<ブラボー、クラシック音楽!-曲目解説#9>
ヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲「四季」」
(Violin Concerto '4 Seasons', Vivaldi)

-- 2006.02.20 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.02.28 改訂

 ■はじめに - 『四季』全曲を聴く
 <春を感じる曲>をテーマにした第6回例会(=05年3月10日)で、アントニオ・ヴィヴァルディ(※1)の『四季』を掛けました、バロック音楽(※2)の初登場です。『四季』冒頭の「春」の第1楽章のトゥッティ(=総奏)は日本で最もポピュラーなクラシック音楽の一つで「春のテーマ音楽」として定着して居て、通常はバロック音楽と意識されずに聞き流されて居る曲でもあります。次いで「冬」の第2楽章のラルゴも良く流されます。しかし、それ以外はそれ程知られて居ません、全部で12の楽章が有りますが。それは多分「春」の第1楽章や「冬」の第2楽章のみが、テレビのドラマやコマーシャル(CM)などのBGMとして度々使用される所為です。
 この様に親しまれて居る曲でも案外”貧弱な聴き方”しかされて無いのが現状です。そこで、この日は『四季』全曲を皆さんと共にじっくりと聴いてみました。

 ■曲の構成とデータ
 通常「ヴィヴァルディの『四季』」と呼んで居ます -但し『四季』だけでは同名異曲が幾つも在り不明確です- が、正式名称は『ヴァイオリン協奏曲「四季」 作品8-1~8-4』です。
 実はこの『四季』とは、12の協奏曲から成る『ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」 作品8』(作品8-1~8-12) -「和声と創意への試み」とも訳される- の初めの4つの協奏曲(=「春」「夏」「秋」「冬」)を指す名称です。『和声と創意の試み』という標題は1725年にアムステルダムのル・セーヌから出版された12の協奏曲集(2巻の分冊)に付されて居たタイトルで、『四季』の4つの協奏曲は出版年の数年前には作曲されて居たと考えられて居ます。
 『四季』や「春」「夏」「秋」「冬」という呼称は作曲者が付けた名称ではありませんが、以下の様にこの4つの協奏曲には春夏秋冬を詠んだソネット(作者不詳、※3)が添えられ、音楽はソネットの内容を忠実に表現して居るのです。その為に絶対音楽(※4)が全盛のこの時代に在って協奏曲に於ける標題音楽(※4-1)の先駆とされて居ます。
 『四季』全体は以下の様に、3楽章構成の4つの協奏曲の集合です(「」内はソネットの簡約)。
  第1曲:ヴァイオリン協奏曲第1番 ホ長調 作品8-1(RV269)「春」
      (RVxxはリオム番号(※5)です)
   第1楽章:アレグロ ホ長調 4/4 [リトルネルロ形式]
        「春が来た。小鳥たちは喜ばしげに春に挨拶する」
   第2楽章:ラルゴ 嬰ハ短調 3/4
        「春の花盛りの牧場では木々の葉は甘く囁く」
   第3楽章:アレグロ ホ長調 12/8 [リトルネルロ形式]
        「妖精と羊飼いたちは春に踊る」
  第2曲:ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 作品8-2(RV315)「夏」
   第1楽章:アレグロ・ノン・モルト ト短調 3/8 [リトルネルロ形式]
        「灼け付く太陽に人も家畜も活気を失う」
   第2楽章:アダージョ~プレスト ト短調 4/4
        「稲妻と雷鳴の兆し、ハエは狂った様に飛び回る」
   第3楽章:プレスト ト短調 3/4 [リトルネルロ形式]
        「空は雷鳴を轟かせ、稲妻が走り、雹が叩き付け麦の穂を倒す」
  第3曲:ヴァイオリン協奏曲第3番 ヘ長調 作品8-3(RV293)「秋」
   第1楽章:アレグロ ヘ長調 4/4 [リトルネルロ形式]
        「村人は歌と踊りで収穫の喜びを祝う」
   第2楽章:アダージョ・モルト ニ短調 3/4
        「宴の後、穏やかな空気は人々を眠りに誘う」
   第3楽章:アレグロ ヘ長調 3/8 [リトルネルロ形式]
        「夜が明けると狩人たちは犬を連れ獲物を追う」
  第4曲:ヴァイオリン協奏曲第4番 ヘ短調 作品8-4(RV297)「冬」
   第1楽章:アレグロ・ノン・モルト ヘ短調 4/4
        「冷たい雪と風に、絶え間無く足踏みしても歯の根が合わない」
   第2楽章:ラルゴ 変ホ長調 4/4
        「炉端では幸福な日々が過ぎ、外では雨が全ての物を潤す」
   第3楽章:アレグロ ヘ短調 3/8
        「氷の上を戯れたり扉を開けて風の音を聴くのも冬の喜び」
 どれも後の古典派協奏曲の標準形式である「急・緩・急」の3楽章から成っていることに注目して下さい。
  ●データ
   作曲年 :1720~1725年(42~47歳)
        <モルツィン伯ヴェンツェスラウに献呈>
   演奏時間:第1曲 = 約9分
        第2曲 = 約9分
        第3曲 = 約10~11分
        第4曲 = 約7~8分
       ---------------
         計  = 35~38分

