30分過ぎ、eからfに下りてこの集落の真ん中を通っている4号線舗装道路を妙見山に向かって歩き始める。下の国道423との標高差50ー80m、水平距離400m.、11ー15度の急な傾斜地であり必然的に棚田となりすばらしい景観を見ながらである。だらだらと緩慢な上りを自販機の缶コーヒーを飲みながら歩いていると、見事なムラサキシキブが山すそに咲いていた。妙見山まで車道歩くとなると7km近くある。こちらは4輪でなく2本足であるから、法輪寺横から光明山へ山道をショートカットする。

光明山は展望がよいわけでなく、誰かが立てたか私製の看板がなければどこが山頂かわからん山だけれど、一応コースとなっている。又、道は車道と平行しているにもかかわらず、間道が多くいつ来ても間違う。まあ、印としてスタンドを立て独りぼっちの撮影をする。@の地点から誰一人として会わない。川尻の集落でも一人も見かけなかった。(車道の自動車は別)光明山「i」の地点から車道へ下りる「j」間で「妙見山方面」という標識があったにもかかわらず方向が逆と思い、道があるから進むと大きな送電線鉄塔にぶつかり引き返す。ここで少し時間をロスして「j」点で車道に出て長尾橋、清滝橋を渡り初谷川コースの分岐を経て妙見山へ向かう。時間は2時15分。妙見山三角点まで2km弱、3時前にはつく。それから上杉コースへ出て、途中より天狗の松、吉川三角点経由で尾根筋を一気に下りれば4時過ぎには帰宅できると計算する。

◆突然のトラブル

と、頭で考えながら清滝分岐を過ぎた車道を急いでいると、突然左足のひざ内側の筋肉がピクピク違和感が走る。体力は十分、気力も十分ながらこの違和感はトラブルにつながる予感がする。行こか、戻か心が迷い10m進んで10m引き返す行動を2ー3回繰り返す。立ち止まれば、筋肉が吊っているような感じ。戻るということは熟知した初谷川コースを帰ることである。川の水に沿っての道は当然ながら下るばかりで1メートルの上りもない。1時間程度で帰宅できるし、道を熟知しているということは、このカーブの次は沢渡りとペースも配分できる。先ず携帯で奥さんにコース変更を伝えると「迎えにいこか」(ここは車道、車で30-40分程度)というが、固く丁重にお断りし、携帯が終わるときには、初谷川コース分岐点に戻る。

◆順調に帰宅

下る最初は石がゴロゴロしている所を歩くので右足のひざの内側までピクついてきた。やっぱり、妙見山へ登らなくてよかったと思い、リュックを下ろし水分を補給する。考えてみれば今飲んでいるペットボトルが2本目の最初でAを過ぎてからは缶コーヒー以外補給を忘れていた。高齢化すると乾き関知センサーが壊れてくるらしいが、そのせいかもしれない。そのつもりで多めに補給をする。そうしてしばらく歩くと足の痛みはどこかへ行ってしまって快調なペースを取り戻す。二グループのハイカーを追い越す。途中、初谷川でよく会う青年に出会い、長い立ち話をして二グループに追い抜かれるが、途中再度追い越して無地帰宅。6時間20km弱、山道を歩き続けて夜は湿布薬の世話になりアルコールがうまい。

 

 

天台山ルートから上止々呂美へ

2009.10.24

今回は、「サンコウチョウとの会い」の沢より、より天台山に近い東の沢を降りる。このルートは初めてであり何度もイメージトレーニングをして是非実現したいと思っていた。7月より、午後3時頃よりのミニミニトレッキングを何回か行ってきたが今日は1日掛けて少しまとまった歩きと冒険をする。左の地図でB〜Dに降りるだけのことで下へ下へと下ればいつかは里に降りることは分っている・・・。が、実際に一人でハイキングコースでない始めての静寂な山中を歩く不安は恐怖を伴う。どんな危険が待ち構えているか分らないリスクの中にサンコウチョウのときのようなすばらしい偶然が存在する事も事実である。

地図上からは針葉樹林帯であり杉林であろう。この、道は(道かどうかは分らないが)Bで川尻へ抜けているように地形図では見える。川尻と我が集落は古くは大いなる関係があった。町史によれば炭焼、 柴刈りなどで、その境界等それぞれのいきさつ(いいこと、悪いことを含めて)があったようだし、又子どもの頃は「川尻のごぼう」は有名で、それらは初谷川がルートになっていたと聞き覚えがある。当時流通の道があったはずである。 初谷川をキーワードにすれば、それがBより東へと伸びる傍道ではなかろうか。一度長老に聞いてみたいと思っている。それらの地形も見てみたいと思うのが目的の一つでもあった。 川尻-B-A-初谷川が最短コースと思われる。このコースを一度歩いてみたい。

 ヒオウギの種

サンコウチョウの時、鉄塔122の広場で見つけたヒオウギ(当時名前が分らなかった)の種の状況を見るため、図のようなルートを選択した。10時40分に出発して11時30分に鉄塔122に着。真っ先にヒオウギを見るが2つ袋がありそのうち1つははじけており残りの1つに幸いにも1粒だけ1.5ミリ程度の黒い種が残っており、大切にビニール袋に収容する。来年の春には この貴重な種を植えるぞ〜。

 

 おばちゃんパワー

次のチェックポイント@の「天台山-東ときわ台-青貝山」の分岐点を目指す。何時もは平日なので人に出会ったことがない。今日は土曜日、と考えていたら前から話し声がする。おばちゃんの二人連れ、確かこの地図のスタート点黒丸の給水タンクのところで出会った人らしい。

「やあ、あんたどこからきゃはったん、また会ったけど、ここを進めば青貝山へいけるの」・・とおばちゃん。

「ああ、途中分岐があるが右折しないでまっすぐマーキングのとおり行けば30分程度で三角点があるわ」・・と私。

「やぁ、ほな私ら遠回りしたんか」・・とおばちゃん。

「ソラ遠回りもええとこや、千里の回り道やで」・・と私。

「途中、青貝山と看板があったけどな、分岐点がわからへんで、進んでくると天台山としか出てこなかったのでおかしいなぁと思ってたんや」・・とおばちゃん。

おばちゃんたちは、給水タンクから正規の天台山コースを歩いてきて、@の地点で青貝山の看板を見つけ直角に折れて下ってきたらしい。

「マーキングをはずさないように気つけていってください」・・と私。  

しばらく歩いて思わず立ち止まった。「え〜え〜、同時出発してここで会ったということは、え〜え〜、えらいスピードや」「それに、地図も見んと標識だけで歩いてくるとはええ度胸やなぁ」おばちゃんが歩いた距離2040メートル、私の歩いた距離1826メートル歩いた高度差は同じ。途中写真撮ったり木や草を見ていたにしてもや、負けてるがな・・・それもおばちゃんたちはしゃべりづめで息も切らしてなかった・・・私はプレートコンパス、GPS、経緯度を引いた地形図、ルートプラン、GoogleEarthでイメージトレーニングもして・・・、ちょっとあほらしくなったが、気を取り直して先を急ごう。

 

◆ AとBの分岐点へ

Aを過ぎて、問題はBの分岐点は国土地理院1/25000の地形図では標高560メートルN34.54.44/E135.28.20に幅員1.5メートル未満の道路が分岐している。ところがその手前N34.54.42.44/ E135.28.19.75高度528メートル地点に尾根を巻いた下る道がある。念のためその道を通り越し高度600メートル地点まで登るがそれらしき分岐は見当たらない。やはり先ほどの道だと引き返す。先ほど遠くでサイレンらしき音が聞こえた。時間は12時半、とにかく下る道の目星をつけてから昼食はする。先ほどの分岐点まで戻りその道を東へ下る。沢に下り、そこは2つの沢の合流地点であれば正解である。ものの2−3分も歩くと沢に下りた。確かにそこは2つの沢が合流している。GPSもピッタリ。100%間違いのないBのチェックポイントである。埴生もここは広葉樹、ここから下は針葉樹、曇りながらもここは明るい12時50分遅い昼食をとる。昼食は握り飯、山で食べるのはうまい。

 

◆ 杉林の中の炭焼窯

ここは携帯が通じる。奥さんに電話して置いてきたプランの地図で居場所とこれからのルートを知らせる。

東へは天台山を巻く道が続いており川尻へ抜けるのであろう。今度はこの道を挑戦するぞ〜、と、独り言を言いながら真南の沢を下りる。道があるのかないのか分らないが、とにかく沢を下りる。しばらくすると確かに道があったと想像できるような道がある。長年使用されていないが、今はシカやイノシシが歩いて道をつけている。足元はとがった岩石だらけ、ここで転倒すれば痛いだろうなぁ〜と思い慎重に下る。地形図を見ながら両サイドの沢を数えながら現在地を確認する。しかし地形図はうまいことできているなぁ〜ピッタリや。沢の両サイドは杉林であるが、崩れ落ちた炭焼窯が点在する。スギは40年以上はたっていると思われるが間伐もされ比較的良く手入れされている。40年前はこの辺いったいクヌギ、コナラ林であったことは朽ちた炭焼窯で立証される。沢には最近雨が降っていないにもかかわらず水が流れているということは、天台山は偉大なりか。

炭焼ガマやその傍の炭焼小屋では必ず「やかん、一升瓶、瀬戸ものの皿」が放置されている。必ずである。ここで、夜通しの「クド(ここを参照)」のため食事、アルコールが必要だったのだろう。

途中、2−3メートルの瀧が続き、直接沢は下れず獣道に沿って沢を見ながら歩く。沢底は岩石だらけで非常に危険。若し、頭上でシカが走り、岩石でも落とされたら、それこそお陀仏である。そのため、これからそこを通るので鹿たち早く逃げてくれと、腰には鈴をつけている。

沢を4つ数えた。いよいよチェックポイントC送電線直下を通過するはずである。おぉ〜、杉の枝の間から送電線が見える。何度か沢を渡ったが、ここで初めて鉄製の足場板のような橋が掛けてある。最大荷重150kgとある。その橋を渡ると直ぐに炭窯と炭焼小屋があり、そこを覗いていると山の頂上へと階段がついている。直感として、送電線鉄塔のメンテナンス用だ。ここの鉄塔は順番から行けば121のはず。ヒオウギの鉄塔122の1つ電源側である。是非みたい。階段を登る高度差70メートル。この鉄塔を真西に下りればサンコウチョウの沢に出る。鉄塔の下で一人ぼっちの記念撮影をして又、元の沢に下りる。沢に下り今度はもう1つ手前の鉄塔120のメンテナンス道はないかと探るが分らない。その鉄塔までは200m近くの高度差があり、今回はあきらめチェックポイントDへ下る。ここからは道が確保されており何の危険も為しにDに到着。この地点は既知である。

 

◆ オンコの谷から箕面森町へ

Dポイントに林道「山盛線」とある。今下ってきた道がそうであろう。幅員1メートルとある。

合流した林道は、下れば国道422に出る。距離にして1/25000の地図で4センチということは4×250メートルで約1キロ、上ればサンコウチョウの谷を経て天台山ハイキングコースへと続く。その途中(ここからか直ぐ)に分岐点、吉川道という石の標石がある。もう一踏ん張りをしてその道を帰ることにする。標高差70メートルの尾根を越え、オンコの谷へ出て箕面森町へ、出て自宅へ電話して車で迎えに来てもらう事にした。

 

今日のお土産は、ヒオウギの種1粒と121鉄塔の下に立てたこと及び川尻への分岐点が確認できたこと。歩いた水平距離は8km.所要時間4時間15分(乗車除く)

 

サンコウチョウとの出会い

2009.7.31

今年の梅雨は長い。そして、しとしと梅雨と違い大荒れの天候である。

萩(ヤマハギ)の花の開花をどうしても確認する必要があり寸暇を見つけて午後より久方ぶりのトレッキングに出かける。天気予報は、所により大雨情報を伝えているが天の状態から夕方までは持つだろう。

雨よりも、2週間ほど前、左足のふくらはぎを軽く打った。すると突然痛みを感じふくらはぎが広範囲に内出血している。2−3日様子を見て、町医者に行くとどこか軽い肉離れをおこしているのでしょうということで湿布をもらって帰ってくる。

普段歩くのには障害がないのに夜間寝ていると痛い。

足の状況確認も含めて出かけた。

地形図、コンパス、GPS、三脚に装着したコンパクトカメラは必需品。

13時30分START地点、金ケ谷池(かながたにいけ)より尾根筋の傍道をとおり@の地点通称トンボ池の分岐点に14時4分に到着。足の状態は良くも悪くもない。目的地、コースは出たと任せで、居場所は携帯が届く所では奥さんに連絡を入れる。

 

◆目的

目的地はなくても、萩を見るという目的はあったが、ここまで来て見なかったということはまだ咲いていないということ、思案の末、とりあえず関西電力新生駒線122鉄塔Bまで 登る事にする。Aから鉄塔123までは急なのぼりでありBの地点は分岐点で北は天台山、南は青貝山、横断すれば道がないけれどオンコの谷をおりて箕面森町か上止々呂美へ、ここは天台山コースを取り14時26分鉄塔122で休憩。

 

◆この花なんの花?

