2000年1月下旬の日常

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2000年1月21日(金)

 さて明けて翌日。普通に仕事をこなしたあと、とある企画の下準備にかかる――といっても取り敢えずはただのお絵かきである。最近キャラクターを組み立ててそれを集中して描き込む、という作業を疎かにしていたため、ちょっとアングルを変えるとすぐに別人になってしまったりと悪戦苦闘。ある場面で迷いが生じるとそれが別の側面にも悪影響を及ぼすのはよくあることで、気づくと身体の描き方もばらつきが出始めている。予定のキャラ全部が立ち上がり次第、本筋の作業にかかるつもりだったが、準備に結構手間取りそうな予感がする。

 仕事量は少なく、早いうちに切り上げられるかと思っていたらこれが大誤算。朝に出した新聞全ページ広告の直しがなかなか決まらず、ひたすら無為に居残らされた。手慰みに自分用のWindowsノートをデスクトップ同然に設置してある部屋でフィリップ・マーゴリン『葬儀屋の未亡人』(ハヤカワノヴェルス)の書評を仕上げる。だが、実はこの部屋、昨日蛍光灯が切れてしまい、付け替えたもののどうやら本体がいかれているようで一向に点灯しない――即ち陽が暮れるに従い真っ暗に成りゆく室内での作業に虚しさを覚え、荷物を纏めて移動、午前中同様のお絵かきで時を過ごす。
 そして、直しが決まり、報告が私の許に届いたのは午後八時も間近の頃合いだった。しかも修正の内容と言えば、推薦・絶賛した方々の名前が羅列されている箇所で、三人ばかり記入する位置を入れ換えただけ。この世界ではよくあることなのだと、解っちゃいるけど……。バイト先に寄り、帰宅したときには金曜ロードショーが始まっていた。

 ここ数日、未消化の漫画本を一気に片付けている。私が川原由美子という漫画家の存在を初めて知った短編が今回漸く単行本に収録されたとか、やっぱり高橋しんは好きだなーとか(しかし、『いいひと』は二、三巻ぐらいで波長が合わなくなり以降敬遠しっぱなし……)、『宇宙家族カールビンソン』で短編としての最高傑作は「がっこうのかいだん」ではないかな、とか色々発見を楽しむ……にしても、最近はまた復刊ばやりである。昨日内田さんらにも言ったが、来月にはあの『しあわせのかたち』が豪華本となって復活するらしいし。嬉しいと言えば嬉しいのだが、受け手も描き手も先鋭化の一途を辿っているようでちょっと不気味だぞ。それとも、ただ新作に傑出したものがないという証左なのか。

 私信。D・M様、例の件ご教授ありがとうございます。そのうち本当にFAXして下さい、番号お伝えしますので……ってメールで片付けるべき用件ではないかこれは。しかし、よもやSだったとは……
(知らない人には危ない話題のように見せかけてみたりして)


2000年1月22日(土)

 さて問題です。私は今年に入って一体何枚パット・メセニーのアルバムを購入したでしょうか。ヒントその一。今日はPat Metheny Group『American Garage』(Geffen)を買いました。ヒントその二。ついでにソロ・プロジェクト『Secret Story』を注文しました。答が解った方は送信フォームなどでこちらに送って下さい。正解者が五人を越えた場合、私はローンでギターを買います。でもあげません。一体何のためのクイズだ。なお、別名義を使用した複数投稿、及び組織票は厳禁。そんなことしたら泣く。

 金平守人の単行本を揃えてしまった。と言ってもたった二冊だが、読んだ後凄まじい自己嫌悪に陥る。ある種の才能は、間違いなく、あるんだけど……

 食事帰り、商店街出入口にある階段脇の陽だまりに猫が大集合していた。ざっと数えて九匹。階段脇には打ちっ放しのコンクリと繁茂する雑草からなる奇妙な空き地があり、その向こう側には何やら新しいビルか何かが建つ予定だったらしく基礎工事の痕跡が見えるのだが、ある時期を境に業者の姿が掻き消えてしまった。もともと階段辺りからその空き地にかけては、正午辺りから夕方まで切れることなく陽射しが降り注ぐ絶好の環境だったため、以来開発の残滓という様相を呈したその空き地は日中、猫たちが日向ぼっこする場所として定着してしまったらしい。以前からここには野良にエサをやりに来る女性がある、というのもまた一因だろう。とまれ、あまりの壮観に感激して、常備しているデジカメで撮りまくった。中には他の猫にやられたか鴉にやられたか、それとも――で、両目がすっかり塞がってしまっている猫がいたりして胸を痛めるが、生存競争をしている彼等にとってはそんな同情など無意味なのだろう。
 夕方、撮った写真をPCに取り込んだあと、ふとデジカメの製造元でデジカメ内部ユーティリティのバージョンアップファイルを配布していたことを思い出したので、ついでに済ませてしまうことにした。
 まず、デジカメに挿入したスマートメディアをWindows上で初期化し、真っ新な状態に戻す。次に、自己解凍ファイルをを企業のサイトからダウンロードし実行する。一個のファイルが生成されるので、これをエクスプローラーでスマートメディアに複写した。その後、デジカメをPCから切り離し、あるボタンを押しながら動作させると、デジカメはスマートメディア上にあるファイルからOSを起動させ、そこから必要なシステムを複写、バージョンアップが完了
 しない
 スマートメディアからブートファイルを読み込む段階で、どー見ても膠着しているのだ。液晶ディスプレイ部分に「NOW LOADING」とある表示が明滅を繰り返し、一時間経っても終わらない。あまりにも異様な状況に、ACアダプタを引っこ抜いて強制終了、仕切り直そうと思った処、デジカメそのものが沈黙してしまった――撮影モードにも入らなければ、PC接続モードにも切り替わらない。即ち、打つ手なし、という結果に相成ってしまったのである。或いはブートとデータ複写に二、三時間ぐらいかかるもので、途中で電源を切断してしまったのが全ての原因だったとしても、バージョンアップ手続のページにそういった詳細は殆ど記していないのだから、判断のしようがない。幸い、それ程頻繁に使用しているものではないから、月曜日まで待ってゆっくりとユーザーサポートを苛めるつもりではいるが……。
 しかし、先に猫写真を取り込んでおいてよかったわ、ほんとに。因みに最新のものはここからここまで。


