禁じられた火遊び 第9章 メイ、はちみつ色の秘密兵器

第9章 メイ、はちみつ色の秘密兵器


 決戦の日、フィンはアリオールと共にレイモン軍の本陣でその行く末を見届けようとしていた。

 場所はアキーラ近郊のコルヌー平原。天気は晴れ。絶好の合戦日和である。

《いいのか? これで……》

 居並ぶレイモン兵達を眺めながら、フィンは何度も何度もそう思い返していた。

 彼らの考えが間違っていたら一気に地獄まで急降下なのだが……

 それでも、もはややり残したことはないと言い切れる自信はあった。

 単に自暴自棄なのではない。彼らは可能な限りのことを全力で行ったうえで、この戦いに臨んでいるのだ。

 もしそれでダメだったのなら―――まさに天は彼らに味方しなかったということだ。

《誰もそれで文句を言う奴なんていないよな……》

 多分ここにいる全員がみんなそんな気分だろう。やるだけやったという清々しさ。そして何よりも、本来ならばあの呪いで芋虫のようにベッドに転がっていたはずが、今こうして立って敵に一矢でも報いてやれるのだ。

 彼らの前に展開するレイモン軍は約一万弱。

 しかしそのうち本来のレイモン兵は約三千程度。そのうち二千が騎馬兵なので、歩兵は一千程度しかいない。残り六千五百の歩兵はみんな志願兵で、ほとんど新兵同様だ。しかも年齢の行った者も多い。

 だがそんな彼らも皆、思うところは一緒だった。

《もう士気値だけなら史上最高だろうな……》

 それ故に戦いになったときに彼らが敵に背を向けるということは考えられなかった。文字通り、最後の一兵になろうとも敵に食らいついて行くに違いない。

《いや、そんな姿は見たくないんだが……》

 だが彼らの“作戦”が成功すれば、敵は総崩れになるだろう。

 なにしろ対峙するアロザール軍は総勢が五千ほど。確かに熟練した傭兵の軍団ではあるが、こちらの数の半分なのだ。

 そもそも常識的には、敵はアロザール全三軍のうちの一つ、この場合はメリスにいる第一軍を全部こちらに回さなければならない状況なのだ。

 しかしそうすればアイフィロス王国が黙っていないだろう。

 するとそれを防ぐには残りの第二軍や第三軍からかなりの兵をメリスに回さざるを得ないが、すると今度はシルヴェスト王国が黙ってそれを看過するはずがない。

 だがトルボ砦の守備隊三千五百が動くだけならば均衡はほとんど崩れないため、アイフィロスもシルヴェストも動けないのだ。

 だが常識ならそんな兵力でこちらに真っ正面から突っかかってくることなどあり得ない。

 戦いというのは何よりもまず数が物を言う。自分の二倍もいる敵に対して真っ直ぐに突っ込んでいくなど、まさに自殺行為だ。

 なのに彼らがそんな一見暴挙に出てきたのは、もちろん敵軍の中に混じって立っている、黒光りする巨大な昆虫のような異形の物体―――機甲馬があったからだ。

《確かにあれが想定通りの働きをしたら、これで十分だろうけどな……》

 フィンはセロの戦いで機甲馬の実力を実際にその目で見てきた。だからあれがまさに侮れない破壊力を秘めていることをよく知っていた。

 特に他に真似できない点は、混戦の中で敵味方を正確に識別して攻撃できる能力だ。

 魔法使いの魔法ではそうはいかない。狭い範囲なら敵だけを狙って攻撃はできるが、広範囲に及ぶ魔法だと敵味方区別なくダメージを与えてしまう。

《それに対する対策は打ってきたわけなんだが……》

 例の軍服作戦が成功すれば機甲馬のそんな攻撃を封じることができるはずなのだが……

 そして機甲馬は決して無敵ではなく、魔法でひっくり返してやれば動作不能になる。

《アラーニャ、すごいよなあ……》

 元々彼女は念動の魔法が得意だった。何しろ三本の羽を同時に操作するなど高等技術だし、足りなかったパワーも克服した。

 実際あれ以来ずっと特訓した結果、ファシアーナと共に飛びながら並んだ大岩を次々に放り上げてはひっくり返せるようになっていたのだ。

《そんな状況になれば……》

 あとはもうこちらの為すがままと言っていい。

《でもなあ……》

 ここでまた彼は心の片隅にある懸念事項を思い起こさざるを得なかった。

 そう。敵だってセロの戦いのことは知っているはずなのだ。その場に居合わせた者がこちらにいるということも。

 そこに彼らはまさに自信満々で機甲馬を投入してきたのだ。

《それって……どういうことだ?》

 それが油断や慢心のためだったなら良いのだが―――そうではなく、こちらの知らない理由があったとしたならば?

 すなわち自分たちが相手の弱点と思っているところが、実はそうではなくなっていたとしたら?