生駒線122鉄塔 のそばで、こんな花(左の写真)が咲いていた。帰って、ネットで調べてもわからない。ホトトギスという花に斑点のあるところは似ているが葉っぱも違い、2段花でもない。ユリ科で調べてもわからない。この花の名前がわからないため、この原稿が丸一日遅れてしまった。

是非伝えたいトピックスがあるので帰って直ぐに記載したかったのだが・・・。

 

 

さあ、ここでどうしよう。時間は14時45分、青貝山へ戻り箕面森町へ抜けて帰っても良いが、なにか物足りない。

この辺では是非一度歩いてみたい谷があり、そこは何度も何度もイメージトレーニングはできている場所がある。それは、ここをさらに登り、天台山正規のハイキングコースCに乗り、天台山方面へ200メートルほど歩くと鞍部(コル)にでる。「初谷川から天台山コースへ」(1つ下の記事)の@-A-Bの谷を登りきると、今回の図のDの地点に出る。そこから南に下るうっそうとした暗い杉林の中に獣道のような道が降りている。この谷を降りると「旧村連絡道(吉川村から止々呂美村へ)」と合流するはずである。

ただ、その谷がずーと暗い杉林か、はたまた笹薮が途中にないか、下草が生えて危険でないか、がわからないため躊躇していた。降りるなら草や木の葉が落ちた冬と考えていたが、Dの地点までは30分として15時15分にはつけるだろう。17時前には既知のEの地点にたどり着ける。Dで判断に迷うなら既知(2回の実績)の初谷川へ谷を下ればよい。

Dの地点へは15時に着いた。

この地点が地形図のどこに当たるか一服をかねて腰を下ろし確認する。いくらハイキングコースだからといって間違った谷に下りればパニックになるのは必至。現在地確認さえできていれば何とかなる。

このGPS(m-241)は優れもの、10メートルと違わない。高度も地形図とほぼ一緒。もちろん地形図には罫線が落としてある。ピッタリ間違いなし、初谷川から登ってきたときのマーキングもあっている。

懸念は、写真のように暗い杉林、今は日がさしているが、梅雨の天候、いつ曇天になるかわからない。それに今日は薄いがサングラス、さらに暗く見える。勇気を出してGO。

 

サンコウチョウの大歓迎にあう

 

このGOが、運命を変える。

急な傍道を転がるように駆け下る。昨日の大雨で地肌の見えているところはすべる。片手はカメラでふさがっているので尻餅でもつけば全治6ヶ月、注意する。携帯も通じない。

沢は雨水が流れている。その沢より5−6メートル上の斜面に獣道がついている。そこを、歩くというより傾斜のため自然に小走りになる。まだ、頭上には送電線は見えない。送電線を横断すれば約半分降りた事になる。途中から道巾があり歩き易くなってくる。この調子であれば以降は道が太くなるばかりと安心する。

 

突然、「ギーギー」という鳴き声、「?△○・・・」予感・・・。何かが飛ぶ、小鳥らしい。

「ホィホィホィ」なんともいえない、高くもなく、低くもなく、透き通ってもいないが朗らかな声がする。ネットで何回も聞いたあのサンコウチョウ

どこにいる?。上を見上げるが杉林は暗く、木漏れ日とのコントラストがきつく確認できない。すると、目の前数メートルの杉の枝に小鳥がいる。と、続いて小鳥が飛んできた。尾が長い、間違いなくサンコウチョウだ。メスとオスのつがいがいる。とっさにカメラを構えるがもうそこにはいない。オスがメスを追っかけているようだ。私を中心にして3メートルほどの高さの枝をぐるぐる回っている。思わず手を伸ばしそうになるほどわずか1-2メートルを頭の高さで何度も何度も枝から枝へと回っている。「おぃぶつかるで」という感覚である。しかし、これは証拠を残さねばと感激ばかり浸っていられない。あっち、こっちとカメラを向けるが木々は木漏れ日で逆行で液晶画面が見えない。

居場所がわかれば、カメラを向けるが老眼のため液晶を見るため眼鏡をずらしてズーム、そこへさしてこのカメラはシャッターを押して一呼吸してからシャッターが落ちる。特に暗いためシャッタースピードは1/25秒。コントラストを調整する間もない。ぶれにぶれまくっている。

その間も、3-4メートルの高さの枝から急降下して頭の高さで水平通過、また3-4メートルの枝に、を私を中心にして4角形の形で繰り返してくれる。メスは警戒心が強いのか鳴き声は別の方向でするのだが最初見たきりで撮影できなかった。

やがて、高い枝に移っていき、「ギーギー?△○ホィホィホィ」といってどこかに飛び去った。おそらく「気をつけて帰リゃ、Good By」といった ように聞こえた。おそらく、こんな山道1年を通じて一人か二人ぐらいしか通らないのではないか。

しばらく呆然として余韻に浸っていたが、撮影時間からそのショーは10分間もあった。GPSで位置を確認し(地図のピンクの☆)、さぁ帰ろ。

しかし、「あの長い尾っぽで東南アジアまで飛んでいけるなぁ〜」それにしても、バードウォッチングや野鳥観察の人が何日も掛けて見つからない鳥を、まったくの偶然にしろ10分間にもわたり手の届きそうな距離を何度も何度も飛行してくれたサンコウチョウに感謝感謝。

(サンコウチョウはいかなる鳥かネットで検索してください)

 

◆帰りはルンルン

 

下りはルンルン、沢の水も増えるが道幅も運搬車が通れるほどに広くなってくる。送電線はさっき確認した(左の写真)。見覚えのあるEの地点に到着15時40分。

さて、ここからどう帰る。

このまま、下れば2km少しで国道423に出る。道も林道で広いただ歩くだけ、国道へ出れば携帯も通じ20分もあれば奥さんに車で迎えに来てもらえる。

又は、ここから標高差50メートル間道を登れば、鉄塔122よりの尾根の鞍部Fに達する、以降は青貝山の三角点を踏んで帰るか箕面森町の開拓地へ出て車で迎えに来てもらうかである。以前歩いたがEから国道へは遠い。したがって足の調子もよく後者を選択。

(写真右----左から降りてきた、右へ行くと国道、丸木橋を渡る手前の道を選択)

 

 

◆青貝山経由

15時50分Fに到着。意外に短かった。すべて順調、このまま青貝山の三角点を踏んで帰る事にする。いつもは、Fからオンコの谷を遡上し一度Bの地点に出て青貝山へ至るが、時間もないし勘は良く当たるしFより直接30メートルほど登りショートカットする。Gの地点青貝山には16時32分に到着。途中、高代寺が見晴らせる場所があるので、そこで小休止もかねてコンパスによる位置確認の練習をする。しかし、GPSには勝てない。もっと練習をしなくては、谷の方向、尾根の方向はGPSではわからない。

青貝山の三角点はこの2年ほどの間に10回近く来ている。

ここからの帰路は、トンボ池に下りるのが正規のルート。または箕面森町にも下りることができるが、そこから自宅までは遠い。今日はついている。いっそGからHを一気に降りよう。もちろん道はなく山の中である。Hの地点は子どもの頃より熟知している。隣の家の持山である。道無き山の中は、個人の所有であり不法侵入である。が、青貝山の持ち主も知っているし、まぁいいか。単純なようで、GからHに降りる谷がいきなり始まっているのでなく途中から谷になるのであるから、Gへの方角定めにコンパスが必要となる。急な斜面を転げるように下ってGに16時52分に無事降りてくる。

 

◆感激の半日

それから、寄り道をしながら17時40分に帰宅。約6キロ4時間、サンコウチョウの歓迎があった実に感激の一日であった。

ルートの地図はGPSが記録したルートを転写した。

左はGPSが記録した図

 

 

 

 

 

初谷川から天台山コースへ

2009.3.31

 

今日午後、ヤーコンを芽だしの為ポットに植えていたが天候もよく、山の花が気になる。今日の仕事は明日にと思い急きょ思い立ち、準備もそこそこに「はな」を連れて出かける。

今、咲いているのはサンシュユ、アブラチャン、三椏、アセビが盛りを過ぎ、ウグイスカグラは満開、コクサギと5葉アケビがつぼみをつけ、クロモジとニワトコが咲き始めている。少し風があるのと時刻も午後4時、陽光は翳り始めるのでピンボケを防ぐ為、三脚を持って出かける。日没まで2時間少々しかない。

 

目的は初谷川から「妙見山-天台山コース」のハイキングルートへ登る事にあった。初谷川の上からから数えて2番目の砂防ダムより標高差180メートルの天台山コースへは道のない沢を登ればよいことは地形図で何度も検討しイメージトレーニングもしている。

ただ、3日前にギックリ腰になったのと夕方5時前の杉林の中は暗く、若し無理と判断すればあきらめればよいことである。

16時26分@の地点である。(左の写真)

手前を左から右へ流れているのが初谷川。正面の杉林の中の沢へ入る。「はな」のリードをはずし、鈴をつける。「はな」は勢いよく杉林の中に駆け込む。沢に沿って歩く勾配は緩やか。周囲はうっそうとした杉林、@-Aの中間に両サイドに小さな沢がある。東の沢を上れば天台山マイクロウエーブの反射板に到達できるが距離も遠く帰りも時間がかかるし、未知の道なきルートの為、自殺行為。

今日は直進しAの沢の分岐点をほとんど磁北にとり急な沢を登る予定。

Aと思しき地点に到着。「はな」は直進している。はなを呼び戻し、携帯で時刻を確認。16時36分。

予想とおりDocomoフォーマは山間部はまったくダメ

アンテナは圏外、2-3日前にdocomoのムーバからフォーマに替えた。ムーバのときは、初谷川から妙見山までのルートで谷の深いところで少しの間電波が届かなくなる程度で、今までのトレッキングでほとんど電波が届き、自宅への現場位置連絡等まったく支障なく安心だった。

ところがフォーマはまったくのだめ。少し山に入ると圏外。非常に不安である。なんとかせぇ〜Docomo。

 

ここまできたら目の前の急な沢を上るしかない。休息をとる時間的余裕なし。「はな」にここをのぼるで!と指をさす。

勢いよく鈴を鳴らしうまく獣道らしきところを蛇行して登っていく。こちらはそう遠回りもできないので三脚を杖代わりに2歩前進1っ歩ズルズルと滑りながらゼエゼエと登る。急なところは45度ぐらいあるような感覚。途中腰を下ろし薄暗い杉木立の中で地形図を見る。うまいことできている。沢の曲がり具合がピッタリ水平距離145m標高差100m。斜面の距離はピタゴラスか、角度シータは帰って調べるとして、「はな」を呼び寄せ、飴玉とお茶を飲ませる。杉林の中は、陽光がささず地面は砂状。「はな」もスリップしている。やはり、一人より犬がいるだけでも心強い。

 

登りきった。(右の写真)ちょうどここは鞍部。向こうへは天台山、手前は帰路、左から登ってきた。右へ降りると上止々呂美へ抜けるはず。(いつかチャレンジ)。黄色いマーキングをして一服、「はな」にもお茶を飲ませる。ここからは勝手知ったる道。東ときわ台からか、5時のチャイムが聞こえる。ちょうど17時。ここからは帰路1時間程度。

ここから正規コースから外れて関電新生駒線122鉄塔真下をとおり、青貝山三角点を踏むか、123鉄塔へ降りるか迷うが、青貝山へは登がある。123鉄塔を選択すると帰路登はない。時間が迫っているので楽な123鉄塔ルートを選択。

 

ここで、ハプニング。

123鉄塔より急なコースを降りきって林道へ出た。

「はな」がいない。何度も呼ぶが当たりはシーンとして鈴も聞こえない。ひょっとして、先に帰りよったかな。ここまで一緒に来て、あれは気性が激しいので途中住宅のそばを通るので、今頃は犬の散歩ラッシュ、けんかでもして、高価な犬を傷つけると大変。

5分ほど待ち、さらに呼ぶ。すると反対の林道から飛ぶようにして帰ってくる。飴をやろうとすると見向きもせず、そばの沢の水を忙しく飲み始める。その沢は、いたるところイノシシが水浴びするのか深みができている。その深みに腹ばいになり手と足を伸ばして水に半身浸している。水はまったく恐れない犬で、真冬であろうと川の中にジャブジャブ入っていき、耳寸前まで顔お突っ込んで石をひっくり返したりしている。しかし、今日は腹はドロドロ、何かを追いかけてよほど全力疾走して、心臓が破裂しそうだったのかもしれない。とりあえず、水からあがってくるのを待ってここからはリードでつなぐ。

帰着は18時少し回ったところだった。

全工程5Km、あの急な沢の角度は35度。一応、初谷川から南の尾根道へ地形図とおりに歩けた事に満足。と、同時に午後4時に出発してこれだけの冒険ができる環境に住んでいる事に感謝。直ぐに風呂に入りビールがうまい。

 

 


2009年元旦トレッキング

2009.1.1

【初谷川分水嶺5つの三角点を踏む】

、帰路は怖い目にあってから、少しは1年間経験をつんだ。

 

この計画を思いついたのは、昨年あることで「小判の松」とか「天狗の松」と呼ばれる、この集落に伝わる寓話を聞く事になった。その掘り起こしに、少し村人に聞いた断片的な話の中で、「その松は天狗の通り道」というキーワードがあった。この松は70数年前に枯れ、現在は根っこが残っている(A-1の場所)。

そのほかにも、青貝山の北東方向(現在住宅地)にもあったという。

天狗の通り道という限り、天狗はどこかにねぐらを持ち巡回していたのだろうと考え、地形図的に、今回のトレッキングコースを巡回路として設定しそこを歩き、さらに想像力を高める事にあった。

 

コースは、直線平面的に約13km、実際には20Km程度と思う。今回は、妙見山頂の初詣客以外は、誰一人と会わなかったが半分程度は整備され、マーキングもあり、Eを除いては歩く方向は逆であったりするが既知のルートであり不安はない。昼食は妙見山頂で「うどん」を食べる予定で持参せず。

 

 

@-1 地点

自宅より10分ほど歩き40m程度登ると下界が見える。

当日は、朝はうっすらと雪化粧をして今も粉雪が舞ったり止んだりして、気温は低く最初は冷たい空気が肺に入り、胸が痛い。

これから「てんのう山の妙見さん」というの(妙見講メンバー29名が輪年番で毎月1回花・水を備え掃除をする)お堂をとおり、349ピークを通過し、最初の三角点「吉川」に向かう。昨春は踏み後さえもなかったが、今は2-3種類のマーキングがある。

Aの地点:最初の三角点

四等三角点【吉川】TR45235235601  443.97m

何度も 来ているが、10m径程度のきれいに整地された基準点である。周囲はクヌギをはじめとして広葉樹に囲まれた民有地であり、木々の間から集落が見える。

これより、B地点の「妙見山上杉ハイキングコース」に合流するため、このピークを下り鞍部(コル)を通過し上杉尾根の枝尾根を登る。合流地点までには昨年はブッシュに阻まれ怖い目にあったが今は人巾ほど笹は刈られてマーキングまであり、踏み跡らしきものもあり間違うことはない。その鞍部に、「天狗の松」がある。

 

A-1地点 「天狗の松(小判の松・コバの松)」

70数年前には枯れていたといわれる松の根っこが現存している。誰もこの松が青いときを知らない。ただ、70数年前には枯れ木ながら立っており、その姿は偉容で樹齢200年とも、300年ともあるいは500年とも言われていた。この松の周囲は当時クヌギ林で炭焼が盛んだった江戸末期、この松で天狗が太鼓をたたいていたという。今も大きな台場クヌギや山桜など広葉樹で囲まれているが、ところどころに巨大な枯れ松などが風雪にさらされている。この集落には80-90個の炭焼窯があったとされるが今は崩れて炭を焼く人は誰もいない。感慨にふけるのはこのぐらいにして先を急ごう。

