ポケモン論文1 ポケモンワールド研究論文は↓こちら 携帯獣世界征服計画 おちゃらけた はなしは↓こちら よたばなし1 よたばなし2 よたばなし3 |
タケシの担当 | at 2009 04/04 | ||
カスミが母性を表わすハナコの代理からスタートしたのに対し、タケシは未熟な主人公を導くオーキド の博士の代理となる。しかしカスミが100%ハナコの身代わりではないように、タケシも100%オーキド 博士の雛型ではない。特にタケシには様々な役割が与えられている。 1. 親(保護者) タケシは当初ジムリーダーだった。初心者のくせにやたらに自信満々の挑戦者サトシを、あっさり退ける 姿はこれからポケモンマスターへの道を進もうとしている主人公、サトシの前に立ちふさがる最初の障壁と なる。しかしその壁はさほど厚いものではない。一見「主人公を凌駕する強いトレーナー」として登場した タケシではあるが、その実態は家族を捨てて出奔してしまった両親の代理として十人の弟妹を養う保護者で ある。タケシは生活の為に生業としてジムリーダーをしているに過ぎず、実はポケモンブリーダー(育成と 繁殖)になりたいという願望があった。彼の本質は「育て養う」という親の属性なのである。父親ムノウの 帰還でタケシは弟妹を養う「親」という立場から解放され、今度はカスミと共にサトシの「親」という役割 に移行する。主人公よりも強いトレーナーとして登場しながら、あえてサトシに勝ちを譲る事で主人公と 競合するトレーナーとしての立場を放棄し、あらためてサトシのサポート役に就任する。 2. 兄(先達) タケシの特徴として「おねいさん好き」がある。彼の年齢は十五歳だが、ポケモンワールドではすでに 成年であり、魅力的な異性に関心を示すのはいたって自然な事である。この場合のタケシは、それまで庇護 されていた子供が親離れし「大人」として、いずれパートナーとなる異性と出会うであろう「一人前の雄へ の道」へ向かう為にサトシに示されるモデルケースなのだ。 物語上では、タケシが正式に「大人の男性」となるのは、オレンジ諸島におけるウチキド博士との邂逅 である。それまでタケシは、幾多の女性と出会っては熱を上げ、積極的な自己アピールをするが、結局成就 する事はなく、その場に居合わせたサトシやカスミも、呆れ顔をするだけで終わっていた。しかしタケシは ウチキド博士と出会い、その手伝いをするという名目でこの地に留まり、サトシとカスミだけが旅を再開 する事になった。これは最年長であったタケシが、これぞと思える異性に出会い「一人前の男」となって、 それまで属していた子供グループから離脱するのである。しかし、結局タケシはウチキド博士を獲得する事 はできず、再び子供グループに復帰する。 そしてタケシのパートナー探しは続く。しかしこのグループは以前のままではなかった。タケシが一度 「雄」への道に向かったのと同様に、カスミもまた「雌」への道に踏み出していたのだ。しかしそのター ゲットであるサトシは、微かに芽吹いていたはずの「雄への成長」が停止されたばかりではなく「無性の 子供」への退行を始めた。雌として目覚め始めたカスミだが、その「春の情動」は行き場を失ってしまう。 その結果がタケシの正常な「情動」を妨害するという、八つ当り行動となってあらわれる。しかし「未成熟 な子供」が対象のカスミと違って、タケシが求愛する対象は「子供ではない異性」であり自らの情動を恥じ らう必要はない。またタケシの恋人でもないカスミに、彼の恋路を妨害する権利もない。なぜタケシはこの 理不尽な理由からくる妨害行動に怒る事もなく、唯々諾々と従うのか。ここでタケシのもう一つの役割が 見えてくる。 3. 老賢人(自制) ジョウトからホウエンへ、そしてバトルフロンティアと、場所は変わってもタケシの「おねぃさん好き」 は変わらない。しかし、いざその想いが成就しそうな気配があったり、実際に異性に想いを寄せられたり するとタケシは途端に逃げ腰になってしまう。毎回の熱烈な求愛行動とは相反するタケシの、この行動の 意味は何か。 劇場版『ミュウと波導の勇者ルカリオ』でも、タケシは性懲りもなく美女に言い寄り、いつものように 妨害される。そして城で開催された仮装パーティで、かの美女をはじめ皆が華やかな衣装で着飾る中タケシ はキャロット帽とカズラ、ダルマティカといった僧侶のコスチュームを選んだ。普段彼が示していた過剰な 程の異性への関心とは相反する、知恵と禁欲を表わす僧形を装う事で、タケシは生物の本能である身体性を 超越し精神性を象徴する、もうひとつの無性である「老賢人」を体現したのである。 未分化の子供の状態でスタートした主人公サトシが「一人前の大人の男」へ育っていく為に配置された タケシとカスミであったが、サトシが心身共に成長する事を止められた事で、彼等も軌道修正を余儀なく される。 タケシを掣肘する者も、少女からから大人の女性になろうとしているにもかかわらず、その雌性 を発揮できないで苛立つカスミから、未分化な幼体のマサト、そして異種生物のグレッグルと、より無性化 が加速されていく。ただの雌となってしまったカスミが物語から追放された一方、タケシは自らの雄性を 存続しながらもそれを適宜制御する事でこの子供チームに留まり続ける為、自分が勤めるべき役割を完璧に 理解し遂行している。そういう意味でタケシは最も完成された真の意味での「大人」といえるだろう。 |
ハルカの卒業−−− ヒロイン像の変遷 2 | at 2007 03/03 | ||
