きょろちゃん☆さん、ギターも弾をひかれるのですね。アーコースティックでは、余り気にならない、左指で誤ってはじいてしまった解放玄の音、ミストーンが、エレクトロニック・ギターでは全部まる聞こえになります。これって、プラグドの難しさですよね。音を出すことよりも、ミストーンを出さないことに多大な注意を払わねばなりませんから、プラグドにはプラグドの難しさがありますよ。もちろん、アンプラグドだからと言って、ミストーンは許されませんが、ヴァイオリン練習中の人に、「出た」、「出た」、「また出た」・・・と指摘し続けると、「うるさい!」になります。余計なお世話だそうです。 管理人さんからSuperflyって、一人のユニットで、一人のバンドであると教わりました。一人のバンド??? 要するに、伴奏のアウト・ソーシングということ?(CDショップのお姉さんも、「Superflyを結構気に入っている」と言ってました。) 森麻季の「一○」、やっと分かりました。「一朶(いちだ)」です。私、森麻季を侮っていました。彼女には佐藤しのぶ程の絢爛豪華さはありませんが、とても神々しく聞こえます。少なくとも、森麻季の“Ave Maria”(2010年)からはそう聞こえます。以前の比喩は取り下げます。私の完全な誤りです。恥じ入り、悔い改めます。いうなれば、佐藤しのぶが真っ赤なバラで、森麻季が白百合です。佐藤しのぶの日本語歌唱は全部聴き取れますが、森麻季の日本語本当に聴き取るのが難しいのですが、それはそれで良いのかも知れません。美奈子さんとは歌唱方に、確かに違いがありますが、マイクを用いれば、難しい歌唱方をしなくても、言葉がきれいに聴き取れるということなのかなと暫定的に納得しております。 zyam62さんが投げかけられいる質問に、まだ十分には答えられていないと思いましたので、[564]に追加させていただきます。私の場合、お恥ずかしながら、涙が出てくるのです。最近は、森麻季の「Stand Alone」と佐藤しのぶの「さとうきび畑」を、しっかり聴いたりなんかすると、目頭が熱くなり、全く耐えきれなず、何度も何度も涙をふいてしまいます。 そろそろ仕事に出かける支度をせねば。 |
ときどき TVで見かけて 気になるひとの ひとりですう(^−^ あ そうそう すこし 60年代後半の臭いしてますよね(^−^) >あのひと ご本人もそのへんの時代がすきで 意識されてるのでは(^−^ ちなみに 和田アッコさんが脅威を感じる新人のひとりに Superfly の名前があがってましたね(^−^ (あと ひとりが MISIAだったか?) |
Superflyの説明、有難うございます。最初これ日本語なのかな?何語なのかなと思いながら聴いていると日本がだと分かりました。それと、ジャニス・ジョプリンの香りが多少したので気になりました。 最近、書き込み過ぎ、それも美奈子さんと余り関係ないことばかり。一寸反省しております。 それから、管理人さん意見も沢山いただければと幸いなのですが。是非とも宜しくお願いします。 | ||
すんません、平日、なかなか時間がとれなくて、、、 週末、まとめて、なんか書きます。 |
zyam62さん、ミレイユ・マチューとは、随分お渋いですね。私、フランソワーズ・アルディーとともに小学6年生か中学1年生のころ、良く聴いていました。こまんちゃくれたくそガキでしたから。でも、まだまだ幼なすぎて背伸びをしていただけでしたね、いま考えると。本当に初めて電気ショックが走ったのは、東京音楽祭でケイト・ブッシュがMovingを唄うのをテレビで見たときです。当時既に本国イギリスではWuthering Heightsでデビューしていたのですが、その時がケイト・ブッシュの本邦初公開であったはずです。あの頃、まだ中学生だったと思うのですが、セイコーのCMにも出ており、近所の時計屋さんから宣伝用の小さなケイト・ブッシュのポスター兼飾りのようなものを、断りもなく、いただいてきました。探したら今でも持ってると思います(時計屋さん、ごめんなさい。)。 現在は、美奈子さんは除いてという前提ですが、森麻季の神々しく神聖なマリア様の唄に心を洗われております。 「困難な時にも、母のような大きな愛をもってマリア様が見守って下さる。音楽もマリア様のように、すべての人を幸せにするためにあるものだと私は信じています」(森麻季)。この言葉に嘘はないと思います。「アベ・マリア」の中の「Stand Alone」は、「坂の上の雲」の主題歌よりも聴き取りやすいと思います。「迷い悩むほど人は強さを掴むから、夢を見る。凛として、旅立つ1○の雲を目指し」(○は、聴き取れないし、漢字が読めない、ダメですね。)とても美しい歌声に心が洗われます。