 そう思った瞬間、またフィンは胃がキリリと痛くなってくる。

 今、戦場は開戦前の張り詰めた空気が漂っている。

 そして敵軍の“中ほど”に機甲馬が六機、その禍々しい姿をさらしているのが見える。

《あれが……どう来るかなんだよな?》

 この戦いに備えてフィン達は可能な限りの検証を行ってきた。

 その結果、最初は軍服作戦さえうまく行けば問題なく勝てると思えたのだが、なかなかそうもいかないことが分かってきたのだ。

 まず、機甲馬の能力その物はまさに脅威である―――というか、魔導師たちがいなかったら既にお手上げなのだ。

 機甲馬のメインの攻撃である閃光兵器は一度に一人しか倒せないが、高速連射ができるので結局短時間に大量に敵を倒せる。しかもその際に敵味方を区別できるため混戦状態でも有効である。魔導師の魔法ではこうはいかない。

 ただ、その射程は長くて十数メートルといったところで、遠隔から狙撃はできない。

《今の距離じゃこちらには届かないはずだから、戦闘が始まれば前進してくるはずなんだが……》

 だが機甲馬は想像以上の高速で移動できた。ジグザグ走行なども自由で、不整地でも問題なく、少々の障害は乗りこえたり除去できる。

《バリケードとかを作っても無駄なんだよな……》

 それにそんな物があると味方の戦闘の邪魔にもなってしまう。

 そしてあの硬い外甲には普通の武器はまったく効果がない。

 セロでファイヤーボールをくらっても無傷であった―――ただしあのときはある程度広範囲にダメージを与えられるふわっとした火球だったから、一点集中高熱型の火球であれば何とかなるかもしれないが……

《でも相手は六機もいるわけだし……》

 そうなればファシアーナとニフレディルだけでは間に合わないだろう。

 衝撃魔法はかなり近づかないとダメージが与えられないし、電撃系は効くか効かないか全く分からない上、これも近づかないとかけられない。

 何よりそうやって直接攻撃する方法は魔法使いを最前線に送ることになって、彼女たちをロスするリスクが大きすぎる。

《だからその前にひっくり返すしかないんだよな……》

 そのための準備は怠っていないわけだが……

《でも、ちゃんと前に出てきてくれるんだよな?》

 この方法を使う場合、機甲馬が敵前面に一列に横並びするような状況が必要だ。

 そうなればその前面をファシアーナが高速に飛びながら、アラーニャがひっくり返していくことができる。

 そうなる公算は高かった―――なぜなら相手側の戦術としてはセロの戦いでやったように、まず機甲馬を突入させて相手を蹂躙し、十分なダメージを与えてからとどめを刺しに来るのが一番安全確実だからだ。

 そうなれば戦闘開始の瞬間には機甲馬が敵前面に並ぶ形になるはずだ。相手を威嚇するという意味でもそれが効果的だ。

《でも、止まらずに一気に突っ込んできたら……》

 だがこの場合ももし軍服作戦が有効だとしたら何とかなりそうだった。

 セロの戦いで機甲馬は、フィンに軽身の魔法をかけられて動きが不自由になると動きを止めた。これが予想外の事態に直面した際には停止するようになっているのだとすれば、いきなり目標が消失したような場合もとりあえず動きを止めるだろう。

《ともかくちょっとでも止まってくれれば……》

 十秒あればファシアーナなら一気にその前を飛び抜けることができる。そしてアラーニャも……

《あれは壮観だったよなあ……》

 特訓の最後の方になると、並んだ大岩の前を二人がびゅんと飛んでいくと、それがどどどどっと宙に吹っ飛んでいくような有様になっていたのだ。

《そうなればこちらのものなんだが……》

 ―――だが、ここにもう一つの可能性があった。

 というのは、機甲馬が突出せずに敵軍と一緒に進軍してきて、やや後方から戦闘を支援してくるという戦術だ。

 こうすると敵と接触した部分はある程度の被害を覚悟する必要がある。

 しかし機甲馬が敵歩兵に囲まれているという大きな違いがあった。

《やっぱ結構近づかないとまずいもんなあ……》

 アラーニャの場合あのような大物をひっくり返すためには、十数メートルくらいには近づく必要があった。するとこの場合、敵部隊の目と鼻の先を通って行かなければならないことになって―――それはいくらなんでも危険すぎる。

 ただ、軍服作戦の効果があって敵味方の判別ができず機甲馬が沈黙していれば、あとは単なる通常戦闘なので、それなら負ける気がしないが……

《でもあのとき、プリムスは設定変更をやったんだよな……》

 エルミーラ王女がセロに間に合ってプリムスの正体が暴かれた際に、彼は機甲馬に敵味方無差別に攻撃する指令を与えた上で、制御装置を壊してしまったのだ。

 そもそもアロザールの軍服とベラの軍服は異なっているのだから、まず最初に機甲馬にそのことを教えてやらねばならない。すなわち司令官はそれのやり方が分かっていると考えるべきだ。

