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Diary 2009
(月2回程度、更新しています)


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PHOTO 青山の空




2009年12月27日
光が呼んでいる

2009年は2010年への序章・・・だったのですね。
光が呼んでいます、2010年から


   
地震のあった日、空につがいの龍が走った。



光の音楽を奏でるスターローズクォーツ


 
天使の輝きを放つシャスタ・ツインのレムリアンシード


2009年12月09日


2009年後半の音楽シーンが終了

7月18日(土) グループL チェンバロ・コンサート 
  J. S. Bach : ヴィオラ・ダ・ガンバの為のソナタ
          第2番 第1&2楽章

10月12日(月祝) Music Ensemble W
”子供から大人までみんなで楽しむ音楽コンサート”
 ジブリ・メドレー、愛の挨拶、G線上のアリア、星に願いを、タイプライター、島唄、見あげてごらん夜の星を、 リベルタンゴ、Tomorrow、You Raise Me Up、千の風になって、ハナミズキ、情熱大陸

12月6日(日) Pトリオ / Dアンサンブルの愉しみ
  M. Ravel : ピアノ三重奏曲 イ短調
 
まわりの人のひと月分ってとこだなあ・・・ ^^;
歳をとって、いつも追い越し車線にいるような活動は難しくなり、そのかわり”誰とどんな・・・”という要素が大きくなって、今を支えてくれている気がする。
来年も、つながる人とつながるだろう。

今年は音楽との関わり方というか、自分にとって音楽って何?ということが、一度バラバラに崩れて最後になってまとまった年だった。
幸せな演奏をしよう☆

2009年11月20日



Compassion

フラワーエッセンスのトリートメント・ボトルを作ってもらったら、調合したなかに"Compassion"が含まれていた。栄養ドリンク並みにグビグビ飲んで、あっという間に無くなってしまった。もっと大事に飲めば良かったかな〜(遅いよ)

ミュージカルの「レ・ミゼラブル」を観にいって、すっかり虜になってしまった。「神が地上に舞い降りて作った作品」と称されるとおり、鳥肌がたつような場面と音楽の連続だった。なぜ今まで観なかったのだろう。ちょっぴり悔しい。

ジャン・バルジャンはもとより、自分を支える正義や規範が根底から覆されたとき死を選んだジャベール警部など、登場する人は皆、思い描いた人生とは違う道を歩まされる。
ボトルのCompassionを思い出し、さらに変容という言葉が思い浮かんだ。

映画「1/4の奇跡」の原作者、山元加津子さんは著書のなかで、人は前に向かってしか進まない・・というようなことを語っている。
どんな状況にあっても人は光に向かってしか進まない。善悪、勝ち負けといった二律背反の世界は、いつか古い考えになっていくだろうと思う。


2009年11月17日
ポートレート

帰宅して何気なくTVをつけたら、向田邦子の特集番組(再放送)をやっていた。最後の5分くらいだったが、ポートレートのあまりの美しさに見入ってしまった。無防備で素のままの、なんて柔らかい表情、澄んだ瞳!
撮影したのは恋人だったカメラマンN氏。その存在は生涯知られることなく、N氏は病気を患ったあと、彼女を残して自死している。

生きていればほとんど母と同い歳の向田邦子はすごく大人に見えたけれど、亡くなったのは51歳だ。40代後半で乳がんを克服し直木賞を受賞、人生にはまだ先がある・・・と思った矢先に幕が下りてしまうなんて。もうすぐその年齢に追いつく私には想像もつかない。

人が一番美しい表情を見せるのは、心を許した異性といるときではないだろうか。その人のことをよく知っているつもりでも、きっと周囲には見せたことのない表情があるのだと思う。隠しているのではなく、本人さえ気づいていないような素顔・・・それを引き出す人がいてくれて嬉しい。

2009年11月01日


熱き血潮に

誕生日の週、気をつけていたのに風邪をひき、何もかもがストップしてしまった。時をあわせてコピー機の電源がショート、PCは容量オーバーでメールの送受信が不可になり、デジカメのデータは読み込めず、電話機にはザーザー雑音が入って通話できず・・・
久しぶりに家電崩壊ウィーク→高額修理or買い替え!?とあせりましたが何とか無事だった。通信手段が一時的にブロックされたわけで、この際しばらくこのままでいようかな〜という誘惑にかられた。いえ、やることすぐやります、ごめんなさい!

