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趣味と芸術との違いをひと言で言うと、「共感性の有無」であると聞いたことがあります。万人とは言わないまでも、大多数の人に 同じ感動を与えるものが芸術です。例えば音楽などは概ねそうなっております。一つの曲を聴いて10人が10人とも、ジャンルを超えた同じ感動に
酔いしれます。やれクラシックだ フォークソングだ、流行歌だと、多少の好き嫌いはありますが、総じて共感に誘われると言って良い ように思います。音楽を素直に感じるためには特別の解説も勉強も要りません。音楽はそういう点が誠に素晴らしく、うらやましくも感じます。
しかし絵画となると事情は少し異なってきます。難しい絵があります。詳しい解説や、かなり予備知識をもってしてもわかりにくい
どころか、退屈してし まったりします。また羽目を外したような描き方で、観客を戸惑わせる絵もあります。受け取る人によって大きく評価が分
かれることは屡です。ある人には非常に高い評価を受けるが、他の人には全く評価されないばかりか、嫌悪感を抱かせることすらあります。盾喰う
虫も好き好きと言いますが、芸術というよりは趣味の世界の作品も横行しているようです。
私は趣味の絵を否定する積もりは毛頭ありません。たとえ芸術との評価は受けなくとも、趣味の絵画として個人が楽しむ分には誰
にもはばかることはあ りません。また怪しげな作品が作者を特異才能の芸術家の気分にさせてくれるのも絵ならではです。それも世間は暖かく
容認してくれます。ただしそれに甘えて、世間の素朴な芸術愛好家を混乱させることさえなければよいのです。絵はもともと趣味的要素が多く
含まれている芸術ですし、またそこが絵の良いところでもあります。
ともあれ、芸術と趣味との間にはっきりとした線を引くのは難しいようです。時代を超えて不朽の評価を受けるような作品が
ありますがそれはまさしく 芸術と言えましょう。しかし他方では、いまは評価が高くとも、世が変わり、人が変わると忘れられてしまいそうな絵、
あるいはそれを予感させるような絵も
沢山あります。粗大ゴミと化し、次の世代の者の困らせるようなものはまさしく趣味的な作品と言えるでしょう。
最近日経新聞の新聞小説で、たまたま以下のような一節にお目にかかりました。
「日経 小説「薄暮」篠田節子 より ーー(美術館の)学芸員は説明し始めた。「趣味としては絵画ほどポピュラーなものはありません。
絵を買う方 は少ないけれど、プロアマ含めて、描く方は圧倒的に多い。しかし売れる絵を描く方は、ほとんどいないわけですから、描いたものは
溜まりますよね。生きて いる間はいいとして、困るのは亡くなった後です。アトリエや押入れ一杯にキャンバスが入っているけど、亡くなった
お爺ちゃんがせっかく描いたものを捨て るのは忍びない。あるいは生前、もらってしまったけれど、邪魔なだけ。しかしゴミで出すのは気が引ける。
それで地域の美術館なら引き取ってくれるだろう とうちに持ち込んでくるんですよ。どこの地方美術館も、そんな始末に困った絵画の集積場になって
いるんです。」
私もこうはならないように気をつけたいと思います。 2007/12/1
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