『でもそれならば共倒れになるだけなのでは?』

 会議で誰かがそう言っていたが……

《必ずしもそうじゃないんだよな……》

 なぜなら司令官は機甲馬の移動先を指示する方法も知っているからだ。そもそもあのときプリムスはハビタルから機甲馬をセロまで呼び出したのだ。

《とすれば、敵の密度の高い方に突入させれば味方の被害は少ないわけで……》

 そして当然今回はいつでも無差別攻撃を止めさせられるのだ。

《この手で来られたら始末に悪いんだよな……》

 これを防ぐにはもう、そうなる前に敵味方大混戦の状況を作り出すしかない。ならばこちらの数も士気も勝っているから、一気に敵を押し込めるだろう。

 また同時にレイモンの誇る騎馬隊を両翼から突っ込ませて敵の本陣を狙っていけば、相手も動揺するに違いない。

《そうやって司令官を確保すれば何とかなるだろうけど……》

 しかしこれは一瞬先も分からない闇仕合ということだ。

 そしてここで誰もが口にしないさらなる可能性もあって……

《もし機甲馬に俺たちの知らない未知の機能があったなら……》

 例えば広範囲をまとめて攻撃できたり、実は空を飛べたりしたならば……

 フィンは首を振った。

《いや、もうそんなこと考えても仕方がないだろう?》

 そんな機能はセロで使用されなかった以上、存在しないのだ。そんなことを心配するのはまさに杞憂というものなのであって……

 フィンがそこまで考えたときだ。

 アロザール軍の間を白馬に乗った男が前進してくるのが見えた。立派な甲冑に羽の付いた兜をかぶっている。

《来たな?》

 それを見たアリオールも、こちらは漆黒の愛馬にまたがって陣の前面に出ていく。

 二人は各軍の前面に出るとじっとにらみ合った。

「レイモンのガルンバ・アリオール殿とお見受けいたす」

「いかにも」

「我はアロザールの第一軍、トルボ守備隊長、ディベールと申すものだ」

「その守備隊長殿がいかがなご用か?」

「我はアロザール王ザルテュス陛下の名の下に、貴公に進言する。直ちに武装を解いて陛下に帰順するようにと。さすれば決して悪いようには致さんと」

 アリオールはくっと笑った。

「帰順とな? 我々は自分たちの領土に侵入してきた敵を単に迎え撃っているだけ。それを謝る道理などどこにもござらんが?」

「アリオール殿。貴公らの勇気には陛下も感服しておられるのだ。せっかくこうして立って戦えるようになった兵達を、再び戦場に散らせるのはあまりにも心苦しいとおっしゃっておる。つまらぬ意地を張らずに降伏いたすのだ」

「あっははは! ザルテュス陛下のご厚意にはまさに痛み入るが……残念ながら答えは、否だ!」

 ディベールは予想通りという表情で答えた。

「うむ。ならば仕方がない。その結果がどうなろうと我らを恨むでないぞ?」

 そしてディベールは踵を返して戻っていくと―――さっと手を上げた。

 それを見た途端にアロザール兵がざああっと横に動いて道をあけると―――その間を機甲馬が前進してきたのだ。

 !!!

 機甲馬はそのまま前進して両軍の中間に進み出て、停止した。

《ってことは?》

 それからディベールは振り返ると再び手を上げて……

「行けーっ!」

 そう指示を下すと、機甲馬が進撃を開始したが―――同時にアリオールが叫ぶ。

「やれーっ!」

 途端にレイモン軍の中から大量の鳥が飛び立った―――かに見えたのは、全兵士が一斉に羽織っていた薄いマントを脱ぎ捨てて、上空に投げ捨てたためだ。

 それがひらひらと地に舞い落ちると……

「おおっ⁉」

 敵軍から思わず低いどよめきが上がる。

 なぜならそこから現れたレイモン兵達は、伝統の茶色い軍服ではなく、青色のアロザール軍の軍服を纏っていたからだ。

 それを見た瞬間―――機甲馬が困惑したようにその動きを止めたのだ。

《やたっ!》

 今度はレイモン軍の間からどよめきが上がるが―――と、そのときだ。


「ファラ様の素敵なーっ」


 透明なソプラノの声が戦場に響き渡ったのだ。

 思わず人々がその声の方を見やると、レイモン軍の左翼の方から何かが高速で飛んで来るのが見えた。

 それを見た敵兵は思わず息を呑む。

 なぜならそれは籐のカウチに寝そべったランジェリー姿のファシアーナと、その膝の上に諸肌脱ぎで横座りしているアラーニャだったからだ。

 男達の視線がまさにその胸に集中するが―――それを物ともせずに彼女は自分の乳房を両手で揉みしだくと……


「おっぱーい!」


 その叫びと共に一番左の機甲馬が宙に舞い上がり、空中で半回転すると……


     ガッシャーン!


 ―――凄まじい音とともに、背中から地面にめり込んだのだ。

 ………………

 その信じられぬ光景に人々が我が目を疑った次の瞬間、さらに二つ目が……


「おっぱいーっ!」

          ガッシャーン!


 そして三つ目が……


「おっぱいーっ!」

      ガッシャーン!


 ―――同様にひっくり返っていく。

「あ、あれを打ち落とせ-っ!」

 そこでやっと司令官がそう叫んだのだが、そのときには四つ目、五つ目、そして六つ目が……


「おっぱーいっ!」

        ガッシャーン!


 アロザールの弓兵が慌てて矢をつがえ終わったときには、カウチはレイモン軍の右翼を回り込んで悠々と飛び去って行くところだった。

 残されたのは―――無様に足をじたばたさせている逆さまの機甲馬だけで……

 ………………

 …………

 ……

 呆然とした静寂を破ってアリオールの声が響き渡る。


「さあ! 男たちよ! 奪われた誇りを取り戻すときが来た! 我らの真の力を奴らに、そしてあのお方にお見せするぞーっ!」


 ぬ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!


