ダーク・ファンタジー『ヤミキズ』は当サイトpandemoniumuのノベルゲームです。
こちらの小説版は、そのノベルゲームシリーズのお話よりも前の、過去のシナリオになっておりますので、初めて読まれる方にも問題のない作品です。
 全部で10話構成を予定しております。

こちらを読まれてからゲームをプレイするもよし、その逆もきっと良し(何が)――少しでも多くの方に楽しんでいただけたら幸いです。



パンデモニウムのシン


挿絵:屑星ひかる
屑星ひかるさんHP
http://akademeia.x0.com/



本来の小説の様に、読みやすい『縦書き』で楽しむこともできます。

smoopy』というソフトをダウンロードするだけで、とても簡単に所要時間、一分程で読み始められます。

@ Site Clue様の製作のsmoopy(テキストビュア)をダウンロードします。
   →本体ファイル(430kb)   最新版配布元・Site Clue
A 下にある小説のテキストファイルをダウンロードします。
B smoopyを起動して、テキストファイルを開く。
以上で簡単に縦書きで読むことができます。 あとはお好みで全画面にしたり、文字を大きくしたりしたい方はしてください。

◆smoopyの簡単な使い方◆
【設定】→【ページ設定】で文字の大きさと、フォントを変えると読みやすいです。
PC画面サイズや好みの問題ですが、文字は20くらいと、フォントは(日本語というところ)初期状態のままが読みやすいです。もしくは【@MS P明朝】の太字など。挿絵の項目にチェックが入っていない場合は入れてください。
ウインドウを大きくするには、ウインドウの端をマウスで引っ張ってください。
ページめくりは、マウスのホイール↓で次のページに行くのが一番、楽です。


スマホで……iPhone、Andoroid、windows phoneのアプリを使い、『縦書き』で読むこともできます。

・『windows mobile』の場合、青空子猫を使います。(←無料ダウンロードするだけ)

・『iphone』の場合『Skybook』、『iPhone Explorer』(iPhoneの中身をのぞくためのフリーソフト)を用意します。
(上記の方法とアプリに限らず、縦書きで読む方法は他にもあります。)

◆iphoneで読むために(所要時間ニ、三分程)◆
『iPhone Explorer』で「/var/mobile/Media/Photos」の下の階層に「SkyBook」というフォルダを作成。
「/var/mobile/Media/Photos/SkyBook」となります。
そのフォルダに、当小説のテキストファイルをドロップしてください。
次にiPhoneの『SkyBook』を起動します。
 「本棚選択」→「青空文庫」の下に「FILES」「USB」という本棚が出来ていますので「USB」を選択してください。
すると、先ほどのテキストファイルのタイトルが表示され並んでいるはずです。


↑クリックで拡大


◆文章の表示方法の切り替え◆

改行なし
/改行あり

※実際の小説のようにセリフの後に空行がない方がいいという方は、そのままお読みください。
字が詰まっていてモニタで読むには疲れる、という方は『改行あり』に切り替えてお読みください。


 *改行なしVer*

 第1幕.『なんのために剣を』 (約二万二千文字) 

縦書きで読みたい方はこちらのテキストファイルをダウンロードして、縦書きビューワなどでお読みください↓


◆第1幕〜第10幕・縦書き用テキストファイル


◆第1幕〜第10幕・縦書き用テキストファイル(smoopy用挿絵jpg画像入り)




テキストファイルは圧縮していますので解凍してください。
中のテキストとjpg画像はディレクトリ変えないで読み込んでください。

 第2幕.『時の征服者はそうして消えた』 (約二万三千文字)

 第3幕.『初めての友達』 (約一万六千文字)

 第4幕.『魂の穢された日』 (約二万四千文字)

 第5幕.『瞳の奥の夜叉』(約二万千文字)

 第6幕.『その記憶の残滓は願う』(約二万四千文字)

 第7幕.『魔人達の宴』(約二万三千文字)

 第8幕.『諦めぬ人間は愚者か否か』(約二万五千文字)

 第9幕.『王都決戦』(約二万四千文字)

 第10幕.『世界の終わりのはじまり』(約四万ニ千文字)










*******************






 我らラクフォリアの名のもとに。
 世界は生まれた瞬間から、死に始めている。
 それは生命というものすべてに言えることだが、そこに住まう者達に問題なのは、その終焉が近く自分達に訪れるものなのか遥か遠い彼方の出来事なのかということだ。
 人間はえてして自分に関係のない先のことには無関心な生き物なのだから。
 だが、彼らはここ数年で自分達は無関係だと静観できなくなってきているようだ。
 この世界には人間によって築かれた国が五つある。
 それを五大国と呼び、その五大国はこれまで過去に自分達に迫る不幸の足音など微塵も気がづかずに、いや聴こえないふりをして幾度となく国同士の争いを繰り返してきた。
 領土拡大のため、富のため、宗教の違い故に……彼らの歴史は血に滲んでいく。
 だが、そんな人間の争いをよそに日に日に、力と数を増していく魔物達――。
 さらに魔王という存在がいつの間にか囁かれ始め、魔王が放ったと言われる『死病レフ』は世界に蔓延し始めていた。
 そこまできて、ようやく彼らは今は人間同士で争いをしている場合でないことをこの数百年で気がづくことができたのだ。
 気がつけたこと、それが幸か不幸かは知らないが、ただ早いか遅いかは子供にさえ理解できた。
 五大国は三大賢者の橋渡しと協力のもとに、『死病レフ』と『魔物』から世界を救うべく力を集結させた。
 今まで蔑ろにしてきた神に祈り、伝承の中にある予言を頼りに救世主の存在を求めた。
 ――赤眼の勇者が出現し世界を救うだろう。
 争いしか知らぬ彼らの連携は拙く頼りなく、過去に自らが迫害して追いやったエルフの民に助けを願う人間を――神がいるのならばきっと笑ったに違いない。
 醜いな、と。
 世界は生まれた瞬間から、死に始めている。
 問題なのは、それが自分達に関係があるかないか――結局のところ彼らはただ、怯えているに過ぎないのである。
 
