2000年2月上旬の日常

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2000年2月1日(火)

 暇。なのでさっさとバイト先に行って定期購読誌他を受け取って来た。久々に「かってに改蔵」を読んで、笑った。「南国アイスホッケー部」があまり好みではなかったので無視していたが、よもやこういう方向で深化していようとは。
 ドラマは一度も見ていないと言うのに、何故か新井理恵・西荻弓絵『ケイゾク/漫画』(カドカワコミックスA)を買ってしまう。年末だか年明けだかに放映されたスペシャル版すら見ていないのだが、これまで耳にした情報を参照するに、本編はスペシャル版ドラマと全く同じ筋書きと思しい。成る程メイントリックはXXXそのまんまだし幾つかあるサブトリックにも新味はないし、本編を見ていない人間には意味不明な伏線や挿話が半ば放り出されているし、物語として見るとオリジナルの視聴者に対象を限定しすぎて満足に楽しめない。が、それでも細部のエピソードはなかなか笑えるし、何より新井理恵のタッチと作品の空気がうまく溶け合っているため、一連の傷もあまり気にならなかった。寧ろ、この漫画から作品世界に入ってしまった身には、実写のキャラクターたちに違和感を覚えてしまうのではないかと不安になる――興味を惹かれながらやっぱり映画版にもドラマ版にも手を出さないかも知れないな、と感じた次第である。一緒に買った高田慎一郎『シリウスの痕(1)』(同)は表情の乏しさが気懸かりだが、深みのある主題に巧みな展開で今後に期待が持てる。しかし作中時間で残り二、三日というのはかなりの制約……でもないか。連載開始から二年以上経つのに四時間も経過していない話もあることだし――さてその作品とは一体何でしょうか。

 バイトの前に昔から利用しているCD屋を訪れ、そこに置いてあるメセニー作品で唯一未購入の一本『Zero Tolerance for Silence』(Geffen)を買った。仕事中も帰ってからそれを聴くことだけを楽しみにして、帰宅後いざプレイヤーにかけてみると……何じゃこりゃあ。私が最初にメセニーについて教わった某氏から、本編が所謂フリージャズに相当する作品だということは予め窺っていたのだが、よもやこういう物だったとは。メセニーはひとりで殆ど即興演奏に等しいギターソロを奏でそれをふたつ、みっつと重ね合わせ、固有のリズムを暴力的に叩き壊し塵埃に帰し、不協和音すら構図の中に取り込んでしまった。全編を彩るのは宛ら本能と見紛う直感的で激烈なビートの波波波。理屈を拒否する圧倒的な演奏は、迂闊に耳を貸すと吐き気すら催しかねない。参った、っつーか困った。よもやここまで他の作品とカラーが異なっているとは。否定はしない、のではなく否定しようがないのだが、兎に角心構え抜きに聴くと打ちのめされそうなので、慌てて別のCDを引っ張り出して今は交互に聴いている。しかし『Zero Tolerance for Silence = 沈黙は耐えられない』とはよく言ったもんだ。フリージャズ作品を買うときは相応の覚悟を決めておこう。うん。


2000年2月2日(水)

 今週はもしかしたらずっとこのままかも知れない、という不安を抱く。仕事の話だ。

 先日から折節言及している企画、文章のみで説明するのはしんどいかと思い、場面毎のイメージイラストを先に作成することにした。こうすると全体のエピソードを組むときも次の展開を具体的に考えながら纏めていけるので、最後までだれないのではないか、と思ったのだ。加えてお絵かきの修練にもなるし。絵を先に描く方がだれない、というのは、やはり意欲のベクトルが完璧にそちらに向いてしまっていることの証左なんだろうか。そう言えば読書が進まない。

