Book Review 日本作家その他編
※所有作品点数の少ない作家についてのレビューを纏めて置いてあります。

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串田誠一『違憲判決』
1) マイストロ / 新書版(マイストロNovels) / 1999年5月6日付初版 / 本体価格857円 / 1999年6月13日読了

 ツルネンマルテイ他二氏の推輓を受けた、弁護士作家・串田誠一のデビュー作。何とシリーズ第二作「制通信権」との同時刊行で、深川が手に取った時点で既に第三作「当たり屋」まで刊行されていた。執筆ペースは凄まじそうだが、内容は如何なものか……?

 手に取って戴くと解るだろうが、粗筋が魅力的なのだ。紛争下の中東で前代未聞の民間タンカー爆撃事件が発生し、生存者無しの大惨事となる。だが政府は岩礁への衝突事故と発表し、事実を隠蔽しようとした。不可解な政府の対応の裏には、「日米ガイドライン」を巡る陥穽が存在した。遺族の訴訟担当として事件に関わった弁護士・響大介は、日米ガイドラインの違憲性を盾に政府に挑戦状を叩きつける――
 書いてみるとやっぱり面白そうなんだが、作品の出来は酷い。推薦文には「国際謀略・情報戦争を描いた傑作法廷サスペンス」とあるが、国際謀略と見られる部分には小物政治家のぼやきしか見えてこないし、情報戦争の部分に説得力はなく、古い少年向け防諜物の誇大妄想的な匂いがする。主人公が弁護士なのだから、法廷での息詰まる駆け引きぐらい見せてくれるかと思えば、結局主人公は工作も根回しもせず、万に一つの僥倖によって勝利する、というどうしようもない結末を迎える。確かに終盤で語られる憲法解釈には蓋然性があるのかも知れないが、その理屈からして短篇の一発ネタ程度の発想でしかない。粗筋の持つ魅力や迫力を、内容が全く伴っていないのだ。しかも、描写の大半を占めるのは法廷闘争でもなく情報戦でもなく、総会屋同士のシマ争いという体たらく。一応展開はきちんと構成されているのだが、だからといって推薦文などでぶちあげたような法廷サスペンスの趣は全くない。
 これで文章や人物描写が秀でていればまだ救いはあるのだが、……叙述は明らかに素人だし悪党はステレオタイプだし(約束通りに爬虫類なんか飼うんじゃないしかも最後に投げて殺すんじゃないっ!!)、何より主人公に全く魅力が感じられない。お約束通りに主人公の側には憎からず思いを寄せる助手の女の子がいたりするのだが、この危険な訴訟の最中に不用心に町中を彷徨いてちゃんと攫われてくれるし。全体に想像力の乏しさが蔓延している、という印象。作者は小説を書く前に、もっと小説を読んて勉強するべきではなかっただろうか?

 深川はどんな作品でも誉められる処があれば誉める、という姿勢でいようと思っていたのだが、この作品は余りに酷すぎて評価のしようがなかった。面白ければ続編である「制通信権」「当たり屋」も読んでみようかと思っていたんだが……それでも読んでみたい、と思うのは結局怖い物見たさに他ならない。まあ取り敢えず収穫だったのは、駄目なものを駄目だと語るのが案外難しいと悟ったことか。
 ただ、簡単に切って棄ててしまうには、一つだけ心残りがある。本文P222上段から数行にかけてのとある記述である。実の処、その文章の捉え方次第で、これまで論った欠陥の一部は解釈を逆転させる必要があるかも知れないのだ……そんな可能性は低いと思うのだけど。最終的な判断は、読者に委ねる他ない。気になった方は、問題の箇所だけでも読んでみて下さいな。