2000年1月23日(日)

 朝からだらだらだーらだら。起床時間は遅いし朝食は昼食を兼ねたお雑煮だし。私は病的な餅愛好家なので幸せだが付き合わされている両親は堪ったものではないだろう。

 午後、先日注文しておいた『THE QUEEN OF HEART '99』(渡辺製作所)が届いた。多分一般人には解るまい。同人ソフトだし……って、昔なら絶対買わなかったよなこういうのって。Leafの『雫』から『White Album』に至るまでの諸作に登場するキャラクターを利用したPC用格闘ゲームである。ゲームとしてなかなかの出来なのだが、マニュアルがhtml形式でインストール後でないと見られない(という訳でもないのだが、捜さないと見付からない)とか、若干ながらキーレスポンスが悪く感じられるとか、相手の体力が無くなるまで攻撃するのが結構疲れるとかやっぱりFreestyle Proの傾いた十字キーは人間工学に反しているぞとか幾つか嫌味はある。しかし同人で作っていることを考えれば上出来、というよりこれより低劣な商業ソフトも大量に流通していることを思えば不満の全くない内容である。ホームページではパッチも配布しているし(……ちょっと大きすぎるような気もするが)。
 けれど私は、格闘ゲームで遊ぶたびに、己の反射神経のなさを嘆くのであった。……Easy Modeで四人倒すだけで疲労困憊。

 録画しておいた今週の『金八先生』を横目に、キャラクターの叩き台作りの続きをする。うーん、やっぱりアングルを変えると違う人に……それ以前にどんどん顔が変わる。マニッシュな風貌のお姉ちゃんを描いている筈が段々童顔になりどっちかと言えばボーイッシュな可愛い娘になってしまう。……いいや、このままいこ。
 しかし、この企画をきちんと固めるためには臨床心理学や精神病理についての資料を読み込む必要があるのだが、とっかかりが乏しくて困る。現時点で『心理学辞典』にフロイトの著書など、基本になるものは集めてあるのだが、まだ手付かずで目前に山が築かれている状態。しかもまだ足りないような気がしているから何ともはや。もし手頃な資料本やホームページなど御存知でしたらご教示下さい。御礼は、いつかします。

 久々にリンクページを更新しました。ミステリ関連に黒白さんの『BAR黒白』と、漂白旦那さんの『漂流世界』を追加。黒白さんは開設された直後ぐらいに確認して、追加せねばと思いつつ今日までサボってました。漂白旦那さんは政宗九さんの処でつい昨日発見したもの。私は不覚にも『漂白旦那』『漂うお兄ちゃん』名義では存じ上げなかったのですが、謎宮会でお馴染みのあの方です。これはリンクするしか。ということで久々に重い腰を上げた次第。許可は……あとでお窺いします。最近すっかり面倒くさがりが板に付いてるわ。


2000年1月24日(月)

 仕事なし。テンション低し。お絵かきは出来るし文章も書けそうだし何より企画の練り込みは頭の中で着実に進んでおりそういう意味では快調なのだが、渉外能力の欠如とでも言おうか、ネットなどでのコミュニケーションに際して突如倦怠感を覚えるという状態。こういう病気にかかることは前から時たまあったのだが、何が原因でそうした心理状態にスイッチするのか、ではどうすれば本来の自分を取り戻せるのかが、未だに自分で把握していない。通例なら放っておけば何れ恢復するのだが、つまりは自然恢復を待つぐらいしか方策の持ち合わせがない、ということだ。最近はしょっちゅうこういう中途半端な鬱に突入するので、自己修復の術を何とか体得したいものなのだけれど。