 人々の雄叫びで大気が振動し、踏みならす足音で地面が揺れる。

 そしてレイモン軍の兵士達は一斉に黄色いハンカチを取り出して首に巻くと、一挙に大地が動き出すがごとくに突撃を開始した。

 アロザール軍は完全な楽勝ムードで士気は緩みきっていた。そこに鬼気迫るレイモン軍が突撃してくるのを見て―――そのまま一太刀も交えることなく総崩れになった。

 ………………

 …………

 ……

《マジかよ……》

 その光景をフィンは呆然と見つめていた。

《まさかここまで完璧にハマるとは……》

 確かにこれは彼らの想定したベストケースだ。計画が上手くいけばこうなるということは、予想ができていた。

 だが、誰もが心の底では、絶対そんなことはない。そんなに上手くいくはずがない―――そう思っていたのだから……

 そう思って側にいたアリオールを見ると、彼もまた愕然とした表情だった。それからフィンの方を見て……

「ははは。いや、まさかな……」

「ですね……」

 ともかく何日も徹夜してまで頑張ってくれた縫製部隊の努力は、ここに完全に報われたのだ。

 と、そこでアリオールがはあっと息をつくと、大声で指示を出した。

「深追いはするなよ!」

「承知しております!」

 普通の戦いならばここで追撃して徹底的に叩くというのが常道だ。だが今回は……

《あれをどうにかしとかないとな……》

 アロザール軍が敗走していった後に、逆さまになってまだ足をばたつかせている六機の機甲馬がある。それを放置していくわけにはいかないわけで……

 と、そこに空飛ぶカウチが近づいてきた。

 もちろんその上には先ほどのようにファシアーナが寝そべっていて、アラーニャがその端に座っていた―――ただし、彼女はもう上着を着ていたが……

「ファシアーナ殿! アラーニャ殿! お見事でした!」

 あたりにいた人々が口々に彼女たちを褒め称える。

「あははー。やってみたら簡単だったねえ」

「はいっ」

 ファシアーナもアラーニャも上気している。

 それからふわっとカウチが着地すると、ファシアーナが立ち上がった。

「んじゃ、あれをどうにかしなきゃってわけだな?」

「はい」

 アリオールがうなずいた。

「でもその前にお着替えを」

「あはは。そうだな」

 彼女たちはまだランジェリー姿だ。そこで二人が着替えるのを待って一同は機甲馬の方に近づいていった。

「ほう……近くで見ると迫力があるな」

 黒光りする胴体から今では天に向かって太い足が伸びていて、それが間欠的に動いている。

 それを見たファシアーナが尋ねる。

「えっと、まずは燃やしてみるんだよな?」

 フィンはうなずいた。

「はい。あの中には何やら金属の装置が入っていて、燃やすことができたので……」

 以前セロで機甲馬を谷底に落としたとき、それで外甲が割れて中が見えたのだ。そこにはそんなよく分からない装置が色々と入っていたが、その部品の一部は火をつけたら燃えたのだ。

「じゃ、やってみるぞ」

 そういってファシアーナが念じ始めると―――いきなり機甲馬の動きが停止した。

「あん⁉」

 一同が顔を見合わせる。

「おいおい。まだ燃えてないと思うんだけど?」

 ファシアーナが不思議そうに言う。

「要するに芯の方は熱に弱いということか?」

「そのようですね」

 アリオールとフィンの会話を聞いて、ファシアーナがため息をつく。

「なんだよ。拍子抜けだな。もっと丈夫かと思ってたんだが」

「でも、壊せないくらい丈夫だったらすごく困りませんか」

 アラーニャの言葉にファシアーナは笑う。

「あはは。ま、そうだな。じゃ、ちゃっちゃと残りもやっちまうか?」

「はい。お願いします」

 こうしてコルヌー平原に投入された機甲馬はすべて活動を停止し、戦勝記念のモニュメントとして長らくその場に佇むこととなった。

 まさにこれ以上ない完全勝利だった。



 その頃、メイとニフレディル、そしてサフィーナは、トゥバ村の側面に位置する小山の上でのんびりとしていた。

 この村はアロザール軍の前線基地で、昨夜はここを拠点に集結して今日の合戦に進軍していったのだ。

「え? そう? 見事に? 分かったわ」

 ニフレディルが小声でファシアーナと心話しているのが聞こえる。

《あ! どうやらあっちはうまくいった?》

 メイが見ているとニフレディルが振り返ってにっこり笑う。

「あちらは大勝利のようですね」

「あは。よかったですねえ!」

「ん」

 サフィーナも満面の笑みだ。

「もうしばらくしたら逃げ帰ってくるでしょうって」

「あ、そうですかー。でも、そのまま逃げていっちゃったりしませんか?」

「さあ、どうでしょうね。でもそうなったら収拾がつかなくなるから、あのディベールという司令官がまともなら、とりあえずはここで踏みとどまろうとするだろうって言ってましたよね?」

「ああ、確かにそうなんですけど……」

 その話はメイも会議で聞いていたのだが……

「でも、もう機甲馬はないんでしょ?」

「ええ。シアナがみんな壊してしまったみたいだけど……」

「へえぇ……でもそうなったらアロザール軍って数も少ないし、やっぱり怖いから逃げちゃったりしませんかねえ?」

「さあ……私は軍人ではありませんから。でもそうなるとあれが無駄になってしまったということで」

 そう言ってニフレディルはトゥバ村の中心付近を指さした。

「あはは」

 そこには荷車が一台放置されていて、荷台に大きな酒樽が六個積んであるのが遠目に見えた。

「でもそれだったら回収してみんなに振る舞って上げればいいんじゃないですか?」

「ま、そうだけど……重かったわよね?」

「あー。でも今度はみんな手伝ってくれると思いますし」

「まあ、そうね」

 ニフレディルはにっこりと笑う。

「それじゃ、帰ってくる前にお弁当にしましょうか?」

 途端にサフィーナが笑顔になる。

「ん。それがいい」

 そこでメイは持ってきたバスケットを広げて昼食の準備を始めた。

「あは。またゼーレさん特製のサーロインステーキサンドイッチですね

「まあ……これが?」

「おおっ。あのとき以来だ!」

 あのときとはもちろんアキーラ解放作戦が実行された夜のことだ。そのときちょっとばかりピンチになっていたメイを彼女が助けに来てくれたのだ。

「まあ、いい香りね……あら、美味しい!」

 ニフレディルも満面の笑みだ。

「もう、あれから散々シアナに自慢されたんだから……」

「あ、リディール様、あのときは本当にお疲れ様でした」

 そのとき彼女はアキーラ上空を飛び回りながら、各地の戦況を偵察して回っていたのだ。なのに突入組は王の間でこの素敵なサンドイッチをぱくついていたわけで―――話を聞いた他の部隊からもたいへん羨ましがられていたのだ。

