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グラニオン号関連年表

2012.07 'Fatal Dive' Peter Stevens 出版
2012.04 篠田千代さん亡くなる。101歳。
2011.02 篠田千代さん100歳。エイブリ兄弟はキスカ島で摘んだ花を再度贈る。
2010.
2009.01 篠田千代/駆潜艇27号艇長夫人に、エイブリ兄弟は2007年にキスカ島で摘んだ花を贈る。
2008.10.10-12 オハイオ州、潜水艦コッド号博物館で追悼行事を開催。
2008.10 米海軍が、発見された潜水艦はグラニオン号であると公式に認める発表をする。
2008.04 アジア歴史資料センターホームページで 鹿野丸戦闘報告書をインターネット公開。
2008.05 次男ブラッドさん死去。76歳。
(第二次探査)2007.09.01 朝日新聞朝刊にて続報。
2007.08.23 海底のグラニオン号を撮影。
2007.08.17 朝日新聞朝刊にて探査を紹介。
2007.08 Oceaneering社撮影チームがROV(遠隔操縦の海中ロボット)で撮影を実施。 ROVオペレータの一人は日本人トシ.ミカガワ。
(第一次探査) 2006.08 アート.ライトの探査チームがキスカ島沖でソナー探査を実施。 鹿野丸交戦位置で潜水艦らしき画像を得る。駆逐艦霰(あられ)、駆潜艇25号、駆潜艇27号のソナー影像も取得。
2006.07 Williamson & Associates社はアート.ライト率いるソナー探査チーム8名をキスカ島に送る。 アラスカのカニ漁船アクィラ号・ケール.ガルシア船長をチャーター。
【 2006.08 ソナー影像 】
【 グラニオン号 】 (司令塔と潜望鏡の影が落ちている)
【 駆逐艦霰(あられ) 】 (V字型に折れている)

2005
2004
2003
2002〜 エイブリ兄弟は日米の記録を収集、父親の潜水艦の捜索を決意。 タイタニック号探査チームのロバート・バラード博士にも打診する、 バラード博士は海底探査の困難さを説明し辞退。 シアトルの海洋探査会社 Williamson &Associates社に依頼。
2001.09 リッチ.レーンが図面についてインターネットの掲示板で訊ねる。ユタカ.イワサキが回答。  回答をCOMSUBPACの掲示板に転載し、エイブリ兄弟の目に留まる。
2001.07 戦記雑誌「丸」に相浦誠一の1959年の記事を再掲載した。
2000
1999.11 トシ.ミカガワは種子島宇宙センターから打ち上げた後 エンジン停止で小笠原海域に落下したH-IIロケット8号機の捜索発見に参加。
1998
1997.12 日本の海洋科学技術センター(現:海洋研究開発機構)が海底の対馬丸を撮影。トシ.ミカガワは無人探査機「かいこう」のオペレーションを担当。
JAMSTEC 海洋開発研究機構サイトから
http://www.jamstec.go.jp/jamstec-j/TSM/index.html

(注)1999年12月の対馬丸探査は
・深海調査研究船「かいれい」で深海探査機「かいこう」によるソナー(音波)探査。
・支援母船「なつしま」で深海探査機「ドルフィン3K」による画像撮影。
を行いました。トシさんは「かいこう」による探査の方に参加。