 小池田マヤ『…すぎなレボリューション』(講談社・Kiss KC)は、『聖高校生』(少年画報社・ヤングキングコミックス)のOL版じゃねーのか、という気がしてならない。以前から同一テーマの反復利用、という創作方法を採っていた節のある作家だが、最近は特にパターン化が著しいように思えてならない。或いは商業的成功がほぼイコールで多作家への変貌に繋がるこの世界では致し方ないことなのかも知れないが。それに、別に詰まらない訳でもないし。

 名刺用に裁断された上質の和紙が何故か我が家にあった。使ってもいい、という了承を得たので、紙に合わせてちょっと和風のデザインで作ってみようか、という気になった。最近ネット関連で人とお会いする機会も増え、せめて名刺ぐらい作っておけば、と思うことも屡々だったので。今週は某所で俄に企画が持ち上がった妙なオフ会が木曜日に催される予定なので、それまでに仕上げるつもりでデザインにかかる……と言っても名刺ぐらいだとあまり拘りを反映しようがないので、基礎デザインはものの三十分とかからず出来てしまう。だが、私の困った処は、どうしても意味もなく絵を挿入したくなることである。名前を大書して住所に電話番号、メールアドレスにURLを書き込むと、画面になーんとなく空白が残っている。そうなると件の病気が発症するのだった。
 時間的にも余裕がなく今夜のうちに片付けてしまいたい、という訳なので、今日の日記はこの辺で切り上げます。ぢゃ。あ、因みにデジカメは製造元に送って直して貰うことになりました。木曜日には間に合いそうもありませんです。


2000年1月25日(火)

 仕事たくさん。テンション高し。でもお絵かきは全く出来なかったよしくしくしくしく。しかしこうも簡単に鬱を脱しうる辺り、我ながら単純な作りでいい。繊細なところは繊細で不要なところは全部大雑把。人間として健全でいいではないか。うん。

 出勤すると既に大量のデータが私を待っていた。追われるように出力作業をするなど、この仕事を始めた当時以来という気がする。当時と違っているのは、何から何まで手探りでどうすれば思った通りの処理が出来るのか解らずに手間を費やしてしまうのではなく、何をすれば思った通りの形になるか理解しながら、最善を尽くそうとするために時間を食っている点だ。データの点数が少なければ存分に手を加えられるのだけれど、元々締切の定められた仕事であり、それが山積みになっているのだからある程度で見切りを付けて次の作業にかからなければならない。それでもやれる限りのことをしていたら、昨晩来の鬱など何処かに掻き消えていた。隙を見て昨夜作っておいた名刺用のデータをこっそり出力する余裕まであった。しかしお願いだからこういうデザイン作業で単純なタイプミスを残して寄越すのは止めてくれ。
 まだ朝方に届いたデータの処理が完全に終らないうちに親父が次の仕事を持って戻ってきた。未処理のデータを片付けて手渡されたデータを開けてみると、これがまあ化け化け。広告なのだが宣伝文句の大見出しに当たる部分や共通のコピーが大半アウトラインを取り忘れたままになっている。それを見本と照らし合わせながら、逐一似たフォントで代用する。作業に熱中するあまり、指定を受けていた修正部分に手を着け忘れたりする。で慌てて手直ししていて、ふと気づいたことがあった。校正の指定がされていたのは週末掲載の新聞用広告なのだが、同じものの広告で業界通信紙用に使用されるデータが本日付けの仕事として廻ってきており、見ればそちらにも新聞広告に使われているのと全く同じ文面が採用されているのだ。当然と言うか、誤記や修正部分も全く同じ。なのに、通信紙用の広告には校正指定が入っていないのである。職人さんと相談しながら、こちは当然直しーの、こっちはこういう事情がありそうだからそのままにしーの、と試行錯誤し、正午近くに漸く全てのデータを出力し終えた。もともと業界通信紙用の広告は軽んじられていて、画像データの管理や写植の指定が杜撰だったり、私の職場でも多少のミスや不明瞭な点は見逃したりしているのだが、だからって校正を怠るのはどうかと思うのだけれど。現場の判断にも限界があるんだから。

 午前中忙しなかった代わりに午後は梨の礫。午前中に出力した自分の名刺用のデータに誤植を見つけたのでそれを修正してからお買い物へ。今日は随分前から楽しみにしていたあれが入荷するのである――そう、椎名林檎『ギブス』『罪と罰』(東芝EMI)のことだ。今月はこれだけを楽しみに日々過ごしていたと言っても過言では――過言だ。半分ぐらいだ。だが楽しみにしていたのは事実。バイト先に寄って週刊誌などを仕入れたあと、早速『ギブス』を聴く。
『ギブス』という曲は、一年ぐらい前に一度発表が決まってラジオか何かでも披露されたのだが、どういう理由からか一旦お蔵入りになったもの。お蔵入りになったことに何故、と付けたくなるほどの名曲である。今までのシングル曲やアルバム収録曲ほどの毒や風刺はないのだけれど、剥き身に近い感情の吐露がざくざくと突き刺さる詞、シンプルだががっちりとしたメロディ。文句なし。カップリングの『東京の女』『Σ』(これネットに置いて見えるんでしょうか? 「シグマ」と書いてあります、念のため)はタイトル曲の優等生ぶりの反動めいて、異様な躁状態。
『罪と罰』――取り敢えずジャケットに一撃を食らう。おまいは五右衛門か。楽曲は、『ギブス』の対局にあるハードロックバラード。あちらが「拘束」ならこちらは「浮遊」。狂おしいヴォーカル、演奏がやたらと昂揚感を煽るのだけれどそれ故に感情の収まりどころを失っているというイメージ。その表現の確かさが見事なり。二曲目は名曲を林檎テイストでカバーしたもの、三曲目は何処か妙な英語詞に素直なメロディを付した佳曲。ディスクとして見るなら、『ギブス』よりこちらの方がクオリティは高いかも。所詮は嗜好の問題だけれど。何にしても、このマキシシングル二枚で以て完璧に鬱脱却。ほんに、我ながらお手軽でよいぞ。

