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  かぽりんこの成長記録  

         赤ちゃんの頃

          私は、予定日の1日後に3,300gで産まれました。
          母は妊娠中毒症で1週間前から入院していたらしいですが、
          産後は母子共に異常は無く、発育良好で手のかからない赤ちゃんだったようです。
          私が小さい頃は、同居していた祖父母もまだ働いていたため、
          母は一人で家事を任され気兼ねもあって、育児にあまり
          手をかけられなかったと言っていました。
          授乳は、枕に哺乳瓶を乗せ一人で飲んでいたそうです。

          ハイハイするようになると、忙しい時にはオモチャをばらまいた部屋に
                            閉じ込めていたそうですが、一人で大人しく遊んでいたらしいです。
                            良く笑い、赤ちゃん芸もあり、普通の可愛い赤ちゃんだったそうです。

                         幼児期

                            言葉も歩き始めるのも普通で、特に遅れを感じだ事は無いそうです。
                            2歳の時、自家中毒になりました。
                            ゲコゲコ吐きまくるので病院に連れて行くと、お医者さんに
「                            お母さん、妊娠されていませんか?」
                            と言われ、初めて妊娠に気付いたそうです。

                            3歳の時に妹が生まれ、それまで良い子だったのに意地が悪くなり、
                            妹や年下の従兄弟をよくいじめていたそうです。
                            この頃は、人形を裸にして輪ゴムで縛り、吊るすなどして
                            サディスト的な遊びをしていたそうです。
                            近所に子供がいなかったので、いつも従兄弟達と遊んでいました。

                            この頃私は『感情や身体感覚のある本物の人間は自分一人で、他の人達は
                            神様に操られているロボット』だと思っていました。神様は、唯一の人間である
                            私が、ロボット達の働きかけによってどのように行動するのか、天空から観察しているのだ、
                            と思っていました。

                         幼稚園時代

                            幼稚園は3年保育でした。入園してから最初の一学期はいつも泣いていたそうです。
                            母が先生に相談すると、「お母さんの送り迎えをやめて、友達と登園させるように」
                            と言われたらしく、母に連れられて少し離れた家の子達と登園するようになりました。
                            そのうちその子達と仲良くなり、幼稚園でも泣かなくなったそうです。

                            「皆が口を見るからお弁当が食べられない」と言って毎日ほとんど弁当は
                            食べていなかったそうです。

                            年長の時、同級生の男の子二人に園舎の裏に呼び出され、「お尻見せろ!」と言われて
                            恥ずかしいとも思わずに見せていました。期間はハッキリと覚えていませんが、数日間くらい
                            毎日言われるままに見せていました。その間「これからは俺達と遊ぶんだぞ」と言われて
                            つまらないと思いながらも一緒に遊んでいました。

                            この頃からお絵かきが好きになり、お話も自分で考えて良く絵本を作っていました。
                            母が取ってくれていたものが今も数冊残っています。

                         小学校時代

                            幼児期から、その時その時で親しい友達は常にいたし、いじめにあった事は一度もありません。

                            絵や文章を書くのが好きで、得意な方だったので、校内のコンクールでよく
                            賞状をもらいました。(校外では振るいませんでしたので、その程度です・・・)

                            母から見た私は、小学校の三年生くらいまではとても良い子だったらしいです。
                            先生から何か注意を受けた事も無く、困った事は全く無かったそうです。
                            約束をきちんと守り、行儀が良くて、よその家に行くとよく褒められました。
                            通知表に書いてある、担任の先生の言葉は『よく分かるように話せる』
                            『学習態度はまじめで理解力も優れている』『穏やかな性格で誰からも好かれる』
                            と、アスペとは思えないようなコメントが多いようです。
                            親や先生の評価はなかなかの小学校下学年ですが、自分では忘れ物が多かった気がします。
                            (母は「そんな事はない」と言っていますが・・・)
                            先生の話をよく聞き漏らし、友達にしょっちゅう助けてもらっていたような気がします。

                            高学年になると、コミュニケーション面でどうしたら良いか分からなくなる事があったり、
                            信じられないような言動がありました。
                            友達の好きな男子の名前を、クラスの男子に聞かれて何のためらいも無く教えてしまったり、
                            男子にからかわれて泣いている一番仲良しの子のそばを慰めもせず素通りしてしまったり・・・

                         中学・高校校時代

                            中学になると、自分の感情や考えが正しいのか自信が無くなり、思っていることを
                            友達に言えなくなりました。
                            人がどう思っているのかも分からなくなりました。
                            例えば、友達が「ちょっと聞いて!」と興奮気味に話し始めたら、話の流れは理解出来ているのに
                            彼女が嬉しくて興奮しているのか怒っているのか分からず、反応に困っていました。
                            「ムカツクと思わない?」と言われて初めて「それは腹立つよね」などと返事をしていました。

                            中学・高校は仲良しのグループに所属していて、時にはケンカもしましたが
                            大きなトラブルも無く、結構楽しく過ごしていました。
                            ただ、自分の中では話し下手なところや人見知りするところなど、自分の性格を悩んでいました。

