2000年1月上旬の日常

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2000年1月1日(土)

 あ・はっぴぃ・にゅういゃぁ。私の2000年はCDを片付けている間に明けました。暫く何も考えずに机上にCDを積み上げていたら、専用収納ケースの許容量を上回ってしまったことに気づき愕然とする。依然人に貰ったけどあまりにも不出来なので出しにくい処に隠しておいた奴とか、昔はまっていたメディアミックスもののCDで多分もう聴かないだろうなというものとか、CD-ROMの中身だけをPC廻りに置いているため実際には空っぽのゲームソフトのブラケースといったものを弾き、加えて元々ボックスに仕舞うには無理のあった変形のケース(紙箱入りとか、天地がやや嵩張った二枚組のものとか)をボックスの上に並べたりと、誤魔化し誤魔化し場所を空け、どうにかボックスの中だけは整理が付いたが、その代わり今度は弾いてしまったCDケースの処遇に苦しむ羽目となる。これを書いている二日正午現在、弾かれたブラケースは机の上に積まれている。いーみなーいじゃーん。
 ……新年早々小咄から始めてしまった。

 新たな千年期を迎えた記念すべき日――と言っても、私の方にあんまり報告することはないのであった。元旦といえど、別にお年玉を渡す相手もなければ年始回りに行く必然性もないような野郎にとっては、三食全部おせちと雑煮で済ますだけの休日に過ぎない。そんな訳で、日中からゲームの残りを片付けたり、古いデータの配置を入れ換えたり、眠らせっ放しだった長篇のプロットを少し(少しだけね)進めてみたり。
 夕方から、一月限定仕様のトップページ用CGを作り始める。暮れに作るつもりで例によって下絵だけは用意してあったのだが、今回はそれをちゃっちゃとペン入れした上に白黒モードで取り込み、主線部分だけのレイヤーを作成、それに彩色したレイヤーを重ねていく(要するに、線画だけのセル画の下に、各々色づけしたセル画を重ねていくという感じである)という、PCで絵を描くようになって最初に学んだ手法で描いていく。クリスマス用CGを追い込まれながら描いている過程で自分なりの塗り方はほぼ固まってきたので、明らかに以前より仕上がりは早まっているのだが、『踊る大捜査線 THE MOVIE』を横目にしたり知らず知らず『ネプ投げ』に魅入ってしまったりといつもの如く気を散らしているうちに夜も更けてしまい、完成しないまま元日は過ぎてしまった。
 まあ、こうなったら三が日のうちか正月休みの間に仕上がればいいや、と開き直り、まだ一回り終わっていなかった『GREEN』の続きを遊ぶ。Hシーンが濃すぎてとてもじゃないが昼日中は遊べないし。で、一応のハッピーエンディングを迎えた感想は……30日に書いたのに付け加えることあまりなし。やはりこのレベルならば2月の段階で出していてくれないと評価できません。あと個人的には、ゲームの主眼である作中作”ポートレイト”(さだまさし? 依井貴裕?)の演出や筋廻しが、自主制作であることを承知の上でもあまりに不充分な出来だったのが引っかかります。多分あれ単体で提示されたら、私、また怒っていたと思います。俺に作り直させろーっっっっ!!!……ってね(ここ二年ぐらい口癖になってますこれ)。アニメーションを導入して効果があったのはHシーンだけ。他の場面では演出の拙さ、プログラム上の不手際が目立ち過ぎて、何の感興も覚えない、というよりかなり邪魔、と感じた例し多し。シナリオ全体を見ても予定調和があからさますぎて、――まあそれなりにじん、と来るものはあっても、やっぱりこのシチュエーションを使えばこの程度は当たり前だろう、というレベルでしかないし。評価しないわけではないけれど……どう考えても数ヶ月も発売日を延ばしてまで作る必要があったとは思えないです。しかし新年早々何故こんなにきついことを書いているんだか私も。


2000年1月2日(日)