カスミの後任に登場した二代目のヒロインは、ハルカである。カスミが心ならずも物語から撤退を余儀 なくされた最大の理由がサトシの変質である事から、ハルカのキャラクター設定は当然、その辺の事情を 考慮したものになり、特に次の点が重要視されている。 1.サトシの主人公としての立場を侵害しない 2.サトシとの間に友達以上の感情を持ち込まない 3.幅広い層に支持されるキャラクターでありたい ホウエン編がスタートした当初、ハルカはサトシと共に「W主人公」という触れ込みだった。しかし実際 にはカスミやタケシと同じサポート的な脇役という立ち位置である。さらに彼女の目指す目的は、サトシの ようなトレーナーではなく、コーディネーターを目指す事になる。これはバトルがメインであるトレーナー よりもショーアップがメインであるコーディネーターの方が、より「女の子」向きであるからだ。これは 「蒐集とバトル」という男の子向きのゲームである『ポケモン』に、女の子のファンを取り込みたいという 思惑がアニメにも適用されたといえる。また二人の目標を別々なものにする事によって、両者が同じ土俵で 競い合うのを避け、その力量の差を目立たせない配慮である。同時にそれまでの「男の子が主で女の子が 従」というムードを薄めたいという考えもあろう。 当初、少年サトシのポケモンマスターを目指しての冒険は、人間としての成長はもちろんだが同時進行と して無性な子供から大人への成長予定も組み入れられていた。子供アニメであるから、そう露骨な表現では ないにしろ男女の恋愛めいたものは、ムサシとコジロウ、タケシの女好き等々、ごく自然に存在していた。 しかし途中からサトシの雄性が否定され、その結果カスミはその雌性が災いして物語から追放されるはめに なった。ゆえに新しいヒロインはサトシとの間に特別な感情があってはならない。それまでカスミがやって いたタケシの耳引っ張りも、新シリーズではハルカではなく幼少のマサトが担当している。これは、女性に 言い寄るタケシをハルカが妨害すると「他の女に嫉妬する女」という構図になり、かつてのカスミのような 生臭い雌性が漂ってきてしまう。しかしまだ無性であるマサトがであれば、単なる譴責で済む。このように サトシとハルカの間だけではなく、主人公グループ内では「男」と「女」という対立性が極力排除されて いる。しかしキャラ的には、カスミよりもハルカの方がより女性的なイメージが強調されている。ヒロイン として「可愛い女の子」役を担当するハルカは「食べ歩きやロマンチックなラブストーリー」が大好きで ある。またその幼い母性の発露として、弟マサトや小さなポケモンを母親代りとなって可愛がり、ポロック を作る様子もママゴトのようである。しかし、あまりに男性側の視点からの「女の子」らしさばかりが強調 されると逆に女性側から反発を食いかねない。もちろんそれに対しても周到に考慮され設定されている。 まず、ハルカがコーディネーターを目指すきっかけになったのは女性である。そしてハルカが最終目標 とするトップコーディネーターも女性である。ハルカの最終目標である理想像を「自立した女性」にする事 で女性を肯定的に描きフェミニストも納得の理想的なヒロイン像になる。しかし男性を排除した「一代女」 では普遍的な好感を得る事は困難である。そこで一方では「優秀なジムリーダーの父親と美しく優しく家庭 的な母親という理想の家族像」を示し、コーディネーターとして登場する女性にも、パートナーである男を 配置する。女性の自立を強調しつつ、同時に男女共生もアピールしている。またハルカ自身のライバルも 同年齢とおぼしき少年シュウである。彼とは互いに同じ土俵で競い合い高めあう良きライバルであり、また パートナー候補に模せられるキャラクターである。もう一人のライバルはハーリーだが、こちらは逆恨み 的な理由から、ハルカの足を引っ張る悪しきライバルである。ただこのキャラクターはいわゆる「おねぇ キャラ」にしてある。これは男だと「かよわい女の子を苛める」という面が強調され過ぎてハルカに弱者的 なイメージがついてしまう。だからといって女性同士では「雌VS雌」という生な闘争になりかねない。 その点、ハーリーのような男性でもなく女性でもない中性的な「おねぇキャラ」にすればマイナスイメージ が性差に直結しないので、男女どちらからも反感を買わずに済む。 むろん周到に慮った状況設定だけではなく、ハルカ自身にもしかるべき資質が備えられている。サトシと 同じ年齢であるにも関わらず、ハルカは年に似合ぬ成熟した身体同様、精神的にも大人びたところがある。 ハルカとカスミの初対面のシーンで、ハルカの精神的な成熟度がはっきりと見えてくる。この時、カスミは いきなりタメ口、というより、あきらかに上からモノを言う態度である。これは主人公グループの新参者で あるハルカに対して、自分の方が「サトシのパートナーとしての立場(実際はもうとっくに失われているの だが…)」において優位にたっているのだというカスミの示威行動である。このように「雌」として挑発的 な態度を示すカスミに、ハルカの方はまるで相手に媚びているかのようなへりくだった態度をとる。表向き は「先輩」であるカスミに素直に敬意を示しているのだとアピールしているように見えるが、実際はカスミ のサトシに対する想い(サトシやタケシから彼女の事を聞いていれば当然推察できる事だ!)を察知し、 カスミの先制攻撃を逸らしたものといえる。この一触即発の初対面を如才なくかわしたハルカの世知は、 新しいヒロイン像の特徴である。余談だが、この後、両者が直接関わる場面はなく、ハルカが慎重に避けた 「地雷」をカスミがいまだに持ち続けている様が窺われ興味深い。 トゲピーを「雌性」を演出する小道具としていたカスミと違い、ハルカは、マナフィーとの遭遇において 純粋な「擬似親子関係」を結ぶ。