 夕方からバイトである。忙しくて何か思案する余裕皆無。いいぞ。お陰で企画を練る隙もなかったが。
 ところで皆さんは平台に積まれた雑誌や書籍類を購入する場合、一番上のものを取りますかはたまた二番目以下のものを取りますか何れでしょうか。あまり本の美醜に興味のない一般の方は概ね一番上のものを躊躇いなく浚っていくのでしょうが、書痴と呼ばれる領域に足を突っ込むほどに一番上の本というのはレジに運ぶのが躊躇われるようになりますと断言してしまう。ただ、いつも二冊目を買う、或いは三冊目を買う、という向きには、正直私は首を傾げてしまう。というのも、書店に勤めている人間ならお解りでしょうが、平台の二冊目、三冊目にあるから必ず美本とは限らないのです。
 平台にされる本というのは要するに在庫の潤沢な本とも言え、多くの場合は結束した在庫が店の奥に積まれたりしている。書籍の場合は十冊程度の束を紙でぐるりと包むだけだが、雑誌は上下に反古を重ね、その上からビニール紐などで十字に括るのが普通である。束を作るのは忙しい問屋などの仕事で、当然ながら結うときに手加減などしていられないから、束の上と下の雑誌には紐の食い込んだ跡が残ったりする。「取り扱い注意」と書かれていても雑誌の束などは大体出荷時や入荷時に力任せに動かされるものだから、束の中で接地する上下の雑誌はたとえ紙でカバーされていても傷つくことを免れ得ない。従って束の上下にある雑誌はコレクターにとって忌避したい代物になる訳だ。
 では、この束の上下にある雑誌は、店で平台にされるとき、山のどの辺りに置かれるか。――これは束を解き平台を作る人間がどの様な手順を踏むかによって異なるが、十中八九間違いなく言えるのは、束の上下にある雑誌は間違っても一番上には来ないということだ。私は十字に結わえた紐のどちらか一方を脇に引き抜き、束を立方体に見立てて紐の外れた辺の、中程にある本を二、三冊引き抜いて束を緩める。この場合、最初に引き抜いたものから平台に積み、ついで束の上から順に適当な数ずつ積み重ねていく。薄くなった束をそのまま積むことはまずない。というのも、平台にするときはある程度見場というものに気遣う必要があり、安易に積み上げたりすると山が傾いだりしてみっともなくなってしまうからだ。だから束から任意の数を取り、それを順次積み上げていく形になる。この場合、結束の一番上にある雑誌が山の一番上に来る可能性が低いのは、想像していただければお解りになることかと思う。律儀に紐をハサミで切る場合でも、事情に変わりはない。
 或いは、平台の一番上にある本は立ち読みされる可能性が高く、手垢で汚れたりするから取らない、という反論をされるかも知れない。無論、書店に勤める人間としてそんなことは百も承知だ。百も承知だから、定期的に平台の下の方にあるものを上に移動させている――結束に関する説明を諄々と行う必要もなかったような気がする。規模が手頃であり、客の出入りがある程度激しい店であればまず欠かさない気遣いのひとつである。ましてや、躊躇いなく山の一番上からレジへ運ぶ客も少なくないのだ。
 これだけ説明すれば納得して戴けただろう。平台の途中にあるから美本とは限らない。本気で傷も染みもない本を欲するのであれば、己の五感を傾注して探し求めることだ。

 ――何故こんな説明を始めてしまったのかというと。
 今日はある漫画週刊誌の早出しの日であり、店頭の平台が減るペースも速いため、頻繁に束を解いて積み上げる作業を行っていた。あるとき、人が積み上げている横で、ついさっき山を作り直したばかりの別の雑誌を抜き取ろうとする人がいた。取りにくい位置から、無理に二冊目のものを引き抜いているのである。気の毒に思いながら私は作業を終え、混み合っているレジに戻りお客を捌いた。因みに、量の出る漫画週刊誌は、早出しをする日に限り予め袋詰めしたものを一定数用意し、レジの脇に積んでいる。そこへ先刻のお客が現れ、問題の週刊誌のみ購入しようとした。私はその人から雑誌を受け取ると、それをレジの脇にあるストックの山に重ね、袋詰めしたものの方を手渡した。
 微妙に拍子抜けしたような曖昧なその人の表情が、ちょっと忘れがたかった。この名状しがたい気分を、ちょっと形に留めておきたかった――それだけの話である。

