★ インドの神秘

 日本のような極東から見た場合、いわゆるファンタジー世界というのは中世ヨーロッパや西洋のおとぎ話、伝承、神話などがイメージの源泉と言える。これはトールキンやD&D、あるいはアーサー王伝説にギリシャ神話など、幾重にも伝播したファンタジー文化によるものだ。
 ではその源泉たるヨーロッパの視点ではどうだろうとみてみると、こと神秘思想に関してはエジプトや中東などに求めている節がある。エジプトの「三倍偉大な」ヘルメスやゾロアスターの名は魔術書の権威付けに度々使われた。錬金術なんかだとギリシャの知恵がアラビアに伝わり、あちらで発展した化学を逆輸入して花開いたという流れもある。教会が支配したヨーロッパにおいて、こういった知識は一度遮断されている。なればこそ、ルネサンスのようにギリシャ・ローマ時代の文化復興の動きがおきたのではないか。

 特に魔術においては、インドに権威を求める動きがあったように感じる。現代人智学のヘレナ・P・ブラヴァツキーに関して、自分は現代に続く流れを作った魔術師の一人であると考えているが、彼女が注目していたのはインドだった。実際に東方の秘術を謳い、かの地の思想を多く取り入れていたわけで、現代ヨーロッパでは魔術のイメージがインドに関連付けられている面は少なからずあるだろう。

 では『ソーサリー!』の著者ジャクソンにおいてはどうか。先ずは『バルサスの要塞』を見てみよう。『ソーサリー!』と同じく、魔法にこだわった作品だ。すぐに思い当たるのはガンジーとカラコルムだろう。どちらもオリジナルモンスターと思われ、原典となる伝承や神話は見当たらない。そしてその名はインドの指導者であったマハトマ・ガンディーと、悠然たるカラコルム山脈を連想させる……。しかしこれは英語表記をあたってみるとイマイチであった。マハトマ・ガンディーは Gandhi であるのに対し、あの恐るべきガンジーは Gangee だ。カラコルムのほうも双頭のトカゲ男は Calacorm で、山脈のほうは Karakoram と一致していない。残念。

 しかし『ソーサリー!』の舞台、カーカバードのモデルの一部がネパールのポカラ地方にあるということは見逃せない。ヨーロッパから見ればネパールもインド圏だろう。やはり彼らから見て遠く東のインドは魔術と神秘の異郷なのかもしれない。そういえば蛇使いのマナタがやっている笛の音で蛇を操るというのも、インドでよくみられる大道芸であった。マナタがブーツ大好きなのも、もしかしたら蛇を入れておく入れ物としてなのかもしれない。

(6/5/22)

★ ギリシャ・ローマ

『ソーサリー!』においてアブラハムの宗教を彷彿とさせるワードを未開なものとして当てているのではないかという話を以前したことがあったが……ふと、同じように文化として歴史上重要な位置を占めるギリシャやローマはどのような扱いを受けているか気になった。
 ギリシャ神話やそこにモチーフを持つ映画『アルゴ探検隊の大冒険』からのネタは第二巻に多く見られる。他にも「旅の宿」で殺されかける展開なんかは、プロクルステスの寝台を彷彿させると言ったらこじつけになるだろうか。

 元ネタはともかく、今回探してみたいのは「ギリシャ・ローマからの連想が、野蛮な文化を表している」ようなケースがあるかどうかということだ。先のアブラハムの宗教ネタ(トリスタン、クリスタタンティ)のような使用例があればいいのだが。
 パラパラと四部作をめくってみると、「サイレン」というワードが見つかった。これはいわゆるセイレーンの英語読みだ。美しい歌声で船乗りを誘い、難破させる海の魔物。こいつがマンパン砦の中庭にいる例の赤目の質問「スラングの聖人の名前は何か?」の選択肢の中にトリスタンとともに並んでいるわけだが……しかし原文をあたってみると Salen となっていて、サイレン/セイレーン/Siren ではなかった。実はこれは件の聖人が足を治療したという少年の兄弟の名前で、創元訳では「サランノ」(ただし、こちらでは治療を受けた本人になっている)、創土訳では「サレン」と訳されていた人物。第四巻においては双方誤訳だったというわけだ。まあこれは気づきにくいよなと思う。(原文における、Sirenのスペルミスだと判断されたというのが濃厚な気がする……)

