<ブラボー、クラシック音楽!−曲目解説#14>
モーツァルト「交響曲第40番」
(Symphony No.40, Mozart)

−− 2006.04.23 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.05.01 改訂

 ■はじめに − 1年前に「オール・モーツァルト」
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(※1)の『交響曲第40番』を初めて掛けたのは第11回例会(=05年8月11日)です。この日のテーマはズバリ<モーツァルトの曲>で、モーツァルトの良く知られた曲ばかりを集中的に聴きました。暑い夏でもモーツァルトの曲ならリラックスして涼しく聴けるだろうということですが、「オール・モーツァルト」プログラムにしたのは、実はもう一つ狙いが有ってのことでした。それはこの曲目解説を書いて居る今、2006年はモーツァルト生誕250周年ということで、各メディアを始めあちこちでモーツァルトを特集して居ますが、他を追随するのが嫌いな私はそれを見越して1年前に「オール・モーツァルト」を遣って仕舞ったのです。今年は遣りません、「オール・モーツァルト」は!!
 とは言っても、この会の皆さんの多くは「この機会にモーツァルトを聴きたい、知りたい」ということなので、今年は毎回モーツァルトの曲を1曲は掛けることにしました。そこで御座なりに採り上げるのでは無く、他の追随を許さない様な新鮮な切り口でモーツァルトを料理して出そうと考えて居ますので、御期待下さい。

 ■曲の構成とデータ
 『ト短調交響曲』或いは『ト短調』と呼ぶと通常この第40番を指します −『小ト短調』と呼ぶと第25番を指す− が、正式名称は『交響曲第40番 ト短調 K550』です。”Kxx”とはケッヘル番号です。曲の構成は
  第1楽章:アレグロ・モルト ト短調 2/2 [ソナタ形式]
  第2楽章:アンダンテ 変ホ長調 6/8
  第3楽章:メヌエット・アレグレット ト短調 3/4
  第4楽章:アレグロ・アッサイ ト短調 2/2 [ソナタ形式]
という4楽章です。形式は普通ですが、本格的交響曲としてはトランペットとティンパニが使われず強拍的な音が無いのが一つの特徴で、しかもモーツァルトには数少ない「短調」の曲の中の筆頭に挙げられる傑作です。
  ●データ
   作曲年 :1788年(32歳)
   演奏時間:約26〜28分

 ■考察 − モーツァルトの短調
 明るく少し軽っぽい性格のモーツァルトには元来短調の曲は少ないのですが、全41の番号付き交響曲の中で「短調の曲」はたった2曲のみ −第25番(1773年(17歳)作、「小ト短調」と呼ぶ)とこの第40番− で、しかも何れも「ト短調」の名曲です。ここで交響曲以外の短調の名曲とされて居る曲を思い付く儘に列挙してみると
  『ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466』(1785年作)
  『ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K491』(86年作)
  『弦楽五重奏曲第5番 ト短調 K516』(87年作)
  『ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K478』(85年作)
  『ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K304』(78年作)
  『ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310』(78年作)
  『ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調 K457』(84年作)
  『レクイエム ニ短調 K626』(91年遺作)
などが在ります(△1)。
 この内ピアノ協奏曲の20番と24番は協奏曲中たった2曲の短調作品で、又『レクイエム』はモーツァルトの死に因り未完に終わったものを弟子のジュスマイアが補筆して完成し、ヴェルディ/フォーレの作品と合わせ「三大レクイエム」と呼ばれて居る逸品です。この様に
  数少ない「短調の曲」が名曲揃い
という点にモーツァルトの不思議な特徴が有り、その中でも特に「ト短調」の曲には悲劇的な様相が強いとされて居ます。