 昨日の衝撃が未だ冷めやらず、結局口直しにPat Metheny Group『Pat Metheny Group (邦題:想い出のサン・ロレンツォ)』(ECM)を購入してしまう。……素直だ。ちょっと安心する。現在のように奇矯な楽器(シンセギターとか弦が縦横無尽に張り巡らされた48弦ピカソギターとか正体がよく解らないゼロ・トレランス・ギターとか)を使っておらず、ライル・メイズのシンセサイザーもごくシンプルな演奏に留まっており、全体の曲調も穏やかなフュージョンスタイルで固められている。昨今に較べて演奏のダビングも最小限であり、若干薄く感じられるのが物足りないが、既に方向性が確立されているのは流石。聴き心地は極上ながらよーく聴くと非常識な技術が盛り込まれている(特にラストの「Lone Jack」)という特徴も既に明確になっているという。
 今日のお買い物の本題は『彼氏彼女の事情 Op.3』(スターチャイルド・DVDソフト)だったのだが、まだ見ていないのでコメントなし。あと、プリンターを購入するのはもう本決まりになったのだが、バイクを日常の足にしていて一体どうやって持ち帰ったらいいのか、などと考えているうちに時間が過ぎ、今日もひとまず見送ってしまった。他にも何故か『ときメモ2』の前で何事か悩んだりしたが一切明日以降に引き延ばした。


2000年2月3日(木)

 おおおおおおおおおおおやったやんか。私が落ちたというのは内緒だが。本人の許可なしにすっぱ抜いてしまったが、まあ何れ解ることなんだし。

 さて、お手近に新聞は御座いますでしょうか。御座いましたら手許に引き寄せ、下段に並ぶ広告の中から『週刊文春』のものをお探し下さい。見付かりましたか? では、居並んだ扇情的な見出しの中でも特に大きいもの――そうです、昨今話題の新潟女性監禁事件に関連した見出しを御覧下さい。何かおかしくないですか? 何も見付からなければお生憎です。――さて、何かお気付きになりませんか?
 二文字、抜けているのです。
 私が確認したのは二紙だけですが、もしかしたら他にもあるかも知れません。一紙しか取っておらず比較のしようがない方のために申し上げると、「監禁飼育とある飼育の方が欠落している広告が存在するのです。恐らく緊急に改竄したため字詰の変更が行えなかったなどの事情が窺われますが、奇妙なのはこの二字を削除した新聞とそうでない新聞があること。当初、一紙だけで目撃したときは、新聞社の方で良識を重んじ検閲したのかとも想像しましたが、二紙で全く同じ箇所を削除しているとなるとそう単純には判断できません。ひとつの推測としては、掲載ギリギリになって文春サイドで問題があると判断し、緊急に文字を削除した別原稿を用意したが、既に締切を過ぎてしまった紙面については放置せざるを得ず、間に合うところにだけ修正原稿を送った、というものがありますが――さて、どなたか詳細を御存知の方はいらっしゃいませんか? ――いたとしても、教えていただくことなど期待してはおりませんが。

 遂に京極夏彦『どすこい(仮)』(集英社)刊行。恐らく内容に合わせたのだろうが、あまりの厚みに処置に困った。収録作の原典は、冒頭の一作を除いて全て所有しているのだが、小野不由美『屍鬼』(新潮社)だけが未読のまま。先に読むべきか否か本気で悩む。

 本屋で段ボール箱をわざわざ注文して買ったのは私ぐらいのものだろう、きっと。問屋で本を詰めるための箱を売っていることは知っていたので、仕入れ担当の方に予めお願いしてあったのだ。流石にバイクでは運べないので、近くまで車で買い物に出掛けた母に受け取らせる。しかし、五個あって足りるかどうか心許ないというのが何ともはや。
 帰宅後、冒頭のニュースに驚愕と消沈を体験したあと、気を取り直して買い物へ。珍しく電車を利用したのは、とうとうプリンタを購入することにしたからである。A3対応のものを導入するつもりだったので、箱のサイズからしてバイクにも自転車にも積める筈がない。普段買いに行く店は電車でふた駅の距離なのだから、手で提げていてもそれ程重労働にはなるまい、と思ったのだが。
 いつもの如く、甘かった。A3対応ともなれば横幅も縦幅も伊達ではない。小振りなベビーベッドぐらいはゆうにある箱を持ち替え持ち替え、えっちらおっちらとホームを歩き階段を登り駅を出てからも坂を上がり。まだ続く冷え込みの中、久々に額に汗を滲ませた。テレビを眺めながら、丁度の奥深くに複雑に絡み合ったコンセントの束から旧来のプリンタのコンセントを抜き新品のものを繋ぐのに悪戦苦闘する。だがそこから先は流石にUSB接続、何故か一度ユーティリティを認識せずに再起動をさせられるという奇妙な展開をしたが、それ以外は万事問題なく動き(ドライバ廻りに癖があるのが難だが)、環境設定も無事完了。
 で、これを一体何に利用するのだろう私は。