この「幼き生き物」との出会いと別れは、ハルカに潜在していた幼い母性 の集大成である。それまでマサトを通してオママゴト的な母親修行をしていたのだが、この出来事は少女で あったハルカが真似事でも擬似でもない本物の母性を発現させる「女性」へと、進化するきっかけになる。 「目標とする女性コーディネーター」「パートナー候補らしき少年」「いずれ現実のものとなるはずの 恋愛と、その結果満たされる母性愛」等、具体的に示されてきた理想のヒロイン像。それが今のハルカと地 続きになったその時、彼女は成長を止めた主人公グループを抜け、ライバル達を追って旅立つのだ。 マサトもホウエンに帰り、ハルカはジョウトで修行を続けている。その後の様子はいまだ伝えられては いないが「自立した大人の女性」という理想像が最初から設定されていたハルカの事であるから、途中から 思春期の嵐に囚われ、結局何も獲得できずに物語から去らねばならなかったカスミのように自滅するような 事はないだろう。 |
シンジの立場 | at 2007 02/02 | ||
アニメの舞台は今期からシンオウ地方に移った。カントー(オレンジ諸島はカントーの一部と思われる) &ジョウトはゲームに準じロケット団が主たる悪役を務め、ホウエンはさらにマグマ団、アクア団が登場 した。しかしシンオウではゲームに登場した※注ギンガ団が現れず、そのかわりなのだろうか、シンジと いう少年が敵役を担っているかのように見える。ライバルとしてのシゲルは隠居してしまった為、主人公と して過度に優遇され思い上がっているサトシに抗するキャラクターとして、新たなライバルの登場は歓迎 すべき事である。彼の外見は、鋭い目つきや髪型がアニメではワンカットしか登場しなかったジョウトの 敵役兼ライバルの赤毛の少年に似ている。シンジの口癖は「使えない(使い物にならない)」で、サトシを はじめ主人公サイド(おそらく一般のポケモンファンのも)の反感を買っている。ポケモンに関するシンジ の言動全てに、サトシは過敏に反応し、猛然と反論する。しかしシンジの言動は本当に「トレーナーにある まじき非難すべきもの」だろうか?まずサトシが批判するシンジの行動とは、ポケモンを 1.逃がす 2.交換する 3.バトルで消耗させる が挙げられる。 しかしこれらはトレーナーとしてごく当り前の行動ではないのか? ここでサトシが非難するシンジの 行動とサトシ自身の行動を比較してみたい。 1.逃がす 同種のポケモンを複数を捕まえて、その中からそれぞれの能力を比較し、特に優秀な個体を選び、それを 育てるというのは、強いポケモンを育てて戦わせる者として定義されるトレーナーとしては、当然の行動で あり、オーキド博士もそう勧めている。育てるつもりがないならモンスターボールに監禁したまま飼い殺し にするよりも、人間に依存して野生では生きていけなくなってしまうより前に速やかに手放すのがポケモン にとっても良い方法ではないのか。実際、サトシも以前ポケモンを逃がした事がある。最初にGETした キャタピーをトランセルからバタフリーに進化させたが、繁殖地にパートナーと共に旅立つ事を許しのだ。 またピカチュウも、野生のピカチュウの群れに戻そうとした事がある。この時は、ピカチュウ自身の意思で サトシについて行く決断をしたのだが、この時サトシ自身もポケモンは本来野生の状態でいる方が自然だと いう考えでいたという事だ。 2.交換する ジム戦で使ったマリルリを、直後に手放したシンジを「せっかく仲間にしたのに」とサトシは非難する。 しかしサトシ自身は、GETしたポケモンを仲間として遇しているといえるのか。当初からのパートナー であるピカチュウとは常に行動を共にしているが他のポケモンは手元にはいない。現在連れているムックル はシンオウでGETしたものであるし、エイパムはオーキド研究所に置き去りにされたのを自分からサトシ の後を追って来たので結果的に同行しているだけだ。他のGETしたポケモンは、ほとんどオーキド博士の 研究所に預けっぱなしである。そのサトシに「GETしたポケモンは全部仲間として強く育ててやるべきだ」 とシンジを非難する権利があるのか。シンジは、彼が手放したマリルリを手に「大事にするね♪」といって 去っていく少年に答礼として片手を挙げ見送る。その姿は口では「使えないから手放す」といいながらも、 新たな仲間同士となっていくであろう彼等を祝福しているように見えた。それにサトシも「最初にGET した大事な仲間」である筈のバタフリーを交換に出した事があるではないか。直後に再度交換を申し込んで 手元に戻してはいるが「強いポケモンと交換したい」という動機から「大事な仲間」だった自分のポケモン (それも自ら最初にGETしたポケモンだ!)を交換に出したという事実は変わらない。ポケモンワールド において、ポケモンの交換はごく当り前の事であり、シンジであれサトシであれ、その行動を非難すべき 根拠はどこにもない。アニメにおいても「ポケモンの交換」という事はしばしば出てくるが、ポケモンの 交換をする他の人々に対して、サトシが批判めいた事を言った事もない。結局のところサトシはシンジへ の個人的な反感から、いわれなき非難を繰り返しているだけである。 3.バトルで消耗させる この事については具体的な例が挙げられる。シンジはクロガネジムのジム戦において、ヒコザルの体力が 減少しているにもかかわらず次のポケモンと交代させなかった。消耗してくると技がパワーアップすると いうヒコザルの特性「もうか」を利用した作戦なのだが、サトシは「それではヒコザルが可哀想だ」と いう。