細部はここを参照

B地点 「上杉ハイキングコースに合流」

このコースは公認でよく整備されている。ただ、私のように横から進入する人はいないだけ。この地点は南側に視界が開け、はるかかなた30kmに阪神高速湾岸線がズームでは視認でき、さらに延長上の60Km先の和歌山が見える。この地点は大阪湾から日本海までの1/3の距離に位置している。写真の木の向こうに西宮の甲山が見える。

今日は、粉雪が舞う合間に太陽が顔を見せることもあり、たまたま正午前の太陽が薄い

雲を通過して、デジタルズームでは湾岸線が見え、その向こうで関空から飛び立つ飛行機も肉眼で捉えられた。

ここから妙見山頂の駐車場まで、視界は利かないがいい道が続いている。登りもきつくない。

B-1地点 「妙見山駐車場」

駐車場の側面に出る。昨年に比べて参拝客は少ない。70%ぐらいか。

この駐車場を突っ切り参道へ出て、「鯛焼き5つ750-で買う」。本堂までの途中で「きつねうどん」を500-で昼食代わりとする。雪は止んで穏やか。でも寒い。

右の写真は帰路に通る天台山の電波反射板である。

この反射板は自宅付近からも、周辺の山からも見え、現在地確認には欠かせない存在であり、帰路にはこの板の右側に立っているはず。

本堂に参拝し三角点に向かう。

Cの地点:2番目の三角点

四等三角点【妙見山】TR45235331701  660.07m

境内の裏側になり分かり難いところにあるが、前にも確認しているので迷うこともなく写真だけ撮って、ここから帰路になる。ちょうど正午、ここまではすこぶる順調である。

これより、裏側近道で、今日は一方通行となっている車道へ出てDの地点へと急ぐ。その間、一方通行待ちをしていた集落の年配夫婦に会い、年始の挨拶を交わす。

Dの地点:送電線鉄塔の下

 

車道から北斜面に入ると直ぐ関西電力の西大阪線17鉄塔の下に出る。

この鉄塔の位置はわかっているので、目的のEの地点の山を、粉雪の舞う中でコンパスを当てる。写真の左前方に直ぐ近くに見えているピークがそれに違いない。これからは初めての場所。コンパスをその山にセットし枯れススキの中の獣道のようなところを下る。ここは小さな尾根で一度下って鞍部に出て次のピークを目指せばその山。

降りたところからは松林、なんとなく里道と思しきところをコンパスの指す方向に歩く。ただ、粉雪が舞う土地勘のないところで右往左往したくない。ちょっと行くと小ピークに出る。地形図にはない。道らしきところはそのピークを巻いている。地図からいっても500m以内。ひょっとしてこのピーク?。こんなところにあるはずないと思うが確認するがやっぱりない。等高線がひかれない10m以内の場所だろう。元の道に戻りさらにコンパスのさす方向に進むと明らかに鞍部がありその前に急斜面がある。この上に違いない。

Eの地点:3番目の三角点

四等三角点【水宇古城山】TR45235331801  527.04m

頂上らしきところに出るが長円形のくぼ地のようなところで石がゴロゴロしている。周囲は松や雑木が生え、どこを探しても見当たらない。おいおい、場所が違うのか?。うろうろしてると、石が4箇所4角形になっている。ひょっとして、落ち葉を掻き分けると、そこにあった。左の写真のリュックの左。「おっ!」「ちょっと立派やん」石柱の上に真鍮のプレートがついている。そこをなでて、ふと上を見ると木の枝に先客がぶら下げた札が2つあった。下ばかり見ていたからわからなかった。「まぁ、よかったヨカッタ」。周囲は見通しも利かず直ぐにその場を後にし鉄塔に戻る。、光明山は知っているし、そこを過ぎれば帰ったも同然とFへ急ぐ。ヒノキ林の中を横殴りの乾いた粉雪が顔面をたたく。

Fの地点:光明山(639m)

この光明山は標識がなければわからない。写真の正面の看板が光明山山頂である。Dからは道路を右に見て、時折通る車の音でその距離感をつかみ写真の向こうからこちらに向かって登ってきた。車道からの高さは45m。向かって左手が車道。

標識の案内板が天台山は手前の道を指している。ここは一服するほどの場所でもない。何の疑いもなく写真の正面の道を手前に歩く。ここで、奥さんに現在位置と帰宅までの予想時間を携帯する。ルートの地図は自宅に張ってある。

足も少々ガタがきているが、この坂道を下って車道を横断したら、最後の登りは天台山だけで後は自宅まで下る一方である。時間も2時間少々。

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「おかしいなあ?」「こんな急な下り道だったかなぁ」と思いながらも足は自然に下がっていく。しかし、?、?の思いに替わってくる。こんなに下がれば右手の車道より低くなってしまう。それに、聞こえてくるはずの車の音も、いくら耳を澄ませども聞こえてこない。ただ、風が檜林をならすだけである。左右は斜面、尾根を歩いているというだけで、見通しも利かず現在地確認の方法がない。ただ、急な坂道を10分ぐらいは下っている。それも早足で。

「道を間違った。前方の木々の中から遠くに人家が見える。」FからGの地点である。間違ったら戻る。鉄則である。

「光明山までもどろ。しかし、きつい登や。途中、なんで、何でと思いながら休み休み足を引きずりながら、そば道がなかったか確認しながら光明山まで何とか戻る。30分以上のロスをした。

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光明山頂上の上で地図を広げ天台山の位置をコンパスに覚えこませる。その方向はこの看板より右40度を指している。歩いたのは地図の状況から磁北方向である。

しかし、道は前方に伸びているだけであり、看板もそちらを指している。とにかく車道に出たい。それは進行方向に向かって真右、小さな尾根の出っ張りを降りれば車道に突き当たるはず。ただそのまま下ると、地図に出ているが車道に出るにはよう壁があり直接は降りられない、車道が見えたらそれに沿って山すそを歩けばよい。

とにかく、南に進路をとり山を下る。すると何となしに道と違うかというような雰囲気の木の生え方である。4-5分も下ると、車道が見え、その上にはっきりとして道がついている。その道に合流し、振り返ると、「この上光明山」とあり、何のことない、いっぺんに足も軽くなった。後は下の車道を横切り、天台山へ最後の登りがあるだけである。

Iの地点:4番目の三角点

三等三角点【川尻】TR35235239801  640.06m

いつきても、檜林の薄暗いところにぽつんとある三等三角点川尻である。途中ロスしたので写真を撮れば直ぐに反射板に向かう。

I-1の地点:マイクロウェーブ反射板

この反射板、どこからも見えるから、こちらからもそこが見えると思うのだが、檜林の中にありどこも見えない。ちょっとでも上ってみたいが、そのはしごらしきもない。縦6枚横8枚でできているから、約6m×8mぐらいの大きさか。

この、反射板から北面を下りると初谷川に出られる。又、初谷川からも何度も降りてきたらこの地点という場所を地図とあわせ現地確認している。ただ、降りる谷を間違えると、川筋から見るに大いに危険がともなう。その勇気がまだない。日も暮れてくる先を急ごう。

 

Jの地点:青貝山分岐

一般的には、妙見山-天台山コースといえばこの標識をまっすぐ下る。しかし、青貝山はここで左側、南に進路を取る。青貝山は標高も低いしマイナーな山であるが頂上はきれいだし、箕面森町の宅地開発や、学校の放送も聞こえ簡単に散歩がてらに登れいいところである。

この道は、マイナーだけ踏み後が少なく、マーキングだけが頼りで簡単そうだが難しい。

とにかく、目標はKの鉄塔の下を通る事にある。この鉄塔の位置は明確にわかっている。途中2箇所尾根が分岐している。それを間違わなければ鉄塔にたどり着ける。ここで又激しく粉雪が横殴りに吹き付けてくる。落ち葉の上に粉雪が積もりふみ後は確認できない。コンパスは鉄塔にセットしてある。近くで鋭い「ピー」と鹿が鳴き、立ち止まってこちらを見ている。今日は3回見た。里では、鹿の被害に躍起となり敵としてみているが、この寒空に、山で木の皮や根っこを捜しているところを見るとかわいそうな気もするが・・・。

Lの地点:最後の三角点【青貝山】

三等三角点【青貝】TR3523537601  391.16m

無事にKの鉄塔地点を通過し、コンパスを青貝山にセットして何度も歩るき疑問を持った道を急ぐ。途中送電線の真下を通る。そこは鞍部で箕面へ抜けるオンコの谷へ降りるところである。そこを通過し、無事青貝山に到達。15時22分。後は、さっきの続きの鉄塔の下をとおり自宅まで30分の距離。

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今日の収穫は、

1...1日で5つの三角点を踏めたこと。

2...たとえ既知の道でも異なる方向から来たときは、目標に到達すると次の目標の方角を確認すること。

3...誰一人として会わなかったが、無事に帰れたこと。

4...天狗の通り道の感慨にふけっている余裕はなかった。気候が良くなってから、1点集中で周囲をよく観察したい。

---- あぁ〜 しんどかった ----


 

 

青貝山-箕面森町-光ヶ谷-初谷川      あまり意味のないトレッキング

 

日時 2008.11.18 晴れ

 

7月に、箕面森町の里山散歩コースで、はなに引っ張られて、ちょっとすべり腰を打った。それから左足から尻、腰にかけてずーと違和感があり少し歩くと痛かった。医者は骨に異常がないというが・・・。これが年をとったということか、あれから5ヶ月、ようやく痛みも消え、トレーニングをかねて青貝山から箕面森町という漠然とした計画を立て行き当たりばったりのトレッキングに出発。

 

青貝山までは慣れたコース。この時期、紅葉は素晴らしいが、さりとて木の実などには遅く、咲く花もなし、木の葉が残っているので見通し景色も悪く感動も少ない。

 

 

 

青貝山で住宅地のサイレンを聞き、昼食をとり、直ぐにC-Dに向けて出発。急な斜面を下るが、誰が設置したかロ−プが下げてありそれにつかまりながら降りる。後は箕面森町の里山散歩道を下り、造成地に下りる。Dの西面に「村山」といって、集落の3グループが共同名義の「お日待ち講山」がある。その山のクヌギを今冬エニシダのとき会った炭焼きのプロが伐採と言うのでそれも確かめたかったが、数年前、別ルートできたきり、わからなかった。

Dの地点で造成地を眺め、前方449地点の下、「オンコの谷」を通って帰ろうと計画する。

◆「オンコの谷」の入り口の砂防ダムの下で野生鹿3匹と遭遇。例によりシャッターを切るがハートマークの白い尻が3つ写りはっきりと鹿と認識できるが珍しくもない。

この砂防ダムの紅葉が見事。当日少し風があり、木の葉が頭上に限りなく降ってくる。これもまた退職、自由時間、至福のときである

◆(左の写真)これが「旧村連絡道」で迷いに迷った「オンコの谷」である。それだけに熟知。この谷は真冬でも温かい風が吹いていたという。「風の谷のナウシカ」とまでは行かなくても、何とロマンな名前の谷である。この谷を牛の背で炭を運んだという。いたるところに大きな炭焼きガマの廃墟。今は苔むして、クヌギからヒノキへ見る影もない。山はこのように倒木だらけだが、間伐はできており適度の日射があるのか沢の両側は苔むしている。その時代に思いをはせながらGの地点へ到着。

Gからは、天台山分岐へ/鉄塔123へ/青貝山へ戻る、の三コースを選択できる。

同じ道は、学習にもならないのでH〜Iへ一気に山を下ろうと考える。Hの地点の確認が学習である。そこから高代寺山の電波塔及び349及び444.1三角点のピークが視認できる。今立っている尾根がわかっているので、コンパスより下る尾根の方向等からHをピタリとあてる訓練である。(たいそうなことをしなくても、上から見れば感じでわかるけど、そう言ってしまえばお終い)

ところが、ここが面白く危険なところ、何と数度通っているG−Cのルート、Hの手前で道を誤る。どうもおかしい。尾根の前方に見え隠れするは箕面森町、遠くで小学校のマイクが聞こえる、あらぬ方向から。道を間違った。見通しが利かず目印もなく現在地はわからないが正規の道より30mほどだろう。

直ちに引き返す。

が、しかし、又不思議なことに戻っているのにH地点と思しきところに出る。「えぇ〜」こんなとこくるときになかった。又逆戻りして迷った地点まで行く。難なく行けた。今度は慎重に戻る。又、戻っているのにこれから先に出てくるH地点に着く。完全に頭がパニック、混乱している。

これから現れる地点が、戻れば出てくる。「これ、異次元の世界や」ぶつぶつつぶやきながら、数度往復する。時間はたっぷりかがみこんで地形図を見る。何のことはない。尾根尾根と進んでいたけど、途中小さな尾根の分岐がある。その短い尾根が直線に延びていたのでそれに踏み込んでしまった。落ち葉がたまりふみ後も消え簡単に間違ってしまった。教訓:いくら慣れた道でもボーとして歩いたらあかん。

H地点を確認しすべるように斜めに山を降りる。西の沢へ降りる予定。ところがほとんど沢というところにきて、その沢には背丈以上の潅木や草が密集している。この中はイノシシのねぐらや。マムシもいるかも。又、山を登り隣の谷へ移動する。悪戦苦闘でIへ降りる(左の写真の上の尾根から左の山すそを降りてきた)

IからJ間では運搬車が入る程度の林道。さて、Iより急げば山を越え初谷川へ降りる時間はある。K〜Lへ降りてみたい。Lの地点はいつものはなの散歩コース。ただ、Kの地点が地図とコンパスにより確定する訓練。ここは針葉樹で急な斜面であるが下草もなく歩きやすいと考えた。滑っているのか歩いているのかわからないほど斜面はもろく急で、沢は岩石だらけ。藤につかまりながら5−6分もすると下の初谷川が見え、無事下山。

今日のちょっとした道迷いのように、簡単なルートでも毎回不思議な錯覚に陥る。山って不思議な不可解なところと今日もまた思う。

 

 