 ■聴き方 - 先ずは形式、次に標題
 標題音楽ですが、特に標題を意識しなくても充分楽しめる曲です。先ず最初は「急・緩・急」の標準的協奏曲の形式を意識して聴くと良いと思います。後述する通り、この曲は3楽章形式の古典派協奏曲の基礎を築いた画期的な曲なのです。更に「春」「夏」「秋」の第1楽章と第3楽章がリトルネルロ形式(※6)に成っているのがポピュラーに受け入れられる秘密です、基本楽想が何度も現れ耳に馴染み易いからです。
 形式に慣れたら、次は標題に想いを馳せて聴くと楽しさが更に広がります。各楽器が小鳥の鳴き声や嵐や風の音などを模倣して、各楽章の詩の内容を音楽が忠実に再現して居るのが聴き取れる筈です。イタリア人にとっては春と秋が好ましく、逆に夏は地中海性気候(※7)で灼熱し突然天候が豹変する好ましく無い季節であることが解ります。そして寒い冬に喜びを見出し春に希望を繋ぐ農民や羊飼いたちの気持ちが伝わって来ます。
 しかし、これだけ瑞々しい曲が40歳代の作とは少し”意外”な感じがしますね。

 ■作曲された背景 - 音楽院での実験的試みの結晶
 ヴィヴァルディは北イタリアのヴェネツィア生まれでヴェネツィア楽派を代表する作曲家です。幼い頃は理髪師で且つ大聖堂(※8)で有名なサン・マルコ教会のヴァイオリン奏者の父からヴァイオリンを学び、その後教会系学校に学び1693年(15歳)に剃髪、1703年(25歳)で司祭に成り赤毛の司祭と渾名(あだな)されました。しかし[虚弱体質の為(←本人弁)]ミサを上げる業務から離れ、司祭の肩書きの儘1704年(26歳)からピエタ慈善養育院付属の女子音楽院の音楽教師に就き後には楽長と成り教職を全うして居ます(△1のp12)。因みに慈善養育院とは慈善で賄われる孤児院のことで、音楽院の生徒の殆どは私生児の為”捨て子”にされた娘たちでした。
 彼はピエタの日常行事の為に数多くの宗教曲を作曲する一方、音楽院の合奏団や聖歌隊を駆使して様々の新しい実験を試みた曲を作曲して居ます。『四季』を含む『和声と創意の試み』は正にその様な新工夫の結晶で、3楽章形式の古典派協奏曲の基礎を築き更にはロマン派の標題音楽や印象派の描写音楽の先駆を成した画期的な作品です。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 当時ピエタには4つの養育院が在り一時は6千人の孤児を抱えていた様です。そして女子音楽院の合奏団や聖歌隊の演奏のレベルは非常に高く人気だったので一般聴衆からは少女たちの演奏姿は隠されて居た、と記されて居ます(△1のp16)。

 ■オペラで歌われた「春」の第1楽章
 ところで日本では『四季』の作曲家として有名なヴィヴァルディですが、彼が後半生オペラを多数作曲し続けたことは、クラシック音楽ファンの間でも余り知られて居ません。彼だけで無くルネサンス後期やバロック期にオペラが盛んに上演されて居たという事実が不当に無視されてる状態ですが、これは日本だけでは無く古典派やロマン派の交響曲偏重の音楽観や音楽教育の所為です。
 彼は1713年(35歳)にオペラ第1作『歌劇「館のオットーネ」』を作曲、翌14年(36歳)に第2作『歌劇「狂気を装うオルランド」』のヴェネツィアのサン・タンジェロ座での公演が成功して以後は同座の座付作曲家兼興行師に成り、彼のオペラはヴェネツィア各座の他にミラノやフィレンツェやローマやプラハなど他都市でも上演され広範囲の聴衆を獲得して居ました(△2)。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 当時のヴェネツィアは人口15万位でしたが、サン・タンジェロ座の他サン・モイ座やサンタ・マルゲリータ座など8つのオペラ劇場が在り貴族が所有して居ました(△2)。その後ヴェネツィアには有名なフェニーチェ歌劇場が1792年に建ちヴェルディの「椿姫」や「リゴレット」が初演され、1996年に2度目の火災で焼失しましたが2003年暮れに復活、現在もミラノ(←スカラ座が在る)と並びヴェネツィアはイタリアのオペラの中心地の一つです。

