cinema / 『サンキュー・スモーキング』

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サンキュー・スモーキング
原題:“Thank You for Smoking” / 原作:クリストファー・バックリー『ニコチン・ウォーズ』(創元推理文庫・刊) / 監督・脚本:ジェイソン・ライトマン / 製作:デヴィッド・O・サックス / 製作総指揮:ピーター・シール、イーロン・マスク、マックス・レヴチン、マーク・ウールウェイ、エドワード・R・プレスマン、ジョン・シュミット、アレッサンドロ・ケイモン / 製作総指揮・製作主任:マイケル・ビューグ / 撮影:ジェームズ・ウィテカー / 美術:スティーヴ・サクラド / 編集:デーナ・E・グローバーマン / 衣装:ダニー・グリッカー / 音楽:ロルフ・ケント / 音楽監修:ピーター・アフターマン、マーガレット・イェン / 出演:アーロン・エッカート、マリア・ベロ、キャメロン・ブライト、アダム・プロディ、サム・エリオット、ケイト・ホームズ、デヴィッド・コークナー、ロブ・ロウ、ウィリアム・H・メイシー、J・K・シモンズ、ロバート・デュヴァル / 配給:20世紀フォックス
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:松浦美奈
2006年10月14日日本公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/thankyouforsmoking/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2006/10/26)

[粗筋]
 アメリカにおいて、喫煙被害による死者は年間47万人にのぼると言われている。間接喫煙、未成年の喫煙被害など、タバコ業界を敵視し訴えようとする勢力は多数存在する。タバコ業界の外郭団体として、その被害の実態を調査し報告する――つまりは業界のスポークスマンとして矢面に立つロビイスト、それがニック・ネイラー(アーロン・エッカート)の肩書きだ。
 その日も、対抗団体のメンバーが揃うテレビの討論番組において、彼らが担ぎ出した癌患者の少年の存在を逆手に取り、健康厚生省こそが彼の死を望んでいる、逆にタバコ業界は彼らを守るために未成年者の喫煙撲滅キャンペーンを実施する、という演説をぶって切り抜けた。
 上司のBR(J・K・シモンズ)はニックの口にした5000万ドルという金額に激昂するが、アカデミーの創設者でタバコ業界の大立者、通称キャプテン(ロバート・デュヴァル)はニックの機転を高く評価した。ニックが会議の席で提案した、タバコのキャンペーンの一環として、ハリウッドスターに銀幕で格好良くタバコを吸わせる、というアイディアも認め、大物エージェントであるジェフ・マゴール(ロブ・ロウ)との直接交渉を任せる。
 折角のカリフォルニア出張に、ニックは離婚以来逢う機会の減っていた我が子ジョーイ(キャメロン・ブライト)を伴っていこうと考える。前妻は彼の仕事内容から難色を示したが、少しずつ父から薫陶を受けてディベートの技術を体得していたジョーイは議論で母を屈服させ、ニックに同行する。
 それにしてもニックの仕事は傍目には実に奇妙なものだった。アジアかぶれのエージェントと、如何にして映画の中でタバコを吸うことを正当化するかで議論し、かつてマルボロ・マンと呼ばれながら、KOOLを吸い続けて肺癌になり業界を訴えることを画策していた元俳優ローン・ラッチ(サム・エリオット)を、札束と詭弁の力で口封じしてしまった。
 すっかり父に対する尊敬心を身に付けたジョーイを元妻のもとに送り届けたあとも、ニックに休む時間はない。魅力的な記者ヘザー・ホロウェイ(ケイト・ホームズ)からの取材を受けたり、嫌煙運動の急先鋒であるフィニスター上院議員(ウィリアム・H・メイシー)とのテレビ電話を介した議論番組にも参加する。
 ――だが、その番組の出演中、視聴者の意見としてスタジオに繋がれた電話から放たれたのは、ニックに対する殺人予告。この日から、彼の周辺は急激に騒がしくなっていく……