 というわけで、そのものズバリな名前はなかった。ではギリシャ風、あるいはローマ風の人名はどうだろう。アリアンナからファレン・ワイドまでカーカバード紳士録をあたってみると、プロセウスなんかはそれっぽいなと思い当たった。Proseus という綴りも、Prometheus(プロメテウス)や Theseus(テセウス)なんかと似ている。これはギリシャ人名といってもいいのではないか!? で……そのプロセウスが誰かというと、これがトレパニの酋長、半オークたるスヴィンである。やっぱり文化度の反転がここでも見られる。ここまでくるともうワザとやってるに違いない。

(6/5/22)

★ お願いリブラ様

 毒蛇に咬まれた場合、どうするのがベストか。最善と思われるのは解毒薬を飲むことだ。この薬は北カレーの市場ないし、セスターキャラバンで購入することができる。では解毒の薬が必要な状況とは?
 第三巻、バク地方で出会う蛇使いマナタ。彼の操る蛇どもに咬まれると猛毒に侵されることになる。その毒の効果はこうだ……今日が終わるまでに解毒を行えないのなら、命は失われる。
 毒の効果の説明がなされると同時に、解毒薬の手持ちがあれば飲むことで命は助かるが、そうでないなら今日中に見つけないかぎり死ぬと示される。ところがこの後は特に分かれ道もなく、ただ火狐との戦闘があるだけであっというまに日は暮れてしまう。この「猶予」は一体何のためにあるのだろうか。いたずらに希望を与え、ありもしない解毒薬の入手を夢見させるだけにあるのだとしたら、この簡潔極まりない午後の行程はおかしい。先に述べた通り、薬を求めて試行錯誤させようという造りになっていないのだ。ここにはきっと別の解決方法が隠されていると思いたくなるではないか?

 救済の手は一つしかない――女神への祈りだ。巻ごとに一回しか得られないリブラの加護。これこそが恐るべき猛毒から逃れる手段ではないだろうか。だがここに問題が一つある。ルールの頁をめくってみよう。リブラの加護についてはこう書かれている……「助けは三つの形のうちどれかをとる」と。その三つとは、復活、脱出、厄払いとなっていて、それぞれステータス値の回復、危機に際して提示される選択肢、そして呪いや病気の解除となっている。今回の状況に該当しそうなのは三つ目の厄払いだろう。体力を回復したところで、日暮れとともに死は訪れる。助けを求める選択肢は文中に存在しない。
 しかしながらルールを見るに、呪いや病気については書かれていても、毒については何も書かれていないのだ。アリアンナの呪いや、黄死病、肺炎などは消し去ってもらえるのは確実だ。だが毒蛇に咬まれた影響はいかに? 英語原文を見てもはっきりと「Curses and Diseases」と言い切られている。毒はダメのように思われる。

 厳しく読めば以上のように、リブラ様は解毒の業を披露してくださることはない。何も打つ手なしの哀れなアナランダーを尻目に、陽は無残にも落ちる。しかしそれではあの「猶予」は何だったのだろうか。毒を受けた時点で即ゲームオーバーにならない以上、そこには何かしらのゲーム的な仕掛けがあるはずだ。あってほしい。
 どうかリブラ様、貴女への祈りを以下のように変えてください――「厄払い」は複数パラグラフに渡って継続する悪影響を消し去ることができる、と。

(6/12/22)

メニューへ戻る

次へ進む

前へ戻る