 何となく休祝日は日付部分の色を変えてみるかな、などと思い立って実行してみる。見辛いようでしたらお申し付け下さい。ただの赤(#ff0000)だとこの背景では埋まってしまうので、ちょっとだけ調整してありますが(#ff6568)。本文も色を変えてやろうか、と一瞬妄想するが、流石に理性が止めた。

 引き続きじだらーな一日。これではいかん、と思った訳ではないが、ふと走り初め兼買い物初めに出掛ける(ああ日本語って便利)。触れるのを忘れていたが、昨年最後に購入したCDは二枚とも傑作だったので、波に乗ってPat Methenyか矢野顕子を一枚ずつ買ってやろうかと考えたのである。中央通りは車こそそんなに走っていないものの、恐らく日常は運転から縁遠い種族が大挙してきたのであろう、とろとろちんたらよそ見しながら走る輩、あちこちで生じる突発的な渋滞、交通妨害としか取りようのない違法駐車の群れ、などなど走り辛いことこの上ない。
 適当にやり過ごして、いつもの店へ。暇な連中が多いらしく、車の交通量はさほどでもないのだが停まっている車に通行人の多いこと。店内も邦楽や洋楽ポップス&ロック辺りの区画は人集りになっている――が、ジャズの棚をしげしげと眺めているのはどうも私ぐらいらしい。だがラップにヒップホップなどの棚を眺めている連中とは背中合わせになるため、廻りをよく見ていない連中の背負った荷物に何度か背中を打たれる。狭いんだから考えてくれって。……私もよくやるんだが。
 DVDを渉猟したりディメオラを眺めたりジャコの二枚組に気を惹かれたりとどうも気持ちが纏まらず、結局買ったのはジャズでもアッコちゃんでもなく、Simon & Garfunkel『Old Friends』(Sony Records)であった。二年ほど前に発売された三枚組のブックレット型ボックス収納特別限定ベスト盤。ディスカウントショップなどによく置いている安い寄せ集めベストアルバムを文字どおり擦り切れるほど聴き込んだ(実際、今では音飛びしてまともに聴けない)ぐらい好きなグループなのだが、何故か正規のアルバムは一枚も持っていなかったのである。持っていたベスト盤の中でも好きな曲が何曲かあるのだが、それらが各アルバムに飛び散っていたのが一因でもある。この三枚組では件の廉価版に収録されていた曲はほぼ全てが、加えて他にも聴きたいと思っていた曲が殆ど、更に未発表のスタジオ録音・ライブ録音(うち一曲のMCで語られている、デビューアルバムのジャケット写真に纏わる挿話が傑作。何処まで真実かは定かでないけど)・デモがかなりの数収められている。値段も今の懐具合からすれば手頃とあって(あとのことは考えない)、思い切って購入してしまった。出来は、今更云々する必要もあるまい。ただ、聴いているうちに
 冬休みの目標:『Anji』を完璧にコピーする!!
 などと阿呆なことを思いついてしまい、また己追い詰める材料を増やしてしまったような気がする辺りが失敗だったような。

 ――何処かやっつけ仕事じみてしまったが、どうにかお年賀CG完成。トップページ、或いは『妄想』CGページに置いてあります。或いはこちらからCG紹介のページに直接移動して下さい――但し仔細に眺めないこと。

※『Anji』はポール・サイモンのギター一本で奏でられるインスト楽曲である。某THE ALFEEの伝記的漫画で「スリーフィンガーの技術を全て網羅した曲」として紹介しており、坂崎幸之助が高校時代に、高見沢俊彦が大学時代にコピーした経緯が語られている。その影響で深川もコピーしたのだが、元にした演奏がとある深夜番組での坂崎による演奏を録音したもので、しかも早々と紛失してしまったということもあって、未だ中途半端に覚えたままなのだった。因みにBS『フォークソング大全集』でこの曲を坂崎と石川鷹彦がセッションしていたことがあったのだが、これは今思うと原曲に勝るとも劣らない名演だった。流石、国内屈指のギタリスト二人である。本日購入した三枚組に収録されているのは、どうやら今回初収録のライブ音源らしいのだが、こちらも演奏にかなりの遊びを交えているようで、本家の貫禄と格好良さに溢れている。いい買い物でした。


