第2研究室〜路上の都市伝説を探る〜


レポート7 アスファルトの下の誰かさん




 N子さんが小学校二年生の時のことです。

 彼女はその日、四歳年上のお兄さんにつきあってもらって、自宅近くの路地に座り込んでおままごとをしていました。
 N子さんの家はマンションで、近所には公園も空き地もありません。車通りの少ないその路地は、マンションの子供たちにとって大切な遊び場の一つなのでした。

 遊んでいるうちに、突然お兄さんが言い出しました。
「変な音が聞こえないか」
「変な音って、なあに?」
「誰かが何かをひっかいてるような……」
 お兄さんに言われて、N子さんも耳をそばだてました。遠くの自動車の音やドブ川の水音に混じって、確かに

カリ、カリ、カリ……

 という音が聞こえてきました。

 はじめはどこかで野良猫が爪とぎでもしているのかと思ったのですが、どうもそうではないようです。というのも、音はN子さんたちのすぐ近くから聞こえるのに、辺りを見回しても、猫や犬の姿はおろか、そうした動物が隠れていそうな場所も見当たらないからでした。

 二人はあちこち探した挙句、その音が足元から聞こえてくることを突き止めました。
 舗装された道路の下で、何かが

カリ、カリ、カリ……

とアスファルトの裏側をひっかいているらしいのです。
「きっとモグラよ」
 N子さんは言いましたが、お兄さんは
「こんなところにモグラがいるはずない」
 と首を振ります。確かにこのあたりには畑も草地もないので、モグラが生きていけるとは思えません。
「きっと工事のおじさんよ」
 N子さんはそうも言ってみましたが、お兄さんは納得しません。
「どこも工事なんかしてないし、第一こんなところに横穴掘る人がいるもんか」
 二人が言いあっている間にも、カリカリとアスファルトをひっかく音は続いていました。

 ふと、お兄さんは石ころを拾って、音のする場所の真上でアスファルトを

カン、カン。

と叩きました。
 すると、ひっかく音がぴたりと止みました。
「音に驚いたのかな」
 お兄さんがもう一度

カン、カン。

と叩くと、

カリ、カリ。

と音が返ってきました。

カン、カン。
カリ、カリ。
カン、カンカン。
カリ、カリカリ。

 石の音に合わせて、「誰かさん」がアスファルトをひっかきます。
「面白い。N子もやってみろよ」
 お兄さんに言われてN子さんも試してみると、やっぱり舗装の下から、ひっかく音が応えます。
「やっぱり誰かがこの下にいるんだ」
 お兄さんはそう言って、足元に向かって大きな声で呼びかけました。
「ぼくの声が聞こえますか。聞こえたら三回、ひっかいてみてください」

カリ、カリ、カリ。

 ぴったり三回、音が聞こえました。
「言葉がわかるんだ。やっぱり人だよ」
 お兄さんはますます面白がって、
「質問に答えてください。『はい』は1回、『いいえ』だったら2回、ひっかいてください。いいですか」

カリ。

「あなたは工事をしてるんですか?」

カリ、カリ。

「……工事の人じゃないみたいだ」
 お兄さんはN子さんに耳打ちしました。N子さんも尋ねました。
「こんなところで何をしてるんですか?」

……。

「ばかだな、それじゃ答えられないだろ」
 お兄さんは口を尖らせて、N子さんの代わりに言いました。
「あなたは喋ることができないんですか?」

カリ。

「やっぱりな。……あなたは人間ですか?」

カリ、カリ。

「……人間じゃないってよ」
 お兄さんはクスクス笑いました。N子さんも尋ねました。
「あなたはモグラですか?」

カリ、カリ。

「モグラでもないみたい」
「そりゃそうだろ。……あなたは宇宙人ですか?」

カリ、カリ。


「オバケですか?」

カリ、カリ。

「いいえばっかりだ」
 アスファルトを隔てた問答は続きます。
「あなたはいつから地面の下を掘ってるんですか。今日の朝からですか?」

カリ、カリ。

「ずっと前からですか?」

カリ。

「やった、イエスだ」
 お兄さんは道にぺったりと腹ばいになって声を大きくしました。
「何日前からですか。日にちの数だけひっかいてください」

カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ……。

 音はいつまでも終わりません。
「えっと、じゃあ、何ヶ月前から掘っているんですか。月の数だけひっかいてください」

カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ……。

 やっぱり音は終わりません。
「じゃあ、何年前からですか。年の数だけひっかいてください」

カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ……。

 それでも音は終わりません。
「もうずっと昔から、あなたは地面の下で暮らしてるんですか?」

カリ。

「ぼくたちをからかってるのかな」
「お兄ちゃん、もう帰ろうよ」
 何だか気味が悪くなって、N子さんはお兄さんのシャツをひっぱりましたが、お兄さんは質問を続けました。
「もしかして、あなたは地上に出たいんですか?」

カリ!