 『時の賢者ジルフの手記より』






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 第1幕.『なんのために剣を』







 そびえる様に立った威圧感さえ感じる城の裏庭には、それとはうって変わり美しく落ち着いた雰囲気の庭園が広がっていた。
 いつもならば、鳥の鳴き声と木々を揺らす風の音くらいしか聞こえぬ場所だが、今は人だかりと喧騒に包まれ、その中央では二人の剣士が相手の心の間隙を探る様に睨み合っていた。
 二人は誰が見ても剣士――だが、少しばかり様子が違っているところがある。
 両者が漂わせる雰囲気だけを見るのならば、確かに二人は剣士というには十分過ぎたが、その容姿だけに注視するならば、それは誰が見ても十代の少年らしい子供にしかみえなかった。
 さらに注視するならば二人は同じ服を着ており、確実に少年と言えるのは黒髪の整った顔つきの背の高い方だけで、もう片方は少年にも見えるが、どこか少女を思わせる様な可愛らしさもかね揃え、性別が判別し難かった。
「ルーウィンっ! そんな奴やっちまえ!」
 ルーウィンと呼ばれたその少年と少女とも言える者――よく見ると赤い瞳をした彼か彼女に、外野から声援が飛んだ。
 二人の剣士を囲む外野は、同じ様な格好をした同年代であろう十代の少年達が二十人程で、皆、中央で剣を構えて睨みあう二人に視線を注ぎながら血気盛んに声援を送っていた。
 よく聞くと二人の剣士に注がれる声援はとても一方的なもので、ルーウィンと呼ばれた者にだけ応援の声が上がり、背の高い少年の方には声援はなく、ひどい者は罵声を浴びせている。
「ヴェインの糞ッタレなんて、ぶっとばしちまえよルーウィンっ!」
 ヴェインと呼ばれた少年はその声を聞き、軽く鼻で笑うと目の前のルーウィンを見て口を切る。
「俺がこんな男女に負けるかよ。……俺が最強なんだ」
 対し、それを聞いたルーウィンの言葉は、周りの声援を浴びるだけのことはあると感じさせる様な台詞。
「ええ、僕も負けませんよヴェイン。お互い悔いの無いように全力で戦いましょう!」
「俺はな――お前のそういうところが……! ちっ……! ルーウィンっ。魔法でも何でもアリだ! 手加減なしできやがれ!!」
 力任せに一度、剣をぶんと振り相手に向けて挑戦的に叫ぶヴェインに対し、ルーウィンは言い淀んだ。
「魔法は、しかし……」
 ルーウィンは、大勢の少年達の中に一人だけいる大柄で鎧姿に身を包んだ大人の男をちらりと見やり、彼はコクリと頷いて言う。
「よかろう。魔法の使用を認める。……ん? だがヴェインは魔法の試験をどれかパスしていたか?」
「先生、僕は『疾風(ゲイル)』を習得していますが、彼は」
 心配そうなルーウィンの視線をはね退ける様に、ヴェインはまたも剣をぶんと振って言い放つ。
「俺は魔法なんか使わなくてもお前を倒せるさ! 全力でこい、と言っているんだルーウィン! お前はいつも手ぇ抜いてる気がしてならねぇからな」
「そんなことは……ただ、僕は誰にも怪我をさせたくなくて」
 首を振って言うルーウィンに、一気に顔が赤く染まって激昂するヴェイン。
「だからなっ……! 俺はお前のそういうところが大っ嫌いなんだよ!!」
 背の高い方の少年ヴェインは、剣を中段に構えて叫んだと同時にルーウィンの目前に飛び込んだ。
「馬鹿っ、まだ開始の合図は――」
 先生と呼ばれた男の制止の声に、
「構いませんっ!」
 と叫んで、やや反応の遅れたルーウィンだったが胸の前に引いた剣で、ヴェインの攻撃を綺麗に受け止めた。
 そして、自らの刀身を傾けて相手の刃を滑らせる。
 受け止めた剣をいなされた形で、ヴェインは体勢を崩し、「ちっ」と舌打ちと共に後ろへと飛び、すぐにそこへルーウィンの剣が下から上へと線を描く。
「……! てめえっ!!」
 さらに顔を赤くして激昂するヴェイン。
 すぐに飛び引いていなければ斬られていた――彼が怒ったのはそこではなかった。
 剣をいなされ、かなりの無防備状態を作ったヴェインはやられる覚悟さえもしたが、そこへの攻撃は明らかに一瞬、遅れて訪れていた。
 彼はそれに怒り、目の前の少年ルーウィンを睨みつけている。
「手ぇ抜いてやがるなルーウィンっ! 今斬れただろうがっ」
「ち、違いますよヴェイン。今のは僕……模擬用の剣に慣れなくて、いつもの調子でやっていたら……」
 慌てて言うルーウィンにヴェインは吐き捨てる。
「言い訳はいいんだよっ!! さっさと魔法使えっ!」
 またも、先程と同じ様に飛び掛かって、ルーウィンに魔法を使わせる暇を全く与えずに無理難題を言うヴェインは、今度は斬ると見せかけて右足を大きく前へ突き出す。
「わっ」
 足の先から舞った芝生と土が目に当たり、堪らずルーウィンは顔を背けてしまう。
「卑怯者っ」
「サイテー!」
 にやり、と口元を吊り上げながら自分に飛ぶ罵声など、ものともせずに目を瞑っているルーウィンに剣を向けるヴェイン。
 (簡単に隙をつくりやがって……! 今度こそ俺が勝つんだ!!)
 内心でそう思いながら、ヴェインは絶対に勝てるという確信を持ち言い放つ。
「もらったぁ!!」
 完璧に相手の胴を横から一閃する一撃。
 今の一撃だけで、このヴェインという少年がどれだけ剣を修練してきたのか分かる程に、先生と呼ばれた大人の騎士でさえ目を見張る一撃だった。
 それ程に、完璧な胴への一撃だが。
「……!?」
 しかし、彼の剣は空振り――次の瞬間、目の前いっぱいに空が広がって尻に鈍い痛みが奔った。
「だっ……!?」
 自分に何が起こったのか分からず、それでもすぐに立ちあがろうとしたが、眼前の空を背景にして、顔に土をつけたルーウィンが映ったのを見て、またも「ちっ」と舌打ちをしてヴェインは言う。
「馬鹿に……しやがって! 隙を作ったふりをしてたな!?」
「ええ。ですが、目の前は本当に見えてなかったんですよ?」
 チキリ、と模擬用の剣を倒れたヴェインの喉元にあてがったルーウィンは、優しく微笑んで言葉を続ける。
「隙を作ったと思った瞬間こそ、気が緩むものですよヴェイン。僕は予想したんです。あなたが目の前で力いっぱい剣を振るうところを。そして、それは大当たりだったみたいですね」
 テヘと笑って言うルーウィンに周りの衆から歓声があがる。
 (馬鹿なっ……)
 ヴェインはそう思った。
 ルーウィンは見えぬ目のまま、ヴェインの次の手を予想して足払いを仕掛けた。
 それは理解できる。
 そして、剣の戦いにおいて無防備な相手に攻撃を当てるには、中段の構えで横薙ぎに剣を振るうことが一番確実な方法であろう。
 それも理解できる。
 なぜなら、それはとても単純な話で縦に剣を振るう場合、攻撃が当たるのは面積的に肩幅となるが、横の場合は頭の天辺から足のつま先までとなるし、なによりも避ける側も左右からの攻撃の方が避けにくいのだ。
 だから、ルーウィンが自分の次の手を読んだことも、理解はできた。
 (だがっ……普通、思ってもできるか!? そんなこと!?)
 ヴェインがそう思うのも無理はない。
 なぜなら、目測を誤れば相手の剣を首から上に受けることも在りえるはずで、さらにヴェインがそれらのことを読み、袈裟懸けに斬りつけることも在りえる話。
 それにも関わらず、そう予想ができたとしても見えぬ恐怖の中で……そんな状態で普通そんなことができるか!?と叫びたい衝動を堪え、ヴェインは目の前のルーウィンを睨みつける。
「相手の隙を作った瞬間、こちらにも隙ができるわけか……くそったれ」
 なんて度胸をしてやがる――……!
 言葉の最後を胸のうちに仕舞って吐き捨てたヴェインに、またもニコリと笑ってルーウィンは笑う。
「そうですね。しかし、あんな魔法以外の目くらましを使うとは想像もつきませんでした」
「ふんっ。俺はお前みたいに育ち良くねぇからな。貴族のお遊戯じゃ教えてくれねぇだろ」
 嫌味たっぷりに言うヴェインにルーウィンは軽く笑い、またも「そうですね」と返す。
 ルーウィンの笑いには嫌味がなく、それは、ただ朗らかなものだった。
「……」
 呆然と一瞬、ルーウィンの笑顔から目が離せなくなる。
 整い過ぎた美しい顔に、とても印象の強い血の様な赤い色をした瞳。
 『赤眼』――それを持つ者には特別な意味がある。
 だが、ヴェインにはそんなことはどうでもよく、何故かその目から視線が外せないことに、今は戸惑っていた。
 綺麗な目だな……なんで、俺はこんなことを負けて倒されている時に思っているんだ?
 ヴェインは、よく分からない感情を負かされた怒りで誤魔化した。
「ヴェイン? どうかしました?」
「……ちっ」
 ヴェイン・アズベルシアは目の前の少年、ルーウィン・リーシェンが心の底から大嫌いだった。
 (いくら嫌味を言っても、いくら傷つけるようなことを言っても、目の前のこいつは笑っていやがる……。それが……許せねぇ。)
 ルーウィンがヴェインの心を読み取り、嫌味で笑顔を絶やさぬわけではなく、相手の悪意に気がつき難い気質故の笑顔なのだが、それを知る由もないヴェインには偽善にも思えてしまうのだ。
「立てますかヴェイン?」



