2000年1月中旬の日常
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2000年1月11日(火)
暇だったよーう、本業もバイトも。年明け早々ではまだ客足もまちまち、ってか。本業は例によって木曜ぐらいに集中しそうな気配だし、バイトの方も本来の活気を取り戻すのは来週以降か。退屈至極。そんな訳で次のCGに使う下絵の粗書きを……何故そんなものを書いているのだ。今度は冬の最中か暮れぐらいの情景なので、またのんびりと描いてはいられません……従って今週もCG漬けだよ。よく飽きないな私も。
昨日のCG疲れもあって、午後は派手に仮眠を取る。そのあと、ちょっと重要なメールの下書きを作ってからバイト先へ。社長以下数名が深刻なんだか気楽なんだかよく解らない話をしている前で私はひたすらレジの番である。しかし七時〜八時ぐらいにちょっとばたついたぐらいであとは閑古鳥すら鳴く始末。本屋で働いていると、読書家というのが世間に占める割合の低さというものを常に痛感させられる。バイト先では火曜の夜が一番忙しい、と言っても大半は漫画雑誌を買って行くだけなのだから。だから火曜の夜が暇なのは、バイト先では結構な打撃なのである。近所にいる方(というか、深川がどの辺でバイトしているか見当が付いている方)、たまには買いに来て。最近は入荷状況も良くないけどさぁ。帰り際に山前譲・編『金曜の夜は、ラブミステリー』(三笠書房・王様文庫)(……何とかならないのかこのタイトル)を購入し、ついでに来月の文庫・コミック新刊予定表もお借りする。この日記をアップしたら、買いたいものをピックアップしておくのである。そうしないと毎月大赤字になるし。
ああ、しかし、本当に書くことがない日だな。
2000年1月12日(水)
今日の買い物。講談社ノベルス新刊全部。内訳は自分で調べて下さい。流石に手前で呆れました。あと、CHAGE & ASKA『VERY BEST ROLL OVER 20TH』(東芝EMI)を、貯まったポイントカードで購入。この二人はデビュー当時と今とで歌い方も作曲スタイルも激変しているため、ランダムに並べるということが出来ず曲順は完全な時系列準拠である。「オンリーロンリー」や「WALK」といったちょっと通好みの楽曲も選ばれている一方、CHAGEリードの曲が殆ど(以下略)
今日もまた仕事は少ない。唯一来た仕事は、うちはモノクロ製版専門だといっているのに相も変わらず赤の混じったデータがそのまま来たという代物。ちまちまと色を変える。午後から冷たい雨が一時みぞれのような雪になり、冷え込みは一層強まった。バイクで帰るにはなかなかしんどい気候になったので、両親の車に便乗して帰宅した。という訳で明日の朝は寝坊が出来ないのである。
色々とやりたいことはあったのだが、個人的に重要なメールを二つ送ったあとで、状況を顧みずにCGIの加工に没頭してしまう。In Deep掲示板は書き込みの際に逐次改行を挟まないといけないのだが、御覧になっている方はお解りのとおり、常時出没するのは今の処私を含めて僅か三名なのだが、その何れも長文タイプである。改行を挟むだけでも結構な手間なのではないか、と思ったのだ。実際、私は未だに面倒臭い。また、過去ログを保存するのも自ずからやらなければならず、まあこれは私ひとりが苦労すればいいことなのだが、現在私はもう一箇所のログも点検の上保管し続けているもので、うっかりするとすぐに流されてしまうため結構神経が磨り減る。つまり、改行がブラウザ依存で行える、且つ過去ログを自動生成してくれる掲示板があればその方がいいのではないか、と思ったのだ。幸いにインターフェイスは殆ど同じだが機能的に上というフリーのCGIがあり、予めダウンロードしてあったので、それをあっちこっち弄って、旧来の掲示板と外見は殆ど変わらなくなるように作り替えてみた。
しかし設定項目をそのまま流用するとタイトル画像が貼れない、注意書きが付けられないなど不満があったため、試行錯誤しながらCGIのプログラム部分まで書き換え始めてしまい、慣れない作業故納得のいく作りになるまで随分時間がかかってしまった。現在午前三時半。まあ、最近は起きている時間帯ではあるのだが、それにしても結局他の作業一切を犠牲にしてしまった。掲示板も行きつけの処は一通り眺めているのだがレスする余裕なし。果たしてそれ程の価値があったのかどうか……。
他における場所がないのでこれまで通りNiftyに設置したが、前にも触れたとおり、NiftyではCGI専用のエリアにアップロードしたhtmlなどは、普通に読み込むことが出来ない。採用したCGIには過去ログから求めている記事を検索できる機能があり、これを利用するとちゃんと以前の書き込みも見えるのだが、これでは時系列に添ってログを閲覧することが(普通の手続では)出来ないことになる。不自由極まりない。やはりそのうち、もう少し融通の利くサーバを捜すべきかも知れない……既に幾つか目星はつけているのだけれど、実はみんな結構お金がかかるから……月2000円でも今の私には充分痛いのである。