2000年2月4日(金)

 ――ほんっっっっっっとに書くことが何もないので一回休み。或る意味では絶好調なのだが。


2000年2月5日(土)

 何故か初日の初回から『アンナと王様』を見る羽目になる。それも近所ではなく、わざわざ電車で有楽町まで出向いて。劇場の照明が落ちるなりいきなり本編に入ったのにはたまげた。――これが本来あるべき姿だとは思っても。それに内心、本編前の長ーい予告編が結構楽しみだったりもする。
 本来見る気は全くなかったため、毛ほどの期待もなかったのだが、結構面白かった。予告編にしてもテレビでの宣伝にしても何故か触れられる機会が少ないのだが、この作品は二度に渉って映画化、ミュージカル化も為された『王様と私』のリメイクである。プログラムによると、小説化を介してフィクション性の高められた旧作群とは異なり、オリジナルであるアンナ・レオノーウェンズの体験記により忠実に、人物像を実在のそれにかなり近付けたものだと言うが。
 ユル・ブリンナーが王様を演じた映画版を見たことのある母が言うには、旧作に較べて陳腐さがない、とのことだった。本来がミュージカルであった作品の映像化に対し、原典をなぞったよりオリジナルな組み立てを志した本編にその点で軍配が上がるのは、多分間違いないと思う。旧作を見ていないから断言はしないけど。本編がどの程度史実や実際のシャム(タイ)風俗を厳密になぞっているのか、検証する資料の持ち合わせがない私には判断しようもないが、世界観が作中で矛盾を来していないのは評価されるべきだろう。シャムにおける因襲とアンナが持ち込む英国的な流儀との相克とそこから生じる軋轢と悲劇と、殆どが作品の中できっちりと説得力を持つように描き込まれている。脇役の行動が些か説明不足になりがちな嫌いはあったが、それは焦点であるアンナと国王の心理描写に心を砕いたからで決して手落ちではなかろう。
「10年に一度」という惹句の胡散臭さは消し難かったが、一見の価値は確かにある。

 帰途、物産品店を見ていくつもりらしい両親らと一旦別れ、私はひとり電車に乗り秋葉原で中途下車……交通手段は変わってもすることは同じ。何カ所か見て回るつもりだったが、いつものソフト屋でジャズのCDを一気に五枚買った処で気力が萎えて帰宅する。案の定というか両親は先に帰着していた。
 五枚もあると聴くだけで一仕事である。購入したのは以下のラインナップ。

 Richard Bona『Scenes from my life』(SME Records)
 Jaco Pastrius『Birthday Concert』(wea japan)
 Gary Burton with Chick Corea, Pat Metheny, Roy Haynes, Dave Holland『Like Minds』(Concord Records)
 Pat Metheny『New Chautauqua』(ECM)
 Pat Metheny & Lyle Mays『As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls』(ECM)

