cinema / 『ホワイト・プリンセス』

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ホワイト・プリンセス
原題:“First Daughter” / 監督:フォレスト・ウィテカー / 脚本:ジェシカ・ベンデインガー、ジェリー・オコネル / 製作:ジョン・デイヴィス、ウイック・ゴッドフリー、マイク・カーツ、アーノン・ミルチャン / 製作総指揮:フォレスト・ウィテカー、ジェリー・オコネル、ジェフリー・ダウナー / 撮影監督:栗田豊通 / 音楽:マイケル・ケイメン、ブレイク・ニーリー / ナレーション:フォレスト・ウィテカー / 出演:ケイティ・ホームズ、マーク・ブルーカス、アメリエ・ロジャース、マイケル・キートン、マーガレット・コリン / 配給:20世紀フォックス
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里
2005年04月30日日本公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/whiteprincess/
お台場シネマメディアージュにて初見(2005/05/02)

[粗筋]
 ちょっとお転婆で、可愛いものが大好き。当たり前の恋愛と当たり前の未来に憧れる、彼女はごく普通の女の子だった――ただひとつ、父親が有力政治家であったことを除いて。彼女、サマンサ(ケイティ・ホームズ)が多感な年頃になるのと時を同じくして、父ジョン・マッケンジー(マイケル・キートン)は遂に合衆国大統領にまで上り詰めた。
 以来、サマンサの生活は一挙手一投足、何者かの視線に晒されているのが普通という有様になった。ジョギングしていてもその背後には体格のいいSPが常にふたりから同道し、気負わないファッションは口さがないマスコミから「センスがない」とこき下ろされる。反抗期を通り過ぎたサマンサはそのことに表立って不平を口にしたりはしなかったけれど、内心では“普通の女の子の暮らし”に対する憧れを募らせていた。
 そんな彼女にとってこれ以上ない転機が訪れた。ホワイトハウスから遥か隔たった土地にあるレッドモンド大学に進学したサマンサは寮に入り、晴れて誰の目にも縛られない暮らしを手に入れる――はずだった。
 しかし現実はそんな素朴な我が儘を許してはくれない。相変わらずサマンサの周辺は無数のSPが取り囲み、自由を謳歌するどころの話ではなかった。遊びにも男女関係にもオープンな言動の目立つルームメイト・ミア(アメリエ・ロジャース)はそんなサマンサの“平凡”に対する憧れを察知し彼女をパーティなどに引っ張っていくが、籠の鳥である現実に変わりはない。
 プール・パーティの席で、ひとりの男子生徒が手にしていた水鉄砲を実物と誤解して取り押さえ、サマンサをその場から引き離す、という事件によって、サマンサはキレた。そのまま父の執務室へと直行し、護衛の数を減らすよう訴える。最初こそ拒んだ大統領であったが、妥協としてほんの数名ながら警備を緩める。
 御難続きながらもどうにかしがみついている学生生活のなかで、サマンサにもちょっと気になる男性が現れた。同じ寮生で、やむを得ない事情から急遽班長に抜擢されたジェームズ(マーク・ブルーカス)である。最初からさりげなくサマンサの手助けをしてくれていたジェームズは、選挙が近づくにつれてマスコミのみならず対立勢力の支持者である生徒たちからもその挙動を見張られているような状況に辟易していたサマンサを、策を弄して外に連れ出してくれた。
 このときからはっきりとジェームズに好意を寄せていくサマンサだが、相変わらず人々の眼差しは、彼女に対して辛辣だった……

[感想]
 主演のケイティ・ホームズは人気連続ドラマ『ドーソンズ・クリーク』でブレイクしたアイドル女優である。全米での人気は高く、じわじわとスクリーンへの露出も増えているのだが、これまでに私が観たのは『ギフト』『フォーン・ブース』と『ケイティ』の三本のみ。御覧になった方は解るだろうが、前者はまるで目立たないお飾りのような役柄だったし、後者はタイトルロールだが脚本の掘り下げの甘さも相俟って、熱演ではあるが全体としては精彩に欠く出来だった。何より、いまいち表情に魅力がないのが問題だった。いったいどの辺から人気が出ていたのか解らない、というのが正直なところである。
 本編を観て、初めてその人気の理由が少しだけ解ったような気がする。彼女の場合、飛び抜けた美人ではないけれど、時折と胸を打つような光を放つことがあるのがポイントらしい。ヒロインは大物政治家から若くして合衆国大統領まで上り詰めた人物のひとり娘であり、それ故に人々の好奇の目に曝され、時として危険に直面もする。だが当人は決して容姿においても才覚においても飛び抜けているわけでもなく、未だ自分の将来について決めかねている、内面においてはごく普通の女の子なのだ。平凡に憧れ飾らない服装や監視のない日常を欲しているけれど、迂闊な格好や軽率な行動をすればすぐさま揶揄され、それがそのまま父の評価に跳ね返る厄介な立場にあって自由にはならない。そういう微妙な位置づけのキャラクターを演じるのに、ケイティ・ホームズの基本的には親しみやすい風貌なのだけど必要に応じて魅力的になりうる容姿と演技はうってつけなのだ。
 お話としての出来はそんなに良くはない。大統領の娘という設定こそ特徴的で目を惹くが、そのアウトラインはいわゆる“お姫様の青春とロマンス”から逸脱していない。寧ろ、逸脱させようとしていないために、投票によって選出される大統領の娘という現実とやや齟齬を来して不自然に感じられるポイントが多い。昔から有力政治家の娘として人々の注目を浴び言動を配慮しなければならない立場にある、とは言えここまで過敏に反応しなければならない状況に常に追われていたわけではあるまい。また、序盤はそういう当人の認識と周囲の動きが一致しているのに、話が佳境に向かうにつれて判断が雑になっている印象があるのが勿体ない。ヒロインの願いに立ちはだかる障害として描くのなら、一貫性がなければそれを乗り越えるときのカタルシスには結びつかないのだから。
 但し、それでもヒロインの造型と言動は概ね地に足がついているし、その他の重要な登場人物についても、突出した個性は見られないものの堅実に物語を盛り上げており、過激にも退屈にも陥らない筋運びには誠実さと気品とが感じられる。やや空想的と感じられる結末も、そもそもが作品全体を現代のファンタジーと捉えているかのような冒頭と、決して下品にならないストーリーとがはじめから保証しているとも言えよう。
 不手際が多すぎるので賞賛は出来ないけれど、観ていて妙な安心感を与える、真心の感じられる作品である。終始寛いだ気分でいられる映画というのもけっこう貴重です。

(2005/05/03)


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