絵画悠々TOPに戻る
次章(19)に進む
前章(17)に戻る
|

幻想の花を思わせるような絵に屡お目にかかります。右図はこの文の参考用に、とある著名作家の作品をうわべだけ真似て私が描いたものです。 その原画は現実の花にしてはデッサンも曖昧で、配色もひどく揺れていました。子供ですらもっとまともな花が描けそうです。でもとても素敵で モダンな感じがしたのです。何故なのでしょうか。
本当に美しいもの、神秘的なもの、感動的なものへの感性は人間共通であっても、それを具体化した形(モデル)は人によってそれぞれ違うかも しれません。だから絵を描くに当たっては、きっちりと最後まで仕上げずに、その少し手前で止めておいて、あとは見る人の想像力に任せる。 そのほうが多くの人の共感を呼び、つまりはより美しい絵になるということが言えそうです。
たとえば美人画の場合は、特定の美人を具体的に描き上げるのでなく、自分好みの美しい女性を勝手に想像させるような曖昧さを残した絵 であった方が面白いのです。「後ろ美人」という言葉が思い出されます。
また花を美しいと感じたそのとき、人はその時の花の種類や色、本数、向きその他、説明的な要素にはあまりこだわっていません。 だからそれらがいちいち確定していないほうが想像力を誘発しやすく、そうした狙いが絵のなかに秘められていて良いと思います。 冒頭の例は、そのような狙いを持った絵画作品と思われます。曖昧さを表に出すことにより、見る者の想像力を誘発しているのです。
ここで言う曖昧さは、それを補った先に、人それぞれがお気に入りの素晴らしい絵を予感させる、そのような曖昧さでなければなりません。 たとえば、輪郭線にゆがみや切れ目、はみ出しがあったりしますが、しかしそれらは単なる欠陥ではありません。それらを仮想線でつないでいけば、 自分の好みに合った素晴らしいフォルムが頭に描ける、そうした欠陥なのです。そうした含みを持った絵は、相当な力量を持つ人だけに できる高度な業ではありますが、またそこが多くの人に素敵に感じさせる魅力の源泉であると信じられます。
こうした曖昧さは、未熟な作品に見られる欠陥とはまったく違います。後者は想像力の誘発という意味では、ほとんど役に立ちません。 効果が計算されて描き込まれた曖昧さではないからです。また逆は真ならずで、単に曖昧だからと言って、すべてが想像力を誘発させる
わけではありません。訳のわからない絵、意味不明な絵も今どき多く見かけます。例外はどこにでもあるということです。
さて夢に出てくる風景だとか人物、花などのイメージをそのまま絵にすることを考えてみます。形の線については、記憶が怪しいぶん、 曖昧になったり、途切れや、崩れ、ゆがみがあったりします。また色と色の境界も曖昧で、そこはボカしたりします。脳裏に現れる夢の
イメージは、一般にそのようなものかと思われます。冒頭に掲げた作品は。まさに夢に出てくる花を描いたとも言えます。夢の世界と想像の世界は もともと隣り合わせのようです。
2009/1/1
|