《でも、本当に一番危険な任務だったんだし……》

 メイが囚われたというのはたまたま偶然で、本来なら城の中で激戦が行われるはずだったのだ。

「ん! おいしーっ!」

 その中で一番得したのはサフィーナだったかもしれないが―――素敵な昼食が終わった後、メイは持参してきた望遠鏡であたりを眺めてみた。

 この付近はゆったりとした丘陵地帯で、彼女たちのいる小山からは木立の間から四方の景色がよく見える。

 向かい側の丘の上にはトゥバ村の木造の家屋が建ち並んでいて、丘の斜面は一面の畑になっていたが、今はアロザール兵の天幕がたくさん張ってあり、地面は踏み荒らされていて無残な状態になっている。

 村の左前方に延びていく谷間の先が今回の決戦地、コルヌー平原だが、ここからは遠くてその様子は見えない。だからこんなのどかな景色だけを見ていると、本当にピクニックにやって来たのと勘違いしそうだ。

《あー、でもこれが秘密作戦なんだからねっ!》

 彼女たちだって遊びに来ているのではないのだ。場合によったら命がけになる可能性だってあるわけで……

《でもまあ、ニフレディル様もいるし……》

 彼女が一緒ならそうそうおかしなことにはならないだろうし―――大船に乗った気持ちでいればいい。

 それにこの作戦はそのニフレディルのたっての希望で実行されることになったのだ。

《あはっ。まさにダメ元だったんだけど……》

 それはアラーニャが大レベルアップをした翌日のことだ。メイがまた会議の帰りにあの東屋の前を通りがかると、ニフレディルが一人でぽつんと座っていた。


 ―――メイは軽い気持ちで声をかけた。

「あ、こんにちは。今日もいい天気ですねえ」

「そうね……」

 だが彼女は何だか浮かない顔だ。

《あれ? どうしちゃったんだろう?》

 ニフレディルは常に超然としていて、自身の感情をあまり表に出さない人だ―――と言いつつ、ファシアーナにガミガミ怒っている姿は良く目にするが、パミーナなどに話を聞くと都ではそんな姿も見たことがなかったと言うが……

 それはともかく、このように落ち込んだ姿を見るのは初めてだった。

「あれ? どうしたんですか? 何だか元気がありませんねえ」

「ふっ。あなたはいつも元気ね」

 メイは慌てて手を振りながら……

「え? いや、そうですか? 私だって落ち込んだりすることはありますよ?」

 だが、それにはニフレディルは答えず、しばらく沈黙した後、ふっと尋ねた。

「そういえばメイ、秘密兵器って完成したのかしら?」

「えっ⁉ あは。いやまあ何ていいますか、昨日話したような奴しかまだ……あ、でもちょっと改良してみたんですが」

「改良?」

 ニフレディルが首をかしげる。

「はい。ほら昨日は水を爆発させたらって言ったじゃないですか」

「ええ」

「でもこの辺ってあんまり大きな川とかもないし、手桶の水ぐらいじゃ大したことにならないし……それでお酒を爆発させたらどうかなって思ったんですが……」

「お酒を?」

 メイはうなずいた。

「はい。ここのですね、フランマってお酒なんですけど……ほら、昨日シアナ様がガブガブ飲んでたの。あれって火をつけたら燃えるんですよ?」

「ま、そんなに強かったの?」

「はい。何でも六十度もあるとか。だから普通は割って飲むもんなんですが……あれって樽で何年も熟成させた上等な奴で、すごく口当たりがいいんですよ」

「まあ……ぐでんぐでんになってたわけだわ」

「で、それを爆発させてみたらどうかなーって」

 ニフレディルは首をかしげた。

「まあ……確かにただの水よりは破壊力があるかしら?」

「はい。ぼかん! っていったあと、燃えるお酒があたりに飛び散ったりして、ずっと大変なことになりそうですよね?」

「確かにそうね……」

 そこでニフレディルはしばし考えこむと、やにわに立ち上がった。

「じゃ、一緒に来て」

「え? どこへ?」

「試してみましょう」

 ニフレディルはいきなりメイの手を取ると、宙に飛び上がった。

「わ、わっ!」

 いきなりのことで驚いたが、彼女と空を飛ぶのは初めてではない。飛ぶというのは大変素晴らしい体験だ。上手な人と一緒ならばだが……

 ニフレディルはそのまま窓から天陽宮のファシアーナの部屋に飛び込んだ。

 部屋の中は……

「あはは。散らかってますねえ」

「もう……最近はアルマさんが片付けてくれてるんだけど……お酒はどこかしら。探してくれる?」

「あ、はい」

 二人はしばらく散らかった部屋の中を探したあげく、テーブルの下からフランマの酒瓶とグラスを発見した。

「まあ、こんなに飲んじゃって……ほとんど残ってないわ」

 彼女が酒瓶から蜂蜜色のフランマをグラスに注ぐと、三分の一くらいの量で尽きてしまった。

「しょうがないわね」

 それから彼女はグラスを手にしたまま、またメイの手を取って飛び出すと元の東屋に戻ってきた。

 彼女はそれを東屋のテーブルの上に置くと……

「うーん。一応離れていた方が良さそうね」

 そこで二人は東屋から十歩くらい離れる。

 それからニフレディルがじっとそれを見つめると……


 ボンッ!