2000年1月3日(月)

 ――『GREEN』、ヒロインのシナリオだけなら条件付きで「佳作」に認定しても良かったのですが、サブキャラとのエンディングを見た瞬間、私の中での評価はがた落ちしました。何故そこで終わる?! どうしてゲームオーバーなどと表示されるのだ??!! ――所詮、自分の意図したシナリオの内側でしか話を作れないのなら、ゲーム作家と呼ぶに値しないと考えます。そういう意味で、改めてこれは「失敗作」だった、と断言したいと思います。――あの十ヶ月は、あの五ヶ月は一体何。莫迦にするのも大概にしなさい。

 依然として自堕落な日々は続く。多少の意地もあって今はドリームキャストの『北へ。』を延々遊んでいるのだが、ビジュアルメモリー一個に三つしかセーブできないため、いつもやっているようにエンディング直前のデータを保管することができず、思い余って自転車でビジュアルメモリーの追加分、それとついでにポケットステーションの電池も購入してくる。が、それだけである。あとはひたすらゲームをし続ける……だけだと思っていたのだが、昨日アップした正月用CGの出来が今になってどうしても納得がいかなくなり、ちょこちょこと弄った。髪に天使の輪(古典的表現)をつけてみたり、レイヤー(解説はこっちに譲ります)の合成方法を変えてみたり。
 その合間に、昨日決心したとおり『Anji』を再度コピーし始めた。案の定というか、思い込みで間違えて覚えていたフレーズがあちこち――殆どで、既に付いてしまった手癖を直すので精一杯だった。加えて暫くギターから遠退いていたもので、左手の指先がすっかり柔らかくなってしまい、ものの三十分も弾かないうちに痛み始め、人差し指には白っぽいものすら浮き出した。一応十年近い経験値があるので程なく身体の方がコツを思い出し始め、最近の音楽に対する姿勢の変化も手伝ってか、それなりに様にはなってくる。だがまだ完璧には程遠いのであった。

 ――さて、取り敢えず最優先の課題は『北へ。』全キャラコンプリートと決めてしまったので、『SMAPXSMAP』生特番でたっぷり笑ったあとはひたすらゲーム三昧。シナリオの出来云々は措くとして、感心したのはクライマックスでのちょっとした気配りであった。ラストシーンは全キャラ共通で、大晦日の夜、大通公園のホワイトイルミネーション会場にて、年越しのキスというシチュエーションが用意されているのだが――これ、12月中に二人ほどクリアしたときには、年が変わった瞬間「ハッピー・ニューイヤー!」という掛け声がかかるだけだったのだが、今日、今年に入って初めてクリアーした処、このメッセージが「ハッピー・ニュー・センチュリー!」に変わっていたのだ。――つまり、このソフトでは日付設定を応用して、ゲーム内の日付をその年に合わせているのだ。即ち、昨年プレイしていたときには物語時間が1999年大晦日だったのが、今年にはちゃんと2000年大晦日になっていたのだ。未だ世論は二分しているけれど、2000年−2001年と移ろえば、否応なくそこからは「新世紀」な訳だから、ちゃんと作中でもそれに合わせている、という案配。これにはちょっと感心した。ただ、そこまで配慮が出来るのなら、展開によって登場人物が二日続けて全く同じ台詞を口にするという不可解は排除しといて欲しかったけれど……。何にせよ、『北へ。』愛好家の皆さんは一度試しておいて損はない。

 という訳でCGの改訂は今日中に終わりませんでしたとさ。ちゃんちゃん。


2000年1月4日(火)

 。創作しましょうモードに入ると躁鬱の波が激しすぎて自分でも対処に困るさ。どうやら明日までは仕事も免除されるらしい(というよりデータ入稿の見込みがないのだな多分……)ので、明日の昼頃にでもちゃんと書きます。掲示板のレスも。今夜はこれで御免――またゲームに没頭します、って最近そればっかりやないか。

