織田家臣。斯波義純の子。尾張守護・斯波義統の遺児とも伝わる。河内守・侍従。
織田信長に馬廻として仕え、赤母衣衆として活躍した。
永禄3年(1560)の桶狭間の合戦、永禄12年(1569)の伊勢国北畠氏攻め、天正3年(1575)の美濃国岩村城の戦いなどに従軍している。
天正10年(1582)の武田征伐の際には織田信忠の麾下として出陣して信濃国高遠城の戦い:その2で戦功があり、その功で信濃国伊奈郡に所領を与えられた。
信長の死後は羽柴秀吉に従い、天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦、天正15年(1587)の九州征伐、天正18年(1590)の小田原征伐などに従軍し、同年7月、信濃国伊奈郡飯田で10万石を与えられた。
天正20年(=文禄元年:1592)の文禄の役では、肥前国名護屋城に駐屯。
文禄2年(1593)閏9月17日に死去した。その遺領のうち1万石のみが子・毛利秀秋に相続された。