ともあれ、当分はこれで充分だろうと割り切って、『若おやじの社交場 in Deep 2nd』を新たに開きました。あくまでも旧『In Deep』の流れを引き継ぐものなので、ゲームの話題・ちょっとディープな話題に限定させていただきます。なお、いざというときのことを考え、当面は旧『In Deep』もそのままの形で残しておきます。非常時にのみ御利用下さい。さー、今夜はもう寝るべ。
2000年1月13日(木)
予想通り今日は仕事に忙殺されたのだが……内容は予測と全然違った。朝一番で届いたデータをさっさこと出力装置に転送してみた処、定着装置の手前でフィルムが止まってしまい一向に流れない。叔父が点検してみたところ、定着装置の掃除中に残ったゴミが原因のエラーと判明、間もなく無事に流れた。が、出てきたフィルムを見ると、ネガプリントなのだが半分近くが白く焼き飛んでしまっている。何枚出力しても同じ。叔父は昨晩あった微震を理由に、定着液が混ざって調合率が変わってしまったのが原因ではないかと推測し、定着液を補充するが状況は変わらない。結局機材のサポートに連絡する。正午近くになって返答があり、出力装置の現像液の方が混ざって比率を崩していたことが判明した。その時点で新たな仕事が数点入っており、文字化けしているのを古いデータの同じ文章をコピー&ペーストして直したり同じファイルを天地・幅のサイズを変えて複数枚出力できるよう設定したりといった作業をたったか片付けて出力する。ちょっと昼食が遅くなった。
午後になって叔父がまた別の問題を発見した。出力したフィルムに横の筋が無数に入っており、その為に網が削れて薄くなっている箇所があるのだ。データの方に原因があるということはないか、と訊ねられるが、明らかにデータの影響が及びようのない処にまで筋が入っているので考えがたい。こちらも問い合わせた結果、フィルムを装填した際に発生した皺がそのまま残ってしまったのが原因と判明。改めて出力してみれば問題は無くなっていた。午前中に扱ったものを一部校正して再度出力し、実質私の仕事は終わり。だが年末にちょっと手をつけたまま放ってあったバックアップの作成もあったので、一通りそちらも片を付けた。
どうも災難続きの一日に思えたが、帰宅時にとどめを刺された。不安を抱えたままバイクに乗って帰途に就いたのだが、案の定バイト先に寄り道している最中に雨が本降りになった。しかしまだ飛沫くほどでもなく、この位なら距離的にもさほど濡れないうちに帰れるだろうと高を括って合羽も着ずにバイクに跨る。……結果は、ご想像の通り。ハンガーに提げたジャンパーからは止めどなく水滴が落ち、ジーンズは重量を倍加させ洗濯籠に直行した。とほほほほ。昨日、CGIにかまけてすっかりさぼってしまった掲示板へのレスなどを真面目に(一部極めて不真面目に)片付ける――そんなこんなでお絵かきの続きも小説のたたき台作りも企画書作りもしたかったというのに結局なにも手につかないさ。いいことといえば、コミケの時に注文した南澤大介さんの『nightmare project YAKATA soundtrack』が届いていたことぐらい。もう今日は不貞寝するさ。ふん。昨日書き忘れたことひとつ。シックスセンスの子役と、えなりかずきはとてもよく似ている。怒るな。
――そうそう、もっと前から書き忘れていたことがひとつあった。トップページに「作る」と書いておきながらなかなか作らずにいたバナー新作、漸く完成したのでトップに置いた……のは一体いつのことだったでしょう。忘れた。ともあれ正式にアナウンスするのを今まですっかり失念していたので、ここで改めて告知します。ついでにここにも乗せておきましょう。これ↓。要するに、今トップを飾っている娘をそのまま転用しただけですけど。旧来の大きなバナーを変形させて使っている方など、気が向きましたらこちらに変更して下さい。しかしHPの実態を全く反映していないバナーだ。
2000年1月14日(金)
今日も今日迚昨日とよく似たデータを出力してそれで終わりなのでした。
講談社文庫の発売日である。私にとっての目玉は無論小野不由美『月の影 影の海(上)(下)』。挿絵は仕方ないとしても表紙ぐらいホワイトハート版の雰囲気を少しは持ってきてくれても良かったように思うのだが。あくまでも「大人向け娯楽」として仕切り直したいのだろうか。末尾に著作リストが付されているのを見て、ふとデビュー作から揃えてみようかな、などという野心が首を擡げる。止めろ。