 昨日は自分の鬱状態に言い訳をするだけで精一杯だった所為か、買った本について触れるのをすっかり忘れていたことに今頃気づく。田中芳樹『巴里・妖都変』(光文社・カッパノベルス)を買ったのだった。今日は更に大沢在昌『撃つ薔薇』(同)を購入したのだが――ふと思ったのは、この二冊、両方ともヒロインが「涼子」。だから何、と聞かれても困るが。
 そしてもう一つ。遂にジャズ雑誌の定期購読を決意した。泥沼。だって『Teen Town』のスコアが載ってるしまたパット・メセニーの特集が組まれてるしどうせ毎回チェックするんなら定期購読にしたほうが面倒がないしぃ。

 ……ここ数日淡泊な記述が続いた反動かも知れません。大変長くて御免。そうそう、「カート」と「コートニー」って一体何。


2000年1月26日(水)

 Michael Brecker『Time is of the Essence』(Impulse!/Universal Victor)※パット・メセニーがギターで全曲参加
 Pat Metheny『Secret Story』(Geffen/MCA Victor)
 病気です。

 昨日の慌ただしさが嘘だったように静かな一日、ではなかった。何せ職場の前の道路がすっかり皮を剥かれて下の地面を晒しており、その上をトラックだローラー車だと重機が右往左往しているから喧しいったら。編集用のMacが置いてある場所の壁を隔てた向こう側が工事現場である。地面を叩く重い振動がさながら全身マッサージのようだった。仕事量は、まあいつも通り。隙を狙って銀行へ向かい、帰りにバイト先、CD屋と覗くぐらいの余裕はあった。で、その時に買ったのが上記の前者。メセニー全面参加のうえ、『Jazz Life』誌認定の'99年ゴールドディスクであると来ては買わずに置けようか。
 昼前、珍しく自宅の祖母から電話があった。私宛に料金着払いの郵便が届いているというのだ。払っても大丈夫なのか、という話である。ちょっと考えて思い当たった。28日発売予定の『猪名川でいこう!』(Leaf・18禁)をインターネット通販で注文しておいたのだが、それがフライングで届いたらしい。通販特典というのか、割と早期に注文したので、もともと一日早い27日に着く筈だったのが、運送会社の手違いで一日早く着いた模様。取り敢えず祖母に料金を一旦肩代わりして貰った。前にも別のゲーム会社の通販商品で問題が生じた(このとき私は直接の害を被らなかった)という話を聞いたことがあるが、確か同じ運送会社である。問題ありすぎだぞXXX急便。私は有り難かったが。
 終業後、一度自宅に戻り祖母にお金を返すと、再びバイクを走らせて、注文してあった上記の後者を受け取り、売場のあちこちを彷徨う。他にも何か買うつもりでいたが、歯止めが利かなくなりそうな危険を感じたので、見るだけで退散。本多雅人とかリチャード・ボナとか、いちいち触手を伸ばしていたらきりがなくなるやんか。――既に手遅れ? そうかもな。何れにしても今年は私にとってジャズ開眼の一年となりそうな気配。12月頃には果たして何処まで深化しているやら。

 昨日は書きすぎたので今日はこれまで。平台の話題について反応を頂戴しているのですが、再度触れるのは明後日以降にしておきます。明日は絶対無理です。何故なら……

 ちょっと実験します。カウンターの展開からして、「ミステリ系更新されてます」などで日記のトップページからこちらにいらしてそのまま帰られている方も少なくないようなので、暫くトップページと同じカウンタを「最近の日記」ページに張り付けてみました。日記のみでカウントを続けるのも悪くないのですが、今のペースで行くと三ヶ月かそこらで日記のカウンタがトップのそれを追い抜くという間抜けな事態になりそうなので。一応カウンタには同一IPアドレスからの連続したアクセスはカウントしない機能がついているので、日記からトップに移動しても数値は変わらない筈なのですが……。もし増えてしまう、という方いらっしゃいましたら御一報下さい。何の音沙汰もないようなら、日記とトップページのカウンターを一本化します。因みに1999/9/10と但し書きのしてある方がトップと同一のカウンターです。


2000年1月27日(木)

 朝から――というより昨晩の就寝前から気持ちがささくれ立っている。出勤を無断で遅らせて対策を講じるが、某所の電話応対のお粗末さに余計苛立ちを募らせてしまった。先のPCトラブルで紛失してしまった掲示板のパスワードを発行して貰うために連絡したのだが、口頭で通知は出来ないので後日郵送にて連絡する、という話になった。だが相手が住所を確認しただけで話を終らせようとしたもので、本当にそれだけで充分なのか、アドレスやこちらの登録情報について照会する必要はないのか、と訪ねただけなのに、二度も聴き手が替わり、その都度説明をやり直させられたのである。「大丈夫」とか「一応確認させていただきます」とか簡単な返答で済む用件で何故別の担当者に電話を廻したりまだるっこしい手続を踏まされるのだろう。情報を紛失したのはこちらの責任にしても、焦る理由も苛立つ理由もある人間にこのような行き届かない対応をする神経が信じられない――信じられなくなるほど苛立ちが激しい。出勤後、当然の如く社長にどやされる。