しかしポケモンそれぞれのタイプや特性を知りそれをいかした作戦をするというのはトレーナーと して当然、いや必須な事ではないのか。事実ジムリーダーのヒョウタは、シンジのその巧みな戦いぶりを 賞賛している。 以上の三点から見て、シンジを悪役とする根拠はどこにもない。むしろ模範的なトレーナーとして見習う べき人物といえよう。少々口が悪いところが「ちいさいオトモダチ」にとって好ましくないといわれるかも しれないが、目上の人にはきちんと敬語を使い、全般的に礼儀正しい。行儀の点だけを比較してもサトシ (&ヒカリ)の方がよほどガラが悪い。 また上記に補足として、サトシの行状に目を向けてみよう。 サトシが逃がしたのはバタフリーだけと思われがちだが、実は他にも何匹かのポケモンを手放している。 バタフリーのように野生に帰した場合の他に、自らがヒトカゲから進化させたリザードンの場合、表向きは 「リザードンの谷」に預けるという形式を取っているが、明確に「放棄」なのである。アニメにおいては ボールから出したポケモンに対し「もう自分はトレーナーではない」という意思表示をするだけで、両者の 関係は解消される。リザードンに対してもこの宣言がなされ、サトシはトレーナーとしての責任を一度放棄 しているのである。シンジの場合は、まだ主従の絆が成立する以前の段階だが、サトシとこのリザードンの 場合、かなり長期間を共に過ごしていたにも関わらず「大事な仲間」であったリザードンを「捨てた」ので ある。リザードンは、まだヒトカゲだった頃に以前のトレーナーに捨てられている。その時、サトシは前の 飼い主を激しく非難したが、自分も同じ事をしたわけだ。だがジョウトリーグでは「共にジョウトを旅した 仲間」を差し置いて「(実際は)捨てた」のだが「預けただけだ」という事にして、リザードンを「自分の ポケモン」としてジョウトリーグに出場している。サトシには、こういう手前勝手なルール違反がしばしば 見られるが、その件については、サトシに関する章であらためて論ずる。 そして、最後のバトルにおけるポケモンへのダメージについてだ。野生のポケモンをGETする時には、 モンスターボールの力に抵抗できなくなるまでバトルをし、体力の限界まで痛めつけたり、状態異常にする のは常識である。またピカチュウのボルデッカーを含め、トレーナーが勝つ為にあえて自分のポケモンを傷 付ける技も数多い。そもそもポケモンバトルというのは、消耗どころかポケモンが瀕死になるまで戦わせる ものだ。ポケモンを少しでも傷つけたくないと思うなら、即刻ポケモントレーナーを廃業すべきだ。バトル 中に体力を消耗しているヒコザルをシンジが交代させなかった事について、サトシは憤る。しかし一方で、 たった今激しいジム戦をしたばかりのジムリーダーに、即刻バトルを申し込むサトシに、ポケモンに対する 思いやりは一切感じられない。事実、二度目のジム戦でサトシは手持ちの3匹のうち二匹を戦闘不能の瀕死 にしているのだ。ジム戦に限らずバトルにおいては、トレーナーは無傷でもポケモンのダメージは相当な ものである。しかしそれはポケモンバトルでは当り前であり、その事に異議を差し挟む権利はサトシにも ない。ただ、自己中心的で傲慢な主人公に「虫が好かない」という理由だけで一方的に言いがかりをつけ られる真っ当なトレーナーであるシンジはむしろ気の毒な被害者である。ただ「悪役」の条件が「正義に 反する者」ではなく「主人公と相反する者」と定義するのならばその呼称は正しいといえるのだが。 ロケット団のトリオは敵役とはいいながら、非常にラブリーでチャーミングなキャラクターであり、凶悪 イメージを標榜するのは困難である。増長する主人公の暴走を牽制し、結果的にその成長を助ける役割を 担っていたシゲルの後継者となる敵役の到来を待っていた者にとって、強面のシンジは期待の星である。 今はまだサトシの「傲慢さ」ばかりが目立ってしまい、シンジの「良き人」的なところが先行しているが 彼がさらなる進化をとげ、立派な辛口の悪役になってくれる事をおおいに期待する。 ※注 ギンガ団は、かなり後半になってから登場した |
カスミの退却 −−− ヒロイン像の変遷 1 | at 2006 10/10 | ||
各キャラクターの設定は、スタート時には『物語』の基本形に忠実だった。親元を旅立つ未熟な主人公が サトシ、そして彼を影に日向にサポートするタケシとカスミ。この二人は、精神的な範疇においての両親の 代理人だ。秩序と理性を指導する老賢人オーキド博士の代わりとしてのタケシ、そして主に情緒的な面を 担当する母親ハナコの代わりとしてのカスミである。情緒的な象徴を、具体的な役割にあてはめると大別 して以下の二つになる。 ◎その1−−−母性像 カスミはサトシと同じ年齢であるが、ポケモントレーナーとしては彼女のキャリアが上である。それは タケシが登場する前に、先達としてサトシを教え導くという役割をも担っていたからだ。ポケモンマスター を目指すと大きな事をいうわりに、サトシはトレーナーとしてもあまりに無知であり、精神的にも幼稚で ある。ピカチュウを瀕死にしてしまったサトシを平手打ちするカスミは子供を叱る母親そのものであった。 また、子供のサトシにはなかなか馴れなかったピカチュウが、カスミにはすぐに馴れて自分からすりよって いくというところも、カスミが持つ母性の表現となっている。 ◎その2−−−女性像 同時にカスミには「成長した主人公が出会う異性」としての原型も投影されている。彼等の年齢を同じに して男女という差異を強調しているのは、その為でもある。この立場に必要な母性とは別の「女性らしさ」 は「虫が苦手」という非常にベタな行動で表現されている。