等持院(とうじいん)の沿革 |
金閣寺から仁和寺への道をと「きぬかけの路」と呼ばれているが、その道筋に立命館大学がある。その南側に建つ小さな寺院が等持院。初めて訪れたのは、何時ごろだったか、その時はこの様な歴史を持つ寺院とは知らなかった。足利将軍の菩提寺とあれば、さぞかし壮大な寺院であろうと思うものだが、等持院は静かで落ち着いた感じの寺院だった。庭園は、夢窓礎石の作と云われ、東側が「心字池」、西側が「芙蓉池」といい、芙蓉池は、尊氏百年忌の際、八代将軍義政が手を加え、茶室・青漣亭を建てたといわれる。この二つの池の中央部に尊氏の墓がひっそりとたっている。心字池の南西に建つ霊光堂には、江戸時代作られた足利将軍の歴代の木像が祀られている。
初代将軍の義満、2年前に後醍醐天皇を祀るたに天龍寺を創建している。武将という面だけでなく、慈悲深い面があったという。この尊氏を支えてきたのが実弟直義だった。しかし、その後、尊氏の側近高師直と直義の抗争、戦いが起こり、尊氏は直義を追討、幽閉するに至った。尊氏は、後醍醐天皇と共に鎌倉幕府を倒し、次は後醍醐天皇から離れ、足利幕府を開設、南北朝時代という異常な体制、更には弟との対立、そんな人生をおくった尊氏にとって、夢窓礎石が説法する禅の世界に世の無常を感じていたのかもしれない。
足利15代の将軍達、三代義満の時代が絶頂期で、それ以降は衰退、諸国の守護代が台頭、応仁の乱など足利幕府の権威は地に落ちっていった。そんな将軍達が静かに並んでいる。
書院に座り、庭園を眺めていると、足利家の菩提寺という感じがわいてこない。金閣寺や銀閣寺のような華やかさはないが、心静かにただ居るだけで落ち着く。
芙蓉の花うぃ象った芙蓉池。池中の蓬莱島には皐月の茂み。
築山に並ぶ2棟の茶室、右側が青漣亭で、江戸時代の再建。
草書体の「心」の文字を象った池。当初は、中ノ島には観音堂があったという。今は礎石のみ残る。
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