「うわっ!」

 何やら青白い炎の球体が見えたかと思うと、そんな音がして空気が軽く振動した。

 ………………

「えっと……あれだけで結構すごくないですか?」

「そうね……」

 ニフレディルも驚いた表情だ。

 最初の予想ではいつかのお風呂のときみたいに、ぼかんと白煙が上がるものだとばかり思っていたのだが―――と、ニフレディルが言った。

「じゃ、これやってみる?」

「え? これって?」

「だからお酒を爆発させるのよ。酒樽だったらその辺にあっても不思議じゃないでしょ?」

「え? まあそうですけど……」

「厨房の方に協力してもらえば、そういうお酒も手に入るのでは?」

「あ、まあそうですけど……えっとそれじゃリディール様、やって頂けるんですか?」

「ええ」

 ニフレディルはうなずいた。

「だってあの子たちばっかりに危ないことはさせられないし……」

 そう言った彼女は何かはにかんだような表情だった―――


 こうしてコルヌー平原の決戦と平行して、メイとニフレディルの秘密作戦が行われていたのだ。サフィーナはその二人の護衛である。

 それから二人は大忙しだった。

 何しろ来たる決戦に備えて動ける男達はみんなそちらにかかりっきりだ。

 女達も裁縫のできる者達は軍服作りに駆り出されている。

 ファシアーナとアラーニャは特訓中だ。

 そのためこの作戦の準備はメイとニフレディル、そしてサフィーナと侍女のクリンの四人でほとんど全てをこなさなければならなかったのだ。

 フランマに関しては厨房のコネで酒蔵を紹介してもらえた。

 そこの支配人は喜んで酒は提供してくれたのだが、それは熟成用の大樽に入っていた。そういう樽ごと売り買いはされているのだが、なによりそんな酒樽は凄まじく重い。

 もちろんニフレディルがいるから持ち上げることは可能だが、彼女がずっと運んでいるわけにも行かない。すると輸送には大きな荷馬車が必要になるし、ともかくそんな作業を女四人だけでやるのは相当に大変だった。

《その間に練習とかもしなきゃならなかったし……》

 決戦まであと僅かだ。練習用の酒樽など調達している暇がない。そこで同じくらいの量の水の樽で訓練を行った。

 いかなニフレディルでもそれだけの量の水を一気に沸騰させるのは容易ではない。そのためにはある程度近づかなければならないのだが、そうすると爆発に巻き込まれる恐れもある。

《この望遠鏡で上手くいって良かったわよね……》

 魔法とは魔法をかける対象をよく見て頭に刻み込む必要がある。そのためには間近で見たり触ったりできるに越したことはないのだが、細かいことをしないのであれば望遠鏡とか、あと心話越しなどということも可能なのだそうだ。

 今度の魔法は単にそこにある酒を一気に加熱するだけなので、それで十分だった。

《品のない魔法ね、なんて言ってたけど……》

 ニフレディルは普段は力業を使わないのだが、それは彼女が魔法の繊細な制御にこだわっていたからであり、力がないわけではないのだ。

 おかげで彼女たちはこうしてトゥバ村の宿屋から二百メートル以上離れた小山の上から、酒樽を爆発させることができるのである。

《いやあ、あれでも結構大変なことになったけど……》

 水の樽が六樽でもその爆発はかなり凄まじく、近くにあった物置が倒れてしまったほどだ。

《だったらあの宿屋くらい、吹っ飛んじゃうかもね……ふふっ》

 メイは再び宿屋の前に置かれているフランマの樽を望遠鏡で覗いた。

 アロザール軍の進軍コースにいた人達は全て待避させてある。もちろん急な話なので色々な物が置きっぱなしなので、来る途中アロザール軍は略奪のし放題でもあった。

《ってわけで、お酒を運んでいた商人の人が慌てて逃げたって思うわよね?》

 彼らにとっては大損だ。何しろあの大樽は一樽がだいたい酒瓶二百五十本分くらいになるので、あれ全部だと千五百本分にもなるのだ。だが命には代えられないわけで―――とまあ、相手はそのように思うはずなのだ。

 最大の懸念は、見つかった途端に飲まれてしまうことだったが……

《あはは。さすがに二日酔いで戦闘に出るほどたるんではなかったってことで……》

 間違いなく今夜の祝杯用に取っておいたに違いない。アロザール軍は戦いに勝った後は一旦ここに戻ってくるはずだからだ。

 なぜなら最終的な彼らの目標はアキーラの占領だ。だがここでレイモン軍を蹴散らしたとしても、がっつり防御に入ったアキーラを陥落させるのは、機甲馬を擁したとしても手間がかかるだろう。

 ただ、そうなってしまえばレイモンは孤立無援だ。他のどの国も助けに向かうことはできない。すなわち急がず騒がず、ゆっくりと包囲を固めていけばいいのだ―――というわけで敵は今日は戻ってきて、明日からじっくりとアキーラの封鎖を開始するだろうというのがフィンやアリオールの読みであった。

 と、そこで村の真ん中で謎の爆発が起こって司令官を吹っ飛ばしてくれれば、間違いなく相手を混乱させることができるだろう。その結果機甲馬がどうなるかは分からないが、司令官を失えば操作不能になる可能性もあるわけで、そうなれば反撃の糸口も掴めるかもしれない。

