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講道館対古流柔術はいつ行われたのか |
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警視庁に於ける柔術対柔道の試合が伝説の中に没していて、その頃実地に見た講道館の諸先輩の記憶がまちまちであるのには十分の理由がある。 ――富田常雄「講道館 姿三四郎余話」(春歩堂、1955) これまでにご紹介した記録を一覧表にまとめてみました。
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横山作次郎−中村半助の試合については、横山本人の談もあり、間違いなく行われたものと言ってよいでしょう。横山作次郎は、講道館の中では比較的早く警視庁入りしたようなので、中村戦は武術世話掛同士の試合として弥生祭武術大会で行われた可能性もあります。ただし富田常雄が言う明治21年1月14か16日はないでしょう。 講道館対戸塚派揚心流の試合は、組み合わせについて諸説あります。山下義韶の名で発表された「キング」が正しければ、山下に照島太郎、西郷四郎に好地円太郎ですが、逆に言われる場合もあります。照島−宗像逸郎も有力です。山下−照島は、行われていても後から(もしかすると山下の警視庁入り後)かもしれません。 時期についてもはっきりしません。富田常雄は大会を三島通庸警視総監が主催し立ち会った、ということにこだわっていますが、横山−中村戦以外は、三島がいなくても(つまり明治18年に行われていても)おかしくはないのではないかと思います。 以下、時期について候補を上げて検討してみます。 |
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・明治18(1885)年5月 老松九段他の説です。5日に警視庁で撃剣大会が開かれた新聞記事があります。 月はずれますが、6月26日に各府県令を招いて向ヶ岡の弥生社で行われた大撃剣会も、可能性があるかもしれません。 ただし、いずれも記事には柔術への言及がなく、柔術も行われたか不明です。 新聞記事は、別ページ「1955
老松信一「柔道五十年」(時事通信社)」、「1918
高橋数良「警視庁の柔道」(柔道)」でご覧下さい。 ・明治19(1886)年2月 山下十段の「キング」の記事のみにある説。該当しそうな新聞記事を探しましたが、下記のものぐらいでした。前後の月も調べてみましたが、柔術への言及もある1月の方がまだあり得そうです。 東京絵入新聞 明治19(1886)年2月27日朝刊 ○撃劍試験 警視廳にてハ昨日各署甲ノ部非番巡査の同試験を行なハれしと聞けり 東京絵入新聞 明治19(1886)年1月19日朝刊 ○武術會 今日ハ警視廳において撃劍、居合、柔術等の武術會を開かるるよし 東京絵入新聞 明治19(1886)年3月21日朝刊 ○大撃劍會 警視廳においてハ來る廿五日に春季大撃劍會を施行され各警察署詰の撃劍世話掛り教授その他府下に有名なる劍士を集合されて大仕合がある赴き 郵便報知新聞 明治19(1886)年3月21日朝刊 ○撃劍會 警視廳にて來廿五日春季大撃劍會を施行さるるに付府下各警察署詰の撃劍世話掛教授其他有名の劍客等数名の集會して大試合を爲す由又同廿四日ハ水上警察署同廿六日ハ吾妻橋警察署に於て方面撃劍會を執行さる ・明治19(1886)年5月 丸山九段の最終結論です。該当しそうな新聞記事は下記のものぐらいです。 「去る」は「来る」の間違いでしょう。 郵便報知新聞 明治19(1886)年5月12日朝刊 ○撃劍會 警視廳に於て去る十九日方面大撃劍會を施行さるるよし ・明治19(1886)年6月 「10日」ないし「11日」と具体的に日付まで言及されています。初出は古賀残星(10日)と思われ、後の人(丸山九段ら)は単純にそれに倣っているのか(その場合11日は誤記か)、それとも別にもソースがあって書いているのかは不明です。 郵便報知新聞 明治19(1886)年6月11日朝刊 ○柔術練習 久松町警察署にてハ巡査一同申合せ柔術をも練習せんとて昨十日同署の撃劍場に於て柔術の開場式を行はる 時事新報 明治19(1886)年6月11日朝刊 ○柔術開場式 久松町警察署に於ては昨十日同署内の撃劍場に於て柔術の開場式を行ひ安立警察本署長其他警察官ハ臨場したりと 時事新報 明治19(1886)年6月15日朝刊 ○大撃劍會 府下各警察署の警官巡査等は本日午前八時より警視廳構内の撃劍場にて大撃劍會を執行する由にて三島総監も臨席の上抜群な者へは夫々賞品を與るよし 東京絵入新聞 明治19(1886)年6月17日朝刊 ●撃劍會 一昨日午前より警視廳内の撃劍場において各方面の警部巡査が大撃劍會を開かれ勝を得たる者に太刀等を賞與されしが総監、副総監、方面監督、各警察署長等も臨場され中々盛んの事なりし 「柔術開場式」は、日付はぴったりですが、警視庁ではなく一警察署で行われているので、規模の小ささが気になります。日付はずれるものの15日の「大撃剣会」は、三島総監も臨席しており規模は十分ですが、柔術も行われたかがやはり不明です。 ・明治19年11月13、14日 弥生祭武術大会 この大会は情報が少なく、逆に言えば可能性はあります。ただし警察関係者以外の出場者はあまりいなかったように思います。あるとすれば武術世話掛同士、横山作次郎と中村半助戦でしょうか。 ・明治20(1887)年10月 横山対中村戦について「中村半助手帖」にある説です。該当しそうな新聞記事は下記ぐらいです。 東京絵入新聞の見出しは「撃剣の大試験」の誤植でしょう。 郵便報知新聞 明治20(1887)年10月12日朝刊 ○鎗術、柔術、撃劍會 來る十七日警視廳内に於て警部巡査の鎗術、柔術、撃劍の大仕合を催す筈なりしが當日ハ大祭日に相當するを以て更に來る十九日に延引となれり 東京絵入新聞 明治20(1887)年10月12日朝刊 ○撃劍大の試験 來る十九日より警視廳構内なる撃劍場に於て撃劍の大試験を催さるると ・明治20年11月28日 弥生祭武術大会 新聞記事では「柔術の乱取り凡そ十番」とあります。状況は前年の弥生祭武術大会と同様です。 ・明治21年5月27、28日 弥生祭武術大会 短文の新聞記事以外に資料は見つかりませんので、可能性がある、とは言えても、確かめるのは困難です。富田常雄が調べたように、この時期は三島総監が在京していませんので、三島が勝負を預かったという横山−中村戦は考えにくいですが、山下義韶ならあり得ましょうか。嘉納師範も「明治21年頃」と言っているのですが、意外に賛同者は少ないようです。 別ページ「明治21年5月 各流柔術試術会」に書きましたが、明治21年5月中旬には、嘉納師範が警視庁柔術世話掛の大家連に対して指導的立場にあるようです。またその前から講道館は警視庁に柔術世話掛を出していたようですから、それより前のどこかで講道館が認められる機会があったはずと考えます。 弥生祭各大会の情報は別ページ「弥生祭武術大会」をご覧下さい。 以上、残念ながら時期の特定は難しい、というのが現時点での結論です。 明治中期の警視庁関係の大会に出たことが期日まではっきりしている講道館入門者は、今のところ明治21年1月14日の野村喜之助と、同16日の加世田叶のみです。 メニューページ「講道館対古流柔術」へ戻る |