両親がそれぞれ所用のため、夕食はひとりで食いに出掛ける……いつものうどん屋だけど。その前に、ご近所にある本屋でギターの弦を二組買う。嘘でも冗談でもない。気づいたときは私も驚いた。それ程需要がないのか、一揃い収めたビニールケースはくすんだ色をしており、種類もかなり減った模様だが。いい弦を格安で買えたので私としては満足なのだけれど、例によって余計な心配をしてしまうのである。
食後、部屋にてテレビを眺めながら張り替え作業をした。自宅にあるギターは他人様からの貰い物なのだが、戴いた時点でかなり傷んでおり、気づけば糸巻きがひとつ取れかかっている。ヘッド部分にあるネジ穴が莫迦になっている所為なのだが、既に二度三度とネジ穴を穿ち直した痕跡があり、それが弧を描いている。更にずらしてネジを無理矢理に埋め込むと、摘みがあからさまなほど斜めになってしまった。別の場所に置いてあるもう一本のギターは自分で購入したもので、こちらは傷みもなく極めて健全な状態なのだが、自宅で気の向いたときに遊ぶギターが欲しいところである。そうして気づけば明日大きな楽器店を訪ねるつもりになっていた。欲が深いと困る。掲示板へのレスを認めたり、一昨日作成した掲示板の環境設定用CGIの設定ミスを修正したりしているうちにだらだらと時が過ぎてしまう。CGの下絵を仕上げようと、日中の暇を使って手慣らしもしておいたのだけれど、また明日廻しである。
2000年1月15日(土)
10時半頃に自転車で自宅を出て、秋葉原にある大手楽器店(って多分一個しかないと思うんだが)に向かった。一階のDTM周辺機器売場で『Third Wind』(Pat Metheny Group 『Still Life (Talking)』収録)がMIDIによって完璧に奏でられているのにちょっと感心してから上階へ。ギター売場を一時間近くうろうろと眺めて廻った。最初はアコースティック関連だけ見て回るつもりだったのだが、現物を見てしまうと流石に血が騒ぎ、レスポールスタイルのエレキギターやベース類もしげしげと観察してしまう。8800円という不可解な価格のフェンダータイプや、今日限り特価16800円なんて札のついたレスポールタイプ(ちなみに双方ともブランド名は『Legend』である。安い伝説……)があるかと思えば、大体私の去年一年分の書籍購入費に匹敵するんじゃねーかなーという代物もある(ほらそこ計算するんじゃないの)。最近津原さんの掲示板でちょっと盛り上がったウクレレも一通り眺める。大きさが大きさなので平均しても10000円台、高いものでも3,40000行くか行かないかという良心価格。食指が伸びるが、ウクレレはギターとは微妙に精神が異なり、今日の来訪目的とずれるので却下。予約受付中の高木ブー・シグネイチャにはとっっても惹かれたが。
問題のアコースティック・ギターコーナーへ。ご丁寧にフロアの最奥である。所謂マーティンやギブソンを代表格とするフォークギターは無論、ナイロン弦のクラシックギターにフラメンコ、エレアコにフルアコといった、名称に「アコースティック」がかかるものはほぼ大半が一堂に会している(セミアコは別コーナーでした)。最近ジャズ系に懲りつつある身としては何れも魅力的で目移りが酷い。他のコーナー同様ここも品揃えはピンからキリまで。上を見れば文字どおりきりがない。私が最も目を惹かれたのはフルアコのひとつ――アイバニーズのPM100BK。内部を覗き込むと、『PAT METHENY』というゴシック文字が麗々しく刻まれているところからも解るとおり、メセニーがお墨付きを出しメインギターとして採用しているモデルである。年末に購入したジャズ雑誌別冊で情報を得ていたものの、あまりに高そうなので敢えて気にしないようにしていたが、値札を見ると存外に安い……と言っても、税込みにすると20万を越える価格ではあるが。全般にフルアコは高価なので、決して異常な価格設定ではないのだ。ローンにすれば買えないことも……という邪気を振り払い、アンプを通さなければ音が出ないものは一切無視して、エレアコやフォーク類に焦点を絞る。生ギターの系統は、マーティンだギブソンだヤマハのハイレベルな奴などを望んだりしなければ4、5万円程度で収まるし、初心者向けのものなら1、2万円台である。その辺りで手を打とう、と眺めていると
9800円。
