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先日裏磐梯にドライブしました。その道すがら諸橋近代美術館の佇まいを目にしましたので、立ち寄ってみました。
この美術館は諸橋廷蔵という方が郷里の地域社会への貢献の趣旨で、建物から陳列コレクションの一切までを寄贈したものだそうです。陳列作品の主役は、抽斗のあるミロのヴィーナス像をはじめとするサルバドール・ダリの一連の超現実風の彫刻作品ですが、ほかにセザンヌ、ピカソなどの絵画作品もあります。あの“柔らかい時計”で有名なダリは、今でこそ二十世紀を代表する天才芸術家の一人と言われていますが、
当初は世間からまともな評価を受けなかったと聞きます。なるほど売れる筈も無いような奇怪な作品ばかりでした。しかし彼は経済的に非常に裕福な環境にいたようで、売れなくともあまり困った様子を見せませんでした。こうした彼の一連の作品をつぶさに観察して、私は彼の実像を以下のように想像してみました。
彼は作品の芸術性云々よりは、自身の夢と好奇心の赴くままにひたすら制作を続けていったのだと思います。またそれに没頭できるだけの経済的余裕もあったからです。それら作品のひとつ一つをみると、なるほどその制作過程はさぞや楽しいものであったろうと想像されます。
人の価値観は百人百様です。目先の効用や利便性ばかりを追求するのが常に善とは限りません。たまには個人的趣味と思しき世界に没頭する人がいても良いし、またそこに意外な可能性を発見して高く評価してくれる人も何時か何処かに居るかもしれません。人が贅沢品を買い漁ったり、国々が争いごとに資源を浪費したりするこの世の中にあって、彼の発散したエネルギーはむしろ健全なものであったと思えてなりません。
彼は日常の行動においても、作品の傾向を伺わせるような奇行がしばしばあり、マスコミを翻弄し、画家仲間のひんしゅくを買っていたようです。しかしこれは本人の真の姿ではないと思います。 彼は根は意外と真摯で常識的な人間であり、健全な芸術論者だったのです。「天才を演じきると天才になれる。」これはダリ自身の言葉でした。それは天才信奉論者への強烈な風刺とも受け取れます。作品の真の評価は評論家やマスコミが決めるものではなく、何の先入観も無く作品に接する観客の素朴な感性にゆだねるべきだと言っているようです。彼は総てを承知の上で、自分の信念を貫いたのです。
話は少し横にそれますが、世界にイグノーベル賞という制度があります。アイデアが非常に奇抜で遊び心一杯な発明を発掘して表彰するもので、ノーベル賞のパロディー版と言えます。ハーバード大学で毎年表彰式があるそうです。受賞の中には例えば、「止めようとすれば逃げ廻る目覚まし時計」という愉快な発明がありました。イグノーベル賞は、笑いと安らぎをもたらす中にも、将来に大きな可能性を秘めるこだわりの発明家を勇気付けるための活動だと思いますが、これと共通するものをダリの作品に感じました。
私はダリが非常に親しみのある身近な存在のように思えました。
2009/11/1
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