織田秀信(おだ・ひでのぶ) 1580〜1605

織田信忠の長男。織田信長の嫡孫。幼名は三法師。侍従・左近衛権少将・参議・正三位中納言。
天正10年(1582)6月の本能寺の変の際、秀信はまだ3歳であったが父・信忠と共に京都におり、信忠の命を受けた前田玄以に護られて脱出した。
そののちの6月27日、織田氏の後継者と遺領分配を決める「清洲会議」の席上、羽柴秀吉らに推されてわずか3歳でありながらも織田氏の相続人となった。しかし実権はなく、叔父の織田信雄織田信孝の後見を受けた。
文禄元年(1592)に美濃国岐阜13万3千石を領し、慶長元年(1596)に従三位・中納言に叙任。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役には石田三成に誘われて西軍に与して、岐阜城に籠城。東軍の先鋒の福島正則池田輝政らに攻囲され、8月23日に開城降伏した。
役後は高野山に入り、慶長10年(1605)5月8日に没した。26歳。法号は圭巌院松貞大善院。