 もし平原の戦いで機甲馬に蹂躙されたとしても、やられ放題にならないようにするための一種の保険みたいなものだったのだが……

《でも平原はこっちが勝っちゃったみたいだし……》

 その場合、今度はダメ押しの嫌がらせ、ということになるわけだ。

 もし会戦が負けだったならこの場も相当な悲壮感に包まれていただろうが―――今の彼女たちは本当に気楽なものだった。

 と、そのときだ。

「お! 何か来た!」

 サフィーナが遠くを指さした。見るとそちらに砂煙のようなものが見える。そこで望遠鏡を覗くと……

「あ、逃げてきますよ!」

「そう?」

 ニフレディルが答える。

 しばらくして遠くからアロザール兵達が這々の体というようすで現れた。ここから見ていても慌てふためいているのがよく分かる。

 だが彼らはトゥバに到着するとそこで隊列を組み直し始めた。

 それからまたしばらく見ていると、兵達は村の回りにバリケードを作り始める。

「あ、やっぱりここで踏みとどまるつもりみたいですよ」

「そう」

 このトゥバという村は丘の上に立地していて、あのようにバリケードを築いてしまえば防衛もしやすい場所だ。アロザール軍は五千ほどだが、ここを要塞化してしまえばレイモン軍の一万でもそう簡単には攻略できない。

 そして戦いの結果についてはロータにも伝令が走っているだろうから、そうなればしばらく持ちこたえていれば援軍もやってくるだろう。

「一応ちゃんとした司令官だったんですね」

「ま、トルボ砦の守備を任された人だから、そこそこ有能なのは間違いないでしょうね」

 そのような話をしている間にも、退却してきたアロザール軍が村の周辺に集まってきた。

「こうやって見ると一杯いますねえ」

 軍勢としては小規模の物だとはいうが、目の前に集まった五千人はやはり大群だ。

「それじゃそろそろいいかしらね?」

 ニフレディルが言った。

「そうですね。あんまり待ってたらヤケ酒で飲まれちゃいそうだし」

「サフィーナ。あたりの様子は?」

「ん。特に変わったことはない」

 こういった場合、彼女の見張りとしての注意力は素晴らしく、ヒバリ組のときも何度もそれで助かったという。

 何しろここはトゥバ村から二百メートルそこそこの場所なのだ。間にちょっとした峡谷があるのでそう簡単にはやってこられないのだが、うっかりしたら囲まれてしまう危険もある。

《ま、最悪そういう場合でも逃げるのは逃げられるけど……》

 何しろニフレディルがいるのだ。いざとなれば飛んで逃げればいいし、それすらまずいといった状況でもさらに奥の手は用意してある。

「それじゃ始めるから」

 そう言ってニフレディルはファシアーナと心話を始めた。

 もちろんこれはレイモン軍の正式の作戦なのだ。ちゃんと状況報告は行っておかねばならないわけで……

《うふ。さて、どうなるかな?》

 メイ考案の蜂蜜色の秘密兵器が少しでもお役に立てればいいのだが……



 そのときフィン達は、コルヌー平原の手前にあるレイモン軍の本陣でとりあえずの祝勝会を開いていた。

《いや……まだ実感がわかないよなあ……》

 本当にあっという間だった。

 長い長い準備期間の後、しかもそれが全て無駄になるかもしれないとの懸念で、夜もよく眠れない日々が続いていたのだ。

 だが終わってみれば何だったんだ? という気分なのだが……

《でもみんなが頑張ったせいだよな?》

 諦めていたら何もかも失っていたところだったのだ。

「はあ……」

 フィンは大きく息をつく。これで何度目かは分からないが―――そして手にした酒袋からまた一口フランマを飲む。

 どこかで飲んだ味だなと思ったら……

《あ、セロの奇襲に成功したときか……》

 あのときもネブロス連隊千五百で、ベラの二万を食い止めたのだが……

《まったくなあ……こんなのはもう終わりにしたいよなあ……》

 こういう戦いというのは勝てばそれこそ格好いいだろうが、普通は犬死にに終わるものなのだ。

 だがともかくこれで潮目が代わるのは間違いない。

 敵の機甲馬を破壊して完勝したとはいっても、今のレイモン軍では国を守りながら外部に侵攻する余裕はない。

 だがともかくロータまでを確保してトルボを攻めて分断する体勢になれば、アロザール軍は背後から短刀を突きつけられたようなものになる。

《そうなれば今度こそアイフィロスが動くだろうし……》

 それを防ぐために第二軍や三軍を回すとなれば、今度はシルヴェストが動くだろう。完全に勢いはこちら側になる。

《まあ……それこそ第三の秘密兵器とかを出してこなきゃだけど……》

 だがそんなことを考えていても仕方がない。こうなってしまったなら、あとは一気に押し切るしかない―――というのが一同の共通した考えだった。

《それはそうと、メイ達は大丈夫かな?》

 彼女たちの作戦を聞いたとき、一番驚いたのはニフレディルがすごくやる気だということだった。

『まあ、私にもできることはしておきたいですから』

 そのように彼女は言っていたが……

《真面目な人だからなあ……》

 間違いなくアラーニャにあんな危険な役割を押しつけてしまったことに、大きな負い目を感じていたに違いない。

 確かにあれなら敵の司令官を吹っ飛ばすことくらいできるだろうが、大将首というのならともかく、ディベールくらいの指揮官なら他にも大勢いる。ダメージそのものなら大したことはないだろう。