                         専門学校時代

                            全く友達のいない歯科衛生士専門学校に入り、初めて自分が自分から友達を作れない事に
                            気が付きました。それまでずっと地元だったので、友達の友達が新しい友達になり、
                            わざわざ友達を作った事がなかったからです。
                            私を気に掛けてくれた人がグループに入れてくれましたが、いつも孤独を感じていました。
                            「私は何で友達を作れないんだろう?」「私ってなんて根暗なんだろう・・・」と
                            ますます自分が嫌いになっていきました。

                            この頃、初めてアルバイトを経験しましたが(ガソリンスタンド)仕事が遅く、
                            気が利かないためか他のスタッフから嫌われていたらしいのですが、
                            あからさまに態度で示す人はいなかったので、自分が嫌われている事に全く気付きませんでした。
                            (ここで夫のジャンプ原田と出会ったのですが、彼も散々私の悪口を言っていたらしいです!)

                         就職してから

                            歯科衛生士の資格を取り専門学校を卒業後、歯科医院に就職しましたが
                            医師と上手く行かず一年で退職しました。
                            一つ一つの作業は理解しているのに、『この治療の時は、この道具を用意してこういう手順で』
                            というような全体の流れが飲み込めず、雑用ばかりしていたので医師と険悪になりました。
                            その後、別の歯科医院に再就職しました。今度は医師に逐一叱られていたお陰で
                            治療の流れは理解できるようになりましたが、他のスタッフと上手く行かなくなり、
                            一年で退職しました。(原因は分かりません。)

                            次に、一般事務の仕事を結婚退職まで約二年続けました。
                            とても可愛がってもらい、居心地の良い職場でしたが、陰では「仕事が遅い」
                            「給料泥棒」などと言われていたらしいです。
                            与えられた仕事しかしていなかったし、馬鹿馬鹿しいミスも多かった気がします。

                         結婚してから

                            学生時代から付き合っていたジャンプ原田は、埼玉県に就職していたため
                            結婚して私も当然埼玉県T市に引っ越す事になりました。
                            憧れの結婚生活でしたが、現実は厳しいものでした。
                            友達も親戚もいない、全く知らない土地。夫の帰りは遅く、毎日一人ぼっちでした。
                            同じアパートの二人の中年主婦に、挨拶をしても無視をされ(理由は分かりません。)
                            ついに引きこもり状態になってしまいました。
                            窓から覗かれている気がしてカーテンは閉めっぱなし、木造アパートで音が筒抜けなので、
                            何時頃に掃除機をかけたら良いのか分からず何週間もかけられなかったり、
                            近所の人に会うのが嫌で閉店間際の夜8時前にスーパーに買い物に行きました。

                            環境を変えようと、二年間住んでいたアパートを引越し、やっと元に戻るきっかけになりました。
                            それからすぐにスーパーでレジのパートも始めました。
                            ここで埼玉に来て初めて友達が出来、明るさを取り戻す事が出来ました。
                            パート先では、皆仲が良く、嫌われる事も無く(レジは一人仕事なので向いていたのかも)
                            楽しく働く事が出来ました。
                            そのうち妊娠し、ぽよすけを授かりました。

                         ぽよすけが生まれてから

                            ぽよすけがお腹にいる時から、公園デビューやママ友達を作る事を考えると胃が痛くなりました。
                            今までは、新しい人間関係を作る事を避けてきましたが、「子供のために、私が頑張らなくては」
                            という使命感とプレッシャーを感じていました。

                            幸い母親学級で一人のお母さんと親しくなり、産後も予防接種や健診に一緒に行っていました。
                            ところが、ぽよすけが1歳になる前にお互い夫の転勤が決まり、別れ別れになってしまいました。
                            我が家は兵庫県に引越し、数少ない埼玉の友達と別れ、また一人になってしまいました。

                            この時に入居したアパートは同世代の家族がほとんどで、子供の年齢も大体同じくらいでした。
                            大抵夕方になるとアパートの駐車場で井戸端会議が始まり、タイミングが合えば私も
                            輪に入ることが出来ましたが、そうでない時は入るきっかけがつかめず、素通りしていました。
                            きっと他のお母さん達は「あの人は、私達と仲良くしたいのか、したくないのか、どっちなの?」
                            と思われていたのではないかと思います。
                            この時は一年で埼玉に戻れると言う話だったので、「もうここでは友達は作らない!」と
                            開き直って、毎日ぽよすけと二人で過ごしていました。
                            ごみごみした埼玉と違い、緑が多くのんびりした所で、ちょっと実家の辺りに似た環境が
                            せめてもの救いだったように思います。
                            ここでは引きこもらずに、毎日ぽよすけと出掛けていました。

