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12. 上手(うま)過ぎる絵

 現役時代に技術系や事務系の仕事にかかわり、定年になってから趣味の絵画の道に入る人が多いようです。 彼らの絵の特徴はデッサンや配色が正確で、全体的にキッチリと書かれており、遺漏がないことです。パースペクティブ(遠近法)にもめっぽう強く、 自信を持っています。でもなんとなく退屈で魅力に乏しい絵になることが多いのです。 そう言う私もその傾向の一人でした。その原因はどこにあるのかを ここで考えてみたいと思います。 
 彼らの絵は一般に説明がし尽くされており、曖昧なところがありません。現役時代の仕事振りをそのまま絵に 持ち込んでいるからでしょう。それは仕事をこなすにはとても良い習慣でした。しかしいま、それが妨げになっているかもしれません。良いと信じてきた習慣 を断ち切ることは容易ならぬ大仕事です。

写実の問題
 風景画は限られたキャンバスの上で、人に感動を伝える場面を演出する芸術です。しかし絵の描き方が、現場の 感動をいかに表現するかでなく、単に現場をいかに忠実に描写するか、つまり写真と同じことをしようとするから、几帳面さや正確さが表に出てくるので あって、そこに問題があるように思います。絵はイラストではありません。物を正確に説明するためのものでもありません。その意味ではデッサンの 厳密性は拘るべきでありません。
 風景を構成する要素の一つ一つについて考えてみましょう。例えば手前に一本の茂った木があるとします。 その形、輪郭、色合い、枝ぶりは特定されています。それらは、たまたまそうなっているだけなのですが、良い風景を演出する上で、果たしてその状態 がベストであり、必須であったかどうかは疑ってみる必要があります。より素敵な風景を模索するなら、そこをいろいろ変えてみる自由度がある筈です。 その自由度をフルに活用してあれこれ模索するのが絵画であり創作なのだと思います。
 いっぽう鑑賞する側は、現場を見ておりませんから、どれが正しい姿かを知るよしもなく、デフォルメがあ ろうが、はみ出しがあろうが気にもしません。単に芸術作品としての自由な発想で見ているのです。その絵が現場に忠実かどうかを確かめようとする 意地の悪い人などどこにもおりません。だから一生懸命に現場に忠実に描こうとする人は、観客ぬきの一人相撲をしていることになります。観客は何を 期待するのかを考え、むしろ見る側の目線で、彼らの期待に迫るような絵を再構成すべきなのです。

曖昧さの問題
 絵は感性の仕事です。感性には常に曖昧さが付きまといます。美も、情感も枡できっちりと量れるものでは ないからです。写実に長けた人の絵は、ある意味で絵ができすぎているから、欠陥がありません。しかし見る側は、曖昧なと ころや欠点を見つけてそれを自分の感性で補い、自分の絵にして楽しみたいと思っている節があります。例えば、澄み切った青空の色も、ペンキ職人の ように一様にべた塗したのでは面白くありません。逆に塗り斑のような欠陥があると、そこをいろいろと想像力で埋めていって自分の絵にできる面白味 があります。全てがきちんと整備されているのではなく、形や色その他どこかはみ出したところ、乱れた ところ、自然に委ねたところがあれば、人は緊張から解きほぐされ、そこに安らぎを見出します。
 絵は生活空間や会議室などを飾るインテリヤ・アート の一つです、こんにちの建築は直線、直角、真円などと、 幾何学的でキズも汚れもない完全な部品や材料で構成されています。一点の狂いも手直しの対象になります。そうした完璧さは時として過度の圧迫感や 緊張感をもたらします。インテリヤ・アートとしての絵画は、その空間の圧迫感を和らげ、安らぎを与える飾りの品です。だから、飾りそのものが完全 無欠で緊張感を撒き散らしたのでは意味がありません。むしろ羽目を外したり、はみ出したりなど、その空間の緊張を解きほぐす要素が絵に仕組まれていて良いのです。    2007/5/1

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