流石にちょっと我が目を疑った。しかも発売元はFender Japan。アコースティックではとんと評判を耳にしないが、エレキギターのメーカーとしては間違いなく大手のひとつ。それが何故、定価で10500円という価格破壊も著しいアコースティックギター(同じ値段でスチール弦のものとナイロン弦のものの二種がちゃんと用意されていた)を出しているのだ。解らん解らん……と呟きつつ、誘惑に屈して購入。今まで持っていなかったということもあり、ナイロン弦の方を選んだ。依然パット・メセニーモデルに後ろ髪引かれる心地に捕らわれながら店をあとにした。畜生待ってろよメセニーモデル、いつか買っちゃる。自著が出せたらその記念にするのじゃ。――果てない夢だ。帰宅後、先週の日曜日に無駄足を踏まされた蕎麦屋へ両親と共に食事に出掛け、戻ったあとでぼろぼろと新しいギターを奏でてみる。まあ、案の定値段相応の音だった。ボディの素材も貧弱そうだし、共鳴板が手抜きなのか音に張りも響きもない。ただ、それでも弾き慣れたスチール弦とは異なる味は感じられるし、あくまで練習やお遊びのために買ったつもりだったので不快感はない。それよりも、一緒に買ったカポタストがなかなか良かった。あまり見慣れない形状でどうすればうまく弦を押さえてくれるのか最初は解らなかったが、一旦要領が解ると、これまで使っていた金属製のクリップのような構造をした奴よりも遥かに使い勝手がいい。ギターの質に問題はあるが、ともあれこれでスーパーギタートリオをコピーするための環境は整った……などと考えるのは止めた方がいいような気がする。
夕方、わざわざバイクを引っ張り出してバイト先を訪れる。買うものが貯まると、私は気配でそれを察知できるのだ。文庫を中心に七冊買って帰る。数年ぶりにゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』(小学館文庫)を読んだのだが――そう言えばこれは1999年を発端にした話だったのだ。本広克行監督(『踊る大捜査線』な)がそのディテールの先見性を讃えており、実際記憶媒体の変遷やレイバーのシステム設定など現在を思わせるものが多々見受けられて興味深い(だが、この辺りは当時の技術水準から敷衍して予測可能な範疇にあると思うのだけれど……? 当時リアルタイムで見ていたときもさほど違和感は覚えなかったし。寧ろ、この当時既に湾岸副都心を「空き地」と表現していた辺りが……)のだが、しかし二足歩行ロボットは未だ研究途上にあり、実用化にすら至っていない。近未来物語の悲しさと言うべきか。しかし今読んでも滅法面白いことに変わりはないのであった。そして、本広監督の発言を根拠にすれば、この作品は『踊る〜』や『ケイゾク』といった最近流行の「シリアスでコミカルなお役所のお話」的ドラマに先鞭を付けている、とも言える訳だ。基本、と言い切るには前例は幾らでもあると思うのだけれど……要は、国産の映画やドラマといった実写芸術の性質の古さを物語る事実ではないのかな、とちょっと思った、ということ。
母上推薦のいしいひさいち『地底人の逆襲』(双葉文庫)は後日のお楽しみに取っておく。積み上げっぱなしのゲーム消化期間実施。早速、オープニングを見たっきり停滞していた『英雄伝説V 海の檻歌』(Falcom)を起動してみる。
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その昔、あさ○よし○おの漫画の中で「ふ○るこむのゲームはみんなクソゲーだ」という罵りの台詞を目撃したことがあり、当時まだふぁ○むのゲームにそれ程触れたことのなかった私は「ちょっと言い過ぎなのじゃないか」と思ったものだが……今、全く同じ台詞が言いたくて仕方ありません。無意味に綺麗なだけのオープニングを見たときから漠然と感じていた不安は全て現実だったらしい。やたら懲りまくったOPに対して、本編の作りがスーパーファミコン時代のドラクエの域を出ていない。加えて説明的で拙劣な台詞廻し、不親切な戦闘システムに舞台設定。公式HPを見ると社員は常時募集し厳選しているようなことが書かれているが、もしかしたら旧作への憧れをそのまま作品に反映したものが未だに通用すると思い込んでいる人間ばかり掻き集めているんじゃないのか? プログラム面で不満は感じないし、確かに細部を見れば私が普段やっているゲームより遥かに出来はいいのだろう。だが、この作品を見る限り、スタッフの誰ひとりとして大局を見ていない、としか言いようがない。新しい古い、という評価の仕方はあまりしたくないのだが、この作品は酷い――ひたすら悪い意味でのみ古すぎる。作品の世界観においても物語においてもシステムにおいても、だ。最近同社がDOSからの移植を推進している『英雄伝説』シリーズの最新作とあって、途中で止めたままの第一作や第三作よりはずっとレベルの高いものを期待していたのだが……同程度かそれ以下という出来では話にならないだろうに。第四作『朱紅い雫』までは、初めからそのつもりだったので付き合うとしても……恐らくそれが最後だと思う。……あ、結局今日も下絵を描かなかった。
2000年1月16日(日)