殊能将之『ハサミ男』
1) 講談社 / 新書版(講談社ノベルス) / 本体価格980円 / 1999年9月3日読了

 第13回メフィスト賞受賞作。少女ばかりを手に掛け、遺体の首にステンレススチールのハサミを突き立てていくことから、その殺人犯は「ハサミ男」と呼ばれた。何食わぬ顔で日常生活を淡々と過ごし、その一方で襲いかかる自殺衝動に煩悶しながら、「ハサミ男」は新たな獲物をじわじわと追い詰めていく。だが、いざという局面になって、自らの模倣犯に獲物――樽宮由紀子を横取りされてしまう。裡に潜むもう一つの自我に促されるまま、「ハサミ男」は樽宮由紀子を殺した誰かを捜し始めた――
 刊行前から「面白いらしい」という噂を耳にしており、かなり期待して読み始めた。深川自身は「期待に違わぬ出来」と判断したが、期待の仕方によっては肩透かしを食うかも知れない。
 本編は「ハサミ男」と、目黒西署の刑事・磯部龍彦との二つの視点から語られる構成になっている。追う者と追われる者のサスペンスフルな相克を期待してしまうが、あにはからんや、そうした緊張には乏しい。樽宮由紀子殺しを「ハサミ男」の犯行と誤解したまま加害者の痕跡を辿る警察と、樽宮由紀子という少女の行状から模倣犯の正体を求める「ハサミ男」、両者は時として交錯しながら、双方の視座で推理を積み重ねていき、やがて真犯人に到達する。本編の真価は独特のユーモアとアイロニカルな表現によって味付けされた捜査(探究)の過程にこそあり、サスペンスは付け合わせに近い。最終局面では巧妙に危機感を煽ってくるが、ここに至っても本当の興味は精緻な謎解きにある。終盤に解されていく伏線の細やかさには、溜息すら洩らしてしまう。法月綸太郎の賛辞にある通り、本書は間違いなく一級の「パズラー」と言えよう。
 あまりに都合のいい偶然が多すぎるなど、実際には傷も少なくない。だが、最近じわじわと値を釣り上げているノベルスの世界にあって、金額分堪能してなおお釣りが来る、という喜びを味わわせてくれる作品はそうそうない。低予算でいいものを、と願う良心的なミステリ読みに対して、胸を張ってお薦めできる一作である。

(1999/9/11)


池宮彰一郎『四十七人の刺客』
1) 新潮社 / 新潮書き下ろし時代小説
2) 新潮社 / 文庫版(新潮文庫) / 1995年9月1日付初版 / 本体価格667円 / 2000年2月21日読了

 元禄十四年三月十四日、江戸城中に於いて播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が高家筆頭吉良上野介義央に突如刃傷に及んだ。その事実が御側用人柳沢美濃守吉保、ひいては吉良家と繋がりの深い上杉家の江戸家老色部又四郎安長に先ず伝わり、柳沢は己が権勢を可能な限り永らえるため、色部は刃傷の累が上杉家に及ぶのを防ぐため、刃傷の動機を有耶無耶にしたまま浅野内匠頭を切腹に処したうえ御家断絶とし、一切の責を浅野家になすりつけて終息させんとした。御家取りつぶしという事態に直面し、浅野家家老大石内蔵助良雄は「賢愚定かならず」と評された昼行灯の仮面をかなぐり捨てる。赤穂の塩が利殖の糧となることをいち早く理解し、家老就任以来大坂と御当地を往復して為した豊かな蓄えを後ろ盾に、世間はおろか味方までも巧みに欺き操っては上杉・吉良同盟を翻弄した。対する上杉家老色部もまた策を弄し襲撃を早期に食い止めようとするが、長期化する攻防とたて続く吉良家江戸屋敷の普請替えなどによってじわじわと疲弊していく。双方の腹の探り合いが繰り返されるなか、物語は元禄十五年十二月十日、運命の時を迎える――