 今日も一日怠惰に過ごそうと、真っ昼間からたらたらと『北へ。』を進めていたのだが、正午近くになって、母が妙に愉しそうな顔をしてやって来て、こう宣った。
「――あんた、今日バイトある日じゃない?」
 そこでリズムが崩れた。夜バイトがあると覚えていればそれに合わせてバイオリズムを調整している処なのだが、いきなり予定が示されてしまったから身体も意識も真っ当な対応をしてくれない。そして昼食を摂ろうと行きつけのうどん屋まで歩くと、客の入りが多く親子三人が座る余地がない。だが、カウンター席に座っている夫婦二人連れが席に乗せた荷物を退かし一個横にずれてくれれば三つ席が空く筈なのに。仕方なく古くからある中華と甘味を売りにする軽食屋に入ったものの、臨時雇いらしい女性の応対がとろく私達が座っても汁の跡が残った机をなかなか拭きに来ない注文は取りに来ない、更に客の子供は母親がトイレに入ってしまったと泣き喚いている始末。おかみさんが注文を運びがてら私の母に向かって「ごめんなさいね」と小声で言葉を掛けていったことで多少は憤りが収まったものの、そのあとおかみさんが私の注文を一番最後に運んだとき、どう考えても食事の邪魔になる場所に明細を置いていったことで不快感がピークに達した。食後、半ば不貞寝する。そして一向に乗り気にならない己に鞭打つようにしてバイトに出てみれば、脳味噌が溶けて躰中の穴から吹きこぼれてしまいそうなぐらい暇だった。こういうときは何も考えられないぐらい忙しい方が精神衛生に宜しかろう。対外的な行為の一切が面倒になってしまって、帰宅後はひたすらゲームを続けた。


2000年1月5日(水)

 正式な仕事始めは今日だったのだが、親父の温情というか結局は職場の状況故というか、一日余計に休みを頂戴したので、ゆっくりと静養……してない。先ず昨日サボった日記をちゃっちゃと片付けると、昼頃に出掛け、派手に買い物をしまくる。先ずDVD、『SMAP LIVE BIRDMAN』(Victor)『CRIMSON TIDE』(パイオニアLDC)『Lolita(エイドリアン・ライン監督版)』(Pony Canyon)の三本。次いでCD、昨日購入したJazz Life別冊のギター特集を参考にPat Metheny『A MAP OF THE WORLD』(wea japan)スーパー・ギター・トリオ(Al DiMeola, John McLaughlin, Paco DeLucia)『FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO』(Sony Records)の二枚。注文してあったメセニーのアルバムは未だ入荷していなかった。更にその帰途、久しぶりにまんがの森を訪れて、今揃えている漫画の入手困難な巻を探すも、当然のように見付からなかった。
 そのあとはあっちに手を出しては止めこっちに手を出しては引っ込め、というのを続けたため、どの時間帯に何をしていたのか既に記憶が判然としない。そんなわけで以下、買いあさったもの各々について感じたことを軽く書き留めるのみにする。

『SMAP LIVE BIRDMAN』 ……踊り、かっこいー!!

スーパー・ギター・トリオ ……てめーら、人間じゃねー!!