わーあかんわ本格的に何もしていないよ今日一日。墜落の極み。そう、私が今日見たDVDは『アポロ13』。成る程、確かに音響・編集部門賞受賞作だ。台詞廻しもプロット運びも秀逸なのだけれど、あくまで実話ベースという点がアカデミー作品賞を逸した原因だろうか。そうしたノンフィクション的要素を排除していくと結局編集と音響だけが残った、と――あんまり愉しくない見方ではあるが。ともあれ、決して技術のみで見せていない作品で満足しました。さあ、そろそろ返さないと。
ギターを弄んだり、某所のトップページ作成に向けてひとまずフォーマットだけ作ってみたのを他のメンバーに見せて意見を求めたり、漠然たる意識の求めるままに動いていたら一日があっさりと過ぎ去ってしまった。ちょっとだけ部屋を片付けてから下絵の続きをやろうかと思っていたのに――この場合、ネックになったのはちょっとだけという不遜な思惑を抱いたことであろう。ちょっとだけ? そんな適当な覚悟で片付くものかこの部屋が。
特筆するべきことはこの程度。長文を期待して見に来て下さっている方、ごめん。でも昨日が無意味に長かったから丁度いいでしょ。
そう言えば、大森望さんの日記に、角川ホラー大賞の最終候補選考が終わったようなことが書いてある……おーい、誰かー、途中経過がどこで発表されるのか教えてくれい。
2000年1月17日(月)
雪混じりの雨の中バイクで出勤するのは度胸である。そんなものはないので両親の車に便乗した。
出勤直後にデータを出力する。が、先日来発生していた現像の斑が依然見受けられ、使い物にならない。サポートに問い合わせ、返事があるまで私には何もできない。いつ仕事が来るか解らない状態ではCGの下絵も手につかず、漠然と読書を続ける。素晴らしく捗る。
まずはフィリップ・マーゴリン『葬儀屋の未亡人』(ハヤカワノヴェルス)読了。いやぁやっぱり好きですこの作家。外連味と読み手を惹きつける謎の繰り出し方、展開の疾走感、派手などんでん返しに意外な犯人。エンタテインメントに措ける黄金律のひとつを完璧に達成しているのではないでしょうか。ただ、犯人は途中で読めましたが、それで評価が下がるわけではありません。過程は凄いし、これだけ引きずり回して清々しい読後感を残してくれるのも嬉しい。『暗闇の囚人』からの俄ファンではありますが、今後もついていきます。難を言えば、翻訳者が前作までの田口俊樹氏から加賀山卓朗という方にバトンタッチしたのですが、文章が硬かったりてにをはの推敲不足があったりとやや拙さが目立った点だろうか。物語自体の疾走感に後押しされて、作品後半ではさほど気に懸からなくなりましたが、本書からマーゴリンに入る人にはマイナス要因となりそうな気がする。
で、これを読み終えて暫くしてから仕事場を覗くと――まだやってる。しかも原因の所在がこちらの当初の予想と異なり、出力装置の光学部品にあるらしいという結論になったらしい。だが来ていた業者は現像装置の専門だったため、改めてそちらの担当者を召喚したという――到着、調査、問題解決まではまだ時間がかかる。戻って再度読書に没頭する。途中で少し寝たのにとっても捗る。結局、朝に来たデータを正常に出力できたのは午後四時過ぎであった。
買い物に行くという母親の車に乗せて貰いバイト先を訪れる。店員の某氏に昨日見終わった『アポロ13』のDVDをお返しし、別の某氏から見つけて貰った漫画の単行本をお引き取りする。母が買い物を終えるまで延々と店内を周遊するが、結局買ったのは漫画ばかりだった。集めていた単行本の幾つかを切り捨てる決意をする。面白いと感じないのに集め続ける義理などない。帰宅後、既に数ページを残すのみとなった本を片付ける。江戸川乱歩『黒蜥蜴』(創元推理文庫・乱歩傑作選5)読了。職場の休憩所というか元住居に置き去りにしていたのをふと目に留めてしまい、何気なく読み始めたらいやー早い早い。講談調といおうか、読み手の視点を無理矢理あちらへこちらへと引きずり回す文体に、あの戦前特有の香気に満ちた舞台設計・人物造形。こういう種類の外連味は決して好いていないのだが、乱歩と風太郎だけは拒めません。粗すぎるトリックや全体的なプロットの杜撰さなど、論って否定するのは全くの野暮だと思わされます。愉快でした。それにしても解説の白峰良介氏、新作はいつ出されるのでしょう……と言うより、昔講談社ノベルスから出ていた長篇っていつになったら文庫に落ちるのでしょう。ひたすら待っているのに。
そろそろ掲示板でぶちかました「短編月に一本」の宣言が脅威に感じられてきたので、風呂に浸かりながらあれこれとアイディアを練ってみる。そんなに簡単に出来たら世話ないでしょと思いつ……出来た。しかも二本も。――と言っても、アウトラインが具体化しただけで細部はもっと固める必要があるのだが。何にしても、これでストックがちょっと増えた訳である。ラッキー。忘れないうちに着想をテキストファイルに書き留めた。取り敢えず四月ぐらいまでは目標を全うできそうな気がしてきた。