ただ、まだ子供のサトシが物語の主体という 事もあり、「ボーイ・ミーツ・ガール」的な表現は全体的に控え目になっている。ここから具体例をあげて カスミのキャラクター設定の変遷を説明して行こう。 第7話「ハナダシティのすいちゅうか」 カスミはハナダジム側の立場として、ジムバッジを賭けてサトシと互角のバトルをする。結局勝負は つかず、二人はまだトレーナーとして同等な位置にいる。これは男の子である主人公サトシに対し、女の子 のファンが感情移入できる、もうひとりのポケモントレーナーという役目をおっているからである。また 姉からサトシの事をボーイフレンドかと言われ否定するが、その様子は自然で、まだサトシ個人に対して の「特別な感情」はまだみられない。 第9話「ポケモンひっしょうマニュアル」 ポケモンゼミナールで、劣等生の少年をいたぶる優等生の美少女に「女の子は弱い者を守るべきだ」と 噛みつきその母性をあらわにする。しかしタイプでは有利だったはずのバトルにおいて、カスミはこの 優等生に破れてしまう。「弱者(子供)を保護しようとする母性的女性原理」が「実力のある強い者が勝つ (社会の秩序)という父性的男性原理」に敗北するという現実を示す。一方サトシは、タイプ的では不利で あったにも関わらずこの優等生に勝利し、トレーナーとしてもカスミに優越する。この時「子供」は「母」 より強いものの存在を知り、それまで絶対的な存在であった「母」の限界を認識する。そして「母」より 強いものに勝つ事により「母」の保護下から離脱し、独立するという目的を明確にするのである。 またこの回では、もうひとつ非常に重要かつ象徴的な事柄がある。この美少女に対して、サトシとタケシ の両方が顔を赤らめて異性への関心を示した事に対し、カスミが不満をあらわすのである。カスミは彼等が 自分を異性として認めていないと憤るのであるが、この時のカスミの感情は美少女への対抗心嫉妬が主体で あり、女性らしい感情ではあるが、彼等(サトシとタケシ)をはっきりと男性として意識していたとは言え ない。また、この場面で注目すべきなのは、この時のサトシは、まだ普通の男としての感性を持っていたと いう事である。まだ未熟ではあるが、彼等もいずれは、それぞれに男性、女性へと成長していくであろうと いう伏線が垣間見える。 第18話「アオプルコのきゅうじつ」 自分のクルーザーを壊されて怒る老人に対し、サトシは水着姿のカスミを楯にして老人をなだめようと する。老人とはいえ「十年後が楽しみだ」と女の子の水着姿に鼻の下を伸ばすところはただの男だ。それは ともかく、このエピソードには『カスミに雌としての価値がある』そして『サトシに雄の本能を理解し利用 する世知があった』という事が表現されているという点で注目してよい。そしてこの頃にはまだ、主人公達 が等身大に描かれていたという状況証拠でもある。 第19話「メノクラゲドククラゲ」 弱ったタッツーを保護し、荒れ狂う巨大ドククラゲを、自らの危険をかえり見ず説得しようとする。この 時のカスミの姿は、サトシだけではなく「生命全体への母性」の暗喩である。それまでの「サトシの母親 (代理)」という限定さていれた母性が、普遍的な愛情で女性的な優しさを体現するようになる。それは これまで主人公を「自分の子」と見ていた「母」の属性を脱して、新たにパートナーとしての「異性」の 立場に徐々に移行し、将来的には「主人公の子供の母親となりうる女性」になる可能性を暗示している。 第20話「ゆうれいポケモンとなつまつり」 美女の幽霊に見入られて幻惑されるタケシとコジロウを、皆で力をあわせて助ける。男女の恋愛がメイン テーマかと思えるが、立場や男女を超えた友情が表現された回でもある。ラストでは髪をほどいた浴衣姿の カスミに、サトシの心が微かに揺れる様子が描かれている。この頃はまだサトシもカスミも「普通の少年と 少女」であるが、二人の友情が成長と共に、愛情へ発展する可能性を含めたものであった。こうしてカスミ は保護者としての「母」の立場から、パートナー(候補)である異性の立場へと、少しずつ移行していく はずだった。 第50話「トゲピーはだれのもの?」 卵から孵るトゲピーの所有権を巡るバトルによって、その権利はサトシが獲得する。しかしカスミは横槍 とゴリ押しでトゲピーを自分の物にしてしまう。この頃からカスミは、頼りない子供のサトシをサポート するしっかり者という「サトシの擬似母親役」を完全に放棄しする。だが同時にそれまで持っていた「女性 的な優しさ」の代わりに「自分勝手でワガママ」というマイナスイメージを強めていく。 第85話「なんごくポケモンとGSボール」 オレンジ諸島でタケシが理想とする女性と出会う。それまで散々タケシと他の女性との仲を邪魔し続けて いたにもかかわらず、カスミはあっさりとタケシの離脱を認める。女性として目覚めたカスミが、異性と して意識し始めたサトシと二人きりで旅を続けるチャンスが到来したわけだから、当然といえば当然だが。 しかしその事をロケット団にからかわれ、サトシ共々顔を赤らめ恋愛感情の存在を激しく否定する。この頃 の二人には思春期に差しかかった少年少女特有の初々しい恥じらいがあった。 第86話「ラプラスをたすけろ!」 しかし(カスミにとっては迷惑な事に)タケシの代わりに、ケンジという新しいサポート役が登場する。 同行を求めるケンジに、カスミは抗議するがはっきり拒否する事は出来ない。自分も相手も心身共に未成熟 な段階で二人きりになる事に固執するのはあからさまな求愛行動であり、あまりに早急過ぎるだろう。