と書きつつ、地球の重さの1/3が鉄だって知っていました? 宇宙から見た地球は青くて美しいので水の惑星というイメージがあるが、鉄の惑星でもあるのだ。地表から6000km以上離れた地球の中心核は、5000度の鉄で出来ている。

とけて液体のようになった鉄が地球の内部で運動をつづけ、それによって電流が流れ「磁場」というものが生じる。「鉄と生命の新・モノ語り」
 
そして、その磁場がバリアとなって私達を宇宙放射線から守っている。ヒトの赤血球にあって体中に酸素を運んでくれるヘモグロビンの中心成分も鉄。地球と私達ってサイズ違いの兄弟かも。両親は誰になるのだろう・・・?

金星はヴィーナスといわれるくらいだから、すっとしたイメージがあるが、地表は何と450度に達するそうだ。大気の97%をしめる二酸化炭素が究極の温暖化効果をもらたしているため。ヴィーナスの血潮もまた熱い。そうだ、レバニラ炒めを食べて元気になろう!

2009年10月18日


官能の紅

インド人の先生にお料理を習ったとき、「手で食べてごらんなさい、美味しいから」と言われた。口の周りを汚しまくる子供よろしく、指をベチャベチャにしながら食べた。口に入るのがステンレスのスプーンではなく指だと、同じカレーがどうしてこんなに美味しいのだろう。そのあと、漆のスプーンを買った。

創業180年の紅屋さんのギャラリーに行ったら、お店の人が紅(べに)をつけてくれた。ぽってりと紅をふくませた筆で手の甲をなぞると、自分の肌の続きのようにすうっと馴染んだ。油分がないため口紅のようにペットリまつわりつく感じがなくて、官能的でさえある。一瞬、遊女になりたいと思った。水彩絵の具のような薄い色づきだが、唇の色に重なると繊細な表情が生まれる。原料の紅花のたった1%が赤色成分だそうだ。

ところかわって、初めて連れて行ってもらった高尾山の頂上。お手製のシチューを小さなガスコンロで温め、手作りパンを軽くあぶってお昼ごはん。何から何までありがとうございました。外で食べる食事はホント美味しいね〜♪
私はいつか丹波か丹後の山里で暮らしたいのだけど、身の回りの世話をしてくれる人を見つけなくてはなりません。働き者の若者募集☆(爆)

2009年10月10日


惜しみなく

このところずっと、信じられない忙しさで倒壊寸前なわたくし・・・
どうにかして〜!と思っているわけなんだけど、本当に人より忙しいのだろうか?と考えると多分そうではない。どれも中途半端で終わってしまうことへの不安・もどかしさから息があがっているだけなのだ。微妙に省エネモード、或いは安全走行で、何とか最後までたどり着こうとしていた。

・時間・余力がないと感じると全力を挙げてその問題に取り組みません。時間やエネルギーを惜しみなく使うこと
・すべての価値ある過程には時間と献身が必要です
 (先週と今週のジョナサン・ケイナー)

クリーニング屋さんの請求書の封筒に天使の絵が描かれているのに気がついた。もう長い間お世話になっているのに何故気がつかなかったんだろう。集配にくるのは小さいおじさんで、シャツを一杯抱えると顔が隠れてしまう。メルヘンチックなおじさんと天使たちと♪
見えないオルゴールが鳴っている。

2009年09月27日


私は元気にしています☆

お元気ですか?と書いたメールに知人から返信がきた。こういうストレートな言い方って、ありそうであまりない気がする。思わず、彼女がトトロの”さんぽ”を歌いながら元気に歩いている姿を想像してしまった。歩こ〜歩こ〜わたしは〜げんき〜〜〜♪ 空の雲まで並んで行進しているよ。自分自身は結構クライシスな9月だったから、この返信は嬉しかった。 