 現在約50曲のオペラがヴィヴァルディ作曲と確認されて居ますが、1739年(61歳)の彼の書簡には「既に94曲のオペラを作曲した」と在り(△2)、彼は恐ろしく速筆多作でした。それだけに新たな作品に過去の自作からの転用や引用 -この様な転用や引用は当時は一般的でした- も度々行われて居ます。例えば今回聴いた『四季』の有名な「春」の第1楽章のトゥッティで奏されるフレーズは、『オラトリオ「勝利のユディト」』(1716年作、※9、※9-1)の終曲前のアリアの伴奏からの転用で、更にこれを『歌劇「テンペーのドリッラ」』(1726年作)の序曲と第1幕冒頭の劇中歌(=合唱曲)に転用して居ます。更にその速筆多作 -彼は「私は写譜屋よりも速くコンチェルトの全パートを作曲します」と自慢して居る- の秘密は独自に考案した”記譜上の速記術”で、後で復旧可能な「省略譜」をどんどん速記したのです(△1のp25)。

 ■少女歌手との噂と晩年
 ヴィヴァルディはオペラ公演の為に度々旅行に出掛け、特に1718~20年(40~42歳)にはマントヴァのダルムシュタット辺境伯の宮廷楽長に就いて居ます。そして旅行の際には、[体が弱いので身辺の世話の為(←本人弁)]ピエタ出身の少女たちを帯同したそうです。特に1726年に前述の『歌劇「テンペーのドリッラ」』に出演したマントヴァ出身の少女歌手(=メゾ・ソプラノ)のアンナ・ジロー -当時彼女は16歳、ヴィヴァルディは48歳- と親密に成り、彼女は「赤毛の司祭のアンニーナ」と呼ばれる様に成り様々な噂が飛び交いました(△2)が、そのの仲」の真相は不明です...(-j*)。
 ミサを上げず旅行勝ちで少女たちとの噂が絶えなかったヴィヴァルディは、僧侶間の評判は芳しく無く1738年(60歳)にはルッフォ卿にフェッラーラへの入国を拒否されて居ますが、音楽のずば抜けた才能からピエタ女子音楽院は彼に対し寛大でした。
 ヴィヴァルディの晩年は不明で、永らくヴェネツィアで歿したと信じられて来ましたが、1741年7月下旬にウィーンの聖シュテファン教区の皮細工師の家で死に7月28日にウィーン市民病院の貧民墓地(=シュピタール・ゴッテスアッカー墓地)に埋葬されたことが、埋葬記録などから1938年(=彼の死の約200年後)に成って漸く判明しました(△1のp52)。享年63歳でした。彼は1740年の夏以降にヴェネツィアを発ったと考えられますが、折悪しくその年にオーストリア皇帝カール6世 -ヴィヴァルディは1727年に『ヴァイオリン協奏曲集「ラ・チェトラ」』を皇帝に献呈して居ます- が歿し娘のマリア・テレジアが継いだことからオーストリア継承戦争(※10)が勃発して居ます。その後ウィーンに辿り着く迄の足取りは尚不明です。
 現在彼の墓地跡にはウィーン工科大学が建ち、僅かにヴィヴァルディ終焉地を記す銘板が学内に残るのみです。尚、故郷ヴェネツィアのリド島にはヴィヴァルディ通りが在るそうです(△1のp325「訳者あとがき」)。

 ■ヴィヴァルディの音楽史的意義
 最後に古典派やロマン派偏重の音楽観や音楽教育の所為(前述)で、私はヴィヴァルディという作曲家が過小評価されて居ると常々感じて居ますので、最後に彼の音楽史的意義を記して置きましょう。
 ヴィヴァルディは『合奏協奏曲集「調和の霊感」 作品3』(1711年出版)でコレルリらのコンチェルト・グロッソ(=合奏協奏曲、※11)を完成させ、今回採り上げた『ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」 作品8』(1725年出版)でトレルリやアルビノーニが試みたソロ・コンチェルト(=独奏協奏曲:今日言う所謂「協奏曲」)の形式と奏法を発展させて古典派協奏曲の形式を準備したこと、彼の7年後に生まれたバロック音楽の大成者のJ.S.バッハ(※12)に多大な影響を与えたこと(※12-1)など、協奏曲、特に独奏協奏曲に於いて音楽史上重要な作曲家です(△3、△4)。
 中でもヴァイオリンの独奏協奏曲を220曲も作曲して居ますが、彼が生きた時代はヴァイオリンの最後の発展期・完成期に当たり、ヴァイオリンの最高傑作の誉れ高いストラディヴァリウス(※13)の名品が1725年頃を頂点として居るのと時代的に同期して居る、ということを強調して置きましょう。既に指摘した様に古典派以降ではヴァイオリン協奏曲の数は極端に減少して行きます。