また 現実的な問題として自らの「か弱き乙女のイメージ」を維持する為にも、こまごまとした面倒な仕事をして くれるタケシの代理が必要である。 第269話「よせんリーグ!マグマラシほのおのバトル!!」 カントー、オレンジ諸島、そしてジョウトを旅する間に、カスミは「女性」というより「雌」として成熟 していた。彼等はシロガネリーグに出場する際、サトシに積極的に言い寄る少女に出会う。カスミは「自分 はサトシのコーチ役である」という口実をもってこの少女とサトシの間に激しくわって入り、少女への怒り をあらわにする。「コーチならプライベートに口を出すな」と反撃されてひるむが、この少女のサトシへの 熱烈な求愛行動に対して、カスミが見せる憤然とした態度は明らかに自称「コーチ」のものではない。それ は自分のものだと思っていた雄に対する所有権を侵害された雌としての激しい怒りだ。かつてはムサシ達に 二人の仲を冷やかされ、うろたえて赤面していたウブな少年少女だった二人が、かたや「春まっさかりで 恋のライバルに敵意を抱く雌」、かたや「雌の春風に吹かれてとまどいつつも、その意味が理解できない 子供」という、両者の立ち位置が浮き彫りになったエピソードと言える。 「女の子」から「女性」へと成長を続けるカスミに対して、共に成長していくはずだった「男の子」の サトシは終わらない物語を継続していく為に成長が停止された、というよりも「男性」に成長する可能性 のなくなった「永遠の子供」に退化してしまう。パートナーとなる立場の「男性」が消滅してしまった為、 カスミの「女性」は行き場を失い、それまでの保護者としての母性も失われ、精神的には成長せずに雌と しての情動だけが暴走してしまう。カスミがトゲピーを常に抱いて守っている様子は、サトシの「母親役」 から「トゲピーの母親役」に移行しただけのように思えるが、これは「女の子のお母さんごっこ」であり、 本物の母性愛ではない。ポケモンアニメではそれまでもGETしたポケモンを手放す場面が何度かあったが それはポケモンが成長して巣立ちを迎えた時であり、トレーナーは「親」として内心では寂しく思いつつも その独立を祝福する。だがこの時のカスミは「子供」であったトゲピーがトゲチックに進化してもまだ自分 のペットとして留めようとした。「大人」としての独立を求めるトゲチックに「親」としての自覚を促され 渋々手放すカスミは、トゲピーを「か弱い生き物を可愛がる優しい女の子」という演出の小道具にしていた という証明となる。またこの行動は、遠まわしにターゲットの雄(サトシ)に対し「あなたの子供のいい 母親になれるわよ」という雌としての(もちろん無意識ではあろうが…)結構露骨なイメージ戦略でも あった。サトシやタケシを、女性として援護する象徴的な「母」という役割を捨て「女」になった時から、 カスミは彼等に対し「自分はか弱い女の子なのだから守れ」というアピールをはじめる。そして、サトシの 「女の子」に対する「男の子」としての鈍感さを当てこすったり、タケシの「男」としての自然な感情から くる敏感さやそれに伴う行動を掣肘し妨害する事で、同じ群れの雄達に対し自らの「雌としての優越性」を 主張するようになる。自分が「紅一点」であるという事だけで男性に対し権力を行使する権利があると思い 込むカンヂガイぶりはしばしば男性が女性を蔑視する根拠として使われ、この状況は「飾り花的アイドル」 や「主人公のパートナー候補」としての「肯定的な女性としてのヒロイン」の地位すら失っていった事を 意味している。彼女が選んだ「異性のパートナー」が、決して春の訪れない「子供」になってしまった為、 彼女は華やかなヒロインの立場から、貶められ追放される羽目になったのである。 長い旅路が終わり、ジョウトからカントーに帰還した時に、あっさり別れを告げるサトシに未練がましい 眼差しを向けるカスミの春風は生臭くも虚しい。「老賢人」としてだけではなく「成長した男性」としての モデルでもあったタケシが春の到来を得て(結果的には一時期の事で終わったが)旅を終え、群れから離脱 したように、春を迎えて「成長した女(雌)」となったその後のカスミは、もはやサトシと自分の道が再び 交わる日はこない事を悟りつつあるようだ。カスミの今後がどうなっていくかはわからないが、かつては サトシやタケシと共に我々トレーナーの仲間であった彼女が、このまま単なる「雌」で終ってしまわずに しかるべき「大人の女性」へ進化してくれる事を祈りたい。 |
シゲルの未来 | at 2006 02/02 | ||
「ポケットモンスター」を昔話的に解析すると、主人公のサトシは、始めはダメな奴と思われていても、 最後には優秀と思われていた者を超えて、勝利を得るというストーリーになる予定だった。 シゲルはオーキドはかせの孫という立場(名誉)にあり、たくさんのガールフレンド達を連れ(富)、 もちろんトレーナーとしても優秀(実力)である。「全てを持つもの」として恵まれたスタートを切った。 そして出遅れたサトシは常にその後塵を拝する。シゲルの鼻持ちならない高慢なエリート意識は、ダメな 主人公サトシに対比するライバルとして完璧だった。 もしアニメがカントー編のみであれば、シゲルはサトシとの決戦で敗北して、その自信過剰の罰を受け、 当初はダメだ思われていたサトシがセキエイリーグでチャンピオンになるという結末になるはずだった。 が、ストーリーはまだ続く。シゲルより好成績をおさめながらも、サトシもまた、より優秀なトレーナー であるヒロシの前に敗退する。主人公はこの挫折を乗り越え、さらに「大人になる為の冒険」を続ける。 また主人公のライバルであるシゲルも、この失敗から学び、それまでの自信過剰な子供から大人に成長する 為に新たな冒険に踏み出す。