渋谷で山の手線に乗ったら、後からベビーカーにちっちゃい坊やを乗せたお母さんが乗ってきた。私はその子を見下ろす形で隣に立ったので、じぃ〜〜〜っと見たら気配で気がつくかな?と思ってやってみた。すると男の子がふっと顔をあげて私を見たのです☆ 気を良くして、自分のハートチャクラから光の筋が出て、その子のハートをちょろちょろくすぐる・・というココロミをしてみたら、また顔をあげて、にっ^^と笑ってくれました。ぱふぱふ〜♪

あるリフレクソロジーの講座に行った。英国式・東洋式一通りの資格は持っているが、もっと足の語る言葉を知りたかった。自分の足を、揉んだりさすったりするのではなく、しげしげと眺めることは、ほとんどないから新鮮だった。10月以降も継続決定。
秋は、何人と会えるかな。

2009年09月01日



初出勤

アメリカ西海岸の旅行から帰国。知らない人でも目と目があうとニッコリ笑ってHi!で1週間過ごしたら、何だか私まで超朗らかになっちゃいました〜(^o^)/ 笑顔は伝染しますねえ。しかし、オープンになっていた感情や感覚が、たった数日でどんどん閉じてくるような気がするのは、都心の人や車の多さ、はたまた自然が少ないせい・・・?

今日はアルバイト先への初出勤日。同じ業種とはいえ仕事をするのは10年ぶり。働いていた頃は専業主婦を冷ややかな目でみていた。自分が専業主婦をやってみて、大変さやその中身は千差万別。どちらが良いかなんて、人それぞれの問題だと思うようになった。

ふと亡くなった父を思い出した。定年後の勤め先を辞めてしばらく経った頃、同じ会社から「もう一度非常勤で来てくれないか」と頼まれた。父はすごく嬉しそうで持病があったのに、その晩はお酒を飲んだ。家族は女3人、親身に相手もしなかったけど・・・ そしてその会社に勤めている間に亡くなったのだった。昭和1ケタ世代らしく、最後まで病室でやりかけの仕事を気にしていた。こんなことを久しぶりに思い出すのも、父の命日が9月だからかも知れない。

今年のテーマは、「コミットして力を取り戻すこと」。
”癒し”でさえ、自分がコミットしていかないと得られないものだ。
1年が終わるころ、どんな顔して今日の日記を読むかなあ・・・ ^^

2009年08月09日


草の香り

「シャトルのハッチが開いた瞬間、地上の草の香りが入ってきて、やさしく地球に迎えられた」 宇宙ステーションから地球に帰還した若田さんの第一声。「家族の顔が見たい、温泉に入りたい」より先に、こんな言葉を語れるなんて素敵です!

五感のうち、2つだけ残すとしたら何が良い?と聞かれて、「聴覚と嗅覚」と答えた。音楽が趣味なので聴覚は外せません。目が見えなくても触れた感覚がなくても、匂いさえ分かれば、美味しいもの、懐かしい人、草原や森の風景などが目に浮かびませんか? でも嗅覚をとる人は珍しいんだって。

何年も前、お香の席に潜り込ませてもらったことがある。お香がまわってきても違いがさっぱり分からなかった。ま、私は根っから庶民で平安貴族のDNAはないですから、といいつつ昔の人の繊細な感覚に脱帽。

それでも土地の匂いは何となく分かるものだ。6月からの2ヶ月あまりで、北海道・山梨・近畿・九州と日本を縦断してしまったが、駅の改札を出て、あるいは空港に降り立ったとき、その土地ならではの空気を感じずにいられない。まだ旅はもうひとつ、アメリカが控えている。五感とSixth Senceを研ぎ澄ませよう☆

2009年07月19日


虹の時間は魔法の時間

恒例の定期健診に行った。5年が経過したので、これからは年に一度で良いとのこと。3分間の診察が終わった後、いつものように売店で木村家の銀座限定メロンパンとあんぱん、ふと目に付いた新書「古事記と日本書紀」を買った。