 著名というのも烏滸がましいほど巷間に流布した『忠臣蔵』を、諜報戦・謀略戦という旧来と異なった観点から綴った意欲作――というのは簡単だが、白状すると私は他の忠臣蔵譚は一切読んだことも見たこともない。ごくたまに耳にする知識や、数多あるパロディ作品の一節などから本来の物語像をぼんやりと持っていたに過ぎない。だがその浅はかな知識と照らし合わせても、本編が旧来の『忠臣蔵』作品と一線を画しているのは解る。良くあるような四十七士個々の人情劇に堕することなく、視点は極力首魁である内蔵助と敵方の色部、柳沢から外さず(まま四十七士の主要な義士の観点から描いている箇所もある)、双方の動向や腹の探り合いから一連の討入劇の真意を剔出している。その様は宛らシミュレーション小説(これまた深川は殆ど読んだことがないが)を思わせ、緊張感に満ちている。その緊張感は従来の『忠臣蔵』では簡素に扱われがちだというクライマックスの討入場面に於いても顕著で、豊富な語彙による些か硬い文体も徒とならない。作中幾度も俗説を史料との対比により否定・疑義を唱える場面があり、それらの全てが真実かどうか量る能力を私は持ち合わせないが、徹底した試行錯誤の痕跡が窺われるのも好感が持てる。推すに脇役の一部には虚構も交えているのだろうが、そうした仔細な叙述が虚構を史実に巧く馴染ませていると思しい。
 また個人的には、本書は優れたハードボイルド小説として読むことも可能ではないか、と思った。離藩後、家臣の一人として困窮に陥らせぬよう腐心し、その一方で数十名の有志の命を無碍に扱い、吉良上野介をはじめとする上杉家・吉良家の武士たちを屠ろうとする己に深い矛盾を感じつつ、侍としての矜持を貫こうとした大石内蔵助の生き様は、山本周五郎『樅ノ木は残った』における原田甲斐を想起させた――故・稲見一良氏は周五郎賞受賞の際に『樅ノ木−』を挙げ『一級のハードボイルド』と評している。恐らくは同様の感を、深川は本書に抱いた。前述の通り時代に添った古めかしい述語や表現が頻出しお世辞にも読み易いとは言えないが、知略の粋を極めるが如きプロット、史実に基づきながら読み手の興を逸らさぬスリリングな展開、何より実に人間的な魅力に溢れた大石像を描ききった筆力。私にとっては間違いなく、一級のハードボイルドである。極めて不純な理由から読み始めた本書だったが、望外の収穫だった。

(2000/2/21)


月森聖巳『願い事』
1) ASPECT / 新書版(A-NOVELS) / 2000年4月14日付初版 / 本体価格1500円 / 2000年4月27日読了

 月森聖巳氏のデビュー長編。デビューまでには様々な経緯があったようだが詳細は氏の直営ホームページにて確認されたい。

 医師の急病を補うため臨時に診療を行った精神科医・神名木透哉は、不眠症を患った水口香奈子という女性を介して、彼女の義理の娘・戸来美音子と出会う。鏡を自らの拳で叩き割った美音子を精神分裂症と見た透哉は彼女の診察を請け負う。だが、診察を続けるうちに美音子が複数の人格を保有する、所謂多重人格障害を患っているのではないかと気づき始める。そして、その人格の一つらしき「エレーヌ」という存在が、極めて危険な性質を秘めていることにも。その一方で「エレーヌ」はある意志の元に暗躍し、一人の少年を傀儡として犯罪に手を染めていた。
 ある日、透哉は友人と酒宴に出かけた晩、別人格に変わって第一印象からは信じがたい痴態を演じる美音子を発見し、保護する。その連絡のために美音子の父に連絡を取った際、水口香奈子が不可解な状況下で凄惨な死を遂げていたことを、透哉は初めて知る。事態は透哉の察知し得ぬ場所で深刻化の一途を辿っていたのだ。そして、「エレーヌ」の魔手は今や透哉の喉元にも伸ばされつつあったのだ……