                         ぽよすけが手に負えなくなった頃

                            本当に一年で戻る事になり、埼玉県S市に引っ越しました。
                            アパートの2階に入りましたが、ここには2ヶ月しか住めませんでした。
                            この頃のぽよすけは家の中でも走り回り、足を踏み鳴らし、奇声を上げていたため、
                            階下の住人から一日に何回も壁を叩かれていたからです。
                            その方に挨拶しても無視をされるようになり、家に居られなくなったため
                            朝から夕方までぽよすけを連れて外に出ていました。
                            外では多動になってきたぽよすけに振り回され、家では外以上に気を使い、
                            すぐに精神的に追い詰められてしまいました。
                            はしゃいで騒ぐぽよすけに手を上げ、親子で泣いていました。
                            階下の方には夫も無視をされ、夫も気を使っていたようで、また引っ越すことにしました。

                            今度はK市で借家を見付けました。
                            ここでは苦情も無く、穏やかな生活が戻ってきました。
                            以前パート先で仲良くなった友達は東京に引っ越してしまったのですが、
                            時々子連れで遊びに行ったりしていました。
                            普段は近所の公園に行っていましたが、ぽよすけが動き回るので他のお母さんと
                            なかなか話も出来ず、友達は出来ませんでした。
                            この頃は、普通の子と違うぽよすけに対するストレスと、友達が作れない自分にも
                            嫌気がさして、毎日暗く落ち込んでいました。

                         山口へ

                            一年経って、夫の仕事の都合により私の実家のある山口へ帰る事になりました。
                            また借家に入り、実家の隣町だったので精神的にとても楽になりました。
                            地元の友達にもいつでも会えるようになり、しばらくは遊んでばかりで楽しい毎日でした。

                            ところがすぐにぽよすけが3歳になり、健診に行って自閉症の可能性が出てきてから
                            また落ち込むようになり、毎晩泣いていました。
                            でも次の春には地元の幼稚園に通わせたいと思っていたため、友達作りのため
                            近所の公園に行くようになりました。
                            その公園のお母さん達は皆気さくで、私もすぐに輪に入ることが出来ましたが
                            やっぱり友達の域まではいきませんでした。

                            そのうちこども発達センターに通い始めました。
                            こちらでは皆共通の悩みを抱えているためか打ち解けやすく、やがて友達が出来ました。

                            春になり、地元の幼稚園に通うようになりました。
                            公園の顔見知りもいたため、孤独を感じる事はありませんでしたが、
                            幼稚園が終わってから一緒に遊ぶような友達は結局出来ませんでした。

                         診断

                            ぽよすけの自閉症について勉強するうちに、自分も自閉圏内の人間ではないかと
                            思うようになり、いつか検査を受けたいと思っていました。
                            H17年の春、思い切って金原先生に話を聞いて頂いたところ、アスペルガー症候群だろう
                            との事で、「軽いアスペか、バリバリのアスペかと言ったらバリバリに近いほうのアスペ」
                            と言うことでした。とてもホッとしました。
                            今まで人間関係が上手く行かなかった事や、話すのが苦手な事など、自分の嫌いな所の
                            ほとんどは、アスペのせいだったからだろうと分かったからです。
                            一応、臨床心理士の先生の意見も聞いてみましょう、と言う事になり、
                            山口大学教育学部助教授の木谷先生のカウンセリングの予約をしました。

                            木谷先生は私の事を『地球に移住した三世のアスペ星人』と表現されました。
                            初めて地球に降りて、「何だここはー!!」とパニックになっているアスペ星人ではなく、
                            ある程度地球の文化に慣れてきた三世のアスペ星人と言う感じらしいです。
                            私には自閉症の特徴である強いこだわりはありません。
                            ですが安定した環境の中にいると目立ったこだわりの無い『静かなアスペ』
                            と言うのも結構いるそうです。
                            今、特に困っている事も無いので、年一回のカウンセリングを受けるのみという事になりました。

                            困っている程ではないけれど、今でも話したり、人の話を理解するのは苦手です。
                            外食しながらのお喋りは気が散って理解力が低下しますし、
                            相手があまり慣れていない人だとますます分かりづらくなります。
                            ザワザワしている所では、すぐ隣の人の話でも半分くらいしか聞こえません。
                            突然話しかけられると、声は聞こえていても言葉の意味を聞き取れない事があります。
                            人の話の途中で上の空になることがあります。
                            相手の話を理解するのに時間がかかって、返答が遅れることが多いです。
                            話しているうちに、何が言いたかったのか分からなくなることが良くあります。

                            こういう風に書くと「人と付き合うのが苦痛なんじゃないの?」
                            と思われるかも知れませんが違います。気を許せる親しい友達とのお喋りはとても楽しいし、
                            ストレス解消になります。それに私は常に新しい友達が欲しいと思っています。
                            自閉症の人は一人が好きそうなイメージがあると思いますが、多くの自閉圏の人は
                            友達になりたいんだけど、きっかけが掴めず空回りしているんだと思います。
                            私やぽよすけがそうであるように。

                            ※ アスペと診断して下さった金原先生に、『私が自分でアスペ的だと思うところ』を
                              箇条書きにしたものを読んで頂いたのですが、その時に先生が『アスペ的だ』と
                              思われたものにチェックを入れて頂きました。
                              それが上記の赤字の部分です。