 ■聴き方 − 「哀しみ」と「慰め・諦め」との葛藤を聴く
 第1楽章冒頭の弦で奏される嗚咽の様な哀愁を帯びた第1主題のメロディーは一度聴いたら忘れられない名旋律です。この”泣き”が昂った所で”溜め息”の様な諦観的な第2主題が現れ、この”泣き”と”溜め息”が交錯して行きます。第2楽章の”慰め”に依って暫し落ち着きを取り戻しますが哀しみを完全には払拭出来ず、第3楽章で哀しみが更に深く沈潜します。そして終楽章では再び哀しみが表面に溢れ出し(第1主題)、それを宥(なだ)める第2主題とが葛藤を繰り返し悲劇的な高まりを見せて終結します。
 全楽章を通して起伏する「哀しみ」と「慰め・諦め」とが絶えず葛藤を繰り返す曲の様に聴こえます。

 ■作曲された背景
 (1)経済的困窮の中から生まれた三つ星の一つ
 モーツァルトが1787年初頭にプラハに於いて『歌劇「ドン・ジョヴァンニ」』(87年作)を依頼された経緯は既に「モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」」の「作曲された背景」の章に書きましたが、彼はそれを87年夏迄に作曲し、9月初旬にウィーンを発ちプラハに向かいます。モーツァルトの書簡に拠ると『ドン・ジョヴァンニ』は当初10月14日に初演する予定だったのが、「当地の劇場の楽員は、ウィーンとは違って、そんなに熟練していない」為に急遽『フィガロの結婚』に振り替えモーツァルト自身が指揮をして凌ぎ、結局10月29日に漸く初演に漕ぎ着けました(△2のp131〜133)。『ドン・ジョヴァンニ』も聴衆に大変受け数回上演して、モーツァルトは意気揚々と引き揚げて来ました。この『ドン・ジョヴァンニ』上演の為のプラハ紀行を記したものに、メーリケ(※2)の『旅の日のモーツァルト』(△3)という小説が在りますので興味有る方はお読み下さい。
 ウィーンに帰る87年12月7日にオーストリアの皇帝ヨーゼフ2世からグルック(※3)の後を受けて宮廷室内作曲家に叙せられ年給800グルデンを支給される身分に成りました。しかしこの年給の殆どは妻コンスタンツェの病気治療と温泉療法に費やされ、又、予約演奏会の聴衆が思う様に集まらず経済的には底を突いた状態に陥ります。その為に88年前半には2月に仕上げた『ピアノ協奏曲第26番 K537「戴冠式」』以外は、軽い調子の舞曲など取るに足りない”生活の為の軽音楽”を幾つか作曲して居ます。ところが古今東西の交響曲中の傑作と言われる最後の3つの交響曲(=所謂「モーツァルトの三大交響曲」)は、こうした経済的窮乏の中で88年夏に立て続けに作曲されて居るのです。即ち
  『交響曲第39番 変ホ長調 K543』       6月26日
  『交響曲第40番 ト短調 K550』        7月25日
  『交響曲第41番 ハ長調 K551「ジュピター」』 8月10日
で(△1のp121)、この3曲は単にモーツァルトの到達点を示すのみならず、恰もオリオン座の三つ星の如く音楽史上に燦然と輝く綺羅星です。そしてこれ以後交響曲を書かなかったことも不思議ですが、それについての私見は「モーツァルト「交響曲第41番「ジュピター」」」の「作曲された背景」の章をご覧下さい。
 この時期のモーツァルトが如何に”金欠病”に悩まされて居たかは、連続的に金の無心をする痛々しい手紙から知ることが出来、家賃の安い郊外に引っ越したとも書かれて居ます(△2のp134〜140)。その様な状況の中で僅か2ヶ月の間にそれぞれ個性の異なる最高傑作をいとも簡単に紡ぎ出し、しかも曲の中では生活苦など微塵も窺わせない点が「モーツァルトのモーツァルトたる所以」です。