天台山三角点 (送電鉄塔関電新生駒線-天台山-光明山−初谷コース)

日時 2008.3.26( 水)晴れたり曇ったり

       場所 目的は天台山三角点とマイクロウェーブの反射板を見る

       出発/帰着 am10:00pm4:30

       ルート @徒歩により 青貝山の分岐を通過し-関西電力新生駒線A123鉄塔−B122鉄塔-C天台山、青貝山分岐-D天台山三等三角点-E天台山マイクロウェーブ反射板-F光明山-F関西電力西大阪線17鉄塔-H妙見山初谷コースで帰着

       持物 お茶(ペットボトル×2)・飴少々 ウエスとポーチ おにぎり、リュック、カメラ2台、コンパス、ステッキ・・・

       ≒10km

 

【@地点 小鹿との出会い】

もう直ぐ4月、このコースは見通しも悪く又、春霞で今日は眺望は期待できないだろう。あまり天候はよくなかったが久方ぶりに時間をつくった。リフレッシュである。

退職後毎日がリフレッシュと思っていたが、なんやかんやと結構ストレスもたまるもんだ。

先ず、青貝山の進入路を南に見たところで、鹿と出くわす。全長1m程度だからバンビである。一瞬にらみ合いが続く。目は動かさず右手がカメラを取り出そうとウエスとポーチのファスナーにかかる。これが片手では、上手く開かない、両手を使うと眼がそれる。距離は数メートル。そうこうしているうちに、バンビは、北の斜面を駆け上がってしまった。

   【A〜B地点 前回の迷いに迷った旧村連絡道の検証

地図を見間違っていた。よくよく現地で検証すると、青貝山〜天台山分岐は地形図に道はない。しかし、実際にはマイナーなコースかもしれないが一応踏跡はある。-----(1.5m未満の道路)が記載ないので-・・-・・-の郡市界記号が同じ経路を走っており、当然踏跡はその上と思っていた。

A点と思っていたのはB点だった。

B点は道と境界の交点

A点は道と地図にない道の交点。123鉄塔からB点に行くには送電線の真下を通るそして小ピークの東をまいている。今まで122鉄塔へ行くにはA点をとおり、B点を通っていると思っていた。しかし、実際は西側は谷でピークなどない。よくよく考えると鉄塔の真下で道は交差していた。ということはA点とB点を取り違えてたということで解決

【D地点 三角点】

今年1月1日に妙見さんからの復路に通った道を逆に歩いている。そのときの不安が地形図に興味を持ち、トレッキングを始めるきっかけになった曰くつきの道である。春とは言えどまだ早春3月、木の芽は膨らんだ程度であったが、「さんしゅゆ」の花がちらほら咲いていた。この花の実は「グミ」に似た赤い実をつけ食べられるらしい。今秋には確認する。

そんなこんなの寄り道をしながら、止々呂美へ下りる谷筋を地形図と確認し(地形図読みが上達したら挑戦)、当時、寄り道の余裕のなかった天台山の三角点に到着。まわりは檜林で全く見通しもなくただ三角点の石があるだけの場所である。でも、一応納得。隣に大阪府土石流警報テレメーターの基地があった。時計は12時15分、この薄暗い、太陽のささない寒いところで、おにぎり3個と自家製しいたけの佃煮で昼食にする。誰一人会わない。平日だからだろう。

【E地点 マイクロウェーブの反射板】

今日のトレッキングの最大の目的は、自宅の近くからも眺められ、高代寺や444.1地点、534地点などからも見え、Google-Earthでも白い点として写っているこの反射板とはいったいどのようなものか、見たかった。又、その地点から逆に今まで眺めていた地点が見えることを確認したかった。

昼食を終え、今まで見てきた地点より反射板が見えることが条件となるから地形図より尾根がじゃまをしない交点を探す。それは、三角点より西西東斜面に設置されてなければ見えないはず。コンパスにより方角をセットして歩き出す。昼食後の休憩はなしである。早く見たいのと、迷って時間をとられた場合を考えてのことである。枯れ木の枝を地面に刺して、帰り道を残しながら・・・。

その心配をよそに、ものの50mも尾根の緩斜面を下ったろうか、突然鉄骨の骨組みが見えた。

「おぅ〜」「これや、これや」年のせいもあり思わず声が出て走り出す。65にもなって自分でもおかしかった。

当然裏側から見ている。檜林を15m程度真っ角に伐採した後にそれは建っていた。期待に反して、まわりは植林、それも40−50年は経っている木々。眺望は全くきかない。まさに反射板。電源もなければ何もなくただの看板そのものであった。

しかし、これも納得。この看板のおかげで他の場所からの現在地確認にどれだけ役に立つことか。

【F地点 光明山】

天台山の三角点も見たし、念願の反射板も確認できた。時計は12時40分、まだまだ時間はある。復路は上杉コースか初谷コースとして光明山へ寄り道しよう。

天台山から10分ほどで妙見さん参道の車道に出る。この車道へ出た所が、1月1日に復路についた場所である。

ここを一歩踏みだしてから自宅までの不安がトレッキングの興味へと変わった因縁の思いで深き場所である。

車道を5分も歩くと光明山入り口標識があり車道の東側へ入る。車道を左に見下ろしながら特長もない道を登っていく。いつしか光明山の標識があり、見通しもなく全体が高いために小ピークについた程度の感覚で、感慨も感激もない標高639mの山であった。道はまだ続いている。地形図によるとこのままH地点付近で車道に出る。

 

【G地点 関西電力西大阪線17鉄塔】

この道は、送電線にほぼ沿っている。

送電線の鉄塔の幾何学的な美しさと、あるときは山上で、あるときは谷底でデーンと建っている姿が実に好きだ。是非、この鉄塔の下にも立ちたいと、進入路を探しながら注意して歩く。

ここで、今日二人目の人に会う(一人目は天台山より車道へ下る途中に会った)。私より年配者(?)だ。どこからこられたか聞くと**丘という。バスで付近まで来てこの道をよく散歩するらしい。送電線鉄塔への進入路を聞くとこの先にあると教えてくれる。

間もなく鉄塔の足が見えそこへの進入路があった。「おぉ〜」思わず声が出る。鉄塔の大きさと、そこからの眺望にである。東南の方向には竜王山らしきものも見える。この鉄塔は、西大阪線17鉄塔と明記があり、平成13年4月とあるからまだ新しい。この幾何学模様は何時まで見ていても飽きない素晴らしい。

この地点を確認すると、復路に予定している初谷コースの自宅までの半分の距離程度のところから見えている鉄塔である。その下に立っている感激を味わう。

ここから直線距離で600m程度のところに三角点のある標高527mの山がある。それも見たいが一度コルへ下りて又登ることになる。また何時の日にか来よう。周囲は枯れススキで日当たりもよくボーとしていて時間をとりすぎた。帰り道を急ごう。

 
【H地点 復路分岐点】

車道に出る。あの正月の車の数珠繋ぎはうそのように、車道は静まり返っている。たまにバイクが通る程度の車道を、上杉か、初谷かで迷う。道は熟知している初谷コースは途中まで昨夜までの雨で沢筋は水が流れているかも知れないし、途中ゴロ石でがたつく足では心もとないし、かといって、上杉コースを取るのはこれからまだ車道を妙見さんの駐車場まで2キロはあるかねばならない。それに、上杉コースの途中より道なき所を近道するなら、以前通った笹薮の獣道(トンネル)を通らねばならない。時間的に無理と判断し、初谷コースを取る。時計は2時30分

【I地点 わぁ〜】

ゆっくりと歩いても1時間半あれば家にたどり着ける。このコースは最初に急激に下ってしまえば後はだらだら下りの平坦な道である。その急な部分で思ったとおり道には水が流れていた。30分ほど下った杉木立の中、前方左の杉の根元に何か動く。

「鳥か?」

「えっ、木に登る?きつつき?」・・・少し上って、ちょっと止まり、また上り始める。明らかに、こちらに気づいて逃げている。今回は、カメラを首から提げている。眼は動くものを追っている。右手はカメラの電源に、

「あっ、木の裏側に回った」・・・何か確信した。

「リスゃ」すかさず裏に回る。また、リスも裏に回る。夢中でシャッターを切る。なかなかズームでとらえられない。一度シャッターを押すと記憶するまで時間がかかる。連射ボタンを探す暇もない。

「あぁぁ〜」どこかわかれへんようになった。

とにかく杉のてっぺん付近を捜す。この木に登っているのは間違いない。ただ、杉木立の中は薄暗く、木々の枝から見える空は白い。曇天であるがまぶしい。しかし、何か上の方の枝に黒い塊が見える。杉の枯れ枝が引っかかっているようにも見える。枝から枝へ飛び移らない限りこの木にいることは確か。

双眼鏡を取り出す。

「あっ、耳が見える。目玉もある。下を見ている。」

今度はカメラでズームをあわす。空が白いので真っ黒の塊。浅い知識の中で写真の明るさ(EV)をプラス側へ、首がだるい、手は震えている。焦点が合わない。

地上に仰向けにリュックをまくらに寝転ぶ。

幸い、今日は平日、時間も3時誰も人影なし、デジタルズーム22倍がいっぱいだ。今考えれば100枚でも150枚でも撮っておけばよかったと思うが、10枚程度でくたびれた。

しかし、「リスがいるとはなぁ〜。」リスを最後に見たのは自宅の直ぐ上の道路で20数年前になる。本来リスは林でなく森に住む。

子供のころには何度が見たことがあるがもっと黒かったように思う。

今日の一番の収穫だった。帰って見ると2匹写っているのにびっくりした。

J もう一度 わぁ〜 人面岩】

リスも見たし、満足満足。これも初谷コースを下りてきたこそ見れた。上杉コースを下りていたらイノシシと出くわしたかも知れん。それも笹薮のトンネルの中で。

「ところで、この右の斜面を登ると上杉コースに出るし、左の斜面を登ると天台山の反射板あたりであることを地図で確認し、もう一度右側(北側)を見ると上杉尾根の枝尾根になっているのか20メートルほど上に空が見える。上杉尾根までは標高差200m.はあるはず。

と、そこに何か構造物がある。よくよく見ると人間の顔をしている巨大なものが設置してあるように見える。

「何か祀ってあるのか?何か怖いなぁ」しかし、確認したい。しかし、そこまで行くには急斜面を登らなあかんし、それもヒノキ林の中でずるずるの山やし、」しかし、興味心の方が強く登りだす。2歩前進1歩後退の状態でなかなか上へ進めない。何とか這うように真下まで近づく、「岩や、しかし、誰が作ったんかなぁ」さらに近づき正面まで来る。

しかし、自然は偉大や、上下2段になっていて顔に当たる部分は少しおせば転落する微妙なバランスの上にのっかっている。この岩を「人面岩」と命名した。

帰ってから、かみさんに盛んに説明するも、「これ顔に見えるかぁ〜」といって相手にしてくれない。絶対に顔に見える。これはロマンや。

 

花が咲いて分かった】

1月1日、妙見山に参拝往路初谷コース中間あたりにある低木に奇妙な実か何かがついている(左写真)

。きもちわるいなぁ〜、蕁麻疹が出そうと思いながらとりあえずカメラに収める。帰って調べるが検索項目も分からず気になっていた。

今回、帰り道に確かめると、なんとその木に黄色い花が着いており枝はポキンと折れずグニャと曲がるだけ、匂いをかいで見ると沈丁花そっくり。道からちょっと上がった山の斜面、砂防ダムの砂利がたまっているところに集中して生えているが10本に満たない程度。こんな花、周囲にはなく見たことがない。

早速調べると、私が知らんだけでかなりメジャーな三椏(みつまた)という木で庭木にも使われ木の枝が3本に分かれるDNAを持っているらしい。おそらく、このあたりの砂防工事をしたときの建設機械についてきたものでないかと思う。人が植えたにしてはあまりにも人里離れているし場所も不可解だ。

建設機械についてきた食物には、下流の自宅付近には一時期猛烈にクレソンが繁殖したことがあった。今も一部残っている。植物、生物も同じであるが、本来そこにはないものが入ってくるのはよい場合もあるが、悪い場合もあるだろう。それらによって本来そこにあったものが駆逐される恐れはないとはいえない。

今回も、平日のため自宅を出てから帰り着くまで人に会ったのは二人だけ。この辺も、土日にはハイカーも多く、時には500−600人人はいるかと思う団体が歩いている のに。彼らの中には若者はいない。全てが60−70歳代と思われるが、何故平日に企画しないのだろう。不思議だ。

 

 

 

 

 

旧村連絡道(吉川村から止々呂美村へ)

迷いに迷った旧村連絡

◆ 日時 2008.2.21(木)晴(暖かい)

       場所 吉川から止々呂美へ

       出発/帰着 am10:00pm3:00

       ルート 徒歩により東ときわ台給水タンク−光ヶ谷へ-青貝山分岐-トンボ池分岐−伊勢講山-123鉄塔-122鉄塔から青貝山T分岐へ-東斜面谷へ降りる-(122鉄塔往復-Gの三さ路-Fの谷遡上往復-箕面森町往復)-鞍部-449ピーク-止々呂美-国道423-箕面森町-迎えの車

       ()内は迷っている場所

       持物 お茶(ペットボトル×2)・飴少々 ウエスとポーチ おにぎり 

       ≒12.5km(3kmが迷った距離)

青貝山付近の地図を眺めていて、少し冒険をしようと122鉄塔付近から止々呂美へ降りる道を探っていた。偶然にも「はな」の散歩に山道を通っていたときに、隣家の「ゴン」を散歩させていた長老が山を見に来ていた。そこで、最近は山が荒れている話になり、昔は炭焼きとか薪作りでどの山も若々しくきれいだったし、いたるところに細い林道、里道も整備されていた。箕面の止々呂美へは山越えで通っていたものだ・・・という話を聞き、又、その前には別の長老から同じような話を聞いていた。

長老の話によると、D-G-Lらしい。

地図から計画を練り、1日空き時間がつくれ天候は昨日までの寒さはうそのような暖かさだ。

 

青貝山から抜ける予定だったが、前回の鉄塔めぐりのときのBの関西電力鉄塔「新生駒線123」への道が分からなかったのでそれを確認することを含めて鉄塔を登るコースをとる。青貝山進入路を通り過ぎ「トンボ池」手前を右折。伊勢講山に入る。入って左側2つ目の沢で標識を見つける。前回よりやはり1つ手前の沢を遡上する。直ぐに鉄塔そのものの尾根を登ることになる。