Pat Metheny『A MAP OF THE WORLD』 ……ああ、心地よい……

 ……駄目? じゃ、ちゃんとします。
『SMAP LIVE BIRDMAN』実際、彼等のダンス見たさに買ったのだが、大満足。最近にしては珍しく、買ったその日のうちに通して鑑賞した映像作品である。殆どジャイアン同然の扱いをされている中居とかあちこちに挿入されたカバー曲の確かなセンスとか見所は多いのだが、やはり冒頭に編集して流された『Fly』のプロモーションの格好良さが特に絶品である。
スーパー・ギター・トリオ『FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO』ディメオラの呼び掛けに二人の先達が応じた格好で成立した、アコースティックギターによる競演である。噂には聴いていたが、実際に耳にすると……震えます。オリジナルではチック・コリアがピアノで演奏していたパートを恐るべき正確さとセンスで弾きこなしてしまうジョン・マクラフリン。「フラメンコ」という出自はおろか、ジャズやロックといったカテゴライズすら超越する熱をフレーズの端々から迸らせるパコ・デ・ルシア。三人の中で最若年ながら、当時にあって既に伝説と化した鋭敏な早弾きで二人の巨人と対峙するアル・ディメオラ。しかもこの三者が互いに寸毫も遠慮することなく己を突き出した演奏をし、それがきっちりとアンサンブルとして成立している迫力。購入の際参考にした記事ではとりわけパコ・デ・ルシアの迫力を絶賛していたが、それにしたところでディメオラとマクラフリンの熱が加わっていることは否定できまい。まがりなりにもギターという楽器に触れてきた者にとって、羨望を禁じ得ない名演である。
Pat Metheny『A MAP OF THE WORLD』近々公開予定の同名映画のサウンドトラック+αということである。まだそれ程聴き込んではいないのだが、冒頭に据えられた表題曲だけでも充分に聴き応えがある。バットの奏でる穏やかながら油断のないアコースティックギターは、オーケストラすら呑み込んでしまっているのだ。明日、仕事しながらでもじっくりと聴いてみることにする。

 さて、『北へ。』は一応全キャラのハッピーエンドを見ることが出来たので一旦封印して、あまりの長ったらしさとバグの多さに辟易したためちょっと遊ぶのを躊躇っていた『悠久幻想曲3』の続きをやってみることにした……が、やっぱりしんどい。オフィシャルサイトにある掲示板を覗いてみたところ、一回りするのに要した時間が33時間とか50時間とか書いてあっていよいよ辛くなってきた。まだ、作中時間で漸くふた月が経過したばかり。確かめた限りでも七、八ヶ月はある筈なのに……。その掲示板でも誰かが記していたが、『悠久』シリーズでなかったら間違いなく手を出さなかっただろうし、既に投げ出していると思う。取り敢えず、バグらしい点についてだけでも一言文句を言っておかないと気が済まなくなってきた……


2000年1月6日(木)

 まあ予測の範疇ではあったが、出勤しても仕事なし。…………はあ。随分時間がかかってしまったが、チャック・パラニューク『ファイト・クラブ』(ハヤカワ・ノヴェルス)読了。インターネット上の日記やら何やらで私が目の当たりにした限りでは、あまり評判の芳しくない映画版ではあるが、原作の持つ狂気と熱は、少なくとも私は評価するし、確かに無二の価値があると思う。怒濤の如き比喩の羅列は好みが割れるだろうし(そもそも、この訳文は原典の熱気や意図をどの程度正確に伝えているのか、些か疑問に感じられたのだが)、ある仕掛けの扱いについて、ミステリ読者であればあるほど引っかかりを覚えるかも知れないが、『カルト』というもののある側面を劇的に剔出している点は誰しも否定できないのではないか、と思う。――うーん、こう語る反面、『カルト』の一言で括ってイメージをつけてしまうのも、ましてや今後そういう側面のみから作品を眺めてしまうことにも危機感を覚えるのだが。何にせよ、二通りの意味で面白い作品であることは間違いないです。しかしこんな薄いのを読むのに何日かかってるんだか。そして次に着手した奴も何だか今更な代物だし(しかも随分前に文庫化している奴を単行本で読んでいるのだ――無論、初読)。食後仮眠を取るが誰も起こしてくれないうちに職場の灯りが落ちていた。ぢつはたまにある話なのだが、改めて考えると情けない事実だ。しかも帰宅してから何をしていたのか殆ど記憶にないし。

