cinema / 『カサノバ』

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カサノバ
原題:“Casanova” / 監督:ラッセ・ハルストレム / 原案:キンバリー・シミ、マイケル・クリストファー / 脚本:ジェフリー・ハッチャー、キンバリー・シミ / 製作:ベッツィ・ビアーズ、マーク・ゴードン、レスリー・ホールラン / 製作総指揮:スー・アームストロング、ゲイリー・レヴィンソン、アダム・メリムズ / 撮影監督:オリヴァー・ステイプルトン / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・グロップマン / 編集:アンドリュー・モンドシェイン / 衣装デザイン:ジェニー・ビーヴァン / 音楽:アレクサンドル・デブラ / 出演:ヒース・レジャー、シエナ・ミラー、ジェレミー・アイアンズ、レナ・オリン、オリヴァー・ブラット、オミッド・ジャリリ、チャーリー・コックス、ナタリー・ドーマー、スティーヴン・グリーフ、ケン・スコット、ヘレン・マクローリー、リー・ローソン、ティム・マッキナリー、フィル・デイヴィス / 配給:BUENA VISTA INTERNATIONAL(JAPAN)
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間52分 / 日本語字幕:古田由紀子
2006年06月17日日本公開
公式サイト : http://www.movies.co.jp/casanova/
TOKYO FMホールにて初見(2006/06/12) ※トークショー付き特別試写会

[粗筋]
 18世紀、イタリア、不徳と享楽に満たされた街ヴェネツィアは、ひとりの“蕩児”の噂で持ちきりだった。その男の名はジャコモ・カサノバ(ヒース・レジャー)――無数の婦女と浮き名を流し、あちこちの辻でその淫らな振る舞いを芝居仕立てで披露される。借金まみれになりながら自らの欲望に正直に生きる彼を、だがヴェネツィアの人々は愛していた。
 しかし、そんな彼もとうとう窮地に追い込まれる。修練女との密会現場に踏み込まれ、審問官に捕まった彼は、姦通の罪によりいちどは死刑を言い渡されるが、友誼のあるヴェネツィア総督(ティム・マッキナリー)の計らいにより辛うじて放免となる。だが、さすがの総督ももはや庇うのに限界があった。カサノバ家の火の車の財政を救うためにも、裕福な女性と結婚するべきだ、と諭す。折しも数日後に謝肉祭を控えた頃であり、それまでに相手を捜すよう総督は命じる。
 困惑しながらも、とりあえず友人の顔を立てるためにもカサノバは妻を娶る決意を固めた。従者のルポ・サルヴァト(オミッド・ジャリリ)と共に街中で女漁りをしたのち、最も純情で貞淑そうで――なおかつ家庭の裕福そうな女性・ヴィクトリア(ナタリー・ドーマー)にいきなりプロポーズを敢行する。カサノバは口先の巧さでヴィクトリアの父を籠絡、純潔ながらも性に対する欲望の強いヴィクトリアもまた、精力絶倫と噂のあるカサノバからの求婚を寧ろ喜んで受け入れるのだった。
 晴れ晴れとした面持ちで帰路に就いたカサノバに、突如ひとりの若者が手袋を叩きつけてきた。彼、ジョバンニ・ブルーニ(チャーリー・コックス)は向かいの窓からずっとヴィクトリアを見つめ、憧れ続けていたのだ。いつか求婚しよう、と念じていた途端に横からかっさらわれたことに憤っての挑戦だったが、その執拗さを鬱陶しがったカサノバは、従者の名前を借りて決闘を受けてしまう。
 明くる朝、決闘が行われた。実践もルポに委ねるつもりだったカサノバは、彼の実力を慮って、結局自ら剣を取ることにしたのだが、相手は思いの外強い。途中で、実はジョバンニは助手として戦いの外に出ていたことに本物のルポが気づいた。剣を振るう手を止め、対戦相手の仮面を剥いでみれば、それはジョバンニの姉フランチェスカ(シエナ・ミラー)であった。
 奇妙な経緯からにわかに和解を決めた双方は帰路を共にする。この時代には珍しい女権論者であるフランチェスカは道中、ヴェネツィアで不埒な噂を振りまくカサノバという男に対して敵意を剥き出しにするが、その理路整然とした語り口に、カサノバは魅せられた――帰宅したカサノバはルポに、求婚する相手を間違えた、と漏らす。
 相手はカサノバという男を蛇蝎の如く忌み嫌っている。そのうえフランチェスカは、未だに会ったことがないながらも、ギリシャのラード商人パプリッツィオ(オリヴァー・プラット)との婚約が決まっていた。だが、未だにフランチェスカもその家族も、決闘の相手が“カサノバ”であったことを知らない。そのことを利用し、フランチェスカに対面するためにヴェネツィアを訪れたパプリッツィオを口車で自らの家に閉じこめると、カサノバは身分を偽っていたふりをして、パプリッツィオとしてフランチェスカに接近する――
 同じ頃、別の形でカサノバに危険が迫りつつあった。ヴェネツィアの背徳的な風潮を早期に打破せんと、ヴァチカンはそれまでの審問官を左遷し、新たにプッチ司教(ジェレミー・アイアンズ)を送りこむ。風紀の是正を謳っていたが、プッチ司教最大の狙いはカサノバの逮捕にある。だが、カサノバはそんな彼の前にも、パプリッツィオの名を借りて軽やかに姿を現すのだった……