 最初、帯などに記された「本格ホラー」という惹句に首を傾げたのだが、読後は得心できた気がする。サイコ・サスペンスとスーパーナチュラルの要素をとり混ぜこそすれ、作品全体の組み立て、テリングそのものはごく直向きなホラー・怪奇小説の系譜を踏まえたもので、「ホラー」で足りないとすれば「本格」を添えるしかないだろうな、と思わせる。
 では作品総体として評価できるかというと、迂闊に頷けないものを感じた。前述したように構成要素はサイコ・サスペンス(多重人格障害患者と精神科医という取り合わせ)にスーパーナチュラル(過去の因縁話、鏡から現れる妖精など)を掛け合わせたものなのだが、その匙加減が巧くない。前半は、プロローグ部分以外は精神科医と患者との葛藤を描き、サイコ・サスペンスとしての緊張感が高く惹き付けられるのだが、中盤から次第次第にスーパーナチュラルの要素が作品世界を侵蝕していく。その辺りから特にバランス感覚が崩壊してしまって、ラストになると安定感に乏しくなってしまうのだ。
 例えばそれが、科学至上主義を唱える主人公の内的葛藤と、現実離れした事件の推移が巧妙にオーバーラップし、ラストでカタストロフィを与えるというのならまだ納得できるのだが、中盤から後半にかけての展開はいささか唐突で御都合主義的なものが垣間見えてしまっているし(小説とは多分に御都合主義的なものだが、それにしても描き方というものがあるだろう)、特に主人公のある過去について、結末近くで唐突に提出されるのが拙い。これはクライマックスとラストにおける主人公の出処進退の選択に非常に緊密に関わる事項であるにも関わらず、結末近くでいきなりその事実が明かされるため、読んでいるこちらはそこまでの感情移入や主人公の人物造形についてあれこれと思い描いていたものをいきなり否定される形となって、結果展開に置き去りにされたような感覚を与えてしまう。
 それが作品の意図ならば否定はしないが、それ以後から結末までの展開を見る限り意図の外側にあることだと判断するしかない。そのため物語後半――第四章以降は、読者が作品世界にのめり込めないままで何らの感興も得られず、恐怖も同調もないままただ淡々と物語を追わされるだけになってしまっているのだ。正直に言って、エンディング近くはページを繰るさえ苦痛だった。後半、感情移入や読者の物語への没頭を促したかったのなら、主人公のある過去について、物語の早い段階からもっと突っ込んで暗示、示唆するべきではなかったか。
 以下、ちょっとネタバレを含むので背景色に同化させます。ここから→また、これはあくまで私が描くなら、という話なのだけれど、主人公・神名木透哉をクライマックスにおいてスーパーナチュラルに擦り寄せさせるのではなく、いっそ最後まで科学至上主義のまま事態を収束させた方が、物語としてはきっちり纏まったのではないか、という気がした。スーパーナチュラルの側に引き寄せるにしても、もっと透哉の葛藤を明確に描きじわじわと侵蝕される様を描いた方が「ホラー」としては成立するだろう。自らの信念がじわじわと覆されていく様は間違いなく「脅威」なのだから。この辺りが、匙加減が失敗している、と評した理由でもある。或いは本書は今後透哉を主人公としたシリーズを念頭に置いて描かれていたのでは、とも考えられるが、ならば余計にこのバランスの脆さは、今後の展開に支障を来すのでは、といらぬお節介を焼きたくなる。←ここまで。
 やや辛辣に評したが、中盤辺りまでの筋運びや物語全体に見える意志、何よりこなれて読みやすい文章には端倪すべからざるものを感じた。本書の失敗はいわば各要素の歯車が微妙にサイズが違ったり歯の数が合わなかったが故に生じた空転に起因するものだと思う。本書の完成度には否定的だが、作者の続刊には大いに期待したい。

(2000/4/28)


北上秋彦『呪葬』
1) ASPECT 刊 / 新書版(A-NOVELS所収) / 2000年4月14日付初版 / 本体価格1500円 / 2000年5月6日読了

 1997年に『種の終焉』(祥伝社刊・NON NOVEL)でデビュー以降、精力的に作品を発表する北上秋彦によるホラー・サスペンス。本書と同時刊行された大多和伴彦・編『憑き者』にもホラー短篇を寄稿している。

 九月下旬、日本列島を二度に渉って襲撃した台風が、岩手県最北端にある津谷瀬村に未曾有の災厄を齎した。豪風雨が呼び水となり、やがてそれは村を急速度で蝕んでいった。臨床検査技師の沢瀬亜希子は弟の危機を訴える手紙に、刑事の触沢史郎は法事に姿を現さなかった姉の安否に、それぞれの理由で津谷瀬村を訪れ、そこに迫る脅威を知る。闇からの悪夢に両親を奪われ一人生き延びる道を求め続けた少女、全ての発端となった悲劇に関与しその贖罪に生涯を捧げた二人の老人。彼らはやがて互いに手を携え、冥府からの使者と紛う敵と対峙する。