 差し出された手を強くバシッと音がでる程に払いのけて、ごろんと一回、頭の方に体重をのせたヴェインはバネの反動で、手を使わずに両足で立つ。
「俺に触るな」
 そう言って、近くまで集まってきた大勢の少年達の罵声を浴びながらヴェインは、その人ごみを掻き分けて歩いていく。
「どけっ! 邪魔だっ」
 そんな去って行く彼を少しボーッと眺めていたルーウィン・リーシェンの周りにはワイワイと自分と同じ服を着た少年達が群がってくる。
「凄ぇよルーウィンっ! やっぱりルーウィンは勇者様なんだよな」
「かっこ良かったなぁー。卑怯に正々堂々と勝つっていうのが、やっぱり勇者様だよなっ」
 声を弾ませる友人達を笑顔で見て、照れた様に頭を掻きながらルーウィンは返した。
「ヴェインの今のは、別に卑怯でもなんでもないですよ。良い手だと僕は」
「本当にカッコ良かったよなー! ヴェインの奴、すっ転んでやんのーぷぷ」
「あいつムカつくから、いい気味だぜ。ははははっ」
「……」
 ヴェインを擁護しようとしたルーウィンの声は仲間達にかき消され、後はただヴェイン・アズベルシアという一人の生徒の悪口に、彼らは話の華を咲かせていまっていた。
 (……なんでヴェインは嫌われているんだろう……?)
 自分がとても天然で、周りの雰囲気や悪意に鈍いとは気がついていないルーウィンは、周りの生徒の反応がただ不思議でしかなかった。
 そして、彼はそんなヴェインに同情さえしてしまっていた――それがヴェインの神経を逆撫でているとも知らずに。
「コラッ! お前ら演習は終わりだっ。さっさと次の時間の授業の準備に行けっ」
 大声で響いた先生と呼ばれた男の声に、わぁーとクモの子を散らすように慌てて城壁の横に立っている石造りの建物へと駆けて行く少年達。
 その石造りの建物は決して小さいわけではなかったが、隣に大きくそびえ立つ王城があるおかげで、とても小さな建物に見えてしまう。
 その建物はルーウィン・リーシェン、ヴェイン・アズベルシアと先程の大勢の生徒達の通う、王都の王宮アカデミーと呼ばれる十代の少年少女が通う学校だった。
 王宮アカデミーの活動内容は、大きく五つの分類に分けられている。
 剣術科――。
 魔術科――。
 医療科――。
 学問科――。
 技術科――。
 どの学科に入学しても、全ての学科の授業を受けることになるが、時間配分が専攻の科のものが優先される。
 剣術科の生徒は、週の半分以上の時間が剣術と兵士になるための訓練にあてられ、残りで他の四科を消費する。
 ただ、その割合も学校側で任せることもできるが、自分である程度、自由に割合を振り当てることができる。
 例えば、剣術の時間を減らし魔術にもう少し時間を割きたい者は、前もって申請しておくことができるのだ。
 そして、このアカデミー創立以来、初めて剣術にすべての時間を割り振る者が現れた。
 それが先程のヴェイン・アズベルシア。
 彼は剣術科に提出する時間配分の申請用紙に、十割の時間を剣術にと書いて迷いなく提出したという――が、その申請は全科目を受けることが義務付けられているアカデミーの方針により、剣術を九割に変更させられてしまった。
 それでも、九割を割り振った生徒はアカデミー創立以来、彼が初めてだった。
 ほとんどの時間配分を剣術に傾倒させる生徒が、ヴェイン以外にいなかった理由は至極明白。
 なぜなら、簡単に言うと出世ができないのである。
 授業のほとんどを剣術と兵士になるための訓練をしているだけの生徒など、兵士にはなれてもそれを指揮する副隊長、隊長クラスには絶対になることはできない。
 ましてや、誰もが憧れる将軍やナイトの位など、ただでさえ夢を見るなと親に笑われるくらいの話なのに、剣術ばかりを修めている者がなれるはずはなかった。
 故にヴェインの選択を理解できる者はアカデミーにはおらず、誰もが一体何者だと思った彼は入学当初、時の人となり、他の学科からもヴェインを見学にくる生徒達が続々とやってきたりしていたこともあった。
 だが、それもすぐに終息することになった。
 ヴェインは愛想が悪く誰とも話したがらず、しかも口を開けば悪態をつき、人を寄せつけなかったのだ。
 そして、そんな印象の悪いヴェインよりも、生徒達は同じ剣術科にいたもう一人にクギづけになった。
 ルーウィン・リーシェン。
 どの生徒かが、彼を王子という人もいたが、それはあながち間違いではない。
 王都の王に子はいないが、その王が戦の末にどこからか拾ってきた赤子ルーウィンを育てたのは有名な話で、正統な血筋はないにも関わらず実質、彼はこの国、シルドリア――王都ラクフォリアの王子の様な存在だった。
 しかも、シルドリアに古くから伝わる伝説が、そのルーウィンを世界を救う勇者様だと予言しており、そんな彼が剣術科にいるとなると他の生徒達が剣術を九割選択したヴェインのことなど、すぐに忘れてしまうのも無理はない。
 ヴェインは自分に注目が集まるのを大いに嫌ったが、いきなり自分よりも遥かに有名になったルーウィンにライバル意識を燃やし始めていた。
 しかも、そのルーウィンは一般的な選択、時間配分の仕方で剣術科に在籍しているにも関わらず、ヴェインよりも剣術の成績を上回っているのだから、それも無理はない。
 先程の二人の戦いは、剣術科の最優秀成績者、上位二名による恒例の模擬戦だったのが、月一で行われるそれには毎回、必ずルーウィンとヴェインが対決することになっており、それはこの二人がズバ抜けて剣術の腕に長けているからである。
 そんな状況で、二人にライバルになるな――という方が無理な話でいよいよもって、ヴェインのライバル意識は頂点にまで達していたし、彼は何よりもルーウィン・リーシェンという人間そのものが大嫌いになっていった。
 容姿端麗で男子からも女子からも人気があり、王の秘蔵っ子でしかも伝説の勇者。
 さらに言えば、男か女か実は誰も知らないらしく、そのミステリアスささえも人気の要因となっているのだった。
 だが、実際そんなことなどヴェインにはどうでも良かった。
 ただ、己よりも『強い』そのことが絶対的に許せない――自分は奴より多くの時間を剣術に割いているというのに、毎回勝てない、そのことが許せない。
 (俺は最強でなくてはならないのに――!)
 ヴェインの心にあるのは常にその憤りだけだった。
 そんな彼は、その憤りを抱えたまま今も、沸々とルーウィンに対して闘志を燃やしながら日常を過ごしているのである。
 白い壁に、美しく研磨された同じく純白の石の床、そして吹き抜けの天井には輝いた透明のステンドグラスがあり、両側の窓ガラスの太陽の光と織り交ざって、綺麗な七色の光が差し込んできている。
 知らぬ者が見たら学校というよりも宮殿にさえ見えるその荘厳な廊下に、不釣合いな荒々しい声が響く。
「てめぇら聞こえてんだよっ! ぶっ殺されてぇのか!」
 アカデミーの廊下ですれ違った数人の男子生徒が自分の陰口を言っているのが聴こえたヴェインは、いつもの様に怒鳴り散らした。
 そして、いつもの様に焦って逃げていく数人の生徒。
「ちっ」
 (まだ面と向かって言われれば、殴り倒すこともできるんだが……ムカツク連中だっ!)
 内心で吐き捨てたヴェインは次の授業が、医療に変更になったと校内の連絡掲示板で知ると、またも「ちっ」と舌打ちをする。
 これは彼の癖であり、一日で通算、百回を超えることもある。
 (この授業の後はどうせ家に帰るだけだからな……このままフケちまうか)
 ほとんど考える間もなく、ズカズカと踵を返して歩いていく彼を他の生徒が端に避けて遠巻きに見ていた。
 勇者ルーウィン・リーシェンという存在を良く思っていない。
 それだけでも、彼がこのアカデミーで嫌われるには十分な理由だった。