[感想]
 実際にいつの時代に生き、どんな生涯を送った人物であったかは知らなくとも、“女誑し”の代名詞として語り継がれる“カサノバ”という名前を知らない人は稀だろう。かくいう私も、事前に下調べをする余裕がなかったので、詳しく素性を知らぬまま映画を鑑賞した。
 ただ、知らないままでも、本編がカサノバという人物の個性を踏まえながら構築されたフィクションであることは、観ているうちに想像がつく。それほど本編のプロットは作りものじみた楽しさが横溢しているのである。
 冒頭の修練女とのアヴァンチュールから、総督による結婚の命令、そしてフランチェスカとの数奇な出逢いに至るまでの過程もドラマチックなら、複数の人物の行動が入り乱れるこのあとの展開も実にシュールでコミカルだ。パプリッツィオは傍目にも胡散臭いカサノバの言動にあっさりと騙され、規律を重んじるプッチ司教でさえしばらくのあいだは手玉に取ってしまう。
 他方、婚約者以外にフランチェスカが何者かに心を捧げているらしい気配に動揺し、中盤あたりまで翻弄され、次から次へと発生する不測の事態にその場しのぎの嘘で誤魔化そうとする。後先考えない無鉄砲さに、そうして出た嘘が縦横無尽に絡まっていくさまは、さすがに史実と捉えるには荒唐無稽すぎるのである。
 だが、カサノバという人物像を敷衍したフィクションといったん理解してしまえば、この混戦模様が堪らなく楽しい。その場その場を巧みに誤魔化しながら、フランチェスカの言動や書くものに触れ、その価値観を理解して少しずつ接近していく。一歩間違えば姑息と言われかねない行動だが、基本的にカサノバの後ろを追いかけるカメラの視線はその真摯さを捉えているので、どうにも憎めない。必ずしも洒落者らしいスマートさばかりでなく、泥臭さも滲ませたその手管が、プレイボーイである以前に無鉄砲な若者であることを窺わせて、親しみを感じさせるのだ。
 カサノバのつく嘘、フランチェスカの秘密、プッチ司教やパプリッツィオ、フランチェスカの母親やヴィクトリアなどの思惑が絡みあい、事態はどんどん複雑化していくが、その有様がまた滑稽で楽しい。旧弊な思い込みで凝り固まったプッチ司教は、カサノバと並行して女性の意思や自主性を謳う書籍の著者を追うが、冷静な判断力に乏しく、次から次へと間違った人間を捕らえていく。大真面目に追求して、横合いから間違いを指摘されたり新たな事実が判明しても、「解っていた」とばかりの反応をする。パプリッツィオは、カサノバが彼の身分を借りてフランチェスカの一家に接触するあいだ、自宅に軟禁するための方便として提案したアイディアに嬉々として乗り、ものの見事に手玉に取られている。放縦な性に憧れ、カサノバからの求婚で歯止めを失ったヴィクトリアの行動など、父親が謹厳であればあるほど笑える。
 巧妙なことに、そうしたコメディ描写の中に幾つもの伏線が張り巡らされている。それがクライマックスが近づくに従ってひとつずつ回収されていき、感心すると共に爽快感を齎す。終盤、本来なら敵対していてもおかしくない人間同士がいつの間にか結託し繰り広げられる大騒動では、それまでの出来事を踏まえた台詞によってこまめに擽りながら、見事なカタルシスへと収斂していく。ユーモアに徹した語り口が、この奇想天外な結末をも正当化し、空想的だけれど爽快な余韻を齎している。
 題名が実在の人名そのものであるため、史実を重々しく語るような代物を期待して観に行き、その心構えのまま鑑賞したら恐らく失望するのではないか、と思う。だが、実在した人物の一般的なイメージと実際の思想とに巧みに折り合いをつけさせ、違和感がなくしかし愛される“カサノバ”というキャラクターを再構築し、それを下敷きに作りあげたロマンティックなコメディと捉えれば、素晴らしいとしかいいようがない。
 随所に鏤められた意外性もあって、約2時間をまったく飽きさせない、良質の時代ものロマンスにしてコメディ。現実のカサノバ像を知ろうとして鑑賞すれば肩透かしを食うが、丁寧な時代考証と知的かつ品のいい下品さのあるユーモアに満ちた物語として楽しむべきだろう。とりわけ、ヒース・レジャーの好演と丁寧な脚本、味わいのある演出によって、男でさえ惹かれさせずにおかない好人物として描き出されたカサノバ像は一見の価値がある。

 ヒース・レジャーといえば、アカデミー賞で賞賛され、先のMTVムービー・アワードでは男性同士ながらベスト・キスシーンに選出された『ブロークバック・マウンテン』が記憶に新しい。あちらでは如何にも男臭く粗野な雰囲気のあるカウボーイだったが、本編ではその面影が全くなく、貧しいながらも気品とウイットとを備え、多くの人間に愛されそうな好人物を見事に演じている。喋り方のトーンまで一変しており、仮に両方を鑑賞したとしても、役者の名前を知らなければ咄嗟に同一人物だとは気づかなかったに違いない。
 今にして思えば、兄の目の前で自殺をしてみせ、その人生を一変させる青年を演じた『チョコレート』、意表を衝いた中世の表現で若年層から好評を博した『ロック・ユー!』、オカルト・ホラーの佳作『悪霊喰』と、幅の広い役柄でツボを押さえた演技をしており、何もいきなり評価を高めた役者ではない。だが、まったく異なる個性を見事に演じ分けた『ブロークバック・マウンテン』と本編とで、完全にその実力を世間に知らしめたと言えるだろう。今後の活躍が期待される若手俳優である。

(2006/06/13)


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