第2研究室〜路上の都市伝説を探る〜


レポート5 ペタペタ坂





 K君の家の近くに、「ペタペタ坂」と呼ばれる坂があります。
 鉄工場の脇の小さな坂で、昼間は工場の音がうるさいのですが、夜になると、しんと静まりかえってしまいます。坂を挟んで工場の反対側は藪になっており、街灯もありません。月明かりのない夜などは、懐中電灯なしでは歩けないほどなのでした。

 「ペタペタ坂」の名前の由来は、夜中にこの坂を通ると、後ろから「ペタ、ペタ」と足音がついてくるからなのだそうです。
 怪しい足音に気がついても、決して後ろを振り返ってはいけない、とも言われていました。振り返るとどうなるのか、何が見えるのかは誰も知りません。
 K君はもともとその手の話が苦手なたちでしたので、夕方以降には決してペタペタ坂を通らないようにしていました。

 中学時代の夏休み、K君は友人二人と一緒に、近くの神社の夜祭りに出かけました。
 祭りからの帰り、一人が「ペタペタ坂を通って帰ろう」と言い出しました。
 一方も面白がってそれに賛成し、嫌がるK君を説得しました。
「三人で行けば怖くない。もし何かあっても、振りかえらずに逃げてくれば大丈夫だ」
 夜道を一人で帰るのも怖かったK君は、しぶしぶ一緒にペタペタ坂に向かったのでした。

 その夜は空が晴れて月も明るかったので、三人は懐中電灯がなくても坂を登ることができました。
 坂の中ほどまで来たとき、K君の耳に例の音が聞こえてきました。誰かが裸足で歩いているような、「ペタ、ペタ」という音が確かに背後から尾いてくるのです。
 K君たちは三人とも硬いゴム底のスニーカーを履いているので、そんな音を立てるはずがありません。かといって、いまどき道路を裸足で歩く人がいるとも思えません。
 足音が聞こえる、とK君が口に出すよりも早く、隣を歩いていた友達の一人が悲鳴を上げて逃げ出しました。K君ともう一人も、慌ててその後を追って坂を駆け上り、三人は坂の近くにあるK君の家に逃げ込みました。

 当時高校生だったK君の兄が出てきて「どうした」と訊くので、K君は自分が聞いた足音のことを話しました。他の二人も、「同じだ」とうなずきました。
「で、お前たちは振り返ってその正体を見たのか?」
 K君たちが首を横に振ると、K君の兄は呆れたように、
「見てもいないものを怖がってどうするんだ。お化けだの幽霊だの、そんなものがいるわけないじゃないか。これから俺が行って確かめて来てやろう。もし本当にお化けに出くわしたら、俺は町内を逆立ちして歩いてやるよ」
 そう言って彼は、K君たちが止めるのも聞かずに夜道に出て行ってしまいました。

 三人がいくら待っていても、K君の兄は一向に帰ってきません。ついにはK君の両親も心配し始め、三人はK君の父親と一緒にペタペタ坂に戻ることになりました。
 K君の兄は、坂を三分の二ほど下ったところで倒れていました。目が大きく見開かれ、何か恐ろしいものに出会ったかのように、引きつった表情のままで死んでいました。
 医者の診断によれば、その体に外傷はなく、死因は心因性のショック死だということでした。

 それからしばらくして、町内に幽霊が出るという噂が立ちました。死んだはずのK君の兄が、夜道を歩いているというのです。
 幽霊は恨めしげな顔で出会った人を見上げ、何も言わずに坂の方へと消えていくのだそうです。
 逆立ちして、「ペタ、ペタ」と両手で歩きながら。




第1研究室  足型資料館  研究所別館  表紙