*******************











「ただいま」
「あ、お兄ちゃん。お帰りなさい」
 木製のギギと軋むドアを開けると、ヴェインにとってはいつもの笑顔がそこにはあった。
 部屋に入ってきたヴェインをベッドで上半身だけ起こした状態で、優しい笑顔で迎える少女。
「起きてたのかシフィ」
 広くはないが狭すぎるというわけでもない部屋は、木製の落ち着いた色合いの家具がいくつかと、壁に並んだな本棚に入りきらない分厚い本が床に散乱していた。
 そして奥には二つのベッドがあり、その一つにはシフィと呼ばれた白い顔の儚げな美しい少女がいた。
 シフィは服越しでも分かる細い体をしていて、少しこけた頬は今は熱っぽく少し紅潮している。
「シフィ、起きなくても大丈夫だ」
 そう言ってベッドまで歩み寄ったヴェインは優しく少女の手をとり、次に額に手をあてて言う。
「今日はイザナ先生はシフィの体のこと何か言ってたか?」
 こほんと可愛い咳を一つしてシフィは首を振る。
「ううん。ただお薬くれたから……それ飲んだら大丈夫だって」
「そうか」
 優しく、慈しむ目でシフィを見て頭を撫でたヴェインは次にいつものように額にキスをしてやる。
 自分と同じ黒髪をしたシフィはヴェインの妹。
 年齢の割りに少し未発達な体は一年前よりも細くなった気がして、ヴェインはそれを心配そうに見てベッドの上にあった毛布をシフィの肩にかけてやる。
「ねぇ、お兄ちゃん今日はもうお家にいるんでしょ?」
「ん? ああ、どうしてだ?」
 返す兄に、弾んだ声でシフィは言う。
「また学校のお話聞かせてほしいのっ」
「ええ? ……ここ最近は毎日だな。まあ、いいけどな……。今日のは――」
 今日、学校であったことを思い出し始めて口をつぐんだヴェインは、思わず奥歯をギリと噛み締める。
 苦虫を噛み潰した様な兄の顔を見たシフィは心配そうに声をかける。 
「お兄ちゃん……? どうしたの? 今日は学校で何かあったの?」
「いーや。何もなかった。何にもなさすぎてシフィに何を話すか迷っちゃってさ」
 アハハと学校では一切見せぬ笑顔で言うヴェインに、シフィは口元を綻ばせ言う。
「もう、お兄ちゃんったら剣術以外の授業は寝てるって聞いたけど、まさか本当じゃないでしょうね?」
「げっ……誰だ、そんなこと言ったのは」
 誰だと聞いたヴェインだが、自分達に関わりのある人間などイザナ先生しかいないと分かっていた。
 先生め……シフィには学校のことは言うなって言ってあるのに……。
「だーめ。誰に聞いたかは内緒です」
 ちょっと、ませて言う妹に微笑んで、ヴェインは頭を小突いて教えろよと言って二人で笑い合う。
 そんな、微笑ましいやり取りを学校の者が誰か一人でも見ることがあれば、きっとヴェインを取り巻く悪評の一つや二つなど簡単に無くなってしまうのではないだろうか。
 素直で心優しい少年は妹の前では良い兄だった。
「お邪魔しますよ」
 二人の幸せな時に、見知った訪問者がやってきた。
 先程と同じ様にギギと軋んだ音をたてて開いた扉の音を聞いたヴェインは、扉の金具に油でも差すかと思案しながら、その声の方に顔を向ける。
 部屋に入ってきたのは、長い金髪を腰まで垂らして前髪で片目を隠し、右目には宝石の様な青眼が覗いている長身の男性。
 利発そうな整った美形で、さらに美しい装飾のあるいかにも貴族っぽいローブを纏っているものだから、全体的に男性にしては美し過ぎ、かつ品があり過ぎる風体になっている。
 これはこの来訪者の趣味ではなく、単に誰が見ても貴族か、城の重要な役職の魔術師だろうと一目で分かる様に配慮された制服の様なもので、本人はあまり良く思ってはいない服装だった。
「イザナ先生。今日は午後も来てくれたんですね」
 イザナと呼ばれた男は、ヴェインの言葉にこくりと頷いてベッドの横のシフィを診る時専用に置かれている自分の椅子に腰を下ろし言う。
「今日は少し熱があったので大事をとって一応、また診にきたんですよ。いや、なに問題はないのですよ。今はどうですシフィ」
「ちょっと体が……熱いかなイザナ先生」
「ふむ」
 先程のヴェインと同じ様に優しい口調で言いながらシフィの脈をとり、額に手をあてたイザナは、ローブの胸元から一つの小さな布袋を取り出して、中からさらに小さな紙包みを出す。
「ヴェイン、これを水に溶かしてシフィに飲ませてあげてください。解熱剤……のようなものです」
「わかりました」
 すぐに、部屋の隅の井戸から汲んできた水を溜めてある桶まで水を汲みに行くヴェインを見ながら、シフィは兄に聴こえない様に言う。
「お兄ちゃん、今日は学校で何かあったんですか?」
「いつも通りですよシフィ。剣術の授業に出て、他の授業をすっぽかしただけです。全く……授業料を払っている私に悪いとは思わないんですかね、あなたのお兄さんは。私はそろそろ怒った方がいいんでしょうか?」
 にこりと笑いながら本当にいつものことの様に、悟った大人の口調で言うイザナ。
「怒っても無駄だと思いますよ。だって先生、全然恐くないもん。……そうなんだ、でも、お兄ちゃんなんだか元気がないような気がして……」
 シフィの言葉にちょっと傷つきながら少し考えたイザナは、すぐに思い当たる。
「……ああ、そういえば今日は模擬戦の日でしたね。未だに彼は勇者に勝つ気でいるのですから……全く凄いですよ、あなたのお兄さんは。普通は一度戦えば勇者ルーウィンとは戦う気すらおきなくなるんですがね」
「お兄ちゃん、負けちゃったの?」
「いい線までいったと剣術科の講師からは聞きましたがね。まあ、勇者は授業以外でも、真剣を使って騎士団の団長と訓練をしていたりしますし、勝つことは無理――……とも限りませんよねヴェイン」
 いつの間にか隣に佇んでいた無表情のヴェインに天使の様な笑顔で、にこりと言うイザナ。
 そのイザナの美貌という言葉がぴったりな顔で、にこりと笑みを向けられ心を奪われた城内の女性は数知れないが、目の前の少年は少しムッとした顔になって言う。
「ちょっと調子が悪かっただけだ。でなきゃ、俺があんな男か女かも分からない奴に負けるはずがないんだっ。次は必ず、俺が勝つんだ!」
 語気を荒くして、薬を溶かした水の入ったコップをイザナに手渡す。
「まったく……この国で、勇者にそこまで言えるのはあなたくらいですよ」
 呆れるイザナと、兄の言葉に元気に頷いたシフィ。
「うんっ! 頑張ってね、お兄ちゃんっ。お兄ちゃんなら絶対に勝てるよっ。だって、お兄ちゃんは……私の勇者様だもんっ」
「勇者……様か」
 脳裏にちらつくルーウィンの笑顔を消し去りつつ、ヴェインは笑顔を作る。
「ありがとうシフィ。俺、頑張るから……シフィも早く自分の病気を治すんだぞ?」