 ■結び - ”豊かな聴き方”を身に着ける好材料
 クラシック音楽は、当会の基本理念に謳って在る様に、何と言っても「全体の構成と構造」を理解し「全体を聴く」という態度が基本です。”貧弱な聴き方”を脱して”豊かな聴き方”を身に着けるには、この『四季』などがその手始めに恰好の材料ですので是非お試し下さい。

-- 完 --

【脚注】
※1:ヴィヴァルディ/ビバルディ(Antonio Vivaldi)は、イタリアのバロック期の作曲家(1678.3.4~1741.7.28)。協奏曲、特に独奏協奏曲の形式を大成、J.S.バッハに多くの影響を与えた。代表作の合奏協奏曲集「調和の霊感」ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」(「四季」を含む)の他、多くの歌劇や教会音楽を残す。

※2:バロック音楽(―おんがく、baroque music)とは、バロック期の音楽の総称。通奏低音の上に、異質的・対比的効果を生かした楽曲様式が特徴。モンテヴェルディコレルリヴィヴァルディテレマンヘンデルバッハらが代表的作曲家。主なジャンルはオペラ/オラトリオ/協奏曲/ソナタ/組曲など。
※2-1:バロック(baroque[仏])とは、(barroco[葡](「歪(ゆが)んだ真珠」の意味)に由来)初めはフランスで非古典的な建築や装飾に対する蔑みの意で用いられた。
 17世紀初頭~18世紀中葉、全ヨーロッパを風靡した芸術(建築・彫刻・音楽など)上及び文学上の様式。文芸復興期の古典主義に対して有機的な流動感が強く、マニエリスムに対しては現実感が強く、ロココに対しては雄大荘重。

※3:ソネット(sonnet)は、14行から成る近世ヨーロッパ文学の小押韻詩形。イタリアに起り、ペトラルカを始めロンサールやシェークスピアらが駆使した。十四行詩。近代詩では一般に4/4/3/3行の4節から成る。

※4:絶対音楽(ぜったいおんがく、absolute music[英], Absolutmusik[独])とは、文学的内容・絵画的描写など音楽外の観念や表象と直接結び付いた標題音楽に対し、純粋に音の構築物として作曲された音楽で、例えばバッハのフーガや古典派音楽の交響曲その他ソナタ作品など。19世紀に提示された概念。今日では絶対音楽・標題音楽の2分法は余り用いられない。純粋音楽。絶対楽。←→標題音楽。
※4-1:標題音楽(ひょうだいおんがく、program music[英], Programmusik[独])とは、文学的内容・絵画的描写など、音楽外の観念や表象と直接結び付いた音楽。中世から在るが、特にベートーヴェン「田園交響曲」、ベルリオーズ「幻想交響曲」、リスト「ファウスト交響曲」、スメタナ「わが祖国」など19世紀のロマン派音楽で隆盛。←→絶対音楽。

※5:リオム番号(Ryom-Verzeichnis[独])とは、ヴィヴァルディの作品目録番号。1970年代にデンマークの音楽学者ペーター・リオム(Peter Ryom)が出版した最も大規模で正確な作品目録に依拠した分類番号で、略号はRV
 補足すると、ヴィヴァルディ自身に依って作品番号が振られた作品は生前に発表された曲の内の14曲のみです。目録番号は従来はイタリア・ヴィヴァルディ協会の創設者A.ファンナが1940年代の初期に発表した「器楽作品目録」のファンナ番号(略号F)やフランスの音楽学者マルク・パンシェルルが1948年に提唱したパンシェルル番号(略号P)が併用されて居ましたが、1970年代後半からリオム番号(略号RV)に統一された感が有ります。但し、古い資料やレコードの解説では旧来の目録番号が出現します。

※6:リトルネルロ形式(Ritrnello[伊] formality)は、元々はオペラで始まった楽曲構成法で、同じ楽想を反復する総奏と、自由な楽想の独奏が交互に現れる形式のことで、反復される総奏部をリトルネルロ(Ritrnello[伊])と呼びます。