更に、せめて今日読んだものについては今日中に書き上げてしまおうと書評に取り組むも、粗筋をある程度書いたところで気力が尽きる。だから今日も下絵を描き損なう。ちっくしょぉぉぉぉぉ。明日こそ明日こそ明日こそ。
2000年1月18日(火)
うーん、やっぱり火曜日は書くことが何もない。昼間は仕事が殆どないので延々下絵の下書きの練習を描き続けて煮詰まったら読書してというのを繰り返して、夜は夜でバイトである。バイトのほうはなかなか忙しかったのでそれなりの充実感を得られたのだけど、それだけに却って特筆するようなことは何もなし。うーん、そう言えばここ数日まともにゲームで遊んでないな、とちょっと思う。今日は異形招待席の新刊・斉藤肇『廃流』(廣済堂文庫)他、文庫ばかり全部で四冊購入。うち一冊吾妻ひでお。
女房を質に入れてでも、という台詞を最近耳にしたことはありますか。それともこんな言葉片鱗でも口の端に上せたら人権団体に膾に叩かれてしまうのでしょうか。しかし私は今、それで纏まった金が手中に出来るならそうしてしまいそうで怖いです。たかがギターを買うために。
まあ、その前に女房になりそうな人間もいないんだけどさ。不毛。20日の夜午後七時半から、新宿にあるロフト/プラスワンという処で、津原泰水・監修『十二宮12幻想』『エロティシズム12幻想』(エニックス)の刊行を記念した、執筆陣によるトークライブが一晩ぶっ通しで行われるらしい。何も一晩付き合わなければいけない訳ではないので、出来るものなら覗いてみようかな、と思いつつ、最近再発しつつある出不精の気が今日まで決心を付けさせずにいたのだけれど、ちょっとした後押しもあって結局行くことに決めた。一応堅気の職に就いていることになっているので、流石にオールナイトは無理にしても、終電間際までは堪能してこようかと思う。
私の懐には、この冬幾度目かの木枯しが吹き荒れようとしている。
2000年1月19日(水)
先月の初め頃に買ってまだ読んでいない漫画が一冊行方不明になった。何処だ。見つけて読まなけりゃ赤字が解消しないではないか。仕方なく別のものから片付けていく。その気になれば一日で十冊ぐらい読めた筈なんだが、昔は。
午前中、仕事に区切りをつけると、時折小雨のぱらつく曇天の中バイクを走らせて秋葉原へ向かい、待望の中島みゆき『夜会Vol.10 海嘯』(Pony Canyon・DVD)を購入した。ついでに最近すっかりドツボに填った格好のPat Metheny Group『We Live Here』(Geffen)も買って帰る。それだけで結構上機嫌だったのだが、午後に来たデータが一部破損していて読み込めず、癇癪を起こす。だー。週に一度は必ずトラブルが起きるのは一体何故じゃ。
夕方になり、うっすらと青空も覗くようになったころ帰宅、何はともあれ『海嘯』を見る。松本楽志さんの発言もあって、かなり不安を覚えながらの視聴
――の前に、PCでDVDを鑑賞している皆様、音飛びとか画面の駒落ちとかどのぐらい起きてますか? 最近深川の愛機では頻繁に生じます。かと思うと最後まで何ら問題なく見られる場合もあるので、恐らくは枯れていない媒体でよくあるソフトとドライブの相性が原因となっているのだとは思うのだが……何れにしても、そろそろDVDドライブ専用のクリーナーでも用意するべきなのだろう。今の機体にしてからぼちぼち一年近いのだし。
閑話休題。そういう訳で、いつか起こるかも知れないマシンフリーズに戦々恐々としつつ、兎に角ラストまで一度流してみた。
――仰言るとおり、ビデオ用の追加演出部分、CGであるとか情景描写であるとか、その辺りの表現には多いに疑問を覚えた。シーン毎の繋がりが、舞台と絡んでいる処はたまに成功しているのだが、あとは全体にぎこちない。最たるものがやはり車の滑落シーンになるだろう。あまり高いとは言えない技術で落ちるところまで描いてしまったのが一番拙かった。
また、舞台外のロケ撮影の部分、大半が舞台部分の演出と不調和を起こしてしまっている。ざっと見た限りでは、視点の置き方が舞台とあまりにずれてしまったのが失敗ではなかろうかと思った。舞台部分では、その中にカメラを置く余地がないという都合上、離れた位置からズームで撮影しているのに、実写部分では安易にカメラを近付けすぎている嫌いがあり、加えてカメラワークにも何故か素人臭いぎこちなさがあって(……確かプロだよな……?)、特に場面移動の激しかった前半部分において違和感が著しい。多分技術次第では幾らでも糊塗できるのだろうが、それが出来ない辺りに監督のセンスの限界を感じてしまう。
