cinema / 『ダニー・ザ・ドッグ』

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ダニー・ザ・ドッグ
原題:“Danny The Dog” / 別題:“Unleashed” / 監督:ルイ・レテリエ / 脚本:リュック・ベッソン / アート・アドヴァイザー:ロバート・マーク・ケイメン / 製作:ヨーロッパ・コープ、スティーヴ・チャスマン / 共同製作:Danny The Dog Limited、ピエール・スペングラー / 製作代表:ベルナール・グルネ / 撮影:ピエール・モレル / 美術:ジャック・ビュフノワール / 編集:ニコラ・トレンバジヴィック / 衣装:オリヴィエ・ベリオ、カミーユ・ジャンボン、コリーヌ・ブリュアン  / アクション演出:ユエン・ウーピン / 音楽:マッシヴ・アタック / 出演:ジェット・リー、モーガン・フリーマン、ボブ・ホスキンス、ケリー・コンドン、マイケル・ジェン、ヴィンセント・レーガン、ディラン・ブラウン、テイマー・ハッサン、キャロル・アン・ウィルソン、ジャクリン・ツェ・ウェイ / 配給:Asmik Ace
2004年フランス・アメリカ合作 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:松浦美奈
2005年06月25日日本公開
公式サイト : http://www.dannythedog.jp/
丸の内プラゼールにて初見(2005/06/25)

[粗筋]
 高利貸しバート(ボブ・ホスキンス)はその苛烈な取り立てで悪党からも恐れられている。支払を遅らせれば、彼の“飼い犬”ダニー(ジェット・リー)の首輪が外されるからだ――普段は口を利くこともなく、ものを知らぬ子供のような行動をしているダニーだが、ひとたび首輪を外されバートに命じられると、“闘う犬”に一変する。地下に作られた檻に閉じこめられ、冷めた缶詰で食事を摂り、ぬいぐるみと絵本しか娯楽を知らない彼こそ、バートが築き上げた“恐怖”の象徴であった。
 そんなダニーの運命が動いたのは、いつものように取り立てに向かった骨董品店での出来事が契機だった。携帯用の赤色灯が点ったら助けに来い、とバートに指示され、倉庫のなかで待機していたダニーは、倉庫にあるピアノに目を惹かれる。幼い頃から読み耽り、ボロボロになった絵本のなかで、ダニーがもっとも気になっていたのがピアノだったのだ。誘惑に抗しきれず、鍵盤に指を乗せた――そこへ、目にはサングラス、片手には白い杖を携えた男がやって来た。サムと名乗った男(モーガン・フリーマン)は目が見えないらしく、彼はダニーの怯えた様子にも臆することなく話しかけ、更には自分の仕事――ピアノの調律を彼に手伝わせた。ひねくれた音を発していたピアノは、サムの僅かな調整を経た途端に美しい旋律を奏で始める。我知らず、ダニーはその響きに魅せられていた。赤色灯が光っていたことにも気づかずに。
 ダニーの裏切りに近い行動に激しく憤ったバートだが、彼とてダニーがいなければいまの自分の地位がないことは百も承知している。罵りながらも、取り立ての際には彼を伴わないわけにはいかなかった。そんな彼のもとを、ひとりの男が訪ねてきた。偶然、バートの取り立ての現場に居合わせたその男は、ダニーの強烈な闘いぶりに目をつけ、あるイベントへとバートらを勧誘しに来たのである。地下の闘技場を舞台にしたデスマッチ――文字通り、選手のどちらか一方が死ぬまで続けられる、残酷な格闘技。バートは喜んで話に乗り、ダニーは見事にその期待に応えた。帰り道、バートはダニーの功績を評価して、欲しいものを買ってやろう、と珍しいことを口にした。ダニーは通りかかった骨董品屋の看板を見つめながら、ピアノが欲しい、と呟いた。バートたちが「面白い奴だ」と嘲笑したそのとき、彼らの乗った車が、横から飛び出してきたトラックにぶつけられる。続いてバートたちの車に無数の銃弾が撃ち込まれる。かつてバートの苛烈な取り立てに遭い怨みを飲んでいた男達は、その惨状を見届けて立ち去っていく。
 腕を撃たれただけで、車内でただひとり意識を残していたダニーは、怯えながらその場を離れる。そうして手傷を負った彼が足を向けた先は、あの骨董品店だった。運良くふたたびそこにいたサムの姿を見つけると、ダニーはその場に頽れ、意識を失う。
 目醒めたとき、ダニーは見知らぬ部屋で、慣れないパジャマを着せられ寝かされていた。二日間意識を失っていた彼を介抱したサムとその養女ヴィクトリア(ケリー・コンドン)は決してダニーの事情を詮索することなく、しかし優しい態度で接する。そうして、“闘う犬”ダニーは少しずつ、人間の生き方を覚えていく――

