cinema / 『ランド・オブ・ザ・デッド』

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ランド・オブ・ザ・デッド
原題:“Land of the Dead” / 監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ / 製作:マーク・カントン、バーニー・ゴールドマン、ピーター・グランウォルド / 製作総指揮:スティーヴ・バーネット、デニス・E・ジョーンズ / 撮影監督:ミロスラフ・バシャック / プロダクション・デザイナー:アーヴ・クレイヴォル / 編集:ミッシェル・ドハーティー / 特殊メイクアップ:グレッグ・ニコテロ、ハワード・バーガー、KNBエフェクト・グループ / 衣装:アレックス・カヴァナフ / 音楽:ラインホルト・ハイル、ジョニー・クリメック / 出演:サイモン・ベイカー、ジョン・レグイザモ、デニス・ホッパー、アーシア・アルジェント、ロバート・ジョイ、ユージン・クラーク、サイモン・ペッグ、エドガー・ライト、グレッグ・ニコテロ、トム・サヴィーニ / 配給:UIP Japan
2005年作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:石田泰子
2005年08月27日日本公開
公式サイト : http://www.lotd-movie.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/09/02)

[粗筋]
 死者が蘇り、生者を貪り、そして咬みつかれた者もまた“生ける屍”=ゾンビとして徘徊を始める――そんな悪循環が繰り返される地獄に、この世界が変貌して、数年が経過した。
 生き延びた人間たちの一部は、フィドラーズ・グリーンと称した高層ビルを中心に、二本の川と電磁フェンスとに囲まれた地域に共同体を形成する。だがそこを最後の楽園などと呼べるのは、ほんの一握りの富裕層のみであった。大多数はビルの周辺にあるスラム街でギリギリの暮らしを送っている。
 自給もままならない閉鎖区域では、ときおりゾンビの闊歩する旧都市圏に赴き、置き去りになった物資を接収する特殊な任務を帯びる人々が存在する。ライリー(サイモン・ベイカー)はフィドラーズ・グリーンの最高権力者であるカウフマン(デニス・ホッパー)が200万ドルを投じて製造させた特殊車両“デッド・リコニング号”とその乗員を指揮し、フェンス外からの物資調達を行っていたが、常に生命の危険に晒されながら、富裕層にしか利益を齎さず、策を弄してゾンビたちを殺戮する虚しい仕事に嫌気が差していた。長年築きあげた信用と、貯めてきた財産を費やしてライリーは自動車を購入、理解者であるチャーリー(ロバート・ジョイ)とともにカナダへと脱出する計画を立てる。
 一方、ライリーと共に物資調達の任に当たりながら、同時にフィドラーズ・グリーンから出る死体をゴミに混ぜて廃棄する作業を行っていたチョロ(ジョン・レグイザモ)もまた、この仕事を離れることを画策していた。だが彼の狙いはフェンスの外側ではなく、ビルのなか――三年間の汚れ仕事を通して貯め込んだ金と、カウフマンとの繋がりを利用して部屋を購入、上流階級の仲間入りを目論んでいた。
 しかし、そう思惑通りには運ばなかった。階級志向に凝り固まったカウフマンは、評議会の承認が得られなければ入居は出来ないとチョロを拒絶、警備員に彼を始末するよう命じる。銃口を向けられたチョロは激昂した。ライリーからあとを託されていたことを口実に仲間を招集し、“デッド・リコニング号”を略奪、ビルを砲撃してほしくなければ500万ドルを用意しろ、とカウフマンを脅迫したのだ。
 その頃、ライリーは監獄にいた――調達したはずの車が存在しないことを知ったライリーは、話を持ちかけた男を詰問するために赴いたカジノで騒ぎを起こし、逮捕されていたのである。そんなライリーを、カウフマンが檻から連れ出した。部下であったチョロと折衝し、彼を拘束、或いは殺害して“デッド・リコニング号”を奪還しろ、と命じたのである。ライリーはカウフマンのためではなく、ビルの足許で暮らす貧しい人々を守るために、その命令を飲んだ。カジノで殺されかけていたところをライリーが救い出したスラック(アーシア・アルジェント)とチャーリー、そしてカウフマンが要請した三人の傭兵と共にライリーは出発する。
 ライリーらが“デッド・リコニング号”が奪われた場所に到着すると、そこは異様な惨状を呈していた。外界に接したフェンスは倒され、車は炎上している。ライリーは最後の任務の際、うっすらと感じた“変化”が、危機となってフィドラーズ・グリーンに迫りつつあることを直感する。
 ライリーの不安は的中していた。本能のまま無秩序に動き回るだけであったゾンビのなかに、忽然と現れた“理性的”なひとりが秩序を齎し、大勢の仲間を率いて、いまフィドラーズ・グリーンに肉薄しつつあったのだ――