 ディテールは非常に端正なのだが、それがこちらの琴線を打たず、恐怖や驚愕、感動に結びつかない。幾つか理由は考えられるが、先ずいけないのは、作品の重要な部品構成がある著名な長篇作品(ネタバレを含むので伏せ字→小野不由美の『屍鬼』←のこと)に酷似している点だろう。特に舞台設定と、敵対する化け物の設定に共通点が多すぎる。物語の殆ど端緒の辺りで化け物の正体の察しがついてしまい(無論、全く予想通りではないものの、骨子はほぼ同一と言って良かった)、その面からの感慨は微塵も沸かなかった。
 しかし、では→『屍鬼』←という予備知識抜きで読んだ場合、素直に驚いていたかというと、それもまた疑わしく思う。主要登場人物たちが、村落を蝕む脅威の本性を悟るずっと前から、描写そのものがかなり化け物の性質を割ってしまっており、読んでいるこちらは寧ろ、何故こんな簡単なことに気づかないんだ、という焦りと苛立ちを感じるのではなかろうか。
 この手法は、終盤で主人公たちが化け物の弱点を看破し、それによって危機を脱するなり何らかのカタストロフィを齎すなりさせる場合には有効だが、本書の展開ではあまり効果的とは言い難い。本書は寧ろ化け物の描写や展開そのもので見せている嫌いがあるのだが、この化け物の正体に主人公たちがなかなか気づかない――なかなかそこまで話が進まないもどかしさが、濃い闇に潜む脅威、打ち付ける雨と明けない夜の恐ろしさといった、細部の巧みな描写の効果を半減している。
 もう一つ、こちらはより技術的な点だが、各登場人物の設定が、表現に浸透していない。病的に闇を恐れるあまり、自らの臆病を打破せんと意を決して刑事となった男、一連の事件の発端となった出来事に束縛され、その贖罪のために命を投げ出すことも厭うまいと覚悟する老人、艱難辛苦に接して強い心を持つようになり、誰よりも果敢に恐怖と戦うようになる少女。人物のみに限らず、化け物の正体や舞台設定など、考え抜かれていて巧妙なのだが、それが描写の隅々にまで行き渡っていない――特に人物に関する考証が中途半端で、台詞や行動などに実感として反映されず、結果として全体が上滑りしているように見えた。その上滑り感が最後まで悪影響を齎し続け、物語の世界や常に傍らにあるはずの脅威が読者に実感として伝わらず、ホラーとしても純粋な小説作品としても失敗している印象がある。
 前述したとおり、ディテールの構成などは丁寧で好感が持てるし、あくまでも「異質な生命」の脅威を描くことでホラーとして立脚させようとした方針そのものは評価したい。だが、その恐怖を演出する技量(或いは、演出を有効とするための筆力)が伴っていないことで、作品としては失敗に終ってしまった、というのが率直な感想である。ホラーという冠に拘らず、サスペンスとして思い切ってしまえば……とも思うのだけれど。読む上でも、ホラーという要素は切って考えた方が没頭できるかも知れない。文章そのものはこなれているため、リーダビリティは高く、その点が救いではあった。

(2000/5/6)


田口ランディ『アンテナ』
1) 幻冬舎 / 四六判上製 / 2000年10月31日付初版 / 本体価格1500円 / 2000年11月12日読了

 インターネットコラムにて注目され、2000年初頭に発表した初の長編小説『コンセント』で注目を集めた田口ランディの書き下ろし第二長篇。

[粗筋]
 荻原祐一郎の妹・真利江は十五年前、六歳の時に失踪した。何の手懸かりも残さず、忽然と。まるではじめからそこに存在しなかったかのように。家族の一人を喪失したことが、祐一郎の家族の調和を破壊した。失踪から八年を経て、「真利江のことは忘れよう」と祐一郎らに言い聞かせた父は間もなく死に、それから母は新興宗教に入れ込んだ。真利江の失踪から一年後に生まれ、彼女との容姿の類似を幾度も言い聞かされた弟の祐弥は、十四歳を前に狂気の兆候を見せた。祐一郎もまた、大学進学以来形を潜めていた自傷癖が、祐弥や母の面倒を見る名目で実家に戻るようになってからぶり返している。家族との破滅的な交流の中で、ふと自分の研究テーマとしてSMを扱ってみようという考えが浮かんだ祐一郎は、研究室の一年先輩である藤村美紀の伝から、職業SM嬢であるナオミと接触する。――その時から、祐一郎の中で、彼と関わりを持つ人々の間で、何かが変容し始めた。

[感想]
 冒頭で語られるエピソードからして、本編が実在の監禁事件に想を得ているのは間違いないと思う――そうでなくても、あらゆる意味で「現代的」な物語だろう。書かれるべくして書かれた感がある。イメージの表現が巧みであり、人物の配置も筋の回し方も配慮がなされていて、些か抽象的なテーマを扱っているのに飽きさせず終盤まできっちりと読まされる。十五年前の妹の失踪というテーマと帯の文句からミステリ的な展開と着地を多少なりとも期待していたため、その意味ではやや拍子抜けの結末だが、鏤められた象徴や伏線は上手く紡いでおり、それまで肩にのし掛かっていたものが不意に払い落とされたような、独特の感慨を齎してくれる。やや御都合主義的なものも匂わせてはいるが、高い評価も宜なるかな、という感触のある秀作だった。
 と言いつつ深川は前作『コンセント』未購入・未読である。しかし今からでもハードカバーに手を出してみようかなと、そういう気分になった。