ジケルのまわりからはそれまでこれみよがしに引き連れていたガールフレンド 達が消え、トキワジムでエスパータイプに負けた経験から、その対策として悪タイプのブラッキーを育てて リベンジを目指し、サトシのようにサポート役を伴う事もなく、ひとり修行を続ける。主人公という立場で あれこれと優遇されているサトシより、ストイックなシゲルは、かっこいい冒険者を体現していた。 しかしジョウトリーグに現れたシゲルに、過日の面影はなく戦う前から彼はすでに敗者であった。彼は またもサトシより劣った成績に終わり、シゲルはトレーナーを廃業し研究者の道に進む事になる。表向きは 祖父のオーキドはかせの後を継ぐという、もっともらしい理由がつけられているが、実際には冒険からの ドロップアウトである。トキワジムでの思いがけない惨敗、さらに自分の方が優越していると思っていた サトシよりも劣った成績でのセキエイリーグ敗退という、サトシ以上に大きな挫折感を乗り超え、前進を 続ける覇気を持っているはずのシゲルを、ここまで追い詰めたものがなんであるかはいまだ明らかになって いない。しかしそれは彼にとって、それまでの夢を捨てさせるほどの大きな衝撃的事件であった事は想像に 難くない。研究者として修行を続けるシゲルは、妙に大人びて人生を諦めてしまったようにみえる。しかし その一方で、ふともらす言葉はファンに一縷の望みを与える光明である。 「永遠の少年」になってしまったサトシでは、ファンが共に成長する事が出来づらく、主人公に感情移入 がしにくい。強力なライバルの不在が続くストーリーでサトシの一人勝ちが続き、物語としてもパワー不足 である。同じような立場でスタートしたキャラクターの中で、サトシの設定変更の為にリタイアさせられた カスミのかわりにハルカが参加したが、結局彼女もただのお飾りとしての「女の子」の立場に置かれていて 厳密にいえば冒険の主人公にはならない。トレーナーとしてポケモンと共に成長していくキャラクターと してファンが自己投影できるのは第一回から冒険を続けるシゲルしかいないのである。彼が大きな挫折から 立ち直り一度は諦めた夢を追求する為に、再び戦うヒーローとなってアニメに復帰してくれる事を期待して いる。 |
ミュウの定義 | at 2001 07/05 | ||
神としてのポケモンの定義は『神格化したポケモン』を参照願いたいが、ミュウは、神格化された ポケモンの中でも特別な存在である。三羽の伝説の鳥ポケモン、サンダー、フリーザー、ファイヤーは 自然を具象化したものであるが、ミュウの場合、その視点はグローバルであり超時空的である。地球的規模 で全てを統合する存在であり、創造主に関連する超越者的な存在だ。 ミュウは、ゲームのストーリーの中ではその存在のみが語られ、ミュウそのものは登場しない。よって ミュウ自体は主にアニメのミュウツー・シリーズで語られる。一年に一度、陽が昇るとともに現れる幻の ポケモン・ミュウは「世界一めずらしく、もしかしたら世界一強く、優しく、逞しく。この世のすべてを 守ってくれるありがたいポケモン」であるとされている。ミュウは神秘の力を持つといわれ、大洪水を 引き起こしたり、荒れ地に作物を実らせて人々に分け与えたりと、人間から見ると、神と悪魔の両面を 持っている。そういう意味では人間との関わりは濃厚といえるが、人間と自然の仲裁役(事件が起こって から現れる)であるルギアとは違い、影で人間と自然との関わりを調整する役とでもいうべきだろうか。 そして、なんといってもミュウの最大の特徴はその匿身性である。ミュウは、その姿自体が禁忌であり、 それは『神』の属性としての重要な要素でもある。ミュウの存在は伝説として語られるのみで、絶滅したと 思われながらも「見た」という話だけが永年伝えられていた。しかし実際の生息が確認されることはなく 「写真1枚撮られたことはない」状態が続く。そして二十年前に南米の奥地でミュウの鳴き声が録音され、 初めてミュウの実在が確認される。ロケット団は捜索隊を出すが、彼等の内誰一人戻ってきていない。また その一人であるミヤモトも人界に戻ることはなかった。その後二十年経つも、ミヤモト隊員は帰還すること なく、厳寒の山頂でミュウの姿を待ち続ける。しかし常識的に考えてみれば、そのような過酷な環境で人間 が二十年もの間、たった一人で生き続けられるものだろうか? 『神』であるミュウを捕獲しようとした他の捜索隊員は全滅したと思われる。ミュウの声を録音し、同時 にその姿の唯一人の目撃者であったミヤモトは『神』であるミュウの禁忌に触れたため、その罰を受けると 共に、彼女自身も『神』との深い縁により、自らは気づかないまま、聖域である山頂に属する存在になった のではないだろうか。 |
自然を具象化した「死と破壊の神」 | at 2001 02/17 | ||
ポケットモンスター赤・緑・青・ピカチュウ版に登場した伝説の鳥ポケモン、ファイヤー、サンダー、
