斯波家兼(しば・いえかね) 1308〜1356

斯波家貞の子。斯波高経の弟。幼名は千代鶴。通称は尾張彦三郎。別称を時家。伊予守・式部大夫。若狭守護。
元弘の乱に際しては兄・高経とともに足利尊氏に従って各地を転戦した。
尊氏が光厳上皇を擁して入京を果たしたのちの建武3:延元元年(1336)7月に若狭守護に補任され、若狭国府の小浜に入部。この後の10月頃より高経や援軍の仁木頼章・高師泰らとともに、新田義貞らの拠った越前国金ヶ崎城を攻め、翌建武4:延元2年(1337)3月に攻略する。
かつて、甥にあたる斯波家長が奥州総大将を務めた所縁からか、奥州管領であった吉良貞家の没後とみられる文和3:正平9年(1354)10月頃までにはその後任に任じられ、息男の直持・兼頼を伴って陸奥国の多賀国府に下向。この両名がそれぞれ大崎氏、最上氏の祖となる。
延文元:正平11年(1356)6月13日に死去。享年49。法号は円承。