(2000/11/12)


長谷川菜穂子『女の子、拾いますか?<YES/NO> ステラ・レジーナ☆
1) 富士見書房 / 文庫版(富士見ファンタジア文庫) / 平成12年11月25日付初版 / 本体価格520円 / 2000年11月17日読了

[粗筋]
 魔界のアイドルであったトリスタン・デ・ラ・エスターニャが急逝し、その葬儀の現場で彼のスキャンダルが発覚した――彼と人間の修道女との間に生まれ、三歳の時に死亡届が出されていた末の娘・ココニャが、凡そ悪魔とは思われない無垢な魂と心持ちのままで永らえていたのだ。魔界の最高執行官・サタネル・サタンは戯れに、ココニャに生き残るための試練を課した。魔界で最も呪われた日――クリスマスまでに、地上でいちばん美しく無垢な魂を一つ得てこい、というものであった。エスターニャ家の係累はココニャを何とか守ろうと知恵を絞る。
 一方、地上には二人の姉に酷使され、日々己の無力さに打ちひしがれ悶々と暮らしていた十四歳の男の子・野々宮時生がいた。ヒーローになりたいと願いつつその難しさをよく理解していた時生は、訳あって連日訪れていた動物園である日、その女の子――ココニャと出逢った。

[感想]
 異様に魅力的なタイトルと挿し絵の可愛さに、騙されたな、というのが取り敢えず正直な感想。話の進め方が、著者が以前関与していた『天地無用! 魎皇鬼』と全く同じなのである。思わせぶりで感覚的な要素の配置といい、人物同士の関係性といい。違うのは、主人公格が誰なのかが比較的明確になっていることぐらい。この一冊では、殆ど話が転がっていないのもまた『天地無用』同様。
 それならそれでも構わないのだけれど、問題は『天地無用!』ほどキャラクターが立っておらず、ヒロイン以外は魅力にも乏しいこと(ヒロインも、この中では突出しているだけで現時点では平凡な描写しか為されていないし)と、文章もその展開もいまいち明瞭さに欠いていること。特に心理的必然性や背景をきっちり描いていないストーリー展開は、妙な居心地の悪さを感じさせる。恐らく先のための伏線、という意味合いもあるのだろうけれど、それが先を読ませるための魅力ではなく面倒くささを感じさせて、本来の効果を上げていないと思われた。つまり、ジュブナイルであればこそ必要であるはずのワクワク感が乏しいのだ――この所為で、設定には感じられる魅力が実際の物語にはあまり感じられないのである。
 細部の場面や取材は良くできているし、今後の展開には興味があるので、続刊があれば(多分あるだろうが)読んでみる気はある。その展開次第では評価を上向けるかも知れないが、この巻を見る限り余所様には薦められない出来と言うほかない。勿体ない。ヒロインの設定やイラストはむっっちゃくちゃ魅力的なんだけど、ホントに。

(2000/11/17)


あざの耕平『Dクラッカーズ 接触-touch-』
1) 富士見書房 / 文庫版(富士見ミステリー文庫) / 平成12年11月25日付初版 / 本体価格460円 / 2000年11月21日読了

[粗筋]
 姫木梓はアメリカから数年振りに生まれ育った町に帰った。だが、想い出に浸る間もなく、梓を災厄が見舞う。最初に親しくなった友人グループの一人・倉沢満里奈が梓の眼前で屋上から飛び降り、かつての幼馴染み・物部景には一帯に広まっているドラッグのジャンキーであり売人であるという噂がまとわりついていた。問いつめる梓の目の前で禁断症状めいた様子を示した景に対する不安もあって、梓は真相調査に乗り出すが成果ははかばかしくない。そんな梓に協力を申し出たのは、梓の転校してきたクラスの学級委員・海野千絵。二人の懸命の捜査は、最終的に一つの結果を生むのだが、更にその先には梓の知らない世界が待ち受けていた――!