 音が急に大きくなりました。
「あなたは地上に出たことがないんですか?」

カリ!

「もしかして、アスファルトが硬いから出られないんですか?」

ガリ!

 お兄さんはN子さんに振り向きました。
「やっぱりこいつ、地面に出たいんだよ。だからカリカリやってたんだ。……土を掘るのに、何か道具を使っていますか?」

カリ、カリ。

「手で掘ってるんですか?」

カリ。

「可哀想だなあ。どうにかして出してあげられないかな」
「でも、どこに?」
 そう言ってはみたものの、N子さんは地面の下の誰かさんに出てきてほしくなんかありませんでした。もう、すぐにでもその場から逃げ出したいくらいでした。
 けれど、お兄さんは腕組みをして考え込んでいました。実は二人とも、この町で土を踏んだ経験がほとんどないのです。
 通学路も、友達の家に行く道も、舗装のない場所などありません。公園はもちろん、庭や畑を持つ家も近所にありませんし、近くを流れる川も、川底までコンクリートで固められています。二人が通っている学校のグラウンドすら、色つきのウレタンゴムが張られているのでした。

「そうだ。マンションの花壇なら、土のまんまだ」
 お兄さんに言われてN子さんも思い出しました。二人の住むマンションの駐車場のすみに、ツツジの植えられた小さな花壇があるのです。
 お兄さんは地下の「誰かさん」に向かって言いました。
「ぼくたちは出られるところを知ってます。そっちの方向に石で叩いて合図をしてあげるから、ついてきてくれますか?」

カリ!

 元気のいい音が返ってきました。お兄さんはすぐさま数メートル先に駆け出し、石で路面を叩きました。

カンカンカン。

「こっちこっち、聞こえますか」

カリカリカリカリカリ。

 地下の「誰かさん」は、さっそく土を掘り始めたようでした。
「お前も突っ立ってないで、一緒に叩けよ」
 お兄さんに言われて仕方なく、N子さんも道路に石を打ちつけました。
 通行人たちが不思議そうな顔で二人を見下ろしながら、それでも無言で通り過ぎていきます。
 ゆっくりながらも、確実に音がお兄さんの方へと移動していることが、N子さんにもわかりました。

 やがて花壇にたどりつく前に日が暮れてしまい、心配したお母さんが二人を呼びにきました。
「またおかしな遊びに夢中になって。晩ごはんいらないの?」
 お兄さんは残念そうに「誰かさん」に言いました。
「ぼくたちはもう帰らなくちゃいけません。このまままっすぐ8メートル進んで、それから左に5メートル進んでください。そうしたら花壇があって、上に出られますよ。わかりましたか」

カリ。

 「誰かさん」の返事が聞こえました。
「あんたたち、誰に喋ってるの」
 お母さんが眉をひそめました。

 その日の夕食で、二人はアスファルトの下の不思議な「誰かさん」のことを話したのですが、両親は
「そんな、まさか」
 と笑うばかりでした。

 翌朝、N子さんの住むマンションはちょっとした騒ぎになっていました。
 駐車場わきの花壇の一角が、夜の間に何者かによって壊されていたのです。
 数株のツツジが根っこごとひっくりかえって、花壇にぽっかりと穴が開き、レンガの土留めの外にまで赤土がこぼれ出ているのでした。
「植木泥棒か?」
「ツツジは盗まれてない。悪質ないたずらだ」
「若いやつらの仕業に違いない。最近、夜中に落書きして歩く連中が多いから」
「赤土がこんなに出てくるなんて、ばかに深く掘ったな」
 花壇の穴を見下ろしながら、大人たちは口々に好きなことを言っています。
「N子、見ろよ」
 お兄さんがこっそりささやいて、大人たちの足元を指差しました。アスファルトの上に、赤土にまみれた足跡のようなものが、くっきりとついていました。それは花壇から始まって駐車場を横切り、道路の方へと続いていました。
 二人は泥の足跡をたどってみましたが、それはだんだんと薄れ、道路に出て数メートルもいかないうちに乾いて消えてしまいました。

 一連の出来事が誰かのいたずらだったのか、それとも別の何かだったのか、N子さんには分かりません。
 今では兄妹の間であの「誰かさん」が話題に上ることも減りましたが、それでもお兄さんは、時々こんなことを言います。
「あれ、本当に何だったんだろう。あのとき、あいつにもっといろいろ質問しとくんだったな。たとえば
『あなたは一人ですか。仲間がいるなら、その数だけ返事をしてください』
とかってさ」
 N子さんはそれを聞くと、嫌な気分になります。仲間の数を尋ねられたときの「誰かさん」の答えを、想像してしまうからです。

カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ、カリ……。




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