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                                    河津桜

i以前、友人が河津桜ツアーに参加し、その写真を見て以来河津桜を一度観てみたいと思っていた。今年(2007年)は暖冬と言う事もあり、桜の開花も例年より早かったと言う事もあり、2月16-17日の早い時期の早見となった。桜をゆっくり観たかったし、この時期金目鯛も食べたいと思い、近くの今井浜に宿泊してのノンビリとした花見であった。更に足を延ばし、河津七滝にも散策できた。

河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃の2月のある日河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いているさくらの苗を見つけて、現在地に植えたもので、1966年(昭和41年)から開花がみられ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けて近隣の注目を集めた。伊東市に住む勝又光也氏は1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献したという。一方、県有用植物園(現農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現伊豆農林事務所)や河津町等と、この特徴ある早咲き桜について調査をし、この桜は河津町に原木があることから、1974年(昭和49年)にカワヅザクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には河津町の木に指定された。カワヅザクラはオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されている。

植物学的には、落葉高木、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢があり、若枝は褐色、無毛。葉は開花後に展開する成葉は倒卵状楕円形で先は尾状鋭尖形、基部は円形、長さ12.5〜15.0cm、巾6.0〜6.8cmで厚い。縁は単鋸刃だが、重鋸刃が混じり、鋸歯の先は芒状、腺はない。表面は濃緑色、裏面は淡緑色、両面共に無毛。側脈は約10本。葉柄は長さ2.0〜2.2cmで無毛、上部に1対の蜜腺がある。托葉は長く、分岐多い。果実は、ほぼ球形、径0.9〜1.3cm、黒紫色に熟し、甘味がある。(日本サクラの種・品種マニュアル

<財>日本花の会より)

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河津桜と菜の花が
似合う。

河津桜の原木は、
多くの観光客が
立ち寄っている
川沿いの桜並木は
見事だ。
河津桜の花びらは
ふんわりした感じ。
夜桜も見に行く。
さすがこの時期の
夜桜は寒い。


河津七滝

河津七滝は、河津川の上流に連続的にある滝だ。河津川を遡れば、有名な天城峠となり、やがて修善寺に辿り着く。そんな七滝巡りを行う。ここでは滝を「たき」とは言わず「たる」という。この「たる」には、八俣のおろちに似た伝説がある。以下、河津七滝の紹介に掲載されている伝説。

伊豆の国、天城連邦の1つ、万三郎岳に 万三郎という天狗が美しい妻と二人で幸せに暮らしていました。万三郎は若くて気がやさしく、そのうえとても力がありました。 毎日 あたりの野山を飛び回り 沢山の獲物をとってきました。 今日も万三郎は元気にでかけました。万三郎の妻は夫のいない間に洗濯を済ませてしまおうと天城の八丁池でその美しい顔を水鏡に映しながら洗濯をしてましたふと、何かに気配を感じたので思わず顔を上げあたりを見回しましたが何もみあたりませんそのまま洗濯を続けていました今度は風もないのにあたりの
がざわざわと音を立てて揺れ動きました。驚いた万三郎の妻は、あわてて立ち上がりますとなんと七つも頭のある それはそれは大きな大蛇が狙っているではありませんか。万三郎の妻は真っ青になり長い髪をふり乱し命からがら逃げ帰りました。やがて帰ってきた万三郎は妻からその話を聞くや腕を組んで考えました。これは大変な事になってしまったこのままにしておくと、いつ自分の妻がやられてしまうかわからない。なんとかして、そのものすごい大蛇をやっつけてしまわないと安心できないぞ。しばらくして万三郎はよいことを思いつき妻に話しました。それは強いお酒を沢山つくって飲ませ、すきを見てやっつけようというのでした。二人は早速酒つくりに励みましたそして出来上がった酒を大きな七つの樽に入れ八丁池近くあちらこちらとおきました。もともと酒の好きな蛇ですからきっと酒の匂いをかいで大蛇がやってくるにちがいありません。万三郎は剣を握りしめて、姿を隠し大蛇の現れるのを待ちましたやがて空模様が怪しくなり、あたりの木々が音を立てて揺れはじめました思ったとおりでした 七つの頭をふりふり大きな口から火を吹きながら現れた大蛇はたちまち七つの樽を見つけ、がぶがぶのみはじめました。何しろ大きなたるが七つもあるのですからさしもの大蛇すっかり酔いがまわり、そのまま寝込んでしましましたそれを見た万三郎は剣を抜いて大蛇の七つの首を1つまた1つ切り落としていきました。 空も明るくなりました。するとどうしたことか大蛇の体はみるみるうちに川となり、七つの首の切り口は滝となって流れました。 こうした説が伝えられ、いつのころからか、河津の七滝のことをななだると呼ぶようになりました。今もこの七滝は水の枯れることもなくその美しい姿を見せています。

そんな七滝巡りは、本来下流から順次見ていくのであろうが、歩行の大変さから上流から下るコースを辿った。そんな晩冬の滝。蛇滝そばのエビ滝は見落としてしまった。一番落差が大きいのが30mの大滝が一番下流に位置している。それにしても、最上流の釜滝までバス道から下る路は急坂で、これも結構きつかった。確かに此処を上ると思うとウンザリする。冬の時期であるにも関らず、水量が豊富な河津川上流であった。

釜滝 蛇滝 初景滝        カニ滝             出会滝
大滝 河津渓谷の流れ色々

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