 注文しておいた名刺を受け取るが、当分使うことはないと思う。

『LEAF VOCAL COLLECTION Vol.1』(F.I.X. RECORDS)を買い、帰宅後聴いてみる……が、今の心理状態では正直許容できそうもない出来映えだったため、一曲目の途中で止めて、椎名林檎をループで聴き続ける。最近この手のゲームミュージックを聴くことが多いのだが、一様に編曲とミックスの出来が悪い。どうやら全ての楽曲がオリジナルに手を加え、ヴォーカルを差し替えた形で収録されているようだが、一曲目のみで判断する限り、「音楽」として売るには編曲が酷く薄っぺらになっているし、ヴォーカルの音量が低いのも納得がいかない(VOCAL COLLECTIONと銘打っているんだからさぁ……)。特にここ数ヶ月、Jaco PastriusだPat Methenyだ椎名林檎だといった高品質の音楽に慣れてしまっているため、勢いこうした特殊なリスナーを対象としたアルバムにも厳しく当たってしまう嫌いがある。それでも普通の精神状態であれば認める場所を見つけて楽しんで聴くことも出来る筈なのだけれど。何にしても、今日は聴くのを止めておく。こういう日ぐらい安心して聴けるものを聴いていたいのだ。


2000年1月28日(金)

 ページ本体よりも掲示板のカウンタの方が早いというのは結構厭な気分かも知れない。本文のカウンタはリロードではカウントしないように設定してあるため、もともと上がりは鈍い方だと、解ってはいても。ともあれ、掲示板アクセス5000番突破、感謝いたします。有り難や有り難や。なお、昨日憤っていた件はきっちりと解決いたしましたのでお気遣いなく願います。

 写真の色合いが気に食わないので手作業(オフライン)で差し替えて欲しい――そういうならそれ相応のデータを組んで寄越せと言うに。Illustratorというソフトは、余所様の作ったデータだと非常に加工しづらいのよ。特に文字やベクトル画像のオブジェクトの色彩設定なんか煩雑化して白いものを黒くするだけでも大仕事なんだから。あれこれ試行錯誤した挙句、差し替え用に貰ってあった写真をスキャナーでMacの方に投げ、データに貼ってあったものと丸ごと差し替えて漸く事なきを得る。最近Illustratorに画像を張り付けるのは慣れてきたので、これだとものの数分とかからずに出来るんだが。――しかしそれ以前に、頼むからそういう大事なことは出掛ける前に言付けぐらい残していってくれ叔父さんよう。

 ――むう、他に何をしていたのか覚えがない。こういう時は大抵莫迦な漫画を読んでいたりする。吾妻ひでおとか吾妻ひでおとか吾妻ひでおとか。
 貯まりまくっていた漫画が漸く消化できそうな情勢になった。最近読んだ中では宇河弘樹『妖の寄る家』(少年が放射――もとい少年画報社・ヤングキングコミックス)がなかなかの出来。短編集で一本一本について語ると消化不良な部分も多いのだが、キャラクターの駆り方、プロットのセンスなど細部で私のツボを擽ってくれるのである。表題作などはもう少し掘り下げてシリーズ化して欲しいものだけれど、難しいのか或いは設定のありがちさが引っかかっているのか。一番お気に入りは「官憲横暴ビーボくん」の見事なまでの一発ネタぶり。掘り下げて欲しいような絶対に掘り下げて欲しくないような(深読みする可)。

 昨日買った『LEAF VOCAL COLLECTION Vol.1』を一通り聴く――昨日より寛容になっている筈なんだけど、それでも編曲、ミックスダウン、演奏、ヴォーカル、果てには書き下ろしと思しき詞まで薄っぺらなのがどうにも。本来がゲームのテーマ曲や挿入歌であるという性質上、当たり障りのない作りになってしまうのは致し方ない、と考えているんだろうか。にしても、単体で人前に出すのならばもっと熟成させてからにして欲しいものだけれど。当たり障りがない、というのはある種の優等生的解答のことを言うのであり、その点では及第している、とも言えるが、それがお望みですか?

 畜生、林檎姫のテレビ出演見損なった。

 ――しかし、毎日毎日肝心なことだけが出来ない日が続いているような……。


2000年1月29日(土)