※7:地中海性気候(ちちゅうかいせいきこう、Mediterranean climate)は、温帯気候の中で、降水が冬に多く夏に少ない比較的高温な気候。地中海周辺がその典型で、アメリカ合衆国カリフォルニア州、オーストラリア西部、アフリカ南西部などにもみられる。地中海式気候。温帯冬雨気候。温帯夏乾燥気候。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※8:サン・マルコ大聖堂(Basilica di San Marco)は、北イタリアのヴェネツィアに在る聖マルコ(San Marco)の遺体を納めた大聖堂。830年頃に造られ、11世紀に再建。ビザンティン様式の典型。サン・マルコ寺院。
※8-1:ビザンティン様式(Byzantine Style)とは、古代ローマ及びヘレニズムの様式に、古代アジア及びササン朝ペルシャの影響が加わった美術様式。

※9:『オラトリオ「勝利のユディト」』は、正式タイトルは『オラトリオ「蛮族の王ホロフェルネスに勝利して凱旋するユディト」』で、ピエタの女生徒用に全パート女声で歌われます。
※9-1:オラトリオ(oratorio[伊])とは、(祈祷所の意)宗教的音楽劇。聖譚曲。通常聖書に取材し、語り手が進行役を務め、独唱・合唱・管弦楽などで演奏される。歌劇と異なり舞台装置・衣装・演技は伴わず、原則として演奏会形式で上演される。17世紀にオペラと共に発展し、ヘンデルが大成。ヘンデルの「メサイア」/ハイドンの「天地創造」/メンデルスゾーンの「エリア」が有名。

※10:オーストリア継承戦争(―けいしょうせんそう、War of Austrian Succession)とは、1740~48年、オーストリアのマリア・テレジアがハプスブルク家の全領土を継承したことから起った戦争。プロイセン/フランス/イギリス/バイエルン/スペイン等が参戦、紆余曲折の後、アーヘン条約で終結、オーストリアはシュレジエンをプロイセンに割譲。

※11:コンチェルト・グロッソ/合奏協奏曲(がっそうきょうそうきょく、concerto grosso[伊])とは、バロック時代の協奏曲形式の一。複数の独奏者から成る小合奏群と弦楽を中心とした大合奏群とが呼応し乍ら対比の効果をあげるもの。コレルリ/ヴィヴァルディなどの作品が有名

※12:J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach)は、ドイツの作曲家(1685.3.21~1750.7.28)。ワイマール/ケーテン/ライプチヒなどで教会のオルガン奏者、宮廷楽長、音楽監督などに任じ、受難曲・ミサ曲などの宗教音楽、種々のカンタータ、ソナタ・協奏曲・組曲などの器楽曲を多作し、対位法的作曲技術を以て多声様式を継承、バロック音楽を集大成した。息子のエマヌエル(1714~1788)、クリスティアン(1735~1782)を始め、一族に音楽家が多い。作「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」「ブランデンブルク協奏曲」「管弦楽組曲」「フーガの技法」「平均律クラヴィーア曲集」など。大バッハ
※12-1:J.S.バッハは一度もドイツ国外に出たことは無いですが、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲(作品3「調和の霊感」~作品7)を幾つも写譜したり自作の鍵盤曲に編曲して新鮮なイタリア様式を吸収して居ます。

※13:ストラディヴァリウス(Stradivarius)は、17~18世紀に、イタリアのクレモナのヴァイオリン製作者ストラディヴァリ(1644~1737)とその一族が製作したヴァイオリンの称。名器として珍重。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『ヴィヴァルディ』(マルク・パンシェルル著、早川正昭・桂誠共訳、音楽之友社)。

△2:CD『ヴィヴァルディ「オペラ序曲集」』(クラウディオ・シモーネ指揮、イ・ソリスティ・ヴェネティ、エラート盤)の佐藤章氏の解説。

△3:『立体クラシック音楽』(吉崎道夫著、朝日出版社)。

△4:『新訂 大音楽家の肖像と生涯』(音楽之友社編・発行)。

●関連リンク
「全体を聴く」ことは当会の基本理念▼
「ブラボー、クラシック音楽!」発足の経緯
(Details of our CLASSIC event start-up)

古典派以後の協奏曲形式の典型とヴァイオリン協奏曲の減少について▼
モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第3番」(Violin Concerto No.3, Mozart)
ヴィヴァルディ以上に劇音楽の功績が無視されて居る作曲家▼
ヘンデル「組曲「水上の音楽」」(Suite 'Water Music', Händel)
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!-活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


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