[感想]
 白状するとイラスト目当て(村崎久都)だった。が、これは望外の秀作。「ミステリー文庫」という分類に100%相応しい内容とは思えないが、中盤からラスト手前に展開される推理はそれなりに説得力のあるものだし、そのあとにある異様な展開も、緊迫感に満ち溢れていて不満を感じさせない。推理の論拠が著しく不足しているのは、この紙幅と内容からすれば致し方のないことで、寧ろ「美少女探偵(笑)」の魅力を伝えるには相応しい組み立てとも言え、決して傷にはなっていない。些か既視感を与えるキャラクター造形で多少損をしているようにも思うが、ちゃんと内面も描かれた登場人物は前例を感じさせつつもきっちりと魅力を備えている。懸念するのは、このいわば「表と裏」の二重構造の世界観が、「ミステリー文庫」という器に押し込むことで今後歪みを生じてしまわないか、という点。そういう意味で本書は及第点に達していると思いつつも続刊には不安を禁じ得ないが、反面期待させられるものも多い一篇。

(2000/11/21)


紀田順一郎『神保町の怪人』
1) 東京創元社 / 四六判ハード(創元クライムクラブ) / 2000年11月20日付初版 / 本体価格1700円 / 2000年11月24日読了

『古本屋探偵の事件簿』『鹿の幻影(古本街の殺人)』『魔術的な急斜面(古書収集十番勝負)』(いずれも東京創元社・創元推理文庫)と発表されてきた古書ミステリの最新作品集。

第一話 展覧会の客
[粗筋]

 昭和四十二年頃、まだ古書の展示即売展が珍しかった頃、私は広告会社に勤めるという収集家・大沢正男と知り合った。収集の極意を「殺意」と語る彼には様々な悪評があり、即売展で掏摸紛いの行為をするという風評すら立っている。それ故に一時疎遠になった私だが、昭和五十五年、大沢野献本を受けたことを機に再会する。話の流れで同じ即売展に出向くことになった私と大沢だったが、そこで古書の盗難事件が発生する――
[感想]
 確かにこれはある種の盲点である。基本的な絡繰り一つでは簡単に見抜かれるところを、更に仕掛を添えて攪乱させているのだ。しかも古書を扱う人間同士の相克が伺われるエピソードもトリックそのものの形で盛り込まれ、短いながらもなかなかのクオリティ。

第二話 『憂鬱な愛人』事件
[粗筋]

 ある古書交換会で、松岡譲の『憂鬱な愛人』上巻を落札したのは、つい三ヶ月ほど前に私を出し抜いて上下巻揃いを入手したはずの高野冨山であった。歌人でありながら独善的な収集欲で知られる彼とは間隔を置いて付き合いたかった私だが、高野が自ら主催する交換会で『憂鬱な愛人』下巻を私が入手できるよう手配する、というのに惹かれて話に乗ってしまう。知人で高野主催の交換会の会員でもある中島栄輔と連れだって参加した私であったが、交換会は妙な雲行きの中で進み、私を思いがけない災厄が見舞う。
[感想]
 書簡で解決するミステリ、というのはどうも安易に感じてしまう質なのだが、本編は許容できる。密室物でありながらコンゲームの興趣すら堪能できるという着眼がお見事。読んでいて「頼まれてもこいつとは付き合いたくない」と思わせる悪人描写の上手さが、結末に花を添えている。

第三話 電網恢々事件
[粗筋]

 1999年の夏、神保町の古書店・大原書店で、古本街のインターネット検索サービスなどのために設置されていたパソコンと蔵書が二百冊ばかり纏めて盗難に遭うという事件が発生した。その一週間後、国際文化大学人文学科の図書館でも、ディスプレイを除いたパソコンと周辺機器、それに二十冊ばかりの蔵書が盗まれ、しかも司書を務める女性がその際殺害されるという事件が起きたという。話を聞いて些か野次馬根性を掻き立てられた私は、そこに勤める同級生を訪ねことのあらましを訊ねる。殺人事件の推移はかなり入り組んだものであったが、果たしてこの二つの犯罪の間に何か繋がりはあるのだろうか……?
[感想]
 唯一の殺人事件。「現在では対策が講じられている」というメイントリックを支えるある絡繰りは、当時でも簡単に突き止められると思うのだが。しかし一筋縄ではいかない真相がうまく、或いは先述の欠点も自覚の上で盛り込んだとも思われ、あまり気にならない(というよりすべきではないのかも知れず)。

 ミステリの専門用語は殆ど出てこないが、密室、コンゲーム、詐欺、アリバイ崩しといった具合に方々にその要素が盛り込まれた上、古書収集の鬼たちの息づかいもきっちり描写されている、なかなか読み応えのある作品集。頻出する専門用語や独特の節回し故に、昨今のミステリほどさらっと読めないのが難だが、その分じっくりおつき合い下さい。じっくり付き合ってもこの長さならさほど時間はかからない筈。