間もなく鉄塔123につき、一息いれてDの「青貝山−天台山分岐」の合流点へと向う。ここは尾根左も右も急な斜面の谷。突然左手の谷の向こうの斜面を白い尻尾のかなり大型の獣が走る。双眼鏡も、カメラもセットする時間もなく、林間を眼で追うばかり。数秒で消える。前回鉄塔122で見たものと同じだろう。キツネにしては大きすぎると思うが、家に帰ってからかみさんに、何か白い大きな獣がいるといったら一笑にふされたが、あれは神の使いのような白い鹿ではなかろうかと、ロマンは膨らむ。15分程度でD分岐点に到着。

これからが未知の世界である。T型路と思っていたが、ここはクロスの十字路らしい。地図では「青貝山−天台山分岐」が境界線で、今通ってきた道、境界線を交差して谷底へ下りる道があるが・・・Dの地点より南の谷を除くと、ここまで広葉樹であったのがこの谷への斜面は檜林で薄暗いし、道らしきものもない。意を決してDより南の谷へ下りる。ものの数分で突き当たる

ここから、3km程の迷い行軍となった。先ずDから少し下りたところをGの地点と勘違いをした。突き当たれば左へ、そして鞍部を越える。予習した頭にはそうあったうまい具合に突き当たれば左から右へ流れる沢(水はない)にぶち当たり、左へと進路をとる。頭では「おかしいな」「おかしいな」と思いながら鞍部を探す。それらしきところはない。とにかく戻れるように現在位置をマーキングして左に沢を少し登り右手の尾根へと登る。どうもおかしい。とりあえず尾根に到着したので現在地を確認しようとピークへ目指して、松と雑木の中を掻き分けて上へ上へ。ショック、目の前に見えてきたのは、見覚えのある、握り飯も食べたことのあるEの鉄塔122へ到着。自然に自分のバカさ加減に笑えてくる。「なんのこっちゃ」声を出して独り言を言う・・・。ここでじっくり考える。この尾根を下がれば、G−Jにぶつかるはず。ここでも、一息きいれて一気に尾根を下る。とにかく、右は谷、左も谷、やせた尾根で確認は楽。とにかく不安は、谷底に道がなくて確認できず知らず知らずの内に449ピークの山に迷い込むことだ。とにかく少しでも登りになればそこはチェックポイントである

その心配もなく、尾根の始まりらしく急斜面に出る。前方下に道らしきものが見え、右の谷がそれに合流している。ここが、Gの地点と思われる。するとDから少し下がった地点からさらに右へ下がるとここに来るのか?。確認にG〜Dへと沢を登る。その間、左右の地形を地図とあわせると、そういえば・・・という合点のいく尾根の張り出し、沢の形。しばらく遡上すると先ほどのマーキングした場所が確認された。合点がいって又、沢を下りGの場所へ下りる

ここで又、重大なミス。沢を突き当たれば左へまだそのイメージが離れない。一応、コンパスで方位をあたるがGの地点で左からの沢に最近の踏跡はないが(こんなところに来るハイカーもいないが)道らしきものが沢を登っている。Gの地点で大きな「炭焼きがま」の残骸があった。カメラにだけ収め感傷にふけっている余裕はない。どんどん登ると又「炭焼きがま」に出くわす。かなり歩いた、ところで鞍部はどこにある。まわりは薄暗い谷の沢。コンパスで方位をあたる。全然おかしい。今歩いてきた沢は90度ずれている。途中に鞍部へ登る道があったのだろうか、引き返す。又Gに戻ってしまった

今度は、雑木林で明るいHへ向って歩き出す。今の場所を確定するため何か目印の分かるところへと歩き始めると、突然ブルでつくった小道に出る。「えっ」ここって、ひょっとしてKか、「なぁ〜んだ」簡単やったと、思った瞬間、前方が開け山を削った開発中の工事現場に出る。「これ、箕面森町や」。ここで又、「なんのこっちゃ」。今日はもうここから帰ろうか、と弱気が頭を掠める。時間を見ると、正午を15分過ぎている。とりあえず、土石流を止める出来立ての砂防ダムで「昼食をとる」。どうも腑に落ちない。「何で、迷うのやろ」。ここでは、ダムの天場のコンクリートの上で地図を広げコンパスであたる。あたらなくても、見た景色から分かるけど。

心落ち着ける。要はIの鞍部が見つけられないのが原因。よくよく地図を見ると、その鞍部はピーク449の北を巻いている。その、449のピークはここからはっきりと視認できるし、既知の現在位置よりのコンパスもバッチリ。昼飯もおにぎりを1個のこして早々にバック。この間、家に携帯し、再度Kへ挑戦すると連絡を入れる。Gに戻るまで449のピークから眼を離さない。又、薄暗いつぶれた炭焼きがまのGに舞い戻る。今日この場所に立つのは6回目。

ここで、コンパスにより進路を見極める。進むべき方向は炭焼きがまの向こう、即ち、F→Hへの沢に、Dよりの沢が突き当たっている。その突き当りを左に進むのでなく、F→Hのさわを横切れば122鉄塔からの尾根から449ピークと続く鞍部がある。ただし、道も踏跡もない。が、炭焼きがまの向こうは谷間のような形状である。コンパスの指す方向に沢を上る、右は449のピーク左は122鉄塔からの尾根、その間を登っているのが実感として捉えられる

尾根に到着、ここがIの鞍部とはっきりと認識できる。それに、そこから谷へと下りるのだが、はっきりと山道がついている。最近の利用はないのが笹竹の状況で分かるが、人の手が加えられた道とはっきりと分かる。後はこの道をどんどん下がればKへ着くことは容易に想像がつく

ここは本当に峠である。地形図の勉強の本の中に、村と村への道路はピークとピークの間の一番標高の低い鞍部にある。そこは峠と呼ばれる。と、書いてあった。まさにその通りで、Dの地点で1つ鞍部を乗り越えIの地点で鞍部を越える。昔の人は、ここを止々呂美への道路として利用していたのだろう

 

物事が分かれば、余裕が生まれる。ついでに449のピークを見てやろう。今、細い細い幅23メートルの尾根を越えようとしている。その右、いや、真南が449のピークである。右とか左とかを言うから迷うのであって方位をきちんと考えるべきであった。その場所から、一直線に道がピークを目指してる。よくよく見ると、靴跡らしきものは全くなく、ひずめの跡ばかり、それも、獣でもスリップするのか、いたるところでひずめが滑っている。イノシシか鹿であろう。彼らの踏跡を少しはずして登る。若し、上から突進してこられると彼らの道に立っていると怖い。幸いにして、ねんね中か、出くわさずにピークにたどり着く。直径10メートル程度の見晴らしの悪い場所であったが、これが山の頂上か、という形はしている。飴を口に放り込み、早々にIの鞍部へと下りる。

 

I〜Kへは、思ったより急峻でジグザグに道がつけられているが通る人もなく荒れ果てている。沢に沿ってただ落ちるように下っていくだけである。

出た!

ついにKの地点に到着。ここにも大きな壊れた炭焼き窯。そして、そこには道標が建っている。少し傾いているがその滋ははっきりと「吉川道」建てたのは、止々呂美村青年団 昭和八年とあり、片側は、山道とある。吉川村と止々呂美村が、この道を通じて繋がっていることが証明された。少し、感慨にふけって(足もガクガクしていたが)一息いれる。

後は林道を下るだけ。ただこの道が長い。きれいな沢が流れ抜群の環境であるが、ここも例に漏れずいたるところに電化製品や車の残骸などが捨てられている。春の新緑は素晴らしいと思われる。

 

 

 

国道への出口付近に棚田の名残りの石積みが残されてる。

そういえば、今日は大きな廃墟化した炭焼き窯を4−5箇所見たように思う。それもうっすらと暗い檜林の中である。

窯があったということは、昔はクヌギ林であったはずである。檜は30年ぐらい経っているから、昭和50年頃までは使われてたが、木炭の需要が減り、政府の補助金の振る舞いで植林されたのであろう。

それらの影響は、今日迷った谷底では土地は保水力をなくし一気に沢を流れるから鋭くえぐれていた。

これも時代の流れで致し方がないのかも知れない。しかし、あのむき出しになった開発現場の山肌を見ると、自然の反撃が必ずあるように思える。

ところどころしか歩道のない国道423をガードレールにへばりつきながら、後は歩くのみ。国道から箕面森町への新道をこれまたテクテクただ歩く。まだ入居者はほんの数軒程度か。芝生の広場のベンチでは老人が早春の暖かい太陽を浴びて日向ぼっこしている。

自分の後数年の姿が重なり、なんとも変な気分であった。そのときの練習でもするつもりで、自分もベンチに座る。ここまでくれば後40分ぐらい歩けば帰宅できる。

今日は、かなり勉強して準備したにもかかわらず、地図の詳細が読めず、又、方角を右や左、斜め方向などアナログ志向だったため、何度も同じところを迷いに迷った。要は、左右でなく、東西南北どの方向で、道の進入角度はどちらか、地図では南に道がついていても進入は東へ、3−4m.いくと地図とおりになるとか、2万5千分の1の尾根の張り出し、沢のえぐれをもっと経験を積まねば・・・。

そんなこんなを考えてボーとしてたら、携帯がなる。かみさんが迎えにいこか、というので、二つ返事でお願いし今日は終わった。

 

 

送電線鉄塔めぐりトレッキング

しの時間を利用しての鉄塔めぐりとなりました。

◆ 日時 2008.2.14(木)曇(今朝、小雪)

       場所 青貝山一帯

       出発/帰着 pm1:00pm4:00

       ルート 軽トラで初谷山駐車-お日待ち山-トンボ池-伊勢講山の沢-123鉄塔-122鉄塔-戻って青貝山三角点-124鉄塔-トンボ池-トンボ池の沢トラバース-軽トラ駐車場所-125鉄塔-帰宅

       持物 お茶(ペットボトル)・飴少々 ウエスとポーチ 軽装

       持物 お茶(ペットボトル)・飴少々 ウエスとポーチ 軽装

 

今日は久方ぶりの晴模様。遅い起床と先日以来の小雪、今朝も粉雪が降ったため迷ったが、少し足慣らしと地形図の実習にと出かける。行く先はまだ見ぬ123鉄塔への道の見当をつける予備トレッキング。給水タンクの少し先に軽トラを駐車し、歩きなれた@−Aへと進む。Aは天台山〜ときわ台駅コースの合流点。ここには例の「お日待講山」がある。Aより下り、荒れ果てた「トンボ池」を左に見てBの地点に至る。

 BからCの途中に、「伊勢講山」がある。もう20数年休講中である(檜が植林されているが大きくなって世話することがない、確かメンバーは20人ぐらいだったと思う。当番は20年目に1回まわってくる。私が最後の当番の時、山でビールを飲み話し合いで休講になったように記憶している。後は大きくなって売れるのを待つばかり)。

そこから先に当時は道が整備されていなかったように思う。しかし、123鉄塔のメンテナンスなどはこの沢が最寄となるはずである。鉄塔建設は昭和426月(1967)とある。当時は既に建っていたことになるが。ここで、今日は午後出発の下見だけのつもりなので引き返そうかと迷ったが、道がありどんどんと沢を上ってしまった。雪が残っているところに真新しいここを下ってきた1つの靴跡が着いている。ということは、おそらく天台山から下ってきたハイカーだろう。道は続いているはず。勇気100倍で先に進む。

Cまでは軽の四駆なら入れそう、しかしCの地点より道がなく踏み後も見失ったのか見当たらない。一面雪が積もっているところにも先ほどの靴後がない。しかし、ここまで来たからには、経験のある122鉄塔から青貝山を回って帰ろう。送電線を見上げ左の急な沢を登る。沢の左面は日当たりよく雪はないが、右面は陰で「田舎マンジュウ」のごとく雪が残っている。踏跡もないが、最悪の場合標高差100m.あるがこのまま沢を上り詰めれば122鉄塔に突き当たるはず。 沢の右側はクヌギ林で左は雑木のため尾根の見通しも悪い。沢はだんだん急峻になり息があがってくる。送電線を確認するため左尾根を見上げると、なんと少し下の雑木林の枝間から鉄塔の先端が見える。目的の123鉄塔である。行過ぎている。方向転換である。左のこれまた急な斜面を標高差20m.這うようにして尾根に登る。

ウエストポーチが、いばらやリョウブの枝に引っかかる。こんなところでガサガサしているとヤバイ。早速鈴を取り出しポーチにぶら下げる。突然ビニールテープのマーキングだらけの里道のような道に出る。

その道は123鉄塔と122鉄塔をつなぐ道だと思われ、この道を登ると「天台山分岐-青貝山」の尾根道へT型に突き当たることが直感で分かる。ここは鉄塔の巡視路であろう。ここの雪面に先ほどの靴跡が下っている。下へ下れば数メートルで123鉄塔

待望の123鉄塔にたどり着く。先ず、周辺を見て地形図を確認。122鉄塔と見間違うほど酷似している。ただ、122鉄塔は懸垂型だがここは耐張型で区別できる。西面には、はっきりと青貝山のピークが見える。この鉄塔から北面へ道が続いている。この道を先ほどのハイカーは下ったのだろう。すると1本手前の沢にここへ登る道があったのかもしれない。又の機会に確認しよう

とりあえず小休止。自宅に携帯で居場所を連絡し、さらに上の鉄塔から青貝山を回って帰ることを連絡する。時計は230分、先を急ごう。

予想とおりDのT型分岐点に出る。左へ登れば122鉄塔から天台山分岐、右へ尾根を下れば青貝山。今来た道は、以前青貝山から天台山分岐へのとき、迷いかけた道であった。

122鉄塔への雪道には踏み跡はない。先ほどのハイカーの足跡は、青貝山からここで123鉄塔へ下っている。とりあえず122鉄塔へ登りそこでUターンして青貝山へと尾根を下る

途中Eの地点で先ほどの沢を登ったところが見える。Cからここを見ていた。谷が通っているので確認できる

この道は人も獣も共有している。人の踏跡は1つ、テンかイタチか跡が無数についている。野うさぎでもなさそうだし、鹿のように大型でもない。前回の時、駆け抜ける大きな尻尾を見た。ここらで棲息しているとしたらどちらかだろう