 正解は逢坂剛『カディスの赤い星』(講談社文庫)。それだけ。

 映画を見に行こうかとも思っていたのだが、手許にある券がどうも特定の劇場でないと鑑賞できないものらしく、しかも今は諸般の事情から上映館が同地区の別の劇場に移っており、手持ちの券が果たして移転後の劇場でも通用するのか確認するのも、ましてやいちいちそこまで足を運ぶのも面倒に感じられ、結局止めてしまった。何もしないのもどうかと思い、買い物に出掛ける。気が向いたら大きな買い物もするつもりだった――ギターか、新しいプリンターのどちらか。随分性格がかけ離れているが、私が迷うときなんて実はいつもそんな感じである。
 秋葉原の某楽器店でだらだらとギターを眺めて廻る。直前までは買うとすればこれ、というのを決めていたつもりなのだが、やっぱりアイバニーズのメセニーモデルは欲しいし、アンプに繋げられるからエレアコも持っておきたいし、やはりレスポールスタイルは基本のような気も――などとやっているうちにすっかり決心はぐらつき、何も買わずに店を出る。そのあと某大書店を訪れ、柴田よしき『象牙色の眠り』(廣済堂出版)森 青花『BH85』(新潮社・日本ファンタジーノベル大賞優秀賞)を購入。というわけだ>キバヤシ様。
 そのあとあっちこっちのゲーム売場を巡り歩く。元々コンシューマーでもPCでも何かしら買うつもりでいたのだが、目的もなく漠然と捜し歩くのは却って宜しくないことを悟った。最初の店では決心が付かなくても次の店でパッケージを眺めていたら買おうかという気になり、そうすると前の店の方が値段が安かったことに思い至ってしまい棚に戻し、それだけの為に道を引き返すのも馬鹿げているように思えてまた別の店に向かってしまう。でそこで改めてさっきの商品を眺めると今度は特筆するような魅力も感じられず、別の商品に目移りするが両方買う勇気はなく結局決意も纏まらないまままた店をあとにする――以後これの繰り返し。秋葉原−上野間を巡り歩いて最終的に購入したものといえば、先の二冊にPat Metheny with Dave Holland and Roy Haynes『Question and Answer』(Geffen)だけ――要するにいつもと同じ決着である。最後はプリンターの前で随分悩んだのだが……明日仕切り直す。

 どーも落ち着かないので漫画を読み続け、暫く隆起するに委せていた漫画の積読を、何ヶ月かぶりに完全解消させた。ジャンルも傾向も違う漫画を11冊も続けて読むと脳味噌の能動的な機関が休眠状態に入ってしまうらしい。作業用に夕方ルーズリーフとファイルフォルダを補充してきたのだが、全くやる気なく非常に眠い。眠いのは食後、風邪の兆候を感じてすぐにカプセル剤を服用したのも一因だろうが、何にしてもこの日記を書き始めたぐらいから拭いがたい眠気に見舞われているので今日はさっさと寝る。明日は創作活動に勤し――――みたいですねぇはい。月イチ短編の誓いが早くも危うくなっている。いや、あの時ブチ挙げた理屈では、年末の決算時に平均月一本書いたと認められれば達成、という気もするんですけど……駄目? 第一それだとサボる毎にノルマが蓄積するから却って厭だな。
 取り敢えず今日の処は寝てしまおう。明日のことは明日考えるが良し。

 ――――って肝心のこと書き忘れているではないか。遂にトップページのカウンターが5000を突破しました。有り難う御座います有り難う御座います。こういう時謝恩プレゼントなんかを用意するサイトも多いのですが、如何せん5000が近づいたと気づいたときに鬱状態全開だったものでまぁぁぁぁぁったく考えておりませんでした。10000カウント達成した暁には必ず何か用意するつもりなのでそれで見逃して皆様。ひとまず感謝状代わりのトップ絵でも描くべか。何にしても明日だ明日。ぢゃ。
 あ、5000カウントは自爆したので気にしないで下さい。


2000年1月30日(日)

 でやらなきゃいけないことをやろうと思っていたのに、ふとPat Metheny Group『We Live Here』(Geffen)に封入されたメセニーのディスコグラフィーを眺めているうちにいけない気分になり、我に返ったときには既にPat Metheny Discography (自己流)を作り始めていた。目的は、今後メセニーのアルバムを蒐集する際の便宜を図ること。つまり、ネット上に置いてはあっても私以外の誰に見せたいと考えている訳ではないのだった。強いて言うなら自己顕示欲か被虐趣味か。どっちにしてもろくなもんでもなし。これにかまけているうちにもう一枚買いたくなって、昼飯にいきつけの蕎麦屋までバイクで向かったその帰り、大いに遠回りしてPat Metheny『Watercolors』(ECM)を購入する。今月一体何枚目だと思ってるんだ!! そしてまだ買う気でいるぞ俺!!!