 Photoshopのペイント機能はあくまでもフォトレタッチの要求に応じて備えられたいわば付属品のため、イラスト中心で利用している私のような輩には些か物足りなくなる場合が時としてある。油彩のようなタッチやパステル画のような雰囲気を出すためには、全体を仕上げてからフィルタなどで調整する、といった手続を踏む格好になるのだが、これだと実際にどんな仕上がりになるのかを描きながら予測することが出来ず、それはそれで効果を上げることもあるだろうが、やはり心許ない。そこでふと思いつき、先日購入したタブレットに添付されていた『Painter Classic』をインストールして使ってみることにした。プログラムサイズも小さめのようだし負担にはなるまい――と思っていたら、何故か起動が異常に重い、設定されたショートカットに反応がない、などなど、使い勝手を云々する以前にまともに動いている様子がない。一応Photoshopフォーマットも読み込めるのだが何と対応しているのが3.0までらしく、私が作業しているデータ(5.0だ)が巧く読めず、まあそれでも工夫すれば使えるのだが実用に耐えるレベルではなさそうだ、ということでとっととアンインストールしてしまう。昔買ったペイントソフトを引っ張り出してもいいのだが、こちらもWindows95が発売された翌年ぐらいのヴァージョンだし……当分はPhotoshopのペイント機能を騙し騙し使うしかないらしい。……こういうこと考え始めて何がやばいかと言うとね、また買おうなどいう余計な決心をしてしまうからなのですよ。はい、消える消えるさっさと。

 『金八先生・新春二時間スペシャル』。畜生。テレビドラマを見て涙ぐんだの数年ぶりだぞ多分。もしかしたら第一期を上回る傑作になるかも知れない、と感じ始めた。このシリーズを見て泣けるのは、何も情に訴えた話運びの所為ばかりではなく、そこに至るまでの伏線の置き方が実に巧妙だからである。とりわけ今日のエピソードはあざといぐらいに巧かった。二時間使って解決しなかったのが不満ではあるが、どうせ端から最後まで付き合う覚悟だったし。ただ、恐らくこれが最後のシリーズになるんだろうな……。

 いい加減正月CGの修正版を仕上げるつもりでいたのだが、気が付いたら一日終わっているではないか。ちっ。


2000年1月7日(金)

 しかし何故猫って捕った鼠をわざわざ見せびらかしに来るんだろうねえ。今日に限って力加減を誤って喉食い破ってくれるし。血で汚れたクッションを泣く泣く洗濯する母。因みに今日の収穫二匹。小粒。

 今日も暇。午後にするつもりだった買い物の予定を繰り上げて秋葉原へ――行く前に、自宅に置き忘れた予約伝票を取ってきた。間抜け。買ったのは、年末に注文してあったPat Metheny Group『Letter From Home』(Geffen)『Kanon 全年齢対象版』(Key)の二つ。いつもは予約特典や先着特典などあまり気にしない(初回限定という言葉には弱いくせに)ほうなのだが、『Kanon 全年齢対象版』はオリジナルのHシーンを別のイベントやCGに差し替えただけの作りとあってか、先着でTシャツを、更にくじ引きでマウスパッドを特典として付けるという気前の良さに負けた。ただ、並ぶ場所が決まっているなら先に言いなさい。
 午後に入って漸く一個入稿があったが、それっきり梨の礫である。……しかも、よく考えたらこれが仕事初めじゃないか。10x5ぐらいのちっちゃーいデータ。いやそれだって間違いなく仕事だけどさ、最初ぐらい景気良く全15段ぐらい出力したいと思うのが人情でないかい? ……今日も今日迚寝ているうちに仕事場が閉まってしまった。悲しい。帰路、フィリップ・マーゴリン『葬儀屋の未亡人』(ハヤカワノヴェルス)とかを買う。フィリップ・マーゴリンは『暗闇の囚人』以来お気に入りなのです。

 帰宅後、チャック・パラニューク『ファイト・クラブ』(ハヤカワノヴェルス)の感想を手早く書き上げてアップした。ああ、凡そ一ヶ月半ぶりの「書斎」更新である。私も松本楽志さんに倣って、書きたい順に書き上げた方がいいんだろうか……。
 次いで正月用CG修正も終わらせた。未だ出来に納得したわけではないのだが、あまり時間を掛けすぎると何処まで手をつけていいのか解らなくなってくるので、この辺が潮時だろう、ということで。
 処で、私は先にアップしたヴァージョンの一体何処に手をつけたのでしょうか? お解りの方はメールで御回答下さいませ。正解した方にはもれなく、問題のCG『謹賀新年・龍の舞』の原寸大CGを最高クオリティの状態で差し上げます。無論印刷したものではなくデータ形式のものをメールでお届けします。サイズは1,641KB程度になります。……ちなみに本気ですので、応じる方は予め覚悟を決めといてください。