フリーザーは『ルギア爆誕』でそれぞれ、火と雷と氷の神と定義され「自然を具象化した神」としての位置 を明確にした。と,同時に前回彼等が「荒ぶる神」として示唆されていることを書いた。更にそのことを 具体的に解析しよう。 雷の神−−−−サンダー 雷は一見破壊だけのように思える。落雷のように、現代ではもっとも身近に感じられる自然の脅威かも しれない。怨恨により雷神となった菅原道真を引用するまでもなく、破壊と死をもたらすのが目的のよう だが「稲妻」という言葉があるように「生命を与える」という側面があることを忘れてはならない。だが アニメではあまり具体例がないようなので、ここではあまり詳しくは述べない。 火の神−−−−ファイヤー 火もまた同様に、全てを飲み込み、焼き尽くし滅ぼしてしまう破壊の面と、復活・再生をあらわす属性 がある。炎系にはファイヤーとホウオウ、二種があるが、ホウオウ(鳳凰は中国の不死鳥)は名の通り 「フェニックス」と同義であり、同じ炎系であっても生命の復活を象徴する側面が強い。やはりファイヤー は火の破壊的な側面を体現しているといえよう。 氷の神−−−−フリーザー フリーザーが「水」ではなく「氷」とされているのはなぜか。水−H2Oはいろいろな概念がある。水や 海といえば、津波、洪水という否定的な面もあるが、どちらかというと生命を生み出し育むという優しい 肯定的な面の方が強い。それに対して氷は、雪崩、吹雪、凍結による生命活動の停止など、水や海よりも 生命に対して、より否定的な側面が強い。冬はそれ自体が「死」をモチーフとして持っている。フリーザー は自然の脅威であるという点を強調するために、あえて「氷」として定義され、誕生・育成のイメージの ある「水」、更に「母なる海」を象徴するのはルギアにまかされたと思われる。ただ「母性」もまた破壊と 育成の両面を持つが、それは論文 「ミュウツーとサカキ」のサカキ編にまわすことにする。 |
『ルギア爆誕』の主題 | at 2001 02/10 | ||
この作品のテーマは一言でわかりやすく言うと「人間が自然に干渉することを戒める」ものである。 コレクター・ジラルダンは「欲望のおもむくままに自然に干渉し結果的に自然を破壊してしまう」人類 を象徴している。正義の味方の主人公が活躍し、その野望を阻止し自然を守る。自然との共存、不干渉。 だが子供向きの「みんないい子に、仲良くいたしましょう」なんて安っぽいものではないのが「ポケモン」 アニメのいいところだ。 このアニメでは「主人公サトシ」が超人的なヒーローではないように、被害者である「自然」もまた 「悪に虐げられる可哀想なヒロイン」などではない。ファイヤー、サンダー、フリーザーは、それぞれが 火と雷と氷の化身であり「自然を具象化した神々」である。 ジラルダンによる縛を解かれたあと、この三神は大暴れし、世界は本格的な破滅の危機を迎える。その 行動は「自然」である彼等に干渉した人間への怒りを表現しているのであるが、またそれらは彼等本来の 姿でもある。 火の神ファイヤーが捕獲されたあと、ファイヤーが支配していた火の島を、雷の神サンダーが征服支配 しようとしたのを見てもわかる。三神は自己の本能に従い、世界を破壊し支配する。彼等の実体は、破壊 を司る「荒ぶる神」である。生命の創造と育成はあくまでその副産物であり、彼等本来の属性ではないし、 彼等自身もそのことに思いを致すことすらないであろう。生命を作るものとして重要な役割を果してはいる けれども、それは結果から見た感傷であり、彼等もまた一つの生命体として存在し、その存在をかけて命対 命の戦いをしている。三つの生命はお互いに仲良く寄り添い、支え合っているわけではなく、ただ力が拮抗 していたために三つの大きな欲望はバランスを保ち、結果的に共存し平和が保たれていたのだ。そこには 「みんなで仲良く」などという甘ったるいお題目とは無縁の、厳しい自然の掟がある。このバランスが 「人間の欲望」という第四の力の介入で崩れ、破壊と再生の循環が断ち切られそうになる。それが天地の 怒りをまねき世界の破滅につながっていく。彼等は互いに相手を制圧し、自らが全てを支配しようと望む。 そういう点では彼等も第四の力である「人類」となんら変わりないし、だからこそ皆「地球に生きる生命」 として同一な存在なのである。「自分より他者を大事に」よりも、すべての「生存の欲望」がバランスよく 存在できていることこそが大事なのだ。そういう意味で最後にサトシ・ママが「世界を救うことより自分 自身を」というのは単なる一個人の母性的な意見というだけではなく、この「自然の掟」を端的に現した 言葉といえよう。 |
「神格化」の定義 | at 2001 01/20 | ||
現在251匹が確認されているポケモンの中には、いわゆるレア・ポケモン というものがいる。その 条件としては下記の二点が挙げられる。 (1)1つの世界では2匹または3匹のうち1匹しか入手できない (2)1つの世界で1匹しか入手できない(1カートリッジに1匹しかもらえないものも含む) があげられる。 ※『赤・緑』ではルージュラ・カモネギ・ベロリンガなどが(2)に該当したが『青』版の登場で解消された。 そして『金銀クリスタル』版の「そだてや」登場において、フシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメ、イーブイ、 オムナイト、カブト、それらの進化系、そしてプテラが(1)(2)の条件からはずれることになった。そして いまだ(2)の条件を満たす『伝説のポケモン』たちが、サンダー、フリーザー、ファイヤー、ミュウツー、 ミュウ、エンテイ、スイクン、ライコウ、ルギア、ホウオウ、セレビィである。彼等には入手困難という 下世話な希少価値だけではなく『伝説のポケモン』という特別な地位が与えられている。彼等を『神格化 されたポケモン』という表現を用い、順次それぞれについて解析していきたい。 なお、『神格化』についての定義であるが、『ルギア爆誕』でいわれた「自然を具象化した神」という 「卓越した存在」として陽と陰、神と魔を含め広義にとらえたいと思う。そしてこの定義は、ポケモン だけではなく、人間のキャラクターをも語る上で必要なものであり「ポケットモンスター」全体を包括 するものである。 |