「うんっ。病気が治ったら、学校行きたいな……ごく、ん、行けるよねお兄ちゃん?」
 イザナに渡された薬を飲みながら言う妹に、ヴェインは優しく微笑む。
「ああ、勿論」
「私ねっ、お兄ちゃんと一緒に学校に行きたいなっ。……早起きしてお兄ちゃん起こして……私がご飯の用意して、学校まで一緒に歩いて行くの」
 段々と声が弾んで、少し興奮気味に言うシフィ。
 本当にそう願って夢の様に語る妹の手をとり、兄は声をだして笑う。
「ははは。学校までって言っても、アカデミーは隣じゃないか。すぐに着いちゃうぞ」
 ここはアカデミーの横に備えられた宿舎の様な建物だった。
 生徒でここに住んでいる者はヴェイン以外におらず、本当は主に遠方からやってきた教師や魔術師が住むためのものになっているもので、とある事情でヴェインとシフィを引き取ったイザナはこの部屋をアカデミー公認で彼らに貸し与えている。
「ちょっとだけでも……うん、ちょっとだけでもいいから、お兄ちゃんと一緒に学校に歩いて行きたいの」
「そ、そっか」
 妹の言葉に少し照れたヴェインは「熱々ですねー」と言ったイザナの横っ腹にヒジを入れてから、「ヒドイじゃないですか……うう」と呟いている彼に気になったことを問う。
「なあ、さっきルーウィンの奴、真剣で訓練してるって言ってなかった? しかも、騎士団の団長と?」
 そういえば模擬戦の時に、模擬用の剣に慣れなくてとかなんとか言ってやがったな……。
「ええ、そうですよヴェイン。彼の剣の師匠はこの国最強の剣士『雷神のバラン』なのです。将軍の位を自ら辞退し、騎士団団長をしていて、民からも信頼が厚い……素晴らしい人です。知っているでしょうヴェインも」
 勿論、ヴェインもその『雷神のバラン』という騎士のことは知っている。
 いや、王都で剣を振っていて知らぬ者などいるはずがない。
 国の武術大会なるものが毎年、年の終わりに催されるが、それで十年連続優勝という凄まじい記録を持っているのが雷神のバランという騎士なのだから、有名なのも当然の話だ。
 そして、ヴェインが剣の道を志してから最初に――いや、今でも目標にしている人物。
「そんな騎士と真剣を使って練習してるっていうのかよっ」
 なんて、ずるい――と思った自分を殴りたくなる気持ちに駆られたヴェインは、拳をギュッと握り締め耐えた。
 その様子を見て、溜息混じりで口を開くイザナ。
「ヴェイン、彼に執着するのはやめなさい。相手が悪い」
「俺はあんな奴どうだって――!」
 イザナの言葉にわり込んだヴェインだったが、すぐに、しまったと感じて口を結ぶ。
 カッとなって叫ぶなど、気にしていると公言したも同義。
 そんな様子の彼に、やれやれと諭すような口調でイザナは言う。
「いいですかヴェイン。あなた達、王都アカデミーの生徒は、この国を侵略者や魔物から守るために剣術や魔術、学問を修めているのですよ。そして、あなたは剣術科……そう、あなたの剣は言わば、この国に暮らす人達を守るための剣なのです」
「俺はこの国のことなんか、どうだっていい。……それにアカデミーに通っている連中は皆、貴族の息子や、どこかのボンボンばっかりじゃないか。どうせ、何かあっても前線で戦うのは、徴兵された街の連中だろ。剣術科に、この国を守ろうなんて考えている奴なんていないと思うぜ先生」
 皮肉っぽく言ったヴェインの言葉。
 だが、それは事実だった。
 アカデミーを卒業した生徒達は、国の様々な役職に就く事ができる。
 そして、その中で兵隊になる者も勿論いる――が、その彼らは例え戦争があっても死地へ向かわされることはない。
 無論、希望すれば話は別だが、ほとんどがただ数年、王城の警備にあたり、そして戦いを知らぬまま上の役職へと楽に昇進することができる。
 それは、彼らが貴族の子供だからというだけの話であり、そもそもアカデミーに入学することも普通の町民達には金銭面において、とても難しいことで、ヴェインが通えているのはこの目の前のイザナという存在のおかげであった。
「た、確かに……そういうこともあるかもしれませんが……でもね、ヴェイン。アカデミーを卒業し、治安騎士の副隊長にまでなった者もいるのですよ。知りませんか? セントフィード家の長男で、去年の武術大会で準優勝の……名をなんて言いましたっけ?」
「レオドルフ・セントフィード。知ってるさ先生。……そういう奴もいるみたいだけどさ、俺は国を守りたいなんて、思ってないんだ。悪いな」
「では、あなたは何のために剣を修めているのですか?」
 努めて少しキツめの口調で言ったイザナの問いに、妹を見てからヴェインは言う。
 (俺はシフィさえ守ることができるのなら……)
「俺は家族を守りたい。ただ、そのために……」
 (あの時の様なことはもう、ごめんだ。――理不尽に、ただ理不尽に不幸がやってきて目の前で大事な人を奪っていく。もう、二度とシフィをあんな理不尽な目に遭わせて、たまるか……!)
 そう心で呟いたヴェインの目の前には、いつの間にか爆ぜる火炎と、踊る様に燃えて揺れる木々の中で、緋色の長い髪をなびかせて血に濡れた手をシフィに向ける男がいた。
 それは、忘れようもなくヴェインの脳裏に刻まれた呪いの様な記憶。
 だが、ヴェインは今でもはっきりと目の前にそのトラウマな惨劇を思い出すことができる。
 まるで、白昼夢の様なその光景を目に焼き付けたまま、ヴェインは自分の口が動いていることに気がつかなかった。
「……そして、いつか奴を……っ!」
 ハッとなって口をおさえる。
 シフィの悲しげな瞳に見据えられ我に返ったヴェインは、その視線から逃れるように下を向いた。
 (お、俺は今、なにをっ……。しまった……シフィの前で、あの時のことを思い出させる様なことを……俺はっ)
「奴、『緋色髪の男』ですか。ヴェインあなたは、まだ……。気持ちは分かります。ですが――憎しみで剣を修めては……」
 悲しそうに言うイザナの言葉と、今にも泣きそうな妹の瞳に板ばさみになり、堪らず声を張り上げる。
「うるさいっ!」
「……」
 一瞬の静寂。
 ヴェインはばつが悪くなり、いつもの様に「ちっ」と吐き捨てて、妹と先生に背を向けた。
「お兄ちゃんっ……。どこに行くの?」
 泣きそうな妹の声。
「ごめんシフィ。ちょっと……頭冷やしてくる」
 アカデミーから帰宅したまま腰に帯刀していた模擬用の剣を掴んで笑顔で妹に言うヴェイン。
 そんな彼を見てイザナは「仕方がないですね」と諦めた様に言い、言葉を続ける。
「夜に鐘が二つ鳴った後に今日、模擬戦をした場所に行ってみなさい。少しは気が紛れるかもしれません」
「……ありがとう先生」
 そのイザナの言葉の意図はよくは分からなかったが、ヴェインは唯一、信頼を寄せている彼の言葉を素直に受け取ったのだった。