1996.02 坂本金美氏死去。
1995年夏 リッチ.レーン(米空軍中佐)がコロラド州の骨董店で鹿野丸の甲板ウインチの電気回路図面を1ドルで買う。浦賀船渠/三菱電機長崎工場(1934.07.10)調整のもの。
【 甲板ウインチの電気回路図 】
【 鹿野丸のスタンプ 】
【 浦賀船渠と三菱電機のスタンプ 】
1994
1993
1992
1991
1990.09 堀田 康哉/元第13駆潜隊軍医長が「第13駆潜隊 軍医長報告」を書く。
1989.08 木俣滋郎 「潜水艦攻撃」朝日ソノラマ 刊行。鹿野丸-グラニオン号の交戦を記載。
1988.04 アルデン(退役海軍中佐)が "Submarine Review"誌に鹿野丸-グラニオン号の交戦記を寄稿。
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981.01 Vernon J. Miller が、鹿野丸-グラニオン号の交戦記レポートを記述。
1980
1979
1978
1977
1976   エイブリ夫人死去。 76歳。
墓誌
CATHERINE EATON ABELE
1899 - 1976
DYNAMIC AND LOVING
SAMARITAN AND TUTOR
(活動的で愛らしく)
 よきサマリア人で家庭教師)
1975
1974
1973
1972
1971.05 防衛庁防衛研修所戦史室 戦史叢書第46巻「海上護衛戦」朝雲新聞社、刊行。相浦誠一氏の手記を参照/引用する。(p.188) また、グラニオン号の沈没原因は伊25潜水艦によるとする。(p.189)
1970
1969.08 防衛庁防衛研修所戦史室 戦史叢書第29巻「北東方面海軍作戦」朝雲新聞社、刊行。中澤佑/元第五艦隊参謀長の執筆。相浦誠一氏の手記を引用し、鹿野丸がグラニオン号を撃沈したと記述。(p.326)
1968
1967
1966
1965.05 相浦誠一氏死去。
1964
1963.03 戦記雑誌「丸」潮書房 に相浦誠一氏が記事「輸送船鹿野丸八センチ砲で仕留む」を寄稿。
1962
1961
1961.09.12 坂本金美・海上自衛隊海佐が相浦誠一氏から資料を借用、 10.19 防衛技術研究所戦史室(現図書館)に収める。
1960
1959.09.22 相浦誠一氏が「海軍運送船鹿野丸の最期」を記述。
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947 この頃、松島稔/元駆潜艇26号艇長が、篠田夫人に篠田勇/駆潜艇27号艇長の戦死時の状況を書き送る。
1946
1945.08.15 終戦。 エイブリ夫人は再婚せず、バイオリンを教えながら子供を育てた。
1945.04.12 駆逐艦マナート.L.エイブリ号は沖縄沖でピケット任務中に人間爆弾桜花の直撃を受け沈没した。鹿屋基地を発進した第三神雷攻撃隊・土肥三郎中尉の桜花と推定している。
1944.11.08 米潜グロウラー号はマニラ南西海域でタンカー萬栄丸を攻撃、直後に護衛艦が撃沈した。
1944.08.22 沖縄からの学童疎開船対馬丸はトカラ列島悪石島北西で米潜ボウフィン号の雷撃を受け沈没した。
1944.04.23 駆逐艦マナート.L.エイブリ号(DD-733)  メイン州バス鉄工所で進水。進水式にエイブリ家を招待し、エイブリ夫人が命名を行った。エイブリ兄弟は進水する艦上に乗船した。
1943.10.09 家族は父親の死亡の宣告の連絡を受ける。
1943.05 アッツ島守備隊全滅。 .07 キスカ島守備隊撤退
1943.03.11 家族は父親の海軍十字勲章授与の連絡を受ける。 エイブリ夫人は当局に乗組員の住所を尋ね、自筆の手紙を書く。 多くの返事を受け、それは今もエイブリ家が保管している。
1943.02.07 米潜グロウラー号はソロモン海域で海軍運送艦「早崎」と交戦、ハワード.ギルモア艦長は司令塔で銃撃を受け戦死した。最後の言葉 ”Take her down. ”。
1942.12.08 陸軍報道班員(同盟通信)・深沢幹蔵「アリューシャン襲撃戦記」出版。 鹿野丸で目撃した潜水艦撃沈記を記載。
1942.09 家族にグラニオン号の行方不明を知らせる。 Bruce(12歳)、Brad(9歳)、John(5歳)。
1942.08.15 鹿野丸監督官・相浦誠一、特設運送船鹿野丸戦闘報告をキスカ島で執筆。  旭川陸軍病院附/陸軍軍医中尉・中川力丸の沈没目撃証言、附図を記載。
1942.07.31 グラニオン号、キスカ島沖で海軍運送船・鹿野丸を攻撃。  鹿野丸の反撃により沈没と推定している。
1942.07.30(米時) グラニオン号は最期の通信を送る。 「キスカ港の入り口では厳重な対潜行動をしている.魚雷の残り10本」と報告。 同日、グラニオン号にダッチハーバーへの帰還を命じた。
1942.07.15 グラニオン号、キスカ港沖で対潜掃討中の駆潜艇25号と27号を同時に撃沈。 春山淳/第十三駆潜隊司令/中佐、篠田 勇/駆潜艇27号艇長、杉野/駆潜艇25号艇長戦死。
1942.07.07 篠田 勇/駆潜艇27号艇長は夫人に手紙を書く。花を添え、それは今も篠田家が保管している。
1942.07.03 キスカ港沖で米潜グロウラー号(SS-215, 艦長ハワード.ギルモア少佐)が、駆逐艦 霰(あられ)を撃沈した。同時に雷撃を受けた霞(かすみ)、不知火(しらぬい)は大破。 両艦とも艦体前部を亡失した。
1942.06.20 グラニオン号、真珠湾着。
1942.06.05 - 07 ミッドウエイ海戦。 日本軍は陽動作戦としてアリューシャン作戦を行い、7日米領キスカ島に上陸、占領した。基地を建設。
1942.05.24 エイブリ家最後の一家食事。同日午後、グラニオン号は出港。
1942.05.01 第十三駆潜隊を編成。春山 淳/司令。部隊は佐伯で訓練後、 05.21日に横須賀を出港、 大湊を経て、キスカ島へ進出。キスカ海域での哨戒に従事した。
1942.04.11 グラニオン号竣工。マナート.L.エイブリ/艦長 。
1942.01.28 駆潜艇27号 竣工:東京石川島造船所/深川工場。篠田 勇/艇長。
1941.12.29 駆潜艇25号 竣工:三菱重工/横浜船渠。杉野/艇長。
1941.12.22 コネチカット州、グロトンのエレクトリックボート(Electric Boat)社で米国潜水艦グラニオン号(SS-216)進水。 エイブリ兄弟は父に連れられ艦上で進水を経験した。
1941.12.20 駆潜艇26号 竣工:日本鋼管/鶴見造船所。松島 稔/艇長。 1941.12.08 真珠湾攻撃。

1934.08.10 国際汽船 鹿野丸 竣工:浦賀船渠 Sno.386


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更 新 履 歴
2012.09.30 ver 1.3 千代さん訃報、グラニオン本出版、記載
2009.01.01 ver 1.1 第十三駆潜隊関連記事を追加。
2007.04.22 ver 1.0 初期ページ作成