cinema / 『グレート・ビギン』

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グレート・ビギン
原題:“Genesis” / 監督・脚本:クロード・ニュリザニー&マリー・プレンヌー / 製作:アラン・サルド / エグゼクティヴ・プロデューサー:クリスティーヌ・ゴズラン / 音楽:ブリューノ・クレ / 撮影:クロード・ニュリザニー、マリー・プレンヌー、パトリス・オーベルテル、ウィリアム・リュブチャンスキー、シリル・トリコット / 編集:マリ=ジョゼフ・ヨヨット、ポーリーヌ・カザリス / サウンド・デザイン:ローラン・カグリオ / 音響:ブリュノ・シャリエ、ジェラール・ランプス / プロダクション・マネージャー:ダニエル・シャンパニョン / プロダクション・アシスタント:ニコール・スーシャル / 語り手:ソティギ・クヨテ / 出演:ビタミンCの結晶、精子、胎児、アメーバ、クラゲ、トビハゼ、ウシガエル、アカガエル、ガラパゴス・ゾウガメ、トカゲ、ほか / 配給:角川ヘラルド・ピクチャーズ
2004年フランス作品 / 上映時間:1時間21分 / 日本語字幕:松岡葉子
2006年01月14日日本公開
公式サイト : http://www.herald.co.jp/official/great_begin/
銀座テアトルシネマにて初見(2006/01/19)

[粗筋]
 私たちはいったい、何処から始まったのだろうか? 母の胎内から出たときか。両親が愛を交わしたときか。そうして結実する細胞の、更にもととなる原子が生まれたときか。では、その原子はいったい何処から来た?
 遥か昔、宇宙には何もなかった。そこに放たれた無数の塵が渦を巻き、銀河を形作り、灼熱の太陽が生まれる。太陽は周辺にマグマの塊を振りまいて、それらが固まって幾つかの惑星を作りだした――そのひとつが、地球である。
 当初、地球は熱く流動する液体で覆われていたが、その熱はやがて冷えて凝固し、放散された熱は水蒸気を生んで、激しい雨を地上に降り注がせた。こうして、マグマの星は海の惑星に変わっていった。
 そこにもともと、生物は存在しなかった。だが、宇宙から落ちてくる様々なものが、攪拌される海のなかで散らばり、或いは固まり、時として奇跡のような形を結ぶ。そのほとんどは間もなく崩れてしまう――水の中に垂らしたミルクがいっとき生き物のように動いても、すぐに壊れて水に溶けてしまうように。だが、その一部は形を保ち、形状を維持するようになる。それが即ち、生命の始まりだ。
 生命は時間をかけて海を埋め尽くし、環境に応じて多様化していく。そうして、一部の生命は遂に“地上”という新しい楽園を見出すのだった……

[感想]
 この二年ほど、大自然を素材にしたドキュメンタリーが隆盛である。謎に包まれた鳥の“渡り”を、小型飛行機によって撮影しアカデミー賞候補にもなった『WATARIDORI』をはじめ、数々の海洋生物の貴重な映像を収めることに成功した大作『ディープ・ブルー』、敢えて極地に棲息する道を選んだ数少ない生物の生態をつぶさに追った『皇帝ペンギン』。ただ、いずれも決して“流行だから”作られたのではない、ということは作品そのものを観れば解ることだ。予算と忍耐力、何よりも膨大な時間を必要とするこうした作品群が立て続けに公開されたのは、たまたまそれぞれの作品が完成し発表された時期が近かったというだけに過ぎまい。
 微生物・小動物の生態という、そうしたドキュメンタリーのなかでも極北に位置しそうな素材を選んだ本編もまた、製作開始から実に16年を費やしている、という。観ればそれも納得の、実に手間のかかった映像が無数に鏤められている。カエルやタツノオトシゴの交尾、胎内や卵のなかで次第に種としての特徴を顕わにしていく生命。とりわけ、人間の胎児が母体のなかでさながら寝言を呟くように唇を動かし、煩わしげに目許を擦るさまは、自分たちが通ってきた道であるはずなだけに感動的である。
 ただ、そうしたドキュメンタリーが共通して抱える欠点として、個々の映像の質と価値とは高いが、いちいち関心の対象が変化するため全体としての統一感を欠き、結果的に退屈な印象を齎すことである。本編もまた例に漏れず、序盤から倦む場面が多い。前述した作品群と異なり、本編はアフリカ出身の俳優ソティギ・クヨテが語り手を務め、宇宙が形成され生命が誕生していく過程を説き、それになぞらえた映像を並べていくことで、本来別々に存在する映像や生物の成長過程をひと繋がりの物語のように見せかけているが、しかしそれでも退屈感がつきまとう。
 加えて本編は、『ディープ・ブルー』や『WATARIDORI』ほど、その映像の凄みがダイレクトに伝わってこないことも弱みとなっている。微生物の結合するさまや、ふだん追い続けることの難しいカエルやタツノオトシゴ、カニ、クモなど小さな生物の求愛行動や交尾の様子を見事に捉えているが、そこに必要な技術や根気は、それらについての知識や積極的な想像力を働かせないと実感しづらい。
 だが、そのことが作品の価値を下げているわけではない。すぐには実感しづらくてもその映像の存在意義は大きいし、噛みしめるほどに味わい深い映像がふんだんに盛り込まれている。
 映像を繋げるための物語の組み立ても、映像自体の意味合いの違いを併せて考えると非常に巧みであると気づくはずだ。流れに沿って提示されているために、ひとつひとつの絵が記憶に残りやすいし、その意味もよく伝わる。闇雲に科学的な表現を用いず、平易な言葉と身近なモチーフを使って説明し、さながら叙事詩のような趣を齎していることで作品の価値を高めている。
 惜しむらくは、効果音や音楽がしばしば押しつけがましく感じられることで、そのために映画としてはいま一歩の印象があるが、それでも映像としての価値と、そこに生命誕生の神秘の源を垣間見ようとした志の高さは否定できるものではない。漫然と観るのではなく、積極的に解釈し感じ取ろうとする意志を持って鑑賞するべき作品である。

(2006/01/20)


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