『Kanon 全年齢対象版』をインストール、ちょっと撫でてみる……本当に全く同じだ。ただ一点、咄嗟に気づいたのは、主題歌のミックス状態が改善されていること。オリジナルの方では一番聴かせたいだろう筈のヴォーカルが演奏に埋没してしまい、歌詞の判別も出来ないような有様だったのが、大分ましになっていた……と言っても、元々歌詞自体が不出来なので印象そのものが改善されたわけではないのだけれど。また、CD-DAの音量が一般のCDと比較して大きめに収められているらしいのもマイナスに思えた。どれ程のユーザーがパソコンでCDを聴いているのかは解らないが、私のように何をするにもBGMをかけっ放しという輩には、こういう仕様は迷惑なだけだ。ここは音楽にそれなりの拘りがある筈なのだが、どうも配慮の乏しさや表現への無頓着さが細部に窺われる。ちゃんとチェックしていないのか、それとも作業中に視野が狭まるということを考慮に容れていないのか……。

 気づけば春都さんまでが猿化していた。まだ『FFVIII』なのが私よりもまし、という気がするが。前にも書きましたが、『FFVIII』はWindowsへの移植が決定しているので、私はそれが発売したら遊ぶつもりです。調べてみると三月頃はPCの一般向けで遊びたいソフトが集中して発売しそうな気配がある。その頃になればきっと歌うことでしょう、春なのに、ため息またひとつ……。


2000年1月8日(土)

 今日は無理に出勤しなくてもいい、と言われていたのだが、一点データの入稿があったのでそれだけ出しに行った。が、モノクロ広告なのにフルカラーのどでかいデータ(37.5MB!!)が填め込まれていて、グレースケールに変換してはめ直そうと思ったら、データがシステムファイルとして認識されていてPhotoshopでの処理が出来ないときた。しかも実際に出力するためのデータを出力装置用に最適化してみると、先のデータの煽りか58MBなどという非常識なサイズになってしまった。幸い今日は他の装置を動かしていなかったため、編集用のMacから出力用のMacへの転送が短時間で済んだが、これが普段だったら間違いなく転送だけで2、30分は費やしていた筈。だから人に渡す前に必ず一度はデータを点検してくれ、と言うのに。

 ともあれ今日の仕事は本当にこれ一個。例によってバイト先に寄り道し、そのまま帰宅する。次のお絵かきにかかろうかなーなどと考えつつ、殆ど勢いのみで『Refrain Blue』(elf・18禁)のレビューを仕上げた。9月のHP公開以来初めてのゲームレビュー更新だがあまり感慨が湧かない。その間、決定的な名作に巡り会っておらず、今回のレビューも結局辛口に終始してしまったからだろう。今までに書いたレビュー三つ、星の数の最高も三つ。因みに満点は星五つ。果たしていつ巡り会えるのだろう星五つ。やっぱり……

 かねてから準備してあった下絵を、今回はまたペン入れなしで取り込んでみる。今日はスキャナの設定から「黒白」と「グレースケール」の二通りで入力してみた。というのも、普段はペン入れしたものを「黒白」で、鉛筆書き止まりのものを「グレースケール」で取り込んでいたのだが、それだとペン入れのものはインクの滲みまで検出されてしまい、鉛筆書きのものは細かい例しの線まで読み取ってしまい、色づけの時に手間が多いのである。では、と案を巡らし、試しに主線の当たりを付けておいた鉛筆書きを「黒白」で取り込んでみたところ、濃く書いた主線だけが巧く検出され、下絵として非常に具合が良くなった。このまま利用するのも面白いのだが、クリスマスCGのときにやったように主線を色づけのことを考慮しつつなぞり、その下に着色したレイヤーを重ねていく方法を採る。……愉しい。こんな調子では小説執筆も某企画書作りも某所トップページ作りも滞ってしまうではないか。でも止められない。明日は二つ三つ感想を仕上げるとして、さて今回のCGの仕上がりはいつ頃になるやら……いやそれ以前に、描いた娘の服装が問題で、仕上げたとしてもこのCGを公開するのは春先以降になるだろうし、だとするとその間を埋めるための(流石に三月まで「謹賀新年」のままというのは拙いだろう)CGも用意しなければならないということで……