*******************











 一つ目の鐘が街に響き渡り、夕刻を過ぎたことを告げていた。
 空に浮かんだ滲んだ様な満月が、石造りの王都の街並みを照らしている。
「はっ! はっ……!」
 いつもの場所、アカデミーの門を出てすぐにある市街地と学校の間を流れる川に架かる大橋の真下。
 そこでヴェインは毎日、一日も欠かしたことのない日課の素振りをしていた。
「今日もいい調子じゃないかーあっはははは」
 赤い顔でそう言い、グビと酒瓶を傾けてラッパ呑みした無精髭の男は、橋の下に住む浮浪者でヴェインも名は知らない。
 彼が剣の鍛錬をしていると、よく一方的に話しかけてくるが特に邪魔に思ったことはないので放置されている。
 (結局、あいつは魔法を使わなかった!)
 ブンッと空を切って、いい音を響かせる素振りの最中、ヴェインの頭の中は昼間の模擬戦のことでいっぱいだった。
 剣術科の生徒でも卒業に必須の魔術が二つある。
 『疾風(ゲイル)』という動きの速度は上がるが、運動による体力の衰えも向上する術者自らの状態を変化させる魔法が一つ。
 そして『癒し手の精霊(ドリアーデ・レイ・シュバイト)』という怪我をした者を癒すことのできる魔法だ。
 剣術科でもだいたいの生徒は、この二つの魔法をすでに習得しているがヴェインに至っては、それらに全く興味がなく、卒業のために最後に覚えてやるかくらいに構えていた。
 彼がその魔法に興味がない理由は至極簡単で、『疾風(ゲイル)』という魔法は体を動かす速度、瞬発力などを倍近くに跳ね上げることができ、一見してとても便利かと思われるが、実は全く使えない。
 なぜなら、スタミナの消費も倍近くになり、並み程度の実力者ではすぐにバテてしまうからだ。
 故に、使用方法も限定されていて敵から逃げる時や、軍隊で奇襲を仕掛ける時に一部の兵にだけ使用する術として知られている。
 もう一つ、『癒し手の精霊(ドリアーデ・レイ・シュバイト)』
 魔術の初歩にして実は奥の深い回復魔法と呼ばれるそれは、術者の魔力にその回復力を依存させ、大魔術士ともなれば瀕死の者も助けることができるという。
 だが、使用する際には高い集中力を必要とし、気が散ってしまえば発動させることもできない繊細な魔法でもある。
 この魔法のネックはそこで、人間誰しも自分が怪我をした時には、ほとんどの者は焦り戸惑い、術を発動させることすらできないのである。
 つまり、この魔法は自分を癒すことができないとして知られ、アカデミーでは仲間を助けるためのものとして教えている。
 無論、怪我をしていても、高い集中力で気を乱さずに術を行使できるならば発動させることもできるが、それができるのは三大賢者くらいだろうと言われている。
 個人戦には不向きのこの二つの魔法は、軍に入り兵士になることを想定して剣術科の必須魔法として定められているのだが――彼、ヴェイン・アズベルシアは個人戦にしか興味がなかったのだ。
 (疾風(ゲイル)の魔法を使ったあいつの速さは、どのくらいだ? 俺は太刀打ちできるのか?)
 いつもは無心で振り続けている剣だが、今日は頭の中が騒がしく昼間のことばかり考えている。
 そして、時折そこに混じるルーウィンの言葉と屈託のない笑顔。
 『僕は誰にも怪我をさせたくなくて』
「うるせえ!!」
「ひっ……ごめんよ、ごめんよ。おっちゃん喋りすぎたね。許しておくれよ……」
 ハッとして剣を振りながら怒鳴っていた自分に気がついて、後ろで怯え謝罪の言葉を呟く浮浪者に慌てて言う。
「違う。すまん、ちょっとイライラしてたんだ。おっちゃんに言ったんじゃない」
「ほぅー……心臓に悪いのはやめてくれよう」
 グビと酒を飲み言葉を続ける浮浪者。
「最近の若者はキレやすいというから、もうびっくりー。昔、上司にクビ切られた時のこと思いだしたよ。あっはは」
「すまん」
 はぁと大きく息を吐いたヴェイン。
 憂う溜息ではなく、精神を集中させるためのそれをしながらヴェインは、頭の中の思考を消し去ることに専念する。
 いつもの様に、無心で。
 『迷いは剣の切っ先を乱す、故に我輩は迷わない』
 武術大会で『雷神のバラン』が優勝した時に言っていた言葉を師のいないヴェインはいつも心に留めていた。
 アカデミーに通う生徒ならば剣術の師は講師になるのだろうが、ヴェインは彼を師とは認めていなかった。
 バランの足元にも及ばないあいつを師と思ってしまえば、俺はそれ以上先の領域にいけない気がする。
 そう、思っていたからだ。
 無心で振り続けた回数が数百回、いつの間にか酔いつぶれた後ろの男が寝始めた時に――二度目の鐘がヴェインの耳に届いた。
 『夜に鐘が二つ鳴った後に今日、模擬戦をした場所に行ってみなさい』
 イザナの言った言葉通りヴェインは、橋の下を後にしてアカデミーの門をくぐった。
 夜だというのに、開かれた門の先から聴こえたのは――。
 (剣の……音?)
 響く鋼のぶつかり合う音(自分の持っている模擬用の剣のではない)は、その先で誰かが真剣で戦っているのを示していた。
 逸る足のままアカデミーの校舎に入らず、建物を音の響く方に迂回していくと、そこには魔力の光で照らされた二人の戦士がいた。
 宙に浮いたその光は、確か『光線(ライティン)』という魔法で、火を灯した松明の代わりになる便利な術。
 さらに風船の様に空に浮かすことができ、それを維持している間は術者の魔力が消費され続けるらしいが、それは微々たるものだという。
 (それよりも――……!)
 ヴェインはその二人の戦士の動きに見入っていた。
「はあぁぁっ!」
 少年が叫び、裂帛の気合で放った剣を受け止めた髭面の男は、その衝撃で宙に舞う。
 (相手の剣を受けただけで――!?)
 どんな力で剣を打てば人間を宙に舞わすことができるんだと、ヴェインは驚く間もなく、吹っ飛ばされた男を見てさらに驚愕する。
「ふぅはっふふっは!!」
 異様な笑い声を空中で発し、そのまま綺麗に着地して目の前まで低い姿勢で詰め寄ってきた少年に剣を振り下ろした。
「当たる!!」
 思わず叫んだヴェインの言葉に反し、少年はそれを紙一重で横に跳躍して避け、しかもそのまま攻撃に転じる。
「むん!」
 返した剣で少年の攻撃を笑顔で受けた男は、次にそのまま少年を力任せに押し倒す。
「う、わっ」
 声を漏らし、バランスを崩して倒れた少年の顔に降り注ぐ男の足。
 それをゴロゴロと転がり避けた少年は、昼間にヴェインがやったのと同じ様に、体の反動だけで手を使わずに立ち上がる。
「……っ!」
 そこに問答無用に迫る髭面の男の突き。
 それも首を捻り避けた少年は、そのまま防戦一方で男の剣を避け続ける。
「……なっ……」
 喉の奥から自然に驚愕の声があがるヴェインは、それと同時に激しい怒りも込み上げてくる。
 (こいつら真剣で……――どうかしてやがる……!)
 真剣で剣を交えている二人をどうかしているとしか思えないヴェイン。
 そして、彼は思う。
 (てめぇー……やっぱり――。)
「手ぇ抜いてやがったなぁ!!」
 怒り叫んだヴェインに少年――ルーウィンはギクリと動きを止め、そこに『雷神のバラン』の容赦のない蹴りが彼の腹部に突き刺さる。
「がっ……は」
「ぬっ。ルーウィン殿、油断してはいかんぞ?」
 倒れこむ彼を支えバランは言い、叫んだヴェインに気がついていたのか、すぐに睨んで言う。
「誰かは知らぬが、我輩達の鍛錬を邪魔するのは感心せんな」
 (本当に、あのバランと剣を訓練していたのか……)
 ヴェインは、武術大会で何度か見ただけのその騎士を目の前にして、胸が高鳴るのを感じていた。
 少し変わった生え方というか重力に逆らって上を向いている口髭と、騎士団団長には似つかわしくない簡素な鎧に、そこから見え隠れする鍛えぬかれた筋肉隆々の体。
 そして、王都の年配の女性からは人気のある渋みというか、中年らしいダンディさを兼ね揃えた顔。