青貝山に着く。三角点の石をなでてから、トンボ池のほうに下りようか、はたまた、南面の踏跡をたどり未知の道を帰るか

地形図からかなり距離がありそうだし、少し下りかけるが急峻である。時計は330分。時間が足らない。既知の道を帰ることにする。ただ、ここからは前回気がつかなかったが、双眼鏡で西宮、甲子園の海が眺望できる。とりあえず22倍デジタルズームに無差別に収め125鉄塔へと下る。

123鉄塔で又新たな発見。大収穫があった。前々回で見た、植林の保護カバーの谷が一望できた。ここでもズームで収めてから家で確認しよう。直線距離で約1.7km。後は、トンボ池に戻り途中、谷を登り近道をして軽トラへと戻る

この送電線は、高槻北大阪変電所より宝塚開閉所に至る50万ボルト?4導体6回線の送電線で番号が122125というからには高槻北大阪変電所を出てから青貝山まで約6kmだから400m.ピッチとしても156本目ということか、新生駒幹線の1の鉄塔はどこにあるのだろうか

自宅から見える送電線は、懸垂型だから122号である。その他はジャンパー線のついた耐張型のものだ

 

高代寺二等三角点【488.7】

 

 

◆ 日時 2008.1.30(水)曇(昨日、一昨日小雪交じりの雨)

    場所 高代寺

    出発/帰着 am11:00pm2:30 ≒6km

    ルート A八幡神社→B吉川城址→C黒川分岐(12時昼食)→五輪塔→D高代寺本堂→F神泉→E二等三角点→F神泉→G棚田→F神泉→D高代寺庫裏→D高代寺本堂→五輪塔→C黒川分岐→ときわ台ゴルフ→G黒川小学校前

    持物 お茶(ペットボトル)・コーヒー・握り飯3個・飴少々

 

今回は毎日見ている高代寺山に、2等三角点がありそれを見に行きます。途中の吉川城址もあります。

地図上のGの地点より下に棚田が広がっています。下のほうは現在でも米、野菜などが作られていますが、池より上は高代寺山の北面にゴルフ場ができたなど環境の変化により充分な水が得られなくなったことや、高齢化などで休耕田となり荒れ放題になっていたのを、○○クラブの人たちが里山をよみがえらそうとがんばっていることなどを聞き、トンボ池のこともあり一度見に行きたいと思っていました。

かみさんの車で八幡神社入り口まで送ってもらう。

八幡神社の右側の登り口から入るが、早速道が分からずとにかく尾根に出るため登る。昨夜来の雨のため落ち葉は湿っているが支障はない。すぐに道は見つかりしっかりとした道がついている。

尾根に到着すると標識と境界杭のようなものがあり尾根伝いに西へ登っていくとBの中間当りから、北東に妙見ケーブルの駅、547.3の山が眺望できる。コンパスで現在位置を調べ、又将来のために大堂越えを探るが、まだまだ未熟で場所が正確に特定できない。

吉川城址までの途中に一ノ岩、二ノ岩の標識あり寄り道してその岩を確認。ただ大きな岩だけで何もない。

吉川城址までは尾根の両側とも眺望は利かない。急なのぼりもなく吉川城址に着く。城址自体はただの空間で標識以外何もない。これが城址というなら、見張り台のようなもので掘っ立て小屋のようなものでなかったか?。吉川城址を過ぎると平坦なややのぼりの道が続く。ハイキング道としてよく整備されている。BからCまではほとんど平坦と思われる細い尾根 、木々の枝で視界はきかないし、ただ黙々と歩く。

Cは黒川(隣ムラ)へ下りる分岐点である。時間があればここから下りてみよう。地形図的にはほぼここだと思うがもう少しDよりかもしれない。いずれにしても5-6分でお寺に到着する距離なので、どこかで正午のサイレンが鳴る。曇天で寒いし、見晴らしもないし腹ごしらえで直ぐ出発する

Dの手前で五輪塔があり今はあまり興味がないので写真だけ撮って1分ほど竹薮の中を歩くとDの地点高代寺本堂に到着。本堂に手を合わせ、その前の1000年のムクロジの木を見上げ、正面の階段を下りる。階段を下りたところには良寛さんの詠まれたという詩が石版に刻まれている。高代寺の庫裏と鐘撞を見ながら頂上Eの2等三角点に簡易舗装の道をたどる。後で気がついたが 、本堂より北へ10m登り尾根を西へ2つ目のピークが三角点である。距離にして250m.。それを知らずして舗装道路を900m歩く。しかし、この本堂の道なき薄暗い林を歩く勇気はあったか・・・

2等三角点は確かにあったが、周囲は見通しきかず、隣にテレメータ局のアンテナがありその横にぽつんと寂しげに設置されていた。写真を撮り今度は再度高代寺の庫裏付近に戻り棚田へと下りる予定のため、近道を探すが踏み跡が四方にあるようでないようで、危険を避けもとの道を引き返す。まだまだ地形図を読むきることはできない

 

Fの分岐点まで戻る。この分岐点は神水のポンプがあるところで、その分岐点を真南に下ると直線で下山できる。この下山途中に棚田がある。

その棚田が整備されていると聞いたのでそれを見に行く。竹薮の中を真っ直ぐに3分の1ほど下ると。○○クラブと書かれたバラック小屋があり今は冬季で開店休業中なのか人の気配はない。ただ、その付近は竹が切られて整備というほどでないが展望できる程度にはなっている。さらに下ると、南面が展望できるところに出る。 ここから我が家の北側は竹やぶのため見えないが、坂道は見える。ここで一服し居場所をかみさんに携帯でしらせる。家からちょっと外に出れば直線距離で1100m.双方から視認できるが、寒い中そんなことを言ったら、なんとお叱りを受けるか・・・。

この場所 には土地勘がある。今立っている場所の東面は昔の村の土葬墓がある。お袋もここで眠っている。当時は、ここが350m.地点であるからふもとは200m.標高差150m.4人で葬列と一緒に担いであがってきた。子供のころは、葬式があった後この付近で人魂が出たとか、この場所で人にすれ違って後で気がつけばその人はその時間帯には亡くなっていたはず、などの話は尽きず夜間はとても怖くて歩けない場所である。今でも、村を3つに分けて3年に一度は真夏にここの草刈をする。昨年やった。

その墓の前からふもとまで棚田が続いている。足元の棚田が○○クラブが棚田復活などで活躍しているらしく、掘ったて小屋が立っている。冬場のためかここも誰もいない。

春にもう一度来てみよう、このまま下れば10分程度で下山できる。誘惑に駆られるが、往路に見た黒川へ下りてみたい。まだ体力も時間もたっぷりとある。 回り道をして帰ることを携帯でかみさんに連絡してから又、急な石ころや岩だらけの道をFに向って登り始めた

Fに到着する少し前の竹薮に入る前に小休止、ここからの展望は山並みしか見えないが、双眼鏡で覗く。

「お〜、天台山のマイクロウェーブの反射板が見える。青貝山の鉄塔も見える」天台山直線距離で25千分の一の地図で15cm3750m.青貝山2750m.早速、コンパスと地形図よりクロスベアリングにより現在地確認。その交点は地形図からもぴったり、これをいついかなるときでも正確にできればいいが、そうはいかない。やがてFに到着し、もと来た道をCまで引き返す

Cの分岐点で黒川方面へと下る。この分岐点の位置が正確につかめない。直ぐにゴルフ場の側道に出る。面白くない、もっと山の中の道があるはずや。慎重にCの地点まで引き返す。どこにも山へ踏み込む新入路らしきものはない。Cの地点で別の踏み跡がある。それをたどる、なんとさっきのゴルフ場に出る。仕方なしにゴルフ場の簡易舗装の道を下る。この辺は地理院の地図の境界で「広根」から「妙見山」の地図と併せなければならない。地形図によるとこの先に新入路があるようす。しばらく行くと標識「黒川小学校へ」と谷に下りる道があった。黒川小学校は知っている。一気に下りる。地形図と周囲は一致している。余裕があれば小さな沢の合流点も地形図から見逃さない次々と一致する場所が出てくる。よくできてるなぁと感心する。思ったとおりの場所に出た。今日のハイキングは終り、今日も誰にも会わなかった。歩いても40分程度で帰れるが、地元で知った人に会うのもバツが悪いので早速携帯で奥さんにくるまで迎えを頼む。

楽しかった

 

 

 

444.1地点から上杉尾根へ

444.1地点それは地形図には名もない山です。しかし、そのピークには三等三角点があります。この山の手前西側にA標高349m.の名の知らない自宅の2階の窓から見える山があります。この山のため自宅からは妙見山も、天台山も見えません。今回はAを通りB444.1地点の三角点まで地形図とコンパスの使い方訓練に出かけました。(地形図参照)

@から15分程度で「てんの山の妙見さん」という小さな社があります。そこまではおまいりの人もあり、道はできていますし、何度もいったことがあります。その先は未知でどうなっているのか、そして簡単な地形ですが地図とコンパスで 位置確認などができるのかが課題です。

 

 

2008.1.14 天候晴れ

@−A−B-A−@のルート

予想外に誰がつけたかマーキングがある。幅4m.程度の上杉尾根の枝尾根である。尾根をどんどん登るとAの349ピークに到着。ここは一段と高いが見晴らしは利かず地形的にこの地点だと分かる。この地点〜尾根は3つに別れており北側へ取れば「愛宕神社」と思われる。

復路に間違って少し下りたが南に下りれば自宅より少し東の民家の裏山のはず。(何時か試す)この山が邪魔で自宅からこれより東が見通しが利かない。このピークは少しずれているのかここからは自宅が見えない。さらにうえのピークを目指す。

地図にないコブを乗り越えA−Bの中間あたりで目標は前回の青貝山鉄塔と中学校が見通せ現在地確認する。(確認しなくても古いマーキングがあるが一応格好をつける勉強勉強)地形図通りフラットな尾根から、急激に登りになる。間もなくすると直径10メートル程度のピークに達し地図通りの 産まれて始めて見る三角点があった。距離にしてわずか1.5キロ程度であるが初心者にとっては充分スリルもある。コナラやクヌギ林のわずかな隙間から4方見通しが利く。写真bの正面が天台山であり、その他光明山、鉄塔類、我が学びの小学校、高代寺山など三角点の上から位置確認と地形図から山名などを知る訓練をする。その後、一応昼食。こんな、マイナーな山だが三角点のあるピークはきれいで誰も訪れる人もないのが非常に気に入った。

今回の計画はここまでで次回はこれより北に見える上杉尾根の主尾根のハイキングコースに合流する予定。予備知識をと周囲を調べるがここから先は未踏でマーキングも踏み後もない。又、このピークを少し下るのであるが地形図から見た感じと違いかなり急激に下りている。間違ったら戻るのが大変と思われる。本日はここでUターンし少し復路を下ると、木々の間から素晴らしい眺望に出くわす。肉眼で定かでないが双眼鏡を当てると、蜃気楼のようにビル群の陰が、その向こうは海か、その向こうに山があるぞ。今日は寒く、快晴でないが日は西に傾きかけているのか光の帯のようである。木々の枝がじゃまして遠くになかなかピントが合わない。直線距離で60キロ先の神戸、淡路島と思われる。

そんなこんなで、コンパスと地形図の関係など、とりあえずは理解したが 、登りで気がつかなかった眺望を下りで発見するなど、まだ周囲を観察する目を持っていなかった。机上でやるのでなく寒風吹きすさぶ山の中で周囲に目を配り、どこまで正確に 地形図を読みコンパスで図れその計測に自信がもてるかは保育所に入った程度である。見通しの利く、尾根を登っていく、携帯が通じる、土地勘のある、目と鼻の先の距離ではあったが面白かった。

 

 

2008.1.19 天候晴れ

@−A−B-C‐D-EーD-F-G-@のルート

昨日は少し小雪が舞ったが、今日はいい天気。

前回の444.1地点から上杉尾根ハイキングコースに突き当たるコースを地形図とコンパスにより歩く。

たいそうな事を言っても、444.1から尾根を登れさえすればよいのだから、初心者でなければ簡単なことだろうが、こちらは真剣。441から先はどんな所だろうか、上杉尾根のハイキングコースも通ったことがない。そこからなにが見えるのだろうか、そこまではどんな困難が待ち受けているのか、スリル満点である。

444.1三角点までは復習でスイスイ、まわりの観察も余裕、前回気がつかなかった大きなサルノコシカケも発見。

 

難なく、とはいっても1時間かかっているが444.1三角点に到着。そこでコーヒーブレイク。

合流地点のピークが木々の隙間から見える。地形図とコンパスで方向を確認する。

バッチリだが、歩く予定の尾根はカーブしている約500m.。最初に磁北に444.1のピークを下り、少しなだらかな部分を右側に沢を見ながら50m程歩るくと登りになる。この地点で右の沢がなくなり尾根が少しカーブしている点に気をつける。そこを一気に登ると両サイドが大きな谷となっており間もなく上杉尾根に達するはずであり、そこにハイキングコースが走っている。ここまでをイメージする。441.1ピークから北面を覗くが広葉樹で見通しはよさそう。何か目印、テープなどがないか踏み 跡がないか探すがどうも未踏らしい。イメージ通り踏み出す。

 

かなり急勾配、このまま谷底に下ってしまうのでないかと思うほどイメージより急。少し後戻りして、迷ったときのためにルートにテーピングする。しばらく、といっても 、ものの数分だと思うがイメージとおりの平坦な場所に出る。2万5千分の一の地図の等高線この間隔で3本を直降するというのは、このような勾配と距離か、ということを頭に叩き込む。

これよりのぼりにかかるが、四方コナラとか雑木ばかりで目標物は何もない。ここか゜イメージの場所かどうか、左は大きな谷で右は沢があることからイメージ通りと思い登り始める。しばらく登ると木々の隙間から見覚えのある我が集落の部分が見える。早速コンパスの実習。自分が尾根にいるのが間違いないことからどの部分か特定できる。間違いないイメージ通りだ。

登りは足元ばかり見ているから注意注意と思っていると、突然目の前に笹薮が現れた。背丈以上あり前方の見通しはきかない。このルートはGoogleの航空写真で黄色い部分があったことを思い出す。

今まで、踏み跡も目印もなかったがここには縦横無尽に笹のトンネルがある。獣道である。少し恐怖感が募ってきた。イノシシや鹿はこのようなブッシュで昼は寝ている。そこを猟犬が追い出し、逃げる道 が決まっている獣道で待ち構えていた猟師がズドン。

今は、狩猟の季節、この辺は禁猟区でないから可能性がないとはいえない。先日も「はな」の散歩中小鹿を猟犬が追っていたのを目撃したと、奥さんが言っていた。

先ず、鈴を鳴らして何か物音が聞こえないか耳を澄ます。不意に「ガサッ」びっくりするが、自分のリュックが笹に引っかかっている。

山は間伐やしいたけ原木とりなど慣れているはずなのに、この恐怖はなんだ。

尾根から両方に広がっているから回り道(トラバース)も困難。前に進むしかない。

先ず、木に登って高いところにテーピングで目印をつける。ブッシュの中に入ると四方八方笹竹ばかりで戻ることもできない。高いところなら分かるはずである。次にどのトンネルに入るかだ。腰をかがめて1つのトンネルに入る。横からズドンがないように、イノシシが寝てないように、真っ直ぐに登りたいのに途中トンネルがクロスしている。「ウワー」これは下っている元へ戻って反対の行こう。途中頭を出して先ほどの高い目印を見るが思うほど進んでない。後から考えればこっけいなことだが、背中はぴったり汗をかいている。クロスの道はとにかく上へ上へ。これを下るルートで逆行していたら尾根をたどるのは難しい。そんなこんなでやっと背丈の短い笹薮に出て「ホー」振り返れば30m程度か。

しばらく登ると視界はパッと開ける。

一難さって又恐怖。一面に黄色い棒のようなもの、一瞬「塔婆」を思い起こす。昔の土葬の墓に立っているやつだ。いや、何かのおまじない、宗教?