 例によって後半三枚はパット・メセニー絡み。御無沙汰のジャコは死後に発売された、「ワード・オブ・マウス」ビッグバンド初ライブの模様を収録したもの。『Invitation』と選曲が似ているため敬遠していたのだが、未だ晩年の作品に手を伸ばす勇気がなく、マイケル・ブレッカーのサックスを聴くためだけ、ぐらいのつもりで選択。
 一番上のリチャード・ボナは、雑誌などでジャコの再来と謳われているベーシストであり、その評判に誘われて購入したものだが、その期待からすると大幅に裏切られる出来。カメルーン出身というボナ自らの手になる母国語の歌詞を乗せた、ジャズというよりは所謂ワールド・ミュージックに近い印象がある――と思ったら、スリーブの端にちゃんと「ジャズ/ワールド・ミュージック」という形でラベリングしてあった。甘く大らかで包容力溢れるヴォーカルにしてもその旋律にしても、ジャズと考えるにはずれが大きい。反面、許より評価の高いベースは無論のこと、ギター、パーカッション、シンセサイザーなど主要なパートを自ら演奏し、更にマイケル・ブレッカー(今日やけに名前が出るな)らのサポートを得たバックグラウンドはタイト且つテクニカルであり、そこには紛う事なきジャズの息吹が感じられる。本来室内楽であるジャズと、広原で奏でられることを大前提にした民族音楽が、一種奇妙な浮遊感を伴って混ざり合っている。だが、そういう風に定義を弄んで喩えるという行為自体が誤りであるような気にすらさせる――何にしても今後の注目株であることは間違いなさそう。ああ、これでJazz方面でチェックするアーティストが増えた。

 まだ聴き終えていないディスクがあるので断言は避けるが、今日買ったCD、ほぼ外れなし。識閾下で燃料が再装填されるような感覚が途絶えない。すっごく幸せな気分の一方、今後これだけの感奮を味わえるのかどうか不安になるぐらい。いいぞ。


2000年2月6日(日)

 昨日動き回ったのが一週間分の披露を後押ししたみたいに無気力。ずーっと無感動にCDを聴き続けていたような気もするがそれすら判然としない。かといって休息がとれたかというと曖昧な気分である。兎に角、昨晩芦辺 拓『保瀬警部最大の冒険』(カドカワノベルズ)を読み終えたので、例によって時機を逸する前に、書評を仕上げてアップした。またしても短い日記に物足りなさを感じられた向きは、これで勘弁して下さいな、っと。


2000年2月7日(月)

 仕事があまりないので読書。心を入れ替えて、一日一冊は無理でも二日に一冊は読み終えるペースを作っていこう、と思ったのだ。無論最優先はあれなのだけど。作業にばかりかまけて読書が疎かになっている状況はずっと不本意だったらしく、気持ちを切り替えた途端に頁を繰る手は早くなるし作業もそれなりに捗るし。もしかしてここ暫く頻繁に襲ってきた鬱の原因ってこれか?
 だが帰宅後、部屋中に堆く積み上げられた書籍だCDだを眺めているとまたぞろ気力が萎えるのを自覚してしまう。こーゆー懸案もあったよなそう言えばな、と誰にともつかず頷きかけてみた。

 そんな案配で今日もネタがなく短い日記となってしまうのは不本意なので今回も保留のまま忘れ去らぬうちにと読了したのをいいことに江戸川乱歩・編『世界短編傑作集3』(東京創元社・創元推理文庫)の書評をアップしましたので、退屈でしたら御覧下さい――埋め草のつもりで書き始めたのに、やはり悪い癖が出て短編ひとつひとつを解説してしまい時間がかかるかかる。日記がここまで短くなったのは寧ろこの書評の所為という気がしてそれは本末転倒ではないかと己の信念について改めて自問自答してみても答は出ず兎に角今日はこれでお終いのさようなら。


2000年2月8日(火)

 時間がないので箇条書き。明日以降付け足すかも知れず付け足さないかも知れず。

・コアラが夫婦喧嘩するとき殴られるのはやっぱりボディーなんだろうかとあまりにも馬鹿馬鹿しいことを思い浮かべて自己嫌悪に陥った。

・「コンプティーク」の新作ソフト紹介の頁を眺めていたら、知った名前を見つけてちょっと驚いた。もし本当にあの人のならば遊んでみたいのだが、まだ真偽を確かめていないので何とも。