[感想]
 ホラー映画という枠のなかでいちばん強烈であり、追随者の多いテーマは間違いなく“ゾンビ”であろう。近年凶悪なモンスター系統が廃れていき、『リング』『呪怨』のような特定の、強い呪いを含んで死んだ人物の怨念が恐怖を齎す和製ホラーの影響を受けた作品も増えてきたが、あくまで“和製”の枠に留まっており、“ゾンビ”ほどに超然とした流れを築くまでには至っていない。そんな流れを世界の映画界に定着させ、第一人者として君臨してきたジョージ・A・ロメロ監督が久々に自ら手懸けた“ゾンビ映画”が本編である。
 監督が事実上不在であった九十年代から現在にかけて、『バイオハザード』のような亜種が誕生し、また原点的な作品『ゾンビ』のリメイクである『ドーン・オブ・ザ・デッド』も製作され、いずれもある程度の完成度には達しているが、しかし改めて本編と比較するとまるで児戯のように映るから不思議だ。芯の太さがまるで違う。
 ゾンビ映画というと、死者が蘇るという常軌を逸した出来事、そうして甦ったものに襲われる恐怖、かつて親しかった者でさえも生ける屍となったのちは始末せねばならないという悲劇、そういった主題が思い浮かぶが、本編はとうにそういう次元を超えている。果てしない連鎖により地表の大半は生ける屍によって覆い尽くされ、生き残った人々は高層ビルを中心とし、川とフェンスとに囲まれた狭い場所に共同体を構成して、かつての人類の暮らしを再現しようとしている。ビルの上で暮らしている富裕層は、外界を闊歩するゾンビたちの存在から目を背けているが、一方で周辺に暮らす貧困層は、任を帯びて外界に赴き、必要に応じてゾンビを駆逐しながら、旧世界の遺物を回収して金に換えている。ここでは既にゾンビになるならない、襲われるか否かなどは既に取り沙汰するにもあたらない問題にまで格下げされているのだ。
 代わりに主題となっているのは、外敵を前提とした“理想郷”の限界と現実であり、また世界を席巻した“生ける屍”と人間たちとの関係性である。
 前者は、ビルの上層階にいて、自らが築きあげた“理想郷”の外観に満足し、その深奥にも外部にも存在する問題から目を背けている人々と、汚れ仕事を長年請け負わされた末に別々の道を選んだふたりの男、という三つの視点を対比させ、それぞれの力関係を描きながらじわじわと際立たせている。
 後者は、ゾンビというものをある意味で受け入れてしまった人々の、ゾンビとの対し方を随所に思わぬ形で挿入していくことで、観客の凝り固まったゾンビ観を覆していく。知性を備えたゾンビ、というのも着想だが、しかしもっと驚かされるのは、共同体に閉じこもった人々が地下の娯楽としてゾンビを利用している場面が登場することだ。鎖で拘束したゾンビのあいだに入り記念撮影をする、実弾の的にして楽しむ――考えてみればいずれ辿りついても何ら不思議のない“末路”だが、こうも如実な形で提示した作品はあまり記憶にない。
 惜しむらくは、『ゾンビ』と比較するとだが、いささかキャラクターそれぞれの心理描写が薄味に感じられることである。登場人物を少数に絞り、まだゾンビというものの表現手法が固まっていないときにあれだけの方向性を示唆した傑作と比べるのは酷ながら、第一人者であるだけに高望みしてしまうのは仕方のないところだろう。
 だが、キャラクター個々の練り込みはしっかりしており、たとえばライリーやチョロの名前も思い出せないような部下でさえも、きちんと存在感を示しているあたりは見事だ。とりわけ、逃げていこうとするライリーと、上にいて彼を蔑視するカウフマンとのあいだに立つチョロの変節に説得力がある点は特筆に値する。彼のクライマックスにおける行動は、新たな段階に踏み出したゾンビ映画の象徴と言えるのだ。
 だが何よりも素晴らしいのは、見方を変えた途端に、ゾンビに感情移入する余地があることに気づかされてしまう点である。本編では、知性を備えてほかの有象無象のゾンビたちを指揮するひとりを中心に、数人の生ける屍に焦点を当てて描いており、それを追っているうちに少しずつ、かつては恐怖であったはずの彼らの行動に痛快なものを感じはじめる。クライマックスにおいて、ビルの硬質ガラスを破りゾンビたちが内部に殺到する場面など、いったん彼らに感情移入してしまった目にはいっそ清々しくさえ映る。それまでで富める者と貧しい者との対比という格好で人間の醜さを暴かれているだけに、尚更クライマックスの捉え方は多面的になる。
 相変わらず、その結末に明るいものは窺えない。一方で『ゾンビ』ほどのどうしようもない空虚さを感じられない点に不満を覚える向きもあるだろうことから、旧作を凌ぐ傑作と呼ぶのは憚られる。だが、旧作で構築した世界観を下敷きに、まったく新しい地平へとゾンビ映画を押しだしてしまった本編の存在感は極めて大きい。

(2005/09/03)


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