まるで蝶々がひらひら飛ぶがごとくヴァイオリンが奏でるしらべのようです。 美奈子さんには唄しかないけれど、「ミス・サイゴン」や「ひめゆい」の時の感情がこみ上げて、震災被害者と、きっと唄をとおし、手を取り会って、生きようとうするに違いありませんよ。そんな人だから、沖縄戦の悲惨なミュージカルの「きみ」を演じ切れたののですよ。勿論ベトナム戦の「キム」もです。 因みに、畑村洋太郎氏はとても正直な人です。この人にもハッタリがありません。何しろ、吉野家で大好物の牛丼を食べて、「うん、美味しい」と言う人ですから。畑村氏は「失敗学」や「技術伝承」の話で有名ですが、それ以前に「直観でわかる数学」(決して易しくありません。)で、大学入試の際、自分は数学の問題は解けるが、数学が全く分かっていなかったとおっしゃっています。東大の先生が今更そんなこと普通言えますか。余程謙虚で正直な人なのだと思いました。世の中には、まあ一般人向けですが、私でも誤りを指摘できる怪しげな数学書があります。そんな数学の研究者よりもこの方の方が良く分かっておられます。ですから、原発事故と言う未曽有の経験から最大の教訓を学び取って欲しいと思います。畑村氏は権威であるだけに、その権威だけを利用しようとする政治家がいてもおかしくありません。畑村氏はしっかり調査するでしょう。しかし、その結果が揉み消される可能性も十分考えられます。 |
美奈子さんは「聞いてくれる人の心に届く歌を歌いたい。」といっていました。心に届く歌とは一体どんな歌なのでしょうか。 僕はラジオから流れるクラシックのピアノ協奏曲(フリードリッヒ・グルダのピアノ協奏曲第5番「皇帝」)を聞くともなく聞いているうちにその音楽の世界に引き込まれ、そのピアノ曲の一音一音に魂をゆさぶられるような体験をしたことがあります。音楽が終わったときに何か放心状態のようになっていました。しばらくたって「あぁ、これが感動というものなのか。」と思いました。それは自分の内面が浄化されたというか、その音楽を聴く前と後で自分という人間が変わったと思えるような体験でした。ミレーュ・マチューの曲(アクロポリスアデュー)を何気なく聴いているときにも同じような体験をしました。こんな体験はしようと意識してもできるものでないし人間の一生の中でそう何回もできる体験だとも思えません。体験せず終わってしまう人生も多いことでしょう。いい音楽って不思議なもので、理屈抜きに人間の深奥部に直接届いて聞く人の魂をゆさぶるような働きがあるものなんですね。 本田美奈子さんがめざしたものはそんな音楽だったのではないかなって思います。美奈子さんは歌を通して社会貢献したいというはっきりした意志を持っていました。もし生きていたら大震災の被災者に向けてどんな歌を歌ったんだろうと夢想します。 |
福島第1原発の事故調査委員会の委員長に、畑村洋太郎氏が就任するそうですね。最善の抜擢だと思います。政治的圧力さえ加わらねば、良いのですが。洋ちゃん、がんばれー!(大先生に何たる不遜な!でも、洋ちゃん誠実で浮世離れしていて、カワイイんです。) |
きょろちゃん☆さん、私この手の音楽今一分からないのですが、この前テレビで見て、ちょっと気になった人なのか、グループなのか??? Superfly と名乗っていたのでそれだけ覚えておりまして、結構いけてるかなと一瞬思ったのですが、ご存じですか? | ||
きょろちゃん☆、ご指名なのですが、代わりに、、、 Superflyは、女性ボーカルです、、、、念のため、Webで確認、、、ん? ソロユニット? ボーカル一人のバンドだそうです。テレビドラマの主題歌歌ったりしてます。 |
>お久し振りです。きょろちゃん☆さん あ おひさしぶりですう(^−^)ノ >大和の蛙さん あ まあ すごく謙虚な美奈子ファンなので >音源としての 声質の素晴らしさ >楽曲の解釈の ユニークさ アイデアの独創性 >個性的なメロディのラインを作れる すぐれた相対的音感 ↑↑ すべて そろってるのが 美奈子なんだぞ!!(・−・)ノ と 婉曲に自慢してるわけですう(^O^) |
マイク通すから ダメだ って 人は クラシック通のひとに 時々いてますが。。。 マイクを通して 表現する世界独特の 難しさを ちょっぴり 理解していただけたらなあ と 思います。。 (^−^) まあ ギターとか ウクレレとか ちょっぴり 弾きますがσ(^−^ 練習のなかで 時々 アンプとおして 弾きます なぜか??? アンプ通すほうが きれいな音出すのが 難しいから ちょっと 指の角度や 爪の入りや 押さえ方 押さえるタイミング 等々が 悪いと ノイズが でちゃいますからね(^−^ 生で弾くだけだと そのヘンが ぞんざいになっちゃうのです。。。 かように 電気で増幅された音というのは 難しい(−