「古事記」の創世期。まず、天の中心に原初の神が出現した。次に現れたのはムスヒの神。ムスは「苔むす」「草むす」のムスで、生命の出現を意味する。「虫」はそれが名詞化したもの。マムシという名があるように、古代ではヘビもムシ族の一員だった。そのヘビの血を受けた男の子孫が倭(やまと)の王になった。初代天皇の妻は蛇神の娘だったから、人は皆ムスコ、ムスメとして生を受けるから、私達もまたムシ族の一員だ。草と虫と人がひとつに繋がって生きている世界。記紀の世界はそうした原初の生態を残している。

この民族の子孫で嬉しい。

夕方、外出のためマンションを出たら、通りにいる人が皆空に向けて携帯を構えている。つられて見上げると、すごくきれいな虹が出ていた。虹をみているときって、誰もが幸せそうな顔をしている☆ 虹の時間は魔法の時間。気の重い用事が虹色に変った。地下鉄に乗るのが惜しくて、何度も振り返って空をみた。


2009年07月08日


七夕と満月と

このひと月間、何も用事のない日は3日だけだった。若い頃は、手帳にたくさん書き込みがあると充実した気分になっていたが、最近は予定のない日のほうがよっぽど嬉しい。今日は何をして過ごそうか、何もしないで過ごそうか、そんな思案から始められる日はもう天国です♪
たいてい雑用と掃除で終わってしまうけれど・・・^^;

帰宅して着替えていたら、時計が4時44分を表示していた。秒針が進んで4時44分44秒になった。オバマ大統領は第44代大統領で、この数字には祝福があるといわれている。

”まだ気がつきませんか。いつもこんなに近くにいるのに”

来週本番の曲をレッスンして頂いて、先生に「昨年と感じが違いますね」と言われた。心当たりはまあ、いくつかある。
それ以上に、なにも変っていないようで変ってきた・・という実感も強い。古いレコードが針飛びして(例えが古過ぎ!^^;)いつまでも同じメロディーが鳴っているようなパターンが、少しずつ変ってきているように思う。

週末は京都。朝7時10分東京発の新幹線、チケットを買うのはもう3回目になった。乗るのは”のぞみ”だけど、ひかりで一杯になって帰ってくるだろう。


2009年06月23日


夏至

夏至到来。さあ、季節が変わるぞ!と思って冷蔵庫と家の大掃除をした。
最近、重苦しさとか、離陸するような気分とか、自分の様々な気分が意外に暦と関係あることに気がついた。だから、あれこれ考えなくても”今はそんな時期なんだし〜”と流せる割合が増えたように思う。

ヴォリーズが設計した小学校の手すりに「ウサギとカメ」のオブジェが付いていた。「小さいときからイソップに何気なく触れられるのは良いね」と言ったら、夫が「子供の頃から亀は嫌な奴だと思っていた」というのでびっくり! 寝ているウサギを起こさないで黙って先にいくなんて、正直そうでいてアンフェア、出世街道を黙々と進む日本のサラリーマンみたいで暗くて嫌、なのだそうだ。へえ〜〜。ウサギみたいに楽しく走って気楽に寝て、まいっか、と明るく負けるなら、それも良いか・・・

とある瞑想セッションに連続で参加している。ふと気がつくと、コーヒーを飲む気がなくなっていた。なぜか過食傾向が収まり、甘いものの食べすぎが少し減った。飲食に主義を持ち込む気はないので、そのうち元通りになるだろうけど、こんなにすーっと変ってしまうなんて不思議。

真っ白だった夏の予定も少しずつ書き込まれ、もしかしたら3回目のシャスタが実現します☆ 昨年10月に「そうだ、いつかシャスタに帰ろう」と書いてから、すっかり忘れていたのに、シャスタは覚えていたらしい。いつものように、普通の旅行の通過点として訪れるだけだけど、ちょっとしたミラクルです♪

2009年06月23日


2009年上半期の音楽シーンが終了

1月10日(土) New Year Charity Concert
  E.モリコーネ 愛を奏でて
     木村弓 世界の約束
     J. S. バッハ 無伴奏チェロ組曲 第6番
    サラバンド(Pf & Vc 編曲版)