 それにしても、このメセニーの目録作りが存外にしんどい。検索にかけてあちこちのファンサイトやオフィシャルサイト(Metheny Group ProductionでPMG公式サイトを設置している)にあるディスコグラフィーをひとつひとつ見比べて参照しているのだが、記述方法がまちまちで判断に苦しむことが多い。一番参考にさせて貰ったのが、『We Live Here』封入のディスコグラフィーを作成された熊谷美広氏のサイトのものなのだが、これは録音された日にちを元に並べられているらしい(らしい、というのは、収録日時が不明なものも含まれているため、他に比較対象を持ち合わせない私には判断できないのだ)。それに対して、公式サイトでは本国での発売日を元に列記している。どちらか一方で統一すれば済むようにも思えるが、困ったことに何処のサイトもオリジナルの発売日を明記していないのだ。日本でも米国でも発売日さえ解っていれば私の場合はそちらに準拠させるのだが、これが不明では熊谷氏の収録日時に合わせて並べるしかない。だが、他のものに較べて完成度の高い熊谷氏の一覧にも洩れている作品が幾つかあり、これらの置き所が決まらないのだ。仕方なく解る範囲で推測して置いてみるが、どうも腑に落ちないものがある。
 もう一つの困惑の種は、リーダー作の解釈があちこちで衝突していること。Jazzやフュージョンというのは元々、他ジャンルと較べてコラボレーションが多いのだが、メセニーもこの点例外ではなく、デビュー直後から実に多くのセッションを行っており、近年更にその傾向が強まっている。Jim Hall & Pat Methenyのように端から共同製作という性格が明確に打ち出されている作品は何処でもリーダー作のひとつに計上しているのだが、問題は参加アーティストが多数、しかも大物ばかりというコラボレーションである(先日購入した『Question and Answer』のメンバー+Chick Corea)。最近ではGary Burtonのプロデュースによる一大コラボレーション『Like Minds』というのが制作されているが、これはショップなどでは基本的にGary Burtonの棚に置いてある。しかし公式サイトではちゃんとPat Metheny自身の仕事として記載されているし、実際ジャケットには参加アーティストが表面に列記されており、楽曲についてもそれぞれのオリジナルが採用されて特に差別化されている節はない。そもそも発端がメセニーからゲイリー・バートンに送られたeメール(!)だったというのだから、これは歴としたメセニーの仕事として評価されるべきだとは思うのだが、ファンサイトなどではサイドメンとしての仕事と捉えているところが多く、判断に苦しまされる――結局、私自身の判断で分類してしまったが、如何せん所有していないものの方が多いのだから心許ないことこの上ない。
 煩悶呻吟しながらどうにか一通り仕上げたが、そうして気づくと例によって日付が変わっている始末。折角の休日も丸潰れ。何が哀しいってこんな面倒臭い作業を楽しいと感じている自分がいることさ。へん。


2000年1月31日(月)

 あらら、もう一月終わりですか。

 出勤はしたものの例によって週はじめは仕事なし。ちょっと手慣らし代わりにお絵かきをして、そのあとバイクで放浪した。ガソリンを充填してバイト先で買い物をし、眼鏡屋で壊れた眼鏡ケースを買い換え、上野でまたしてもプリンタを前に悩んで帰宅――しようとしたら、公園前の車道がすっからかん。時たまあることなので、歩道に停めたバイクの傍らで顛末を見守っていると、やはりやんごとなき方々のお通りであった。あとで母が推測するには、丁度何処かで皇室収蔵美術展が行われている最中なので、そちらを訪問された直後ではなかったか、とのこと。いやまあ、私はあの方のお姿を垣間見たことに驚いているのではなくて、上野界隈で車道の見通しが良くなるのはこういう時だけなんかい、と思っただけなんだが。池之端の向こうまでがすっきり爽やか。空が青い。

 ――どうも休日に気持ちが休まっていないのが拙いように思えてきた。月曜だというのにもう砂袋のような疲労感が首筋辺りにのしかかっている。

 先日某所のもんじゃオフに行き損ねた雪辱、という訳ではないが、夕食はお好み焼き屋で賄った。去年末に父の友人が亡くなってから、その友人の母親の面倒をあれこれと(行きがかり上)見ている私の両親なのだが、今日も彼女が亀戸の親類宅から夕方自宅に帰るのを車で送ることになり、ついでに更に別の親類が経営しているお好み焼き屋によって夕食をすませてしまおう、という具合に話が進んだらしい。普段なら私が引っ張り出されることはないのだが、もんじゃを食い損なって私が盛んに悔しがっていた為にお呼びがかかったのである。ばーちゃんがひとり何やかやと騒々しかったが食った。タコ天に牛天にその店のオリジナルとお好み焼きを三枚、そのあとでもんじゃのベビースター入りと明太子入り(無論全員で分けたんだぞひとりでこんなに入る筈ないやんか)。美味かった。たまに食べるだけだから余計にそう思うのかも知れないが、堪能した。特に最後のお茶漬けが絶品だった――というのは店の方には秘密である。だって胃に凭れるものを大量に流し込んだあとだから尚更でしょ?

 買ったCDは皆一旦MP3に変換して保存するのが習慣となっているが、やはり音質面ではまだCDの方が信頼性が高く、最近購入したものについてはMP3データを作成したあともCDで聞くことの方が多い。データ処理→再生という手順を踏むMP3では屡々処理の遅延に起因する音飛びが生じるが、データをじかに再生するCDではディスクそのものが跳ねたりしない限り音飛びは起きないのだ。この半月ほど、椎名林檎が発売した前後を除いてすっかりメセニー漬けになっているが、全部MP3に吸い上げておきながら聴くのは専らオリジナル音源からという始末。しかしこのひと月でメセニーのCDも結構な数になり、纏めて聴くには入れ替えが億劫な程になってしまった。そこで、久々にMP3変換再生用ソフトを再生用に使ってみることにしたのだが。

 メセニーだけで10時間。夜が明けるわい。


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