ただ、実写部分を意識の外に置いてしまえば、決してレベルは低くない。白状すると私は『花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに』しか「映像作品」としての夜会に触れていないのだが、あちらに較べれば物語は遥かに平明になっているし、脇役陣の演技力も歌唱力も申し分なく、「表現」を受け止めようと必死になっている脳のある部分を除けば、概ね安心して見られる出来だろう。この手の舞台作品にありがちな、台詞部分のテンションの低さが何カ所かで災いしていたが、それだけなら瑕疵と言ってもいい。楽曲の出来も、「何故アルバムに入れなかったんじゃぁ!!!」と叫びたくなるような佳曲が多く(全て新作で、旋律や歌詞に余計な先入観が殆どなかったことも幸いしているのだろう)、ファンならずとも一見の価値はあると思った――それだけに、「映像作品」に仕立てようとした演出部分の殆どが蛇足に思えて仕方なかったのだが。
ラストシーンをどう解釈するか、どう評価するかによってかなり印象も一変する作品である。舞台全体をメッセージとして捉える向きであれば、賛否はともあれその意志を汲み取ることは出来るのだけれど、舞台に対してもっとシンプルな物語を求める向きにはまるで納得のいかない結末ではないだろうか……尤も、その程度の覚悟で「夜会」を見に行くような人間は多分みゆきファンではないとは思うが。
……と、ここまで綴ってみて、中島みゆきが「夜会」で求めていたものの一部が垣間見えた気がした。これは能に代表されるような、演技者と観客の間に確乎たる約束が成立するような舞台を目指していたのではないか。「夜会」とはこういうものなのだ、という了解の元に観客が集まるような舞台を。最終的には、「夜会」はその全体を通して中島みゆきという言葉使いの投げかける大きなメッセージを受け止めるような形にはなったけれど、果たして最初からそれを目指していたのかどうか。彼女が欲しかったのはあくまでも、そういう「約束」だったのではないか――と、ちらっと思ったのである。あくまでも私感に過ぎないし、明日になったら撤回しているかも知れないけれど。
ともあれ、実写部分に用心してさえいれば、充分に優れた「映像作品」である、というのが素直な感想。ストーリーは多分理解できたと思います>松本楽志様。あと、私は何故か聡子さん(字、合ってます? 長編詩版『海嘯』は未読です)に心惹かれました。なんでや。
しかしみゆきファンじゃないと何の楽しみもない文章だろうなこれ。最初はDVDを横目に色々作業をこなそうと思っていたのだが、油断するとすぐに前後関係が理解できなくなるような内容だったため、接ぎ穂接ぎ穂を睨みながらある企画の取っ掛かりを文章化するだけに留めた。だがこれに案外手間取り、試行錯誤しているうちに夜も更けて、結局今日もまたお絵かきに割く時間が失われてしまうのであった。とほほ。
……日記カウンタ1500番、自爆。
2000年1月20日(木)
……すんませんもう書いてる時間無くなりました。津原泰水さん監修の書籍二冊発売記念イベント見てきましたが、詳細は明日の夕方以降にアップします。まともに仕事がある(筈)なんで寝ます。ぐー。
日中した仕事の内容については大半が忘却の彼方に消え去ってしまった。健忘症、というかお得意さんから廻ってくる仕事は大体一月ふた月ぐらい似たようなものが集中する傾向にあるので、どれをいつやったかなんて正確に覚えていないし覚える努力もしないのですな。……昨日の仕事を忘れてしまうことの言い訳にはなっていない? 確かに。
先日予告したとおり、『12幻想』前夜祭イベントを訪れる。新宿に行ったら先ずは紀伊国屋! と思っていたが、新宿に着いたのが丁度開場する筈の時刻だったので、そのままロフト・プラスワンに向かった。中央通りを突っ切る間に客引きに一度擦り寄られる。
地下二階にある、船倉のような会場はまだ開けたばかりとあって人の姿も疎らだった。徹夜客も出るという風聞があったぐらいだったが、流石に常識は弁えていたようで。前もってお会いする段取りになっていた内田竜宮丞さん、ひでむらさん、梅村崇さんは既に席についておられたので、とまれ初対面の御挨拶をする。だらだらと雑談をして開演までの小一時間を過ごした。その間に会場は殆どの座席が埋まり、気づけば立ち見客まで出るほどの盛況となっていた。