2月15日(日) A室内楽コンサート
     G. デュポン ピアノ五重奏曲「詩曲」
  第1,2楽章

3月1日(日) Aチェロの会
     J. S. バッハ 無伴奏チェロ組曲第5番より
   プレリュード

5月2日(土) スプリング・コンサート
     J. S. バッハ
         ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ
         第2番第1,2楽章

6月15日(月) 小室寛画集出版を祝う会
                  ミニ・コンサート

     モーツァルト 弦楽四重奏曲K.156より
             第1楽章
    ハイドン 弦楽四重奏曲「皇帝」より
          第2楽章 
    バルトーク ルーマニア舞曲
    マスカーニ カバレリア・ルスティカーナ

1月のチャリティ・コンサートは渡米心臓移植が必要な高校生を支援するもの、6月は友人のお父様のお祝い会だった。自分も何か出来たら良いな・・と思うときに、できるなにか(演奏)が一つでもあるのは嬉しい。
今年の後半は、数は少ないけれどチャレンジングな曲が待っている。一緒に弾く仲間に目一杯助けられるだろう。それも楽しみです☆

2009年05月28日


アタック

マンハッタンは不思議なところで、中にいると神経が参ってきて早くここから出たいと思うのに、離れると何故か懐かしくなる。アニー・リーボヴィッツ:レンズの向こうの人生を見て、そんなことを思い出した。オノ・ヨーコに裸で抱きついているジョン・レノン(この撮影の数時間後に亡くなった)の写真やデミ・ムーアのマタニティ・ヌードは彼女の作品だ。

映画を見て初めて、アニーのパートナーがスーザン・ソンタグだったこと・50歳を超えて出産、ついで代理母で双子を得たことなどを知った。タブーや限界を設けないアクティブな生き方はニューヨーカーらしい。この人にとって、沈黙や何もしない時間は何を意味するのだろう・・・

家畜は決して野生の動物のように静かにはできない。文明化した人間は静止する能力を喪失しているので、野生の世界に受け入れてもらうには、まず沈黙を学ばなければならない。
アイザック・ディネーセン 「アフリカの日々」

1週間もぐずぐす風邪をひいた挙句、声まで枯れたw(゜ロ゜;)w ・・・と思ったら、その次に歯が痛くなった!歯痛は、根に入った雑菌が免疫力が落ちたせいで増殖したらしい。リフレックス・エリア(痛くなった歯に該当する身体の器官・組織)を調べていたら、歯のトラブルに関する面白い記述を見つけた。

自分の攻撃性と独断的な部分を表すのが苦手ということで、その事実を認めたくない、あるいはできないということ。愛や理解を失うことを恐れるあまり、判断力をなくし、自然な攻撃性を抑圧している。人々の期待がどうあれ、本来の自分であるように。自分の攻撃性を認め、それを責めることなく、自分の中に起こらしめること。そうすれば、それはポジティブかつ建設的な力になり、目標の達成を容易にしてくれる。自分に正直でいるように。(以上概略)

そうか、やっぱり不十分だった・・・
つい最近、懸案だったことがひとつ進んだけれど、ちっともすっきりせず重苦しいままだった。受け入れるだけでなく、時には戦うことも必要だ。その後は手離そう、手作りシフォンでも食べながら。

2009年05月15日


一千億キロメートルの私

人の遺伝子(DNA)をするする伸ばすと、一千億キロメートルになるという。(by 永田和宏) 地球と太陽を軽く300往復してしまう距離 *・☆.* DNAの帯を映写機にかけたら、いったいどんな物語が映し出されるだろう。私の知らない私の物語・・・そう書きながら、”本当は知っているんだよね” とも思う。

私は楽器にまったく無頓着で、基本的にどんな状態のどんな楽器でも構わない。自分が弾けば自分の音しかしないんだもの・・・ とはいえ、あまりにヨレヨレでは演奏仲間に申し訳ない。数年ぶりに楽器屋さんに預けたら、糊のきいたシャツみたいにパリッと気持ちよく調整されて戻ってきた♪ 今度はもっと早く預けましょう。(ずさんなDNA ^^;)