これも、後で思えばこっけいなことだが、しばらくそこで身を伏せ辺りをうかがう。誰か変わった人がいないか、変な音がしないか、何かお経のようなものが風に乗って聞こえる。怖い 所へ出てきたなぁ〜。恐る恐る近づきよくよく見ると、6角形の樹脂製の筒が両サイドのイノポール(イノシシ、鹿の電気柵の碍子を取り付けるのに使用する支柱)にビニールのバンドに支えられている。

しかし、目的はなんやろ、塔婆の線は消えたが、何かのおまじないの線は残る。見ると他に一面に無差別無規律に立っている。それもきれいに下草(笹)は刈られて手入れが行き届いている。ところどころに檜やサクラ、コナラが残っている。何か分からないがそう危険でもなさそうとさらに尾根を登る。

 

見晴らしが利くので、ここはどこや、見覚えのある鉄塔、学校、スーパーの屋根が見える。コンパスは目的の合流点を指している。するとここらにハイキングコースがあるはずだ。辺りを見渡す。なんと自分が立っている真横にはっきりとして踏み 跡が上下に続いている。恐怖と不思議なものに目を奪われ、ただ登っていただけで、あれだけイメージしたルートを完全に忘れていた。

ということは左手がケーブル、その上が妙見山、左を覗く、バッチリと地形図通りのものがちゃんと見える。当たり前のことだが、その一致に感動。さっきのお経は、あのピークの日蓮宗妙見山からの風のたより。

 

まあ、この不思議なものは帰ってから調べるとし、取り合得ず目的地に達した。腹も減ったちょうど正午、ここで携帯で家に目的地にいることを伝え大阪湾から神戸明石あたりまでの眺望を楽しみながら昼食、一段落。遠くを双眼鏡で見る。たくさんキリンのようなものが見える。クレーンらしい。この方角に見えるのは六甲アイランド?。

 

 

写真f-1****

方角から天台山間違いなし。何よりの証拠が正面に見える巨大な塀のような構築物。

実はこの構築物が自宅の上の道から見える(直線距離2.6Km)。Google Earthでも写っている。直線距離にして約1.4Km双眼鏡で見るもよく分からない。これと先ほどの黄色い筒が相対している。何か関連があるのだろうか。今度天台山の三角点を見に行く機会があれば現地で現物を見て、あちらからこちらを見てみたい。

 

景色を充分堪能して、帰路に着く前にもう少しハイキングコースを登って地形図の534ポイントの小ピークへいって現地確認をする。天台山、妙見山、見覚えの鉄塔より自分が立っている地点がまぎれもない534ポイントと確認する。回りの広葉樹の中には昨日の雪が残っていた。

ここで、帰路に着く。帰路は整備された上杉尾根ハイキングコースを一気に下り我が集落の境界へ出る。この間、昼食後景色を眺めたいたときにハイキングコースを下ってきた一人の中年女性ハイカーに会っただけで今日も静かだった。上杉尾根ハイキングコースはこの不思議な黄色い筒のある場所から下のコースはただ、道があるだけで何の面白みもなかった。集落へ下りてから国道477を少し歩き、Gの山越えコースで帰ってきた。このGのルートの途中から尾根を登ると愛宕神社へ出る。その愛宕神社をさらに登ると349地点に出るはず。このルートを機会があれば歩きたい。勿論コースでないから踏み跡などなくまして針葉樹林帯で周囲は薄暗いはずであり興味がある。

このGのルートで道に迷った。道は年に一度愛宕神社参拝に数人が通るだけで消えかかっている。土地勘があるから直ぐに元に戻れ、事なきをえた。

 

黄色い筒であるが、早速森林組合に電話して聞くところによると、やはり植林をイノシシや鹿の食害から苗木を守るためかぶせてあるとのこと。植えてあるのはコナラ(どんぐり)、檜などであるらしい。本格的な植林であれば縦横きちんと整列し、植林以前の木々は伐採されているはずであるが、見たところによると成木も残したままアット−ランダムに植えてあることから、将来の木材を育てるのでなく、動物のえさとなるどんぐりや木の実の成る里山が目的と思われる。自然に黄色い筒は風化するのかと聞くと、撤去するらしい。又、径が15cmで1.8mの筒で枝などはどうなるのだろうかという質問に、大丈夫ですという返事があり、こちらは暇で先方は忙しい雰囲気などでそれ以上の質問は控えた。

もう一つの疑問の天台山の北斜面の巨大な構築物は、森林組合では分からず調べていくうちに、水資源開発公団のマイクロウェーブ電波反射板と分かる。水資源開発公団といえば、一庫ダムに事務所があり、以前青少年**に関係していたときに訪れたことがあり、そのときは親切そうだったので機会があれはもう少し聞いてみようと思う。

とりあえず疑問が解決して気持がよい。こんな暇な退職者が増えるとどちらでもよいようなことを聞きに来るので、諸官公庁公団も忙しくなるでぇ〜。

 

 


青貝山散策

 

緯度34.540723/経度135.273037/標高391.4m/2.5万分の1地形図広根/等級三等三角点

が、青貝山の諸元である。

元日の「能勢妙見山」の徒歩参拝の復路にスリル感と大いなる反省を味わい、以降インターネットにより周辺のハイキング紀行を徹底的に調べ上げる。中でも測量の基準となる三角点の設置など今まで知らなかったことを知ることにより興味が倍増。国土地理院から試験的試みとして地図閲覧システムが公開され2万5千分の1の地形図がダウンロードすることができる。

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http://cyberjapan.jp/index.html (地図閲覧サービス)----地形図が閲覧でき、ハードコピーして別ソフトで書き込む

http://watchizu.gsi.go.jp/ (電子国土ポータブル)----地形図が閲覧でき、書き込みができる。Good

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三等三角点とは、いかなるものか実際に目で確かめるため、妙見山復路に標識があった「青貝山」に

行こうと思い立つ。幸い自宅から近くその周辺の山や土地勘は充分にある。又、その頂上には関西電力生駒線の鉄塔があり、目標には事欠かない。

 

早速、これらのダウンロードとGoogle-earthの3D画像により、距離、立体的な地形を調べ、電子国土ポータブルソフトにより地図に書き込みをいれ計画する (なれていないためか、描き辛くこのちづはvisioにコピーして描いた)。ただ、コンパスはネット購入で今日は間に合わない。脚力はあるとはいえず出たとこ勝負でそのときにならないとわからない。

 

1月8日晴天小春日和。例によって携帯、三脚、カメラ、おにぎり、コーヒー、お茶、飴、筆記用具などをリュックに入れ10時過ぎに出発。青貝山への進入路までは目をつぶってもいけるほどに熟知している。

しかし、一応紹介します。何せ地元の原住民ですから。

 

先ず、起点は

◆@の給水タンクである。付近の人に、「光ヶ谷の入り口の給水タンク」その横に「NTTの電波塔」がある場所と聞けば誰でも知っている。

その点で、道は3つに分かれる。左の地道、真っ直ぐ下りの簡易舗装、右へカーブの舗装道路(少し先で行き止り)標識は「下止々呂美・青貝山」と真ん中の下り道を指している。それ正解。

 

 

雑感-1

この行き止まりの道は、私が子供のころはまだ住宅地等なく一面赤松の林でした。この道を下った谷に田んぼがありそこでお米を作っていました。その田んぼは「ふけた」おそらく「深田」と書くのかもしれませんが、湿田で1年中水につかり、稲刈りもひざ小僧あたりまで沈みながら、稲が濡れないように木の枝を切ってそれを船代わりにしていたのを覚えています。それを大八車の通る尾根まで肩に担いで運びます。後は牛が引っ張って帰ります。当時は弁当持参でご飯だけもって行き、お茶はやかんで谷川の水を沸かし、お茶の葉っぱは山に生えている「グミ」とか「さかき」の葉っぱを枝ごといぶします。おかずは松茸やシメジ、ネズミの足()を採集します。沢の水は鉄分が多いのか水自体は透明ですが油が浮いたような縞模様があり、田んぼの溝は赤茶けていました。この湿田にはよいこともあり、刈り取りがすむ頃になると自然薯(山芋)も掘らなくても、土に手を突っ込んで引き抜くことができたのも覚えています。

 

◆Aの左への進入路は標識も何もない。先ず、真ん中の簡易舗装の道を下る。下り終えたところは左手が田んぼと谷川、右は山となっている。そこまで行くと行きすぎ、その少し手前、田んぼらしきところが見え始める所に、軽トラックが進入できる程度の地道が左へ分岐している。そこへ進む。

 

 

◆Bの進入路が少し分かりづらいかも。地道の右側は谷、谷底は昔は山 田(山の中にある田んぼ)であったが耕作者がいなくなって荒地になっている。当然沢が流れている。左手は山。平坦な道をどんどん進むと沢がぐっと近づき、高低差も6m程度になってくる。上を見上げると送電線が走っているが、その送電線の真下あたりに来ると両サイドに注意。「青貝山・トンボ池」の分かりづらい標識がある。要は沢を渡るのであるから右へ降りる小道がある。下りるところは10mほどの間隔で2箇所ある。沢は幅600程度の鉄板が敷いてあり手すりもついている。
  ----青貝山-天台山分岐コースは送電線が通っているのでそれを基準にする。トンボ池のことは少し長くなるので帰り道で説明する。----

◆C鉄塔の真下へ。踏み固められた道がついているので分かりやすいが、等高線が込んでいるのでかなり急なのぼりとなる。途中1箇所だけ280の等高線あたりで大きな岩がゴロゴロした場所があり道が消える。右への少し谷になったところにも進みたくなるが、鉄塔の位置からするとやや左の杉林の中へと上る。少し登るとジグザグ登りの斜面を切り取ったはっきりとした道に出る。以降公園の階段のようにコンクリート製の丸太の階段があり、登りきるといきなり新生駒線124の鉄塔が現れる。

小休止。

新生駒線124鉄塔からは南面は青貝山頂上のため見通しが利かないが、今の季節広葉樹の枯葉は落ち、東は天台山、光明山、妙見山、北は妙見山からの上杉ハイキングコースの稜線、西は高代寺山と住宅地が眺望できる。

Cの写真は東面を見たところですが、遠くの山に新生駒線122の鉄塔が見える。そこに着いて分かったのですがその122鉄塔の真下を通ります。したがって、写真の中央左側のピークが「天台山分岐」と思われます。小休止の後、出発。

 

 

◆D青貝山頂上。

鉄塔から南へ踏み道がついています。それを5分程度登れば視界がパッと開けた391.4の頂上です。ちゃんと、三等三角点の石標もありました。

ここは、夏は腰程度の笹が生えていると思いますが、今の時期あたり一面コナラやクヌギの落ち葉絨毯となり、天候も素晴らしくよかったので気分最高です。マイナーな山で誰一人としておりません。眺望はまわりの広葉樹の間からしかありませんが、南東面はオオタカの巣が発見され又、バブル崩壊から財政面からの圧迫により縮小はされましたが、「箕面森町」の住宅開発地が広がっています。

 

雑感-2

「箕面森町」に関しては、公式ホームページを見てください

いずれにしても、このような大規模開発は自然破壊、環境悪化を伴います。だからといって利便性や時代の流れを考えると開発は必要とも考えられます。効率、利便性、人間にとっての快適性と、環境保存とは相反することです。住宅開発広告に見られるような、おじいちゃん、おばあちゃんに手を引かれた孫が散歩する安全な里山、誰もが老後夢を見るシーンですが、それ相応の 継続的な財政面と、精神面の負担があって実現するものです。将来この頂上も、多くの人々の散歩コースとなるでしょう。そのときにこの環境が保てる保証はありません。

青貝山頂上で、正午を過ぎましたがコーヒーブレイクのみで目処がつくまで先に進みます。頂上に行く先標識があります。これより、天台山分岐点に向います。勿論携帯には3本のアンテナが立っています。地形図の通りピークから少し降りて尾根伝いに踏み後があり、テープによるマーキングも多くあります。又、しばらくはコンクリート製の境界杭が門のように幅1メートル程度で10メートル程度幾ごとに現れます。おそらく「里道(りどう)」ではないかと思いました。それと尾根沿いに南側禁猟区を示すトラロープがところどころにはられています。

◆天台山分岐点へ

さらに小さなピークを乗り越えながら踏み跡をたどります。突然写真D-2のような北面の視界が開けました。ここで現在地の確認をします。今日はコンパスがありません。2万5千分の1の地形図で前面の谷の形状と前方に見える高代寺山、先ほど通過した124鉄塔その送電線が視認できます。北の位置は分かっているのですが、地形図は似たような谷の連続です。ど素人には、かんぜんに詠みきれません。前の送電線の角度からしてほぼこの辺だろうと思う程度で、次は地形図も勉強してコンパスも持って調べたいと思います。いずれにしても、この谷を下りればどの辺の沢に着くかは土地勘がありますので分かりますが、実際に谷に下りてしまって視界がなくなったときは大きな山だったら遭難です。こんな山は沢を30分も下れば見覚えの谷川に着くはずです。

