cinema / 『オーメン』

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オーメン
原題:“The Omen” / 監督・製作:ジョン・ムーア / 脚本:デヴィッド・セルツァー / 製作:グレン・ウィリアムソン / 製作総指揮:ジェフリー・ストット / 撮影:ジョナサン・セラ / 美術:パトリック・ラム / 編集:ダン・ジマーマン / 衣装:ジョージ・L・リトル / 音楽:マルコ・ベルトラミ / 出演:リーヴ・シュレイバー、ジュリア・スタイルズ、ミア・ファロー、デヴィッド・シューリス、ピート・ポスルスウェイト、マイケル・ガンボン、シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック / 配給:20世紀フォックス
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:林完治
2006年06月06日日本公開
公式サイト : http://www.omen666.jp/
新宿オデヲン座にて初見(2006/06/06)

[粗筋]
 2001年6月6日――この日はイタリア駐留のアメリカ外交官ロバート・ソーン(リーヴ・シュレイバー)にとって喜ぶべき日になるはずだった。だが、病院に駆けつけたロバートに齎されたのは、妻ケイト(ジュリア・スタイルズ)の身籠もっていた子は死産した、という報。彼を待ちかまえていた修道僧は、目醒めぬケイトに内緒で、同時刻に生まれながら母に死なれてしまった子供を代わりに育てるように言う。妻を思うあまり、ロバートはこの申し出を受け入れた。
 ……それから、五年。ダミアン(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック)と名付けられた子供はロバートとケイトの愛に包まれて健やかに育った。普通の子供よりも躰が強く、あまり積極的に笑わないことを除けば変わったところもなく、ケイトも我が子に不審を抱くことはなかったのだ――その頃までは。
 ロバートが大使と共にロンドン大使館へ、副大使として転勤することが決まり喜んでいた矢先、当の大使が思わぬ事故に巻き込まれて急死し、ロバートは新たな駐英大使に任命される。ライバルを押しのけての抜擢だったが、さすがに心は晴れない。
 そして、ロンドンの新たな住居で、更なる悲劇がロバートたち一家を襲う。盛大に開かれたダミアン五歳の誕生日を祝うパーティーのさなか、客たちが見守る前でダミアンの乳母が首つり自殺したのだ。
 衝撃に打ち拉がれるロバートを、前触れもなくひとりの男が訪ねてくる。その人物――ブレナン神父(ピート・ポスルスウェイト)はロバートが家に“悪魔の子”を引き入れてしまった、という。ロバートがダミアンを引き取る事情にも詳しいらしい神父は、早くしなければ取り返しのつかないことになる、と言うが、ダミアンを殺せと言わんばかりのブレナンの言動を不気味に思い、追い返してしまう。
 一方、妻のケイトはこの頃から、我が子であるはずのダミアンを遠く感じはじめていた。他の子供達と一緒に訪れた動物園では、ダミアンに怯える動物たちが異様な行動を見せ、ケイト自身は夜毎不気味な夢に悩まされる。更にダミアンは、教会に行くことを異様に恐れていた……
 やがて、ふたたび接触してきたブレナン神父は、更に異様な警告をロバートに齎したのち、無惨な死を遂げる。この頃にはロバート自身も我が子に薄気味悪いものを感じはじめていたが、続いてケイトが打ち明けた事実を聞くに及んで、ブレナンの言葉を信じざるを得なくなる。
 ケイトは妊娠していたのだ――ブレナン神父が告げた通りに。

[感想]
 原型は1976年に発表され、現在も名作として記憶されているホラー映画である。私自身は観ていない――とは思えないのだけど記憶がないのだから同じ事だが、いずれにせよ名作と呼ばれる作品のリメイクだけあって、近年のハリウッドにありがちな劣化コピーになるか、『キング・コング』のように新解釈として立派に成り立つ物になるか、期待と不安とを半ばしての鑑賞であった。
 結果はというと、――悪くはない、だがどうもピンと来ない。
 恐らく基本的な要素はいじっていないのだろう、オカルト知識の扱いに違和感はない。オリジナルの代名詞でもある“獣の数字”は無論のこと、預言に登場する出来事を巧く現実に当て嵌め、観客にリアリティを感じさせる手管も整っている。神聖ローマ帝国との見立てはインパクトがあるし、謎解きのためにロバートが訪れる土地の選択も、有り体といえば有り体だがツボを丹念に押さえている。
 問題は恐らく、緊迫感の演出の仕方にあるのだろう。演出的には決して下手ではない。監督・製作を担当したジョン・ムーアは『エネミー・ライン』『フライト・オブ・フェニックス』とスピード感に溢れた娯楽作品を高いアベレージで繰りだしており、娯楽映画の作り手としては申し分のない実力の持ち主であることは疑いない。本編でも趣向に富んだアングル、小刻みにカットを継ぎ合わせたり自在な視点で場面を構成し、緩急をつけて恐怖と緊張を演出している。
 ただ、その演出の仕方が、本編の目指しているものと比べるといささか軽いのだ。スタイリッシュではあるが重みがなく、その場面が終わると印象を薄くしてしまう。私でも知っているような有名なシチュエーションを新たな解釈で描いている点は評価できるが、それらにしても映像的なセンスに衝撃が和らげられている感が強い。定番のような虚仮威しも随所に用いており、カット割りの巧さでその場その場では効果を上げているが、それが却って重要な場面から重みを削いでいる一因ともなっている。
 オリジナルがオリジナルであるだけに、観る側の期待値も(幾ら減らそう減らそうと努力しても)高まってしまっていることもあるのだろう。そのうえ、近年のホラー映画はアジア諸国から折節登場する良作の影響を受けて、本編のオリジナル公開時とは捉え方が変化している。そういうところへ提示した作品としては些か弱い、と言わざるを得ない。
 前述のとおり、撮影の手法や演出の趣向、カメラワークや美術面に工夫を凝らすことで築きあげた映像と雰囲気、よく刈りつめた尺も齎すスピード感は優秀だ。“悪魔の子”復活の預言と現実との符合の選び方も巧く、基本はほぼ押さえた堅実な話運びとなっている。圧倒的な迫力こそないものの、全体としては及第点を与えられる出来だと思う。
 わりとネガティヴなことを中心に書き綴ってしまったが、期待しすぎず、はじめから侮りすぎずに鑑賞すれば、充分に楽しめるだろう。

 ところで。
 ジョン・ムーア監督がこれまでに発表した長篇作品『エネミー・ライン』『フライト・オブ・フェニックス』はいずれも飛行機の墜落で本格的な物語が始まる内容となっている。それ故私は、もう一作続いて似たようなテーマを扱ったなら、以後当分“墜落監督”と呼んであげよう、などと冗談半分で言っていた。
 そうして提示された第三作が本編である。ホラーであるから、ようやく“墜落”とは縁遠くなるのかと思えばさにあらず、寧ろ私の直感を証明する内容であった。以後、ジョン・ムーア監督のことは心置きなく“墜落監督”と呼ばせていただきたい。
 ……にしても、少しは捻ってほしいんだが。

(2006/06/06)


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