「レ・ミゼラブル」の「I dreamed a dream」 スーザン・ボイルさんの豊かな声量と力強くストレートな声は私も好き。 ”絶望”って、こんなふうに歌うものかもしれない。しめった声でうつむいて、或いは絶叫調で歌ったとしたら、まったく印象は違ってしまう。幸せの絶頂も絶望のどん底も等しく人に与えられたもの。だとすれば、自分を憐れまず真っ直ぐに上を見て歌うべきもので、人にはその力が備わっていると思う。

2009年05月08日
シャスタの祝福

5月9日はウエサク祭(満月の仏教行事) その前日、東京はとても不安定な空模様だった。夕方になってようやく明るさをとりもどした空を眺めていたら、薄いヴェールをかぶったシャスタ山そっくりの雲を発見。

        

見惚れていたら虹がかかった。
しかも、ダブル・レインボウ!

        

さりげなく、力強く降り注ぐ祝福・・・

2009年04月12日


恩寵の春

今年は8日の花祭り( お釈迦様のお誕生日)に続いて、9日が満月、10日は天皇陛下ご結婚50年、12日は復活祭( イースター)と短い間に盛りだくさんだった。

ちょうどその頃、かまきりの賛歌を読んでいた。作者はローレンス・ヴァン・デル・ポスト。「戦場のメリークリスマス」の原作を書いた英国人だそうだ。ユングとも親交があり、ブッシュマンと暮らした人類学者、王室顧問等々、多彩な経歴を持つ。

この本は、NYで奇跡的に生きたブッシュマン(ハンス・ターイボッシュ)を二人の人間が追想する話で、一人は彼の傍らで過ごし最期を看取った女性、もう一人はアフリカが専門の人類学者である私。恐ろしく読みにくい文章(翻訳?)を途中で投げ出さずに読み通せたのは、ターイボッシュの純粋な精神の輝きが次第に明らかになってくるからだった。

なぜ、かつて「見世物」だったターイボッシュは周囲の人々の心を照らしたのか、なぜ彼は至福の表情を浮かべて世を去っていったのか・・・ 核心に迫るにつれて、ページから目が離せなくなった。

幸、不幸にかかわらず生は恩寵だということ。

今というタイミングでなければ、受け入れにくい本だったかもしれない。”このタイミングで!?”ということが春になって降り注いでいる。読み終わった日はまさに復活祭だった。
 

2009年04月08日


声の冒険

カルチャーセンターで、渡邊満喜子さんの「ヴォイス・ヒーリング講座」(全6回 )を受け始めた。田口ランディさんも紹介しているそうだ。blogでシェアしてくれたMさん、ありがとう!

そもそも歌が苦手だから楽器を弾いているようなものなのに、大丈夫かなぁ、雰囲気があわなかったらどうしようetc 不安な気持ちを抱えつつお会いした渡邊さんは、知性と感性のバランスがとれた素敵な方だった。語り方の美しさに魅かれて、実践だけで読まずに済ますつもりだった著書もゲット。一人の女性の履歴として心に響いた。こんな風に自分を見つめられたら素晴らしいと思う。

まず先生がチャクラ(丹田や第3の目といったエネルギーの結節点)や左半身・右半身に相当する声を出し、生徒が同じ音を出す。まるで自分が音叉になったように身体中が微細な振動で溢れた。次に各生徒の前に先生が立ち”その人の音”を発する。生徒はそれを引き取ってひとりで好きに歌う。人前で楽譜もないのにどうしよう・・・という顔をしたら、「大丈夫ですよ」とにっこりされ、自分でも思ってもみなかった声が次々と出た。
思いつくままロングトーンを連ねるだけなので、正確には歌ではない。いや、本来歌はこういうものだったのかも。人によって反応はさまざまで涙ぐんでしまう人もいた。どの参加者も、来たときと全く違う表情で帰っていった。q(^0^)p

<芸術>というものはなくて、あるものはただ<医術>だということを、いつの日か人々は悟るだろう(ル・クレジオ)

<医術>は<宇宙・神との対話>に置き換えても良いのではないだろうか。
身体感覚を通して、宇宙や自然から切り離された自分への信頼を取り戻す、あるいは本来的な自分を発見する・・・これはとってもスリリングな冒険だ。あと5回、もしかしたら怒りや悲しみと向き合うことになるかも知れないけれど、何が起きるか楽しみです♪