頭上の送電線の交差が近づいてきました。写真D-3でふみ後は尾根から斜面に変わり増す。ここで疑問、調べたコースは尾根伝いに続くはずだが・・・。右にもなんとなく道らしいものが・・・この分岐点にリュックと三脚を置き少し斜面を進み調べる、がここと違うともう一人の自分が叫ぶ。ここで地形図を読む力があれば・・・今度は右の急なのぼりを探る。あった!。木にビニールテープが巻いてある。しばらく踏み後が消えた斜面を行くと落ち葉が重なり完全に踏み後が消える。ちょっとあわてる。先ず自分が進んできた方向にしるしをつけ、いつでもここに戻れる用心をする。とにかく鉄塔に行こう。送電線が真上にある。その方向から 踏後がないが今度は左方向の急な斜面を登りだす。前方にテープらしきものが見える。あった。今度は人口的に作られたはっきりした道が現れる。その九十九折の道を登るとEの場所122鉄塔に到着。

もし、逆方向、天台山分岐から青貝山を目指していたなら九十九折を下りたところの道が消えているところは右折しないでまだ谷へ下りて行っただろう。途中で気がついても、見通しのない谷間で・・・と思うと地形図を読む力が必要と痛感する。今度来るときは勉強して逆行にトライ。

この鉄塔の下で、遅い昼食を取る。ここから青貝山の鉄塔を見晴らせる。天台山分岐は、この尾根を登り2つの小ピークを超えれば、15分ぐらいでつける。・・・と、思っていたが、若し今回逆行をしていたらまだ落とし穴があった。

 

とりあえず、鉄塔の下にいる。この鉄塔を横切らなければ目的地の天台山分岐に行けないことから、ほぼ90%は目的を達成しつつある。安堵とともに遅い昼食をとり、小休憩をとる。そのとき、ガサガサと落ち葉を踏む音がし、誰もいないところで「なにや・・・」とっさにカメラの電源を入れようとした時、林の中を犬の尻尾のようなものが瞬間見える。「はな(飼い犬)」がきたのか、まさか・・・。それ以後元の静寂に戻る。おそらく狐であろう。たぬきの尻尾と違うし、野犬もこの地域にはいない。

 

ちょっとしたハプニングを経て鉄塔を後にし地形図通り尾根の小ピークへと向う。ところどころにマーキングがあり予想した道と一致する。Gの尾根の分岐に至る。この地点、尾根を登ってきた者には素直に次のピークへと自然に入れる。ところが、若し今と逆行していたら、即ち尾根を下ってきたら、Gで尾根はY分岐となり西南方向と南東方向に分岐している。地形図を分析し分岐点で確認すれば誤認は防げるだろうが、下りをずるずるっと下りてくると尾根分岐に気がつかず西南の尾根を下ってしまい。谷底に下りてしまい青貝山にはつけない。今の自分であれば確実に間違っただろう。ネットに記載されていた場所がここか、バイクでここを踏破した人が記載していたが間違って直ぐに引き返したと記載されてあった。同じ間違いを起こす可能性が目標点Hの手前に東へ尾根が分岐している。これも逆行していて、そこに踏みこめば谷底へ直行である。G→Hへの道は尾根を登る分には分かりやすい。この間、道の東側に古びたアングルが打たれて、腐食したトタンが散乱していた。おそらく、植林した当時、新芽を鹿に食べられないように防護していたのではと思う。

そんなこんなで、やっと目的の妙見山復路での見覚えのある天台山分岐に着く。

 

◆帰路

後は、一度通った道、10分ほど下ると例の勝手知ったる「本日待講山」に着き、トンボ池を通り青貝山の入り口を感慨深げに見ながら帰路に着く。

 

 

途中鉄塔125にもよりました。そこからは送電線の先に青貝山の鉄塔その向こうの向こうが昼食をとった鉄塔122です。ここから見れば、通ったルートが分かります。「なぁ〜んだ・・・」という感じ。
 
 

ここで、トンボ池について

雑感-3

トンボ池、「池ではありません」。放置された山田(山の中の田んぼ)です。

その田んぼの所有者はYさんですが、昔は集落内だけでなく私の家もそうでしたがこのような山の谷あいの沢水を利用してわずかな空間でも米作りをしていました。

生活形態が変わるなか、30数年前、このような山間部で日照の少ない、野生動物の害が多い、遠い、常時水がたまり作業性が悪い、生産性の低い山の谷間の田んぼの多くは放置されるようになりました。雑感-1と同じです。

それでもYさんは農林業に熱心な方で、お米は作らなくても田んぼの維持管理(土手の草刈、水路・林道の整備・・・、)は続けておられました。そういう状況の中、この田んぼを活用してトンボなど人口的に生物の棲息場所にしようと、何とかボランティアか、同好会か、クラブか名前は知りませんが教育委員会の応援も得て10年ほど前に活動されていました。一時は休日など家族連れ等が楽しまれておられたように記憶しています。又、私たちは年に一度は集落の道路清掃などをするのですが、そのときも多くの方に手伝ってもらった記憶もあります。そのトンボ池が現在はこの状況です。

これが、「・・・里山を守る・・・」など今あっちこっちで一種のブームですが、これが典型的な事例と私は思っています。

里山とか昆虫のすめる環境とか野生動物とのすみわけとかは5−10年単位でできるものではないし、まして、趣味やボランティアでできるものではないと私は思うのです。

私たちの生活習慣の中にそれらの活動が、活動というよりその中に「生活の糧」があって始めて里山が復活するのです。

何とかクラブの人たちも、趣味と里山を思う心から活動されていると思いますが、所詮自分が動ける間、自然界に比べれは瞬時しかないのです。それらが、次の世代にと引き継がれていければいいのですが・・・。

この、トンボ池もこれでいいのでです。イノシシの運動場になり、まむしが闊歩し、その中からタニシやどじょうやトンボやゲンゴロウが産まれてくるのです。中途半端に人間が手を加えるより・・・。

今回の散策でも、山中のハイキング道は倒木だらけです。昔は整備されていたかというと車もチェンソーもない時代、毎日山に入っていても、そんなに整備されていたとは思えません。山には鹿の天敵であるオオカミがいなくなり、ふえ放題に増え、あっちこっちで開発がされ地下水も枯れ環境が変わってきたのです。若し、里山を望むなら、山には産業廃棄物は捨てない、一酸化炭素は出さない。よってたかってトンボ池など修復することはないのです。

・・・と、思った散策でした。(毎度の独断と偏見でした)

 

 

◆ 今回の散策により、地形図が読め、コンパスが使えることが、たとえ近所の山歩きにしても絶対条件と思いちょっとは勉強しようと思うのであります。

(青貝山の項完)

 

 

 


能勢妙見山へ

<能勢妙見山とはどんなところか、インターネットで検索してください>

2008年1月1日、毎日が正月みたいな者にとって格別な日ではないけれど例によって夜更かしをして朝食か昼食か分からない時間に雑煮を食べ、天気もそう悪くはなさそうだし、世間も静かだ。一度ゆっくりと都会から来た気持になって里山などを散策し(毎日里山の中に暮らしているけど・・・)冬枯れの景色を描くとか、写真を撮るとかしようと思い立つ。

そうだ、妙見山参拝がてらに初谷川コースを徒歩で行けば今の時期最近は見なくなった氷柱とか霜柱があるかもしれない。家の下がハイキングコースなのでいつでも行けると思えばなかなか行けないものである。10年ほど前に1度だけ挑戦したことがある。土地勘もあり2時間程度8.5キロの往路でありカメラと三脚、リュックの中には飴とタオルとボトルのお茶、筆記具だけを入れ正午ちかくに出発。途中15分程度歩いたところで、小型カメラがあったほうが便利と思い引き返し年初早々段取りの悪いことであった。道は川沿いに1本道で迷いようもなく熟知している。身体は汗をかくほどだが手はかじかんでスケッチなどできるわけはなく、途中の名も知らない木の実とか、草を見ながら歩く。いよいよ川の源水地になり急な斜面を登ると舗装道路に出る。そこは参拝のマイカーが一方通行待ちで列をなしていた。それにしても、途中ハイカーもなく、ここで1組の夫婦と男性1名にあっただけだった。粉雪が舞う中、さらに2キロほど舗装道路と急な斜面を登り頂上の本堂に着く。

従来から比べると人出が少ないように思えた。本堂参拝は列をなしていたので取りやめ、お守りなども最低が千円もするのでこれも止め、小さなお堂にだけ手を合わせ見晴らしのよい場所で一服・・・といっても粉雪がちらつき寒くてじっとしておれない。ここからは尼崎から神戸いったいの町、海が一望できる。双眼鏡でのぞくが我が町も見えるが残念ながら自宅は近くの山陰になり見えない。熱いうどんで腹ごしらえをして、お土産のたいやきを列に並んで買い、知人に会い挨拶を交わし、いよいよ帰路に着く。もう午後2時。

さて迷う。来た道を帰るか、ケーブルで下りるか、はたまたバスで帰るか。ここで最難関のコースを選択する。ハイキングコースの名前は天台山〜能勢電鉄妙見駅コース約10キロ。一度も試したことがないしどこから入るのか入り口を知らない。ただ、下りきったところは熟知している。そこは「本(お)日待講」といって、1915年(大正4年)10名で構成された講山というのがあり、毎年正月の月には山に集まり、下刈りとか枝打ちをしている。したがってそこまで出たら後は目をつむっても帰れる。

ただ舗装道路から、そのコースに入るところが分からない。季節が旬であればハイカーがいるはずであるが、往路のことを考えるとそれもままならない。交通整理のガードマンや警官に聞くが皆応援で知らない。ただ、「このおっさん、年やのに歩いて帰るって大丈夫かなぁ〜」と、思ったのだろうか、「上り下りの一方通行の規制をしているので道も狭いし、気をつけや」とみな注意する。(そんなこと知ってるわ、と内心思いながら手を上げて元気なそぶりを示す)

全体の地形が分かっているのでどこかでガードレールの切れ目があり右折の標識があるはずや。舗装道路を下れども下れどもそれらしきはない。足は少しがたついてきている。2時を回っているということは2時間かかるとして4時、今の4時は特に山中は薄暗くなる。迷いが生じる。このまま、舗装道路を歩けば里に出る。そこまで出たらバスもあるかもしれないし、迎えに来てもらうこともできる。幸いにして携帯のアンテナは3本立っている。古いがムーバーでよかった(往路は途中園外であった)。案の定、かみさんから電話がかかってきた。山中への入り口を探しているというと、迎えにいこかというがここは意地でも歩いて帰る。そうこうしているうちに、ガードレールの切れ目に「天台山」という標識があった。しかし、天台山が目的でなく、自宅へ帰るのが目的である。しかし、天台山コースというからには、この道を行けば・・・。聞くにも車以外誰も通らない。意を決して上り始める。ここで又、迷いが生じる。頭の中に描く高低差より帰りは下りでなければ、なのにこのきつい坂はなんゃ。つづら折りの道には電気と書いたハンドホールが埋まっている。後で分かるのだが、天台山には電波の中継所があるらしくその電源供給である。上りきると少し平坦な道になる。今やったら、引き返せるでぇ・・・ともう一人の自分がささやく。しばらくいくと、標識があった。「天台山」と「ときわ台・妙見口」の三さ路である。ここで、この道で正解と確信する。本来なら、ここで少し天台山へ寄り道をするのだが、その時は心にそんな余裕がなかった。とにかく明るいうちに例の講山まで出なくては。そこから下りである。がたつく足で小走りに駆け下る。頭では、この下りを下りると引き返しは難しい、ずう〜と、檜林の中の薄暗い尾根を歩く。檜林の中は気味が悪いが、道はしっかりと人が踏んだ後、バイクのわだちが残っている。途中獣道にさえ迷い込まなければ・・・。しかし、コナラ、クヌギ林になると落ち葉が積もり道がさだかでない。ただ、道なりに尾根を歩く。

又、迷いが生じる。途中にそれる道があったのと違う、この道で出られるのやろか。いくら土地勘があっても見通しが利いてのはなしで、まわりが一面檜林では、以前に夜間かぶと虫を探しに熟知した山に入ったが道から数メートル外れると懐中電灯では戻れない恐怖を味わったことが脳裏をよぎる。やはり、地図と磁石は必要やなぁと思いながら、道が続いている限りどこかえ出るやろ。心と葛藤しながら上り下りする。あった!。待ちに待った標識である。やっぱりこの道で正解。心に余裕が出てくるとまわりが見えてくる。それが又問題であった。この木何年経ったのやろ、これらが材木として切り出すときにはえらい運搬費がかかるが、もっと間伐せなあかん、一時期政府の援助で檜の植林が奨励されたが時代は変わり・・・これはイノシシが掘った穴かな・・・と、考え出すともう道は見ていない。シーズン中ならいざ知らず、ふかふかした落ち葉の中では道が分からない。不安なときはずーと先を見ていたので獣道とコースは見分けられた。今はただ歩いているだけ。又不安になる。途中分岐があったのと違うか、あの標識誰かが向きを変えたとか・・・。

そうこうしているうちに「青貝山・ときわ台」分岐の標識があった。ここではっきりと確信できた。青貝山は行ったことがないが、登り口は知っている。頭の中で、向っている方向と青貝山の位置関係で、自分のいる場所がはっきりと分かった。もう直ぐ「お日待講山」の上面竹林があり、バイクで削られた溝のような道が続くはずである。長い時間がかかったようだがハイキングコースに入ってから20分足らずであった。途中数度自宅と交信したが、今回は1時間以内に帰着すると電話する。後は、思ったとおりに講山に出て、くたくたであるが無事帰着する。誰一人として出会わなかった。

妙見山、天台山、光明山、青貝山をGoogleearthとハイキング体験談をインターネットで徹底的に調べ、これらの山々が2等、3等三角点であることや、天台山がなんと自宅から見えることを発見する。何時か天台山から自宅を見てやろうとも思う。