そして開演。まずは津原泰水さん単独による、傍目にも行き当たりばったりそうな趣旨説明が行われ、最初に召喚されたのが飯野文彦氏。片手に「いいの文彦」とマジックで署名したボトルを提げての登場である。既にただの酔っぱらい同然の飯野氏と津原さんとで脱線しまくりの雑談が暫しあり、その後我孫子武丸氏と田中啓文氏が壇上に登った。その辺りで飯野氏は絶好調に達したらしく、「フェラチオ」「……はい?」「いや、だから、リップサービス」等々会場に幾たびも引き潮を齎す。あまりの暴虐ぶりに飯野氏は一旦退場と相成り、代わって『lain』などの脚本で知られる小中千昭氏が登場。それまでのお笑いムードから一転、イタリア映画などを俎上に深い表現論などが展開される。映像に纏わる話題がある程度進んだ処で早見裕司氏が吸い寄せられ、そこから何故か差別論・階層論にまで話題が転換するに至って、今度は我孫子氏が気を吐く。津原さんが「今日は我孫子さんの持ち味が充分に出せているのではないかと」思う、と仰言られるほど。相変わらず御本人は疑問を感じられているようだが、やはり河内実加さん描くところの「まんまあびこくん」そのまんまでした。
十時少し前に休憩が挟まれる。その間に肝心の『12幻想』二作を購入したり、内田さんらと仕事のこととかについて雑談。お三方は揃って徹夜だったり疲れ気味だったりでテンションが変だった。ロフト・プラスワンでは入場料を取らない代わりに、客が食事や飲み物を注文すると、その支払いの一部が出演者や開催者に廻る仕組みになっているそうな。ウーロン茶一杯ではあんまりなので、お三方はそれぞれ食事を注文し、私はフライドポテトとコーラを注文する。ビールでもいいのだが未だ慣れていない上に酔っ払った状態でどれだけまともに話が聞けるものか未知数なので控える。第一月末のこんな時期に余分な金などないわ。なお、内田さんからは某ソフトが遅れている理由を伺ってしまったりした。
予定より長くなった休憩が明けて第二幕、先ずはフランス出身の漫画家で、『十二宮12幻想』のイラストを担当したフレデリック・ボワレ氏と津原さんとのトークから始まった。日本的なものを巧みに表現されている描き手と津原さんとで、フランス・日本双方における映像作品の評価や視点の相違、つげ義春をあちらに紹介してみたいとか反対にボワレ氏の著作をもっと日本で出版させたいとか、穏やかながら熱意のあるトークが繰り広げられた。
で、確かこの次に(記憶が曖昧)飯田雪子氏と再登場の早見裕司氏とで、ジュニア文庫の四方山話やファンタジーの森、早見氏の貧乏時代や少女趣味に関する話題が交わされた。個人的には、改めて自分が読書原体験の時期に早見氏からかなりの影響を受けているな、と再確認する。ずれは間違いなくあるが、どうも出発点が早見氏のスタイルにあるのが否定できない。早見氏の少女趣味に話が発展し、「より正確に言うと、14歳」という発言が飛び出したとき、私の後ろで内田さんがガッツポーズを取った。
第二部の最後は竹河聖氏、東雅夫氏、途中から倉阪鬼一郎氏&ミーコちゃんも加えて、ホラーや幻想文学に対するそれぞれのスタンスに纏わる話、や幻想文学会・ワセミス・青学推理研の先輩後輩とか人脈とかについての噂の真相とかいった話題が行きつ戻りつ繰り返される。ミーコちゃんは時折退屈を持て余すようにマイクと戯れていた。
この辺で11時半を廻り、終電で帰宅する客もあることを考慮してのプレゼント抽選会が執り行われた。入場時に配布された番号を元に、津原さんは謙遜されていたがけっこー豪華な景品が抽選によって配布された。『十二宮』の表紙のハードコピーにボワレ氏がサインを施したもの、『十二宮』『エロティシズム』双方の執筆者がそれぞれに寄せ書き風にサインを施したものが目玉。どっちでもいいから欲しい! と下心を抱いてしまったせいか、私には何一つ廻ってこなかった。サイン本の一冊は横の梅村さんが獲得した。帰り際にちょっと覗かせて貰う。そして一体誰の意地悪なのか、終電でやむなく私達が帰ったそのあとに、京極夏彦氏と竹本健治氏が登場する段取りになっていたのだという。当初は終電前に登場願うはずが、予定がずれ込んでしまったらしい……原因は誰や。怨。
しかし繰り言を弄んでいても現実は変わらないので、内田さん達に御挨拶して未練が残らないうちに退場する。レジの手前でフクさんとちょっと言葉を交わし、駅まではGAKUさんとご一緒させていただいた。他にも一、二度面識があったり、面識はなくともネットであれこれ御世話になった方(福井健太さんとか櫻井清彦さんとかおーかわさんとか、あと柴田よしきさんの掲示板での常連さんとか)は結構確認していたのだが、会場の狭さと時間の忙しなさに御挨拶すら出来ず仕舞となってしまった。……なお、時系列についてどーも間違って記憶しているような気もするので、もし誤りを発見されましたら遠慮なく、というか是非とも指摘して下さいませ>当日参加の皆々様。しかし書いてみたらリンクの数が凄いこと。リンクページよりも実用性が高いかも知れん。ちなみに敬称の違いは恣意的なもので深い意味は全く御座いません。強いて言えば慣れとか面識の有無とかに過ぎませんので。