2009年03月24日


ある延期

NYで予定されていたヴァネッサ・レッドグレイヴの一人芝居「The Year of Magical Thinking」が延期になった。長女でやはり女優のナターシャ・リチャードソンがスキーの転倒事故で急逝した為だ。ヴァネッサは「ジュリア」以来の大フアン。「いつか眠りにつく前に」では死に瀕した老女の役で、手の動きひとつでここまで表現できるのかと、圧倒的な演技力と存在感に改めて感動した。

1時間40分をたった一人で演じきって絶賛されたこの芝居は、夫と娘を失う物語なのだ。まるで芝居をなぞるように実生活でも同じことが起きた訳で、70歳を過ぎての逆縁はどんなにつらいだろう。”人が事件を選ぶのではなく、事件が人を選ぶ”という言葉を思い出してしまった。生きていくなかでそれぞれが経験する事柄って、どうやって選ばれるのだろう・・・

ダイヤモンド・ロードという番組をきっかけに、ブラッド・ダイヤモンドを観た。出色の作品だと思う。恥ずかしながら、紛争ダイヤモンドのことはほとんど知らなかった。昨年結婚10周年で、夫の提案で指輪を買った。勢いで無料イニシャルサービスまで頼んでしまい、引き取りにいったのが年末。きらびやかなショーケースの前に若いカップルが鈴なりでびっくりした。質草の価値を減らしたかも知れないイニシャルは小さすぎてよく見えない(涙) 老眼鏡をかけて眺めるなんて何だかなあ・・・^^;

”子供が子供でいられない”状況はほんとうに心が痛む。それでも、子供達の目の輝きはダイヤモンド以上だった。
春分を過ぎて春到来。自分の心も着替なくっちゃ。

2009年03月15日


確信的に・・・

がん克服は情報戦でもある。多くの場合、患者(と家族)は本やインターネットなどの情報を読み漁ることになる。的確な情報を得るためともいえるが、実はどれをみても腑に落ちて納得するものがないのだ。”そうか、私のがんはこういうもので、こういう意味があり、このように向きあえば良いのか・・”と納得して、確信的に治療に向かうことはまずない。

がん哲学外来の話」の著者は病理医。臨床医・看護士・相談員・カウンセラーetc、どの本を読んでもどこか物足りない、と思ってきた人の心に届く本だ。がんを受け入れ向き合っていこうという軸足が定まる。夫婦の一方が罹患したとき、この本は大きな支えになるだろう。同じ内容を口で伝えるのは意外と難しそうだから。

大好きなイギリスの陶芸家、ルーシー・リーの展示を見に行った。シンプルで無駄がないのに奥深く、気品があってエレガント。こんな焼き物もあるのか・・と、初めて見た時は目からウロコだった。

器の美しいブルーやピンクの色合いから、セヌリエパステルを思い出した。セヌリエはパリのセーヌ河畔にあるセザンヌも通ったという画材屋さん。525色入りパステルセットなんてのもある!記念に小さい箱を2つ買った。何で2つかというと、ひとつは明るい色セットで、もうひとつはシックな色セットだから!さすが〜☆ 宝石箱のようで見ていて飽きない♪

色や12ヶ月を様々な名前で呼ぶのは、日本に特徴的なことかと思っていたら、フランスにもたくさんあった。「海の青」、「風の月」、「ワインの月」 お国柄ですね。

2009年03月10日
ある男の一生

ずっと昔のヨーロッパ、イタリアかフランスの石畳のある町。その男の子は、父親・同年代の兄弟(血がつながっているかは分からない)のいる家を出た。職人の元に弟子入りするためだった。母親は既にいない。親方や周りの人は良い人達で、彼は乳母だったおばあさんと暮らしていた。あるとき、そのおばあさんが死んで、彼は放浪の旅に出る。自然や野山の生き物を友とする孤独だけど穏やかな生活。やがて彼は歳をとり最期のときを迎える。呼吸が苦しくなり、天国へ。そこは光り輝く天上の世界だった。男は祝福された。

