K君の家の近くに、「ペタペタ坂」と呼ばれる坂があります。 鉄工場の脇の小さな坂で、昼間は工場の音がうるさいのですが、夜になると、しんと静まりかえってしまいます。坂を挟んで工場の反対側は藪になっており、街灯もありません。月明かりのない夜などは、懐中電灯なしでは歩けないほどなのでした。 「ペタペタ坂」の名前の由来は、夜中にこの坂を通ると、後ろから「ペタ、ペタ」と足音がついてくるからなのだそうです。 怪しい足音に気がついても、決して後ろを振り返ってはいけない、とも言われていました。振り返るとどうなるのか、何が見えるのかは誰も知りません。 K君はもともとその手の話が苦手なたちでしたので、夕方以降には決してペタペタ坂を通らないようにしていました。 中学時代の夏休み、K君は友人二人と一緒に、近くの神社の夜祭りに出かけました。 祭りからの帰り、一人が「ペタペタ坂を通って帰ろう」と言い出しました。 一方も面白がってそれに賛成し、嫌がるK君を説得しました。 「三人で行けば怖くない。もし何かあっても、振りかえらずに逃げてくれば大丈夫だ」 夜道を一人で帰るのも怖かったK君は、しぶしぶ一緒にペタペタ坂に向かったのでした。 その夜は空が晴れて月も明るかったので、三人は懐中電灯がなくても坂を登ることができました。 坂の中ほどまで来たとき、K君の耳に例の音が聞こえてきました。誰かが裸足で歩いているような、「ペタ、ペタ」という音が確かに背後から尾いてくるのです。 K君たちは三人とも硬いゴム底のスニーカーを履いているので、そんな音を立てるはずがありません。かといって、いまどき道路を裸足で歩く人がいるとも思えません。 足音が聞こえる、とK君が口に出すよりも早く、隣を歩いていた友達の一人が悲鳴を上げて逃げ出しました。K君ともう一人も、慌ててその後を追って坂を駆け上り、三人は坂の近くにあるK君の家に逃げ込みました。 当時高校生だったK君の兄が出てきて「どうした」と訊くので、K君は自分が聞いた足音のことを話しました。他の二人も、「同じだ」とうなずきました。 「で、お前たちは振り返ってその正体を見たのか?」 K君たちが首を横に振ると、K君の兄は呆れたように、 「見てもいないものを怖がってどうするんだ。お化けだの幽霊だの、そんなものがいるわけないじゃないか。これから俺が行って確かめて来てやろう。もし本当にお化けに出くわしたら、俺は町内を逆立ちして歩いてやるよ」 そう言って彼は、K君たちが止めるのも聞かずに夜道に出て行ってしまいました。 三人がいくら待っていても、K君の兄は一向に帰ってきません。ついにはK君の両親も心配し始め、三人はK君の父親と一緒にペタペタ坂に戻ることになりました。 K君の兄は、坂を三分の二ほど下ったところで倒れていました。目が大きく見開かれ、何か恐ろしいものに出会ったかのように、引きつった表情のままで死んでいました。 医者の診断によれば、その体に外傷はなく、死因は心因性のショック死だということでした。 それからしばらくして、町内に幽霊が出るという噂が立ちました。死んだはずのK君の兄が、夜道を歩いているというのです。 幽霊は恨めしげな顔で出会った人を見上げ、何も言わずに坂の方へと消えていくのだそうです。 逆立ちして、「ペタ、ペタ」と両手で歩きながら。
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