 憧れさえしているその男――バラン・ガラノフ・ド・ピエール。
 またの名を『雷神のバラン』というこの王都ラクフォリア最強の騎士を見間違うはずはない。
「鍛錬だ、と? 真剣で?」
 怒りに任せ、ヴェインは目の前でルーウィンを支えて自分を見ている男が『雷神のバラン』だと知りつつ、それでも食ってかかった。
「生徒が真剣で模擬戦をするのは禁止なんじゃないのか!?」
「ん? ああ、そういえばそうだったかね」
 それが何か?という様な顔でこちらを見るバランにヴェインは脱力しないように耐え、今度は痛みに顔を歪めているルーウィンを睨む。
「ルーウィンてめぇ、やっぱり手を抜いてやがったな……! 何故だ!? 俺がお前を本気にさせるだけの力がないからか!? それとも相手にするまでもない存在だからか!? ふざけるなっ……馬鹿にしやがって!」
「ち、違いますヴェイン……僕、は」
 痛みに耐え、バランから離れ言おうとするルーウィンに、ヴェインは握った拳を怒りに振るわせる。
「こんな時間に隠れて、真剣で訓練して――しかも、相手は武術大会、優勝のバラン様たぁ、さすが伝説の勇者様だな! 昼間の俺との模擬戦なんて、さぞつまらなかっただろうな!?」
 自分でも言っていて嫌になる言葉だったが、ヴェインは止まらなかった。
「なのに、てめぇは……! 本気でやるなら、俺も納得するさ! なのに……なのに、てめぇは!!」
「ならば――今、手合わせをしたらどうかね?」
 ルーウィンの後ろのバランが真顔で言った。
「え?」
 目を点にするヴェイン。
「君はあれだろ? ルーウィン殿の言っていた剣術科のヴェイン・アズベルシアだったかね?」
「あ、ああ……。俺のこと知っているのか……?」
 まさか、国一番の剣士『雷神のバラン』が自分のことを知っているとは夢にも思わなかったヴェインは、話し始めた彼に気圧され、肯定した。
「ああ、勿論。ルーウィン殿から、よく聞いているよ。――成績優秀で剣術に重きを置くその姿勢に、ルーウィン殿と我輩は君には感心していたのだぞ。……今日もルーウィン殿と模擬戦で、良い試合をしたそうじゃないか? ああ、我輩は試合は見なかったが内容はルーウィン殿から聞いた。戦いの中での機転と動きのキレ。それは、一朝一夕で身につくものではない。君の絶え間ない努力があったからこそだろう」
「こいつが、ルーウィンが……いい試合だったって言ったのか?」
 そんな馬鹿な――そう思いながら、照れて笑うルーウィンを尻目にバランに問うヴェイン。
「うむ。そうだが? ヴェイン・アズベルシア。君は言ったな、彼が手を抜いたと。だが、ルーウィン殿は昼間、決して手を抜いていたわけでないぞ? まあ、信じるかどうかは任せるがね。……そうだな、深く語り合う必要はない。――男は拳で語り合えばいいのだからね。ふぅはっふふっは!!」
 ルーウィンはやはり男なのか……?
 少し真面目にそんな事を考えたヴェインは頭を振り、話し続けるバランに視線を戻す。
 天を向いた髭を揺らしながら豪快に、かつ異様な笑い方で笑ったバランは、なおも言う。
「よし、我輩が立ち会ってやろう。君はコレを使いたまえ」
 急に横向きで放られたバランの剣を慌てて取ったヴェインは――。
「重い……これが」
 (真剣なのか――)
 ズシリとしたそれをまじまじと見つめ、そんな彼を見ながらルーウィンは呼吸を整えてバランに言う。
「し、しかしバラン。生徒の模擬戦以外の戦闘は……」
 それも授業外で、さらに真剣での戦い。
 バレたら重い処分が下ることは明白。
「なに心配されるなルーウィン殿。バレたら我輩がどうにかするとも。というか、今さら何を言うのかね。ふはっはっ」
 国の英雄を呼び捨てにできるのは彼が勇者だからか――そして自分の尊敬する最強の騎士がルーウィンを呼ぶ時に『殿』と付けているのが、くやしくて、今までの色々な雪辱やら溜め込んできたものを爆発させる様に、ヴェインは頭を切り替えて闘志を燃やす。
「よしっ! そいつはいいっ! 昼間の続きだ!」
 いつもの様にどころかノリノリにブンと剣を振るうが、慣れない真剣に少し前によろける。
「ちょ、ちょっとヴェイン?」
 まさかバランの思いつきにノるとは思わなかったヴェインに上擦った声をあげるルーウィン。
「ふっはふぅはっ。諦めたまえルーウィン殿。さあっ!! 男ならば熱く真剣で語り合えばいいじゃない!」
「ちょっとっ。バラン、僕は」
「さあ、両者見合って――はじめぇぇぇ!!」
「うおおおおおっっ!!」
 ルーウィンの制止の声を振り切ったバランの合図と、ヴェインの気合の咆哮が同時に響き、ルーウィンは諦めて剣を構える。
「もうっ……バランいつも強引なんですから! 仕方がないですねヴェイン。では、あなたが納得する様に僕もまた本気でいきますよ!」
「望むところだ!」
 ニヤリと口の端を吊り上げ、ヴェインは慣れない真剣を力任せにルーウィンへと振るう。
 真剣ならば――勿論、当たれば相手を殺してしまうこともあるだろう、しかし、そんな考えをヴェインは頭の片隅にすら思い浮かべなかった。
 ただ、ルーウィンに勝ちたい。
そう思うことで、彼は初めて持った真剣に臆することなく、剣を振るうことができた。
 そう、彼はただ、勝ちたいとだけしか考えていない。
 その一心のみで放たれた剣筋は、国最強の剣士に「ほう」と言せるだけのものがあった。
 (ルーウィン殿の言う通り、他の生徒と比べても群を抜く剣の腕をしている。おそらく我輩でも、あの年であそこまでは達していなかったはずだ。)
 関心するバランは、彼の憤りもそこで理解した。
 同じ世代にルーウィンがいては、強いライバル心を持っても仕方がない。
 ルーウィンの豪剣を避けて返す剣でヴェインは斬りかかるが、それをルーウィンは読んでいたかの様に背後に飛んでやり過ごす。
 (……だが、何をそんなに焦っている? 勝ちにいく、という気概が強すぎる。いや、異様なまでの執着にさえ思える。……勿体無いな、それではキミの剣は鈍るばかりだ。……君は強いぞヴェイン。ヴェイン・アズベルシア。)
 そんな、自分を認めているバランの心を知らず、ヴェインは自身の剣に満足していなかった。
 (なぜ、こいつは俺の剣を読んでいるみたいに動けるんだ!?)
 いくら素早く動いても、いくら攻めの手を休めずに攻撃をしても、すべてルーウィンは受けて避けて、軽やかに反撃に転じてくる。
 いつの間にか呼吸を乱され、荒い息で焦りを感じ始めていたヴェインは腑に落ちなかった。
 (俺は誰よりも強くならなきゃいけないっ。誰よりも強く、最強になって、そして降りかかる災厄という名の化け物を根絶やしにするために、それらと戦う覚悟を俺は持っているっ! その覚悟があるから――だから俺は強くなれる。同年代の誰にだって負けない自信があった! 他の貴族の奴らみたいに、親の言いなりで剣を持っているんじゃない! 剣を振る理由が――俺にはある。だから、俺は負けない、そのはずだった……)
 なのに――何故、と目の前の動きの読めない勇者にヴェインは聞きたかった。
 お前は一体、なんのために剣を握っているんだと。
 それは、ただ単に勇者に生まれたからなのか――お前は、なにを覚悟としているのかと。
 そして、その覚悟が自分よりも強いか否か。
 ヴェインは問いただして、見きわめたかった。
「あ、ああああ!!」
 追い詰められた焦りで、何も考えることができなくなったヴェインは、咆哮と共に、がむしゃらに剣を振った。
 そこに、ルーウィンの剣が綺麗に下から、すくい上げるようにヴェインの剣と合わさり、澄んだキィィンという音をたてて――。
 (彼に勝とうと思ってはいけない。……勇者ルーウィン・リーシェンは特別なのだから――)
 少し悲しげな表情でバランはそう心で呟き、ルーウィンの剣がヴェインの剣を綺麗にはじき飛ばすのを捉え、言い放つ。
「そこまで!」
「……! ちくしょうっ!」
 あっさり剣をはじき飛ばされ、地面に両膝をついたヴェインは叫ぶ。