 (2)『交響曲第40番』に於ける「ト短調」の意味
 ところで、この『交響曲第40番』が数少ない短調、それも悲劇的な「ト短調」で書かれた理由として長女テレジアの死が考えられます。モーツァルトの子供は生まれて直ぐに死ぬケースが多い −モーツァルトの兄弟姉妹もそうなので遺伝的な原因と思われる− のですが、87年12月27日に生まれたテレジアは僅か半年ばかり生きただけで88年6月29日、即ち『交響曲第39番』を書き上げた3日後に死亡して居ます。そしてそれから1ヶ月経たない7月25日にこの曲を完成して居ますので、「聴き方」の章で記した様に、嗚咽の様な「哀しみ」と「慰め・諦め」が交錯する内的葛藤を表す様な曲想は長女の死と無関係とは思えません。言うに言われぬ哀しみに泣くモーツァルト自身の嗚咽が聴こえて来そうです。
 以上の様な意味から最後期の『交響曲第40番』と17歳の若さ迸(ほとば)る『交響曲第25番』(=『小ト短調』)とを聴き比べることをお薦めします。

 ■結び − 私が一番好きな『ト短調交響曲』
 個人的な事を言うと、私はモーツァルト交響曲の中でこの第40番の『ト短調』が一番好きです、最後の『ジュピター』よりも。その理由は「最もモーツァルトらしい曲」と感じられるからです。『ジュピター』 −専門家の多くが『ジュピター』を最高峰の作として居るのには私も同感ですが− は少し重々しく寧ろベートーヴェン的響きがします。『ト短調』の有名な冒頭部分では、メロディーは哀しみに満ちて居ますがリズムは逆に軽快でどんどん先に進み、そこが如何にもモーツァルトらしいのです。これがベートーヴェンだと深刻に成り、ブラームスでは重く煤け、日本の艶歌だとねっとりと纏わり付いて来ます。皆さんはどうお感じに為るでしょうか?
 その様な訳で、この『ト短調交響曲』はそれ以来私たちの会に度々登場して居ます。

−− 完 −−

【脚注】
※1:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は、オーストリアの作曲家(1756.1.27〜1791.12.5)。古典派三巨匠の一人(他はハイドンとベートーヴェン)。幼時から楽才を現し、短い生涯中、6百曲以上の作品を書いた。18世紀ドイツ/フランス/イタリア諸音楽の長所を採って整然たる形式に総合し、ウィーン古典派様式を確立。多くの交響曲・協奏曲・室内楽曲の他、数多くの歌劇を書いた。
 代表作は交響曲「ジュピター(第41番)」「ト短調(第40番)」ピアノ協奏曲「戴冠式(第26番)」、セレナーデ「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、室内楽曲の「クラリネット五重奏曲」、声楽曲の「レクイエム」、歌劇「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」など。

※2:メーリケ(Eduard Moerike)は、ドイツの作家(1804〜1875)。小説「画家ノルテン」「旅の日のモーツァルト」などの他、多くの詩が在りフーゴー・ヴォルフ作曲の「メーリケの詩による歌曲集」が在る。

※3:グルック(Christoph Willibald Gluck)は、ドイツ生れの作曲家(1714〜1787)。ボヘミアで育ち、ウィーンやパリで活躍。イタリア歌劇が主流の当時の歌劇にフランス歌劇の長所を取り入れ、オペラを劇的表現を主眼とするものに改革した近世歌劇中興の祖。作「オルフェオとエウリディーチェ」「アウリスのイフィゲニア」「タウリスのイフィゲニア」など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『モーツァルト』(海老沢敏著、音楽之友社)。

△2:『モーツァルトの手紙(下)』(柴田治三郎編訳、岩波文庫)。

△3:『旅の日のモーツァルト』(メーリケ作、岩波文庫)。

●関連リンク
補完ページ(Complementary):「三大交響曲」で集大成したモーツァルト▼
モーツァルト「交響曲第41番「ジュピター」」(Symphony No.41, Mozart)
『歌劇「ドン・ジョヴァンニ」』を依頼された経緯やヨーゼフ2世▼
モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
(Serenade 'Eine Kleine Nachtmusik', Mozart)

モーツァルトの性格分析▼
モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第3番」(Violin Concerto No.3, Mozart)
オリオン座の三つ星▼
写真−オリオン座(PHOTO - Orion constellation, Japan)
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


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