(2000/11/24)


小鷹信光『新・探偵物語』
Nobumitsu Kodaka “The Detective Story, revived”
1) 幻冬舎 / 四六判ハード / 2000年10月10日付初版 / 本体価格1600円 / 2000年12月4日読了

 松田優作主演によりテレビで放映され、未だに根強い人気を誇るドラマ『探偵物語』。作中で松田優作演じる探偵・工藤俊作に呼び掛けられたこのドラマの原案提供・小鷹信光が、放映当時に二作執筆した小説版『探偵物語』の設定を、二十年を経て継承した最新長篇。沈黙の間に工藤は日本を捨て、アメリカで堕ちるように生きていた――

[粗筋]
 探偵・工藤俊作は、LAの片隅で私設調査員として這い蹲るように生きていた。週に三日間、刑事事件専門の弁護士・ジョージ水谷の事務所で調査員として働きながら、思い出したように自宅にかかる依頼の電話を己の気分で取捨選択しながら、抜け殻のように生き続けていた。ある日、工藤の自宅にやってきた依頼人は、南国の香りを纏う日系人女性だった。翌週から一週間、自分の護衛をして欲しいという依頼を、工藤は請け負う。
 一方、ジョージの事務所からも工藤は突如大きな仕事を任される。約一年前に発生した強盗事件の容疑者・マイケル・ランドーが、アリバイとなった交通事故による収監を終えて出獄するという。ジョージの事務所では時間をかけて事件を追っていたが、どうやらマイケルが事件の主犯格であることは確実らしいと判断し、何処かに隠匿されているであろう強奪した金を横からかすめ取ることを画策した。調査に着いていた調査員の一人・ウォルター・トラヴィスが引退することもあり、工藤にその下駄が預けられることとなったのだ。引継を兼ねて、工藤はウォルターと共に、マイケルの収監中幾たびも面会に訪れ、事件に関わりがあったと見られる女の張り込みの現場に向かう。その女の名はゾーナ・吉井――他でもない、その前の日に工藤に護衛を依頼したあの女だった。
 出所したマイケルを追う工藤らジョージの事務所の調査員たち。事務所を辞しながらも自身の野望のために金を追うウォルター。そして、追跡者たちを攪乱しながら金の隠匿場所へと蛇行するマイケル。翻弄されるゾーナ。敵味方入り乱れつつ、金塊を求めて男たちは狂奔する。

[感想]
 あの工藤俊作、小鷹信光、そして冒頭の依頼から始まるという定型から筋を期待すると、些か拍子抜けする。日本からLAに逃れた工藤は颯爽としてもいずクールでもなく図太くもなく、どちらかと言えば漫然と、文字通り堕ちるように生きていたらしい。物語の端々で彼が日本を出るに至った経緯が語られるが、それが明確となるまでは歯がゆい想いをする。物語の中でも、知性は発揮するものの工藤は全般に流されているだけで、映像版『探偵物語』や最初の小説版『探偵物語』に見られた溢れんばかりの魅力は感じられない。物語自体も、やたら敵味方が入れ替わりその都度右往左往しているだけに感じられて、一気読みするつもりであれば兎も角、読むたびに間を置くようなスタイルだといまいち乗れない。
 だが、一旦読了すると、登場人物のそれぞれに改めて惹き付けられた。取り分け、決してヒーローにはなり得ない工藤俊作が、その人間くささ故に読後改めて魅力を感じさせられるのである。本書は所謂「ミステリー」という範囲に括られた「ハードボイルド」ではなく、「ミステリー」を孕んだ「ハードボイルド」であり、うだつの上がらない中年となり漫然と日々を過ごしていた工藤が、命をも賭した駆け引きの中で往年の活気を取り戻す様を描いた再生の物語でもある、と捉えるべきではなかろうか。事件の複雑さや背景の闇ではなく、薄汚れながらも己の欲望や願いを充足させるために奔走する男と女の駆け引きに巻き込まれながら、工藤俊作という探偵が復活する様にこそ読みどころを求めるべきかも知れない。
 物語は、終幕を告げる一本の電話ののち、ふたたび呼び出し音が鳴り響くところで幕を降ろしている。LAでの生き方を見付けた工藤がまた新たな事件に於いて、従来以上に活躍してくれることを期待したくなる。這い蹲ってでも生きていけ。

(2000/12/4)


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