[感想]
 ニュースなどを観ていて、たまに思うことがある。あからさまに憎まれ役に属する団体の“顔”として、スポークスマンを務める人物は、実際には何を考えているのか。どうしたって正当化など出来そうもない背景を、如何にして理論武装して世論と戦う覚悟を決めているのか、と。
 本編の主人公は、まさにそうした“顔”のひとりである。スーツでばっちりと固め、笑顔が魅力的なナイスガイだが、しかし内実は決して特殊な人間ではない。家庭の不和に苦しめられ、いまや前妻とその恋人、そしてひとり息子が暮らす家のローン返済のために仕事に精を出す、言ってみれば有り体のサラリーマンだ。強いて言えば、柔軟な道徳観を持ち、それを活かし優れた弁舌を駆使することが出来るくらいである。
 だが、たとえ背景に後ろ暗いところがあったとしても、自信を持ってその仕事に就く人間というのは、実のところそれだけで格好いいものなのだ(あくまでも他人事として捉えれば、だが)。本編は、そうした芯の通った人間の格好良さを、悲哀も交えつつ見事に描ききっている。
 冒頭から、喫煙習慣によって癌を患った少年の存在を、逆に自らに利するように逆転させた理論で煙に巻き、以降も頻発するトラブルや難題を、一流の詭弁で躱していく。やもするとただの卑怯な戦術に映るが、そうさせないために主人公ニックの息子ジョーイを物語に絡めているのが巧妙だ。彼が介入し、父のやり方を間近で見、理解していく過程がそのまま観客に、ニックの戦術の巧みさと、しかしその背後にある信念や誠実さを浮かび上がらせる。
 ニックの人間性のみならず、全般にハイテンポで鋭い演出もまた彼の格好良さを強調している。どちらかと言えばイギリスのクライム・コメディを彷彿とさせる、素速いカット割りやストップ・モーションに皮肉の効いたナレーションを施した表現手法を採用、その随所に鏤められたユーモアによって終始飽きさせず、そうでなくてもコンパクトにまとめた90分程度の尺を一気に見せてしまう。
 しかし、何より本編を格好良く見せているのは、オープニングから一貫する知的なセンスの冴えである。そもそもオープニングからして、タバコのパッケージらしきものにキャスト・スタッフの名前を埋め込みスピーディに展開していくデザインだが、そのBGMは「タバコの吸いすぎで死んでしまえ」という趣旨の歌だ。倫理観を超越するハリウッドのエージェントに、マルボロの広告に出ていたはずがKOOLの吸い過ぎで癌を患った元役者との面談の危ない応酬。全米に死者を量産するとして嫌われている業界のスポークスマンを務める面々による秘密会合の自嘲的な笑いの取り方。それらの現実をよく直視し咀嚼しているからこそ出来るいじり方は、シニカルな興奮を終始齎し続ける。そもそもこの作品、タバコ業界のスポークスマンを主人公に据えながら、彼自身を含め喫煙しているシーンは(少なくとも撮り下ろしの部分では)1個もない。そのこと自体が、逆説的なユーモアで彩ろうとする製作者たちの一貫した姿勢を伺わせる。
 原作では、上の粗筋のあとで発生するニックの誘拐・殺人未遂事件をめぐる謎解きが盛り込まれるが、やもすると物語を過剰にさせるこの要素を、尺の問題もあろうが本編ではばっさり切り落としている。ゆえに誘拐犯が誰であるかは明かされないが――しかし、この判断は正しいと思う。実際、本編の主題では、ニックが誰に誘拐されたかなどはどうでもいい。
 本編がまず何よりも優先して描こうとしたのは、言葉によるコミュニケーションというものの滑稽さ、面白さそのものである。そして、“自分の意志で選択する”ということの尊さだ。
 様々なトラブルを経てボロボロになったあと、ふたたび立ち上がった主人公ニックの演説は、それまでと比べると外連味に乏しく、口振りが率直になっている。だがしかし、その表情はいっそうの自信に満ちている。従来の気取った態度よりも格好良く、凛々しく見えるのは、ここまでの表現がぴったりと嵌っている何よりの証左だ。
 知的かつユーモラス、終始娯楽に徹しながらもその主題は深い。なるほど、本国では一館あたりの興収でダントツの一位を獲得したというのも頷ける、中毒性の高い仕上がりである。題名と素材から気乗りがしないという方もいるだろうが、愛煙家嫌煙家に拘わらず、一回は観ておいて損のない傑作だと思う。

 それにしても、驚くべきはキャメロン・ブライトである。
 ハリウッドにおいて急激に注目を集めている子役だが、どういうわけか日本ではこの半年のあいだに、本編を含め4本も出演作が公開されている。
 確かに非常に巧い。『ウルトラヴァイオレット』では刺客に狙われるクローン、『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』ではミュータントの特殊細胞を中和する薬品の“原料”、『記憶の棘』に至ってはニコール・キッドマン演じる女性の夫の生まれ変わりを自称する少年と癖のある役柄ばかりで、それらを見事にこなしたかと思えば、本編ではごく普通の、だが父の影響で少しずつディベートの才能を開花させていく少年を好演している。末恐ろしくなるばかりの才能である。
 だが――でも、急に出過ぎという気がどうしてもしてしまう。“自らの意思で選択する”という本編の主題を思うと、余計に先行きが気遣われるのだ。そうでなくても持て囃された子役ほど、生き延びるのは困難を伴う。優れた才能であるだけに、どうか選択は慎重に、と願わずにいられない。

(2006/10/27)


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