彼の一生が祝福されたものだったので、私は安心して嬉しくなった。私に伝えたいことがないか、彼に尋ねた。

”私はいつも一人で、寂しいときもあったが満ち足りて幸せだったよ。でも、あなたには言っておこう。人間というのは独りでいるものではない。かかわりを求めなさい。私の人生はもう終わってしまったが、あなたにはそう伝えておきたい”

私のなかの古い私の記憶より。

2009年03月08日



仕事初め(旧暦)、佐藤初女(はつめ)さん

3月4日は旧暦の仕事始め。お雛様をしまうという大仕事をした。色々な経緯で、3段飾りのお雛様が子供のいない我が家に登場。片づけがこんなに大変だとは思わなかった。^^; これで案外子供はそっけなかったり、顔が怖いなんていうから親も大変です。4日はイタリアでは「ミモザの日」(女性の日)。近所のお花屋さんの店先でも、ミモザの黄色がひときわ輝いていた。

森のイスキアを主宰する佐藤初女さんの講演会を聴いた。実際に接してお人柄を感じてみたくなり、衝動的に申し込んでしまった。
派手なところは何もないのにふんわりとエレガントな初女さんはもう90歳近い。目の前に荷物があれば背負い、楽ではないと思いながらも背負う荷物があることに感謝をする、まさに「実践の人」だった。

”カトリック信者としての生死観”を尋ねられたとき、「私は天国といっても知らないから、今生きている間に天国のようになればよいと思っているだけです」 また、マクロビオティックについての質問には「私のところでは、お肉もお魚も出します。美味しいと思って食べるものが栄養になるのではないでしょうか」・・・と青森弁でとつとつと答えていた。
主義や主張ではない「実践」の持つ圧倒的な力・・・
ほんとうに素敵です☆ 

初女さんを初めて知ったのは、地球交響曲(第2番)だったと思う。1〜5巻セットの特装版DVDを持っているが、どれも自分に「気づき」を与えてくれた。ときどきリクエストされて貸し出すことがある。そういうシェアも嬉しい。

2009年02月26日


Climb every mountain ...△....

テレビをつけたら、サウンド・オブ・ミュージックをやっていた。修道院長の「すべての山に登れ」のシーン。いつ聴いてもこの曲には心から感動する☆
サウンドトラックを持っていて昔は全部そらで歌えたし、ジュリー・アンドリュースが来日したとき、日本武道館までコンサートを聴きにいった。

2007年に米バーモント州にあるトラップ・ファミリーのロッジを訪ねた。壁に掛かったたくさんの写真を見ると、マリアはがっちりした肝っ玉母さん風で、大佐は新天地でたくましく生き抜くには、ちょっとひ弱な没落貴族のようだった。(実際トラップ大佐のほうがずっと早く亡くなっている。)

そんな思い出をオーバーラップさせながら見ていたら、何故か男爵夫人の身の引き方に魅かれた。ああ、この人は大人だな・・・
この頃映画をみるたびに自分の年齢を感じてしまう。直線的で影がない主人公よりも脇役のほうが良かったりして。 

バレンタインに、マリー・ビスケットでクッキー・ケーキを作った。一晩置いてしんなりしたビスケットが美味しかった。高級品は人からもらって、家ではお子ちゃまモードというのが我が家の定番。そしてお誕生日もおめでとう!

2009年02月24日


類まれな・・・

昨年後半から、あり得ないことがあり得ない速さで起きる。
シートベルトをしっかり締めてね、と友人がアドヴァイスしてくれたけど、これじゃ座席ごとふっ飛ばされているようなものだ.。 w(゜ロ゜;)w

一方で、起こるべきことが起きている、という感覚もある類まれな2009年。
2月下旬、家族の誕生日にルーリン彗星が地球に最接近し、翌日は新月だった。

今年になって、Mさんのフレグランス、「庭の奥」と題した絵、コニファー(樅)の鉢植えetcがやってきた。(どれも深い緑。針葉樹の森が恋しい!)

それだけじゃなくて、まだまだたくさん・・・ 以前よりもずっと、色々なサポートのサインに気づくようになって嬉しい。どんな状況でも、今このとき、ここに存在できるのは、何というギフトだろう。