「何故っ! 何故、勝てない!? 俺は最強でなくてはならないんだっ……お前、なんかにっ!」
 キッとルーウィンを睨み、芝生を強く拳に握り締め、次に地面を殴りつけて言う。
「こんなところで負けていては駄目なんだっ! でなきゃ俺は……シフィを……!」
「ヴェイン……」
 慰める様にヴェインの肩に手を置こうとした、ルーウィンを手で制して、バランは口を開く。
「強く――強くなって、どうする? はっきり言うが、君は強いぞヴェイン・アズベルシア。おそらく同年代で君を倒せる者はここにはおるまい。そして、ルーウィン殿に負けたことを恥じることはない。なぜなら、彼は特別なのだから」
「だから、なんだって言うんだ! 特別だから? そうやって別の奴に負けた時も、言い訳し続けたらいいのかよ!? そしたら俺は強くなるって言うのかよ!!」
 いつの間にか、目の前が滲んでいることにヴェインは自身で驚いた。
 己の弱さが情けなくて、悲しくて、過去のことを思い出してしまって、心がグシャグシャにかき乱された。
 (俺はとっくに克服したと、そう思っていたのに! 俺はちっとも強くなんかなっていない! あの時、感じた絶望を……俺は負ける度に思い出してしまうんだ! 何のために俺は、俺は……!)
「最強でなくちゃ意味なんかないんだ。勇者なんかに負けてちゃ、話にならないんだ! ……じゃなきゃ俺は、」
 (俺は一体、何のために――剣を握ったというんだ!?)
「……ふむ。シフィとは君の大事な人かね?」
 問うバランに、ヴェインは返す。
「妹だ。……悪いかよ」
「いや、そうか。ふむふむ。……いいではないか。うんうん」
 何かに感心し、そして理解したかの様に呟いたバランは、ふー、と息を吐いてから提案する。
「うん――ヴェイン。君も明日から、この時間にここに来るといい。ルーウィン殿と共になるが、鍛えてやろう。奥義、秘伝を余すところなくな!」
「な、に」
 顔を上げ、バランを驚いた顔で見るヴェイン。
 鍛えてやろう、この男は今そう言ったのか?ヴェインはとても信じられなかった。
「本当ですかっ!? バラン!」
 どこか嬉しそうに両手を合わせて笑顔で叫ぶルーウィンは、すぐにヴェインに向き直る。
「良かったですねヴェイン! バランが教えてくれるならば、すぐに真剣にも慣れますよ!」
「え、あ、ああ……」
 妙に高いテンションのルーウィンに気圧されつつ、状況を理解できない彼は訝しく思う。
 (教えてくれるのか――俺に。あのバランが? ……何故だ? そして、ルーウィンは何故、俺が一緒に剣を教わることを喜んでいる?)
 ヴェインはわけが分からないまま戸惑い、目の前でニカッとイイ笑顔を向けている髭の騎士に聞かずにはいられなかった。
「本当に、俺を鍛えてくれるのか?」
「ああ、武士に二言はないとも!」
 聞き慣れない格言の様なもので締められて余計に混乱する頭のまま、ヴェインは目の前に差し出された白い手に驚く。
 昼間の時、同様――自分に手を差し出したルーウィンが笑顔を向けていた。
「……っ」
 反射的に払いのけそうになったヴェインだったが、何故だが心底、嬉しそうにしている彼を見ていると昼間と同じ様な態度にはでられず。
 (――なにをしているんだ俺は)
「ちっ……!」
 舌打ち交じりでルーウィンの手を掴んで、立ち上がる。
「明日から、よろしくお願いしますねヴェイン! 一緒に頑張りましょうっ」
 (なんで、お前は嬉しそうなんだ?)
 叫んで問いたい衝動。
 そして、あの時と同様に彼の赤い眼から視線が外せなくなる。
 真っ直ぐに表裏のない屈託のない笑顔を向けられ、今までのルーウィンへの後ろ暗い感情が、どこか急速に冷めていくのをヴェインは感じていた。
 (お前は、俺と訓練できることが……嬉しいというのか? 俺はさっきまでバランを独り占めしているお前を卑怯だとさえ思っていたんだぞ!? いや、それ以前に俺はお前のことを――あんなに嫌っていたのに!!)
 言葉にならないモヤモヤを吐き出せず、ルーウィンに返事ができないままヴェインは固まる。
「よろしくお願いします!」
 そして、再度、差し出されたルーウィンの握手を今度はすぐに払いのけてヴェインは、いつもの様に言う。
「調子にのるな。……馴れ合いはごめんだっ! いいか!? 俺はすぐにお前を追い越してやる! お前だけじゃない! バラン、あんたもだ!!」
 ルーウィンが呼び捨てているので、自分が『様』でもつけてしまうと負けたような気になったヴェインは、国一番の騎士を呼び捨てにした。
 それに全く気を悪くした風もなく、バランは吹きだした。
「ふはっふぅはっ。若いねぇ。ま、ライバルだと思っているのも構わんとも、男同士はそうやって、友情を育んでいくものなのだから!!」
 その言葉に拳を握り、熱く同意するルーウィン。
「そう……そうですねっバラン! 分かりましたヴェイン。僕もあなたには負けません! お互い頑張りましょうね」
 懲りずにルーウィンが再度、手を差し出す。
 嫌がらせか冗談かと思ったそれは、よく見ると今度は握りこぶしで、仕方がなく諦めたヴェインは同じ様に拳を作り、ルーウィンのそれにぶつけた。
 ゴンと音を鳴らし、合わさる拳。
 しばし、無言で見つめ合う二人。
 ……――。
 いつの間にか、さわさわと自分の拳がルーウィンの手に触られていることにヴェインは気がつき、口元を引きつらせて言う。
「なにをしている?」
「え? あはは……今なら握手してくれるかなーと思って」
 えへへ、と顔を赤くして笑うルーウィン。
 その姿を見て、言い表し様のない――少なくともヴェインは、今までただの一度も感じたことのない感情に襲われた。
 どくん、と何かが胸の中で大きく飛び跳ねる。
 (こいつ……ただの真面目な奴かと思えば……)
 ルーウィンは時に、こんな風なお茶目な一面を見せることがある。
 こういうところも彼のその人気の一因であり、それはルーウィンを知る者にとっては当たり前のことなのだが、今までほとんど彼と話さなかったヴェインにはそんな一面はとても新鮮に映った。
 そして――ヴェインは。
 (可愛い――……)
 ハッ、として自分の顔が湯気でも出ているんじゃないかと思うくらいに熱くなっているのに気がつき、次にルーウィンの笑顔につられて、いつの間にか自分も笑っていることに気がついた。
 (わっ、なんで俺は笑ってなんか……!)
 口元を隠し、真っ赤な顔で後ずさる。
「ヴェイン?」
「わっ、な……わ、わ……。ちっ! これからは、覚悟しておくんだな!」
 どうしてか慌てふためいて、いつもの舌打ちと訳の分からない捨て台詞の様なものを残して、ヴェインは去って行った。
 後に残されたバランとルーウィンは、しばし呆然としていたが、すぐに気を取り直したルーウィンは師に尋ねる。
「バラン、どうして彼に剣を教える気に?」
「ん――? まあ敢えて言うならば……感動した? ということではないかね。彼が妹のために剣を振る、その心意気に! おおおっ!!」
 グッと拳を胸の前で握り締めて、ぷるぷると身を震わせ、さらに瞳には少し涙すら溜めて感動しだす髭の騎士。
「あはは。バランはそういうのに弱いですからね」
「ふぅはっ。なんだ、ルーウィン殿は嫌だったのかね?」
「まさか。僕は剣を誰かと共に稽古するのは好きですよ。それにヴェインのことも気に入っていますし」
「ほほう。……なかなかに大胆な発言ではないかっ。セウロ殿に聞かせてやりたいなっ。ふぅはっは、明日から楽しくなりそうだ!」
「ん? 僕、今何かそんな大胆なこと言いましたか? というか何故、ここでセウロがでてくるのですかバラン?」
 天然なルーウィンが気がついていないことに、さらに楽しそうに笑ったバランの異様な声が夜の街に響き渡り、どこかの野良犬がそれに遠吠えで返すのだった。






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