・バイト中、横殴りの雪にアーケード下に出してある雑誌の陳列台は無論のこと、店内出入口付近の平台までもが雪に濡れるまでになった。入荷した雑誌の梱包に使われたビニールを利用して凌ぐ。吹雪同然の降り具合に、帰宅時刻に迎えに来てくれるよう頼んだのだが、いざ閉店が近づくとけろっと止んでしまい、渇き始めた道を父の運転する車に乗って家へと遡った。

・読書は続けるほどに中毒症状を生じ始めるものらしい。日中は本業で夜はバイト、というきつい時間割にも関わらず、結構捗った。


2000年2月9日(水)

 やっぱり面倒臭いので昨日の記述は付け足さないことにする。あれが全てなのに間違いはないのだし。

 結論から言えば、今日は全く仕事をしていない。データ入稿が一点もなかったのだから。仕方なく、昨晩は結局時期を逸して読めなかった津原泰水・監修『十二宮12幻想』(エニックス)の残り二編を読み、そのあとバイクで外出する。またパット・メセニーを買ってしまう。Pat Metheny Group『Offramp』(ECM)。グループにおける3rdアルバム。ギターシンセやヴォイスの導入に踏み切った作品であり、早くも後年の大傑作『Still Life (Talking)』の気配を感じさせている。ちょうどこの直前にパット&ライル名義の『As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls』を収録していた為か、そちらに参加していたナナ・ヴァスコンセラス(Per, Voice)が今回もクレジットされており、表題曲や「Barcarole(舟歌)」などで異彩を放っている。演奏のオーバーダビングも多用されはじめ、どうやらこの辺りからグループカラーが私好みになってきたらしく、ひたすら響いた――という風に簡単な感想なら息を吐くまでもなく書ける状態になるほど暇だったわけで。
 午後も読書が捗り、仮眠を取るとまたしても仕事場が閉まるまで起こして貰えない。俺が自発的に起きればいいことなんだが。
 帰宅後はすぐに件の作業に取りかかるつもりが、解決編間際まで進んでしまったため止めるに止められず、東野圭吾『むかし僕が死んだ家』(講談社文庫)を一息で読み終える。思い返せば五、六年ぶりぐらいではないだろうか、東野圭吾を読み終えたのって。その間もまめに新刊はチェックし、話題作は何れも購入しているのだが、巡り合わせが良くないのか、ずっと読み損ねていたのである。二年ほど前にそんな現状に嫌気がさし、何かのきっかけで本書に手をつけたのだが、これまた同時期に読んでいた本に気を取られてしまい、うっちゃったまま積読の山に紛れ込ませてしまった。詰まらない訳ではなく詰まらない筈もなく、たった二人きりの主要登場人物の挙措を辿ることで失われた過去を掘り起こしていく伏線巧みな本格推理であり、読み終えた今は間違いなく私の好みだ、と言い切れるのだけれど。未だに『秘密』も『白夜行』もあの姉妹編も未読のままだが、私としてはこのストイックすら感じさせる端正な本格ものが読ませて貰えればそれでいい、とさえ思う。
 その後、テレビで久本雅美の暴発を眺めながら今日読み終えた二冊の感想を認めていたが、毎度のように短編集における各編の粗筋を書く段で非常に手間取り、今日もまた肝心の作業は進まず。『十二宮12幻想』は何とか締めたものの、そちらに時間を費やしたため『むかし僕が死んだ家』がまだ残っている。保留するとまたいつになってもアップできないという状況に陥りそうで、これだけは仕上げねば、という強迫観念に駆られっぱなしなのだ。ああ作業が作業が作業が。


2000年2月10日(木)


「若おやじの日々」への感想はこちらからお寄せ下さい。深川が空を飛びます(飛ばねえって)
あなたも猿になりませんか。

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