2000年1月9日(日)

 行きつけの蕎麦屋に行ったら臨時休業だった。

 暫く音沙汰のなかった友人が遊びに来る。別に何か用があった訳ではなく、先日くだらない用件で向こうから連絡があったときに私が「たまには顔を出せ」と言ったのに応じて出てきたのである。まともに顔を合わせるのは何ヶ月かぶりだったが――その間にまあ私の身辺も激変したこと。事情を説明したりするだけで結構手間取ったりする。
 することもないのでDVDを見せたりDCで遊ばせたりしていたのだが、話の流れで、購入以来殆ど手付かずだった『シェンムー』を最初からやってみることにした。操作に馴染むのが面倒臭そうだという理由で現場放棄していたのだが、いざ始めてみると、これがまあ滅法面白い。物語の底流はあくまで一本道なのだが、状況を押し進めるための過程はかなり自由に選択できるため、AVG特有の拘束感は殆ど覚えない。所々でタイミングに合わせてボタンを押すだけの簡単な小イベントも挟まれており、プレイヤーを飽きさせないための気遣いも細やか。イベントや台詞の展開も極端に不自然なところはなく、確かに手間暇かけて作られたことがよく解るのだ。まだ一枚目も終わっていないが、断言する。これは間違いなく買いです。遊ぶソフトの乏しさに悲しんでいたDCユーザーなら借金してでも買う価値はある筈だ。

 ――でまたしても猿のように遊び始めてしまったため、昨日描き始めたCGはまたぞろべた塗り止まりになってます。陰影が付いていないせいでただただのっぺりとした金髪娘。そろそろ見るに忍びなくなってきたので一旦ゲームは切り上げます。しかしPCの前に席を移しても、まだ完結させていないPCソフトも山と積み上げられているわけで。……いつまで続くんだ。


2000年1月10日(月)

見て
いいから見て

 ……『シェンムー』やりながら日がな一日CG描いてました。終わり。あとは実物(掲載したものは何れも縮小版なんですが)を御覧になって判断して下さい。『シェンムー』についても、誉める一方では拙いかと思う点が散見されたが、明日以降にします。疲れた。

 で終わらせるわけにも行くまいぞ。倉知 淳『日曜の夜は出たくない』(東京創元社・創元クライムクラブ)読了。文庫が出てからでさえ一年近く経っているというのに今更ハードカバーで読むやるせなさ。無論新刊書店で買ったさ、当時。
「空中散歩者の最期」を例外にすれば、これといった大仕掛けが用いられることもなく、探偵役の猫丸同様「飄々とした」印象の漂う連作短編集である。それでいてユーモアも、ミステリでは未だにあまり得られる種類ではない暖かみも盛り込まれた上で、きちんと論理ミステリとしての側面も持っている。これが初めての単行本なのだから、その後の活躍も宜なるかな。機会を見て残りの作品群も一気に読んでしまおうと思う……左様、未だ読んでないのだ、『過ぎ行く風はみどり色』も『星降り山荘の殺人』も。

 精神的疲労が暴発しかかっているようで無性に眠い。そんな訳で今日は掲示板のレスもさぼることにする。各方面で(私にとって)重要なメールも今夜中に書き上げて送るつもりだったが、脳味噌が緩んでいるようで長文を書ける気が全くしない。12日の午前にまたお会いしましょう皆様(明日の夜はバイトだから)。


「若おやじの日々」への感想はこちらからお寄せ下さい。深川が空を飛びます(飛ばねえって)
明けても暮れても猿状態の愚か者へ愛の言葉を。

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