 だがそれこそ、こちらにだってこういうことができるんだぞ? と、相手を怖れさせる効果はある。そうやって萎縮してもらえれば、それだけでまさに十分だ。

《しかもこんな安上がりな作戦でな……》

 やったことといえばフランマの酒樽を六樽、トゥバ村に運んで置いてきただけなのだ。金額にしても金貨十枚程度。いつぞやアウラが薙刀の柄の交換に要したくらいで……

《いや、あれは高すぎだったとは思うが……》

 そんなことを考えていると……

「ああ? やっとか?……早くしてくれよ? みんなもう酔っ払ってるのに、あたしだけ素面とかさあ……分かった分かった」

 ファシアーナの声だ。

 そこでは陣屋の一部が四角く区切ってあって、地面に魔方陣が描かれている。その脇に例のカウチが置かれていてファシアーナとアラーニャが座っていた。

「じゃ、始めるってさ」

「おお、そうか」

「さて、どうなりますか……」

 あたりの将達がそんな会話を始める。

 合戦の準備が忙しくて彼女たちの方にはほとんど関わってやれなかったが……

《ま、大丈夫だよな?》

 何と言ってもあちらはニフレディルが一緒なのだ。魔法使いの中でも最も信頼の置ける人なのだから……



「あ、シアナ?……ええ。そろそろ始めるから……ええっ? すぐに飲ませてあげるわよ! じゃあ見ててよ?」

 ニフレディルが心話でファシアーナに連絡を取っているが―――どうやら向こうではとっとと祝杯をあげたいらしい。

《ま、気持ちは分かるけど……》

 でもこっちもすぐに終わるだろうから、そうなればいくら飲んでもらっても構わない。

 心話が終わると彼女はメイとサフィーナを見た。

「始めるわよ?」

「はい」

「ん」

 それから彼女は望遠鏡を手にすると、酒樽の方をじっと見つめて精神を集中した。

《どうなるかな?》

 メイがドキドキしながら酒樽を見ていると―――いきなりそれが大爆発を起こした。

 のだが……

《は?》

 想像していたのはボカーンと白煙が上がって、さらにそれにボンと火が付くようなイメージだったのだが……

 確かに一瞬白煙は見えた。

 見えたのだが―――すぐにそれが青白く輝く透明な半球へと変貌して、それがみるみるうちにその大きさを増していって……

 それに巻き込まれた宿屋が一瞬で消滅し、村の家々も次々に吹き飛ばされていって……

《え?》

 その勢いは村を包みこんでも衰えず……

「いけないっ! シアナ!」

 ニフレディルのそんな叫び声がして―――首元を引っ掴まれた。



 余裕綽々だったファシアーナの表情がいきなり真剣になった。

《え? どうしたんだ?》

 次いで彼女はかっと目を見開くと……

「来いっ! リディール‼」

 彼女がそう叫んだ途端に、魔方陣の上にニフレディルとメイとサフィーナが現れて……

「あ痛っ」

「きゃん」

「んわっ」

 ―――サフィーナはすとんと着地したが、残り二人は魔方陣の上にどすんと尻餅をついた。

 ………………

 …………

 ……

「えっ? どうしたのです?」

 アリオールが思わず尋ねるが、ニフレディルもファシアーナも呆然としていて何も答えない―――と、そのときだ。


 ボ……グォォォォォォン!


 そんな地の底から響くような轟音が聞こえてきて―――空気がどすんと揺れた。

 ………………

 …………

 ……

 しばらくは誰も声を上げなかった。

「あの……今のは?」

 そう尋ねたのはアラーニャだ。

「瞬間移動の魔法だが?」

 ファシアーナの声が震えている。

「いえ、それは分かるんですが、その後の……」

 そう。ニフレディルがいるとはいえ、たった女三人で敵陣のすぐ側に行くのだ。うっかりして弓兵に囲まれてしまったような場合も想定して、瞬間移動魔法の準備だけはしていたのだが……

「さあ……」

 ファシアーナも青い顔で言葉を濁す。

 成り行きで考えれば、それはメイの秘密兵器の結果と考えるべきなのだが……

 人々は互いの顔を見合わせる。

《本当かよ?》

 たかが酒樽六つなのだが?

 ―――でもそれ以外の理由があるというのか?

 と、そのときだ。今度はいきなりの突風が吹いてきて天幕がバタバタと揺れる。

 ………………

 …………

《これもなのか?》

 人々がわけが分からないという様子でまた顔を見合わせる。

 風がやんだ後……

「あー、じゃ、ちょっと見てくるから」

 ファシアーナがやにわに飛び上がると、一気に高度を上げてすぐに見えなくなった。

「うわー。さすが速いですねえ」

 アラーニャが感服した声でつぶやくが、それ以外の者達は狐につままれたような表情だった。



 しばらくしてファシアーナが戻ってきた。

 だが彼女の顔からは完全に血の気が引いていた。

「どうでした?」

 アリオールの問いにも、彼女はしばらく首を振るだけだ。それから……

「いや、なんてかもう……」

「もう?」

「何もなかった」

 ………………

 …………

 ……

「何も……ない⁇」

「ああ」

 ファシアーナがうなずく。

「何もないって?」

 思わずアリオールが訊き返すが……

「だから……村が、消えてた」

「は?」

 村が―――消えてた⁉

 一同は互いの顔を見合わせる。

「それではアロザール軍は?」

「全滅だった。文字通りに……誰一人生き残ってなかった」

 再びあたりは沈黙に包まれる。

 と、そこでファシアーナは大きく息をつくと、まだ魔方陣の上で尻餅をついたままのニフレディルに言った。

「あの名前……あんたにやるわ」

「は?」

「だからさ……紅蓮の炎、生きとし生けるもの全てを焼きつくし、あたりは静寂と化す。その名もマグナ・フレイム……」

「結構ですっ‼」

 ニフレディルは即座に断った。