[感想]
『少林寺』でリー・リンチェイ名義にてデビューして以来、ジェット・リーは基本的に“英雄”であり続けていたアクション俳優である。ハリウッド進出第一作『リーサル・ウェポン4』では悪役だったし、アンジェイ・バートコウィアク監督らと組んだ『ロミオ・マスト・ダイ』『ブラック・ダイヤモンド』のように幾分秘密めいたものを帯びたりしていたが、それでも何らかの世界で頂点に君臨している、その名を極めているといったキャラクターがほとんどであった。いずれの場合にしても、自らの戦闘力が負う責任というものを自覚している。
 本編でジェット・リーが演じたタイトル・ロールは、そうした旧作から窺えるイメージをものの見事に裏切るものだ。戦闘能力の高さは冒頭でいきなり保証されるが、当初彼は自らの意思で闘っているわけではない。“飼い主”バートの意思のままに動かされる、文字通りの“闘う犬”としての役割を担わされているだけだ。戦いの場を離れ、首輪を嵌められたダニーはまるっきり頑是無い子供である。地下に設けられた檻のなかで、缶詰に手を突っ込んで食事を貪り、練習用に置かれたサンドバックをあっさり壊してしまうと途方に暮れる。一冊だけ携えた絵本を飽くことなく読み耽り、寝床の上に置いたぬいぐるみを思い出したように撫でさする。閉じこめられ、戦いと最低限の会話だけを教え込まれたがゆえの凶暴性と幼児性とを併せ持った彼の姿には“英雄”を演じていたときの面影はない。
 ジェット・リーのファンでない観客にとってもかなり衝撃があるはずのこのキャラクター描写は、そのまま中盤の艶めいたドラマと結びつく。モーガン・フリーマン演じる盲目のピアニスト・サムと、その養女ヴィクトリアとの出逢いを契機に少しずつ人間らしい感情と言動とを得ていくダニーの姿が、時としてユーモラスに、実に瑞々しく描かれている。しかも、このアクションシーンもない日常描写が、きちんと見せ場になっているのだ。相前後して撮影された『ミリオンダラー・ベイビー』にてアカデミー賞助演男優賞に輝いたモーガン・フリーマンの存在が要となっていることは間違いないが、このくだりにおけるジェット・リーの演技も秀逸だ。買い物の仕方を教え込まれて嬉々としてメロンの熟し加減を判断したり、初めて口にするアイスクリームを口一杯に頬張ってあまりの冷たさに目を白黒させたりしている姿のというか愛らしさといったら。ヴィクトリアの人懐っこさに戸惑っている姿というのも新鮮で、瑞々しい。
 だが、結局長い年月にわたってダニーを捕らえていた軛からやすやすと逃れることは出来ない。ふたたび捕らえられたダニーはサムたちとの生活を恋しがりながら、同時に自らの過去との対峙を余儀なくされる。自らの来歴と立ち向かわねばならない葛藤もまた、重厚感たっぷりに描かれている。たぶんにこういう役柄が初体験であるがゆえの新鮮味も加わっているだろうが、アクション・スターという面目を一新するほど堂に入った演技が素晴らしい。
 そうしてドラマに焦点が向けられているため、アクションは予想していたより少なく、ジェット・リーのほかの作品と比べて数が絞られている。だが、そのぶん取って付けたような印象が払拭され、物語にしっかりと溶け込んでいる点は高く評価したい。闘う姿の変化にも、戦闘のなかで必要に迫られた動きにも、きちんと物語を深め展開させる意味が与えられているのだ。
 また、分量は減ったといっても、その迫力はさすがに第一人者だけあって申し分ない。冒頭の文字通り犬めいた闘いぶり、ふたたび捕らえられて投げ込まれた闘技場にて五人の武器を持った相手と渡り合う場面、そしてクライマックスのアパート内を所狭しと乱舞する姿。打突の重みもにわかに起用された若手俳優などとは比べものにならない力強さがあり、動きのキレに至ってはもはや感動さえ覚える。ジェット・リーは格闘スタイル自体にもきちんとキャラクター性を反映させているとのことだが、本編におけるダニーの戦い方は特にその個性が際立っていて、少ないながらも非常に見所の多い組み立てとなっている。
 本編の監督であるルイ・レテリエは大抜擢となった『トランスポーター』でいきなりアクション演出の冴えを見せた人物だが、本編に置いても独特の手法で魅せている。焦点となる人物を異様に大きく撮す独特の構図を多用しながら、滑らかにカメラを動かして躍動感を巧みに表現する。青みかがったセピア色、とでも言おうか、特徴的な色遣いで作品のセンチメンタルさと共存する熱とを感じさせるなど、映像の点でも工夫が感じられる。
 と、全篇に亘ってかなりの完成度にある本編だが、戦いの決着となる場面での展開には異存のある方も多いと思う。だが、個人的にはあれ以外の締め括りはありえなかったと考える。ことは本編が単純なアクション映画ではなく、統一されたテーマに基づくドラマであるということに関係している。アクション映画として捉えるなら、それらしいカタルシスに満ちたクライマックスが欲しいところだが、本編の主題からすればあれが唯一正しい纏め方だ。あの締め括りだからこそ、最後にもういちど、ジェット・リーが初めてカメラの前で見せる類の演技により深い意味が齎される。
 非常に型破りでありながら根っこはあくまでジェット・リー一流のアクション映画であり、同時にじんわりと胸に染みこむドラマでもある。個人的に海外進出後のジェット・リーの最高傑作であり、今後どれほど大きな仕事を成し遂げようとも、本編がひとつの里程標として評価されることを疑わない。プロジェクトが公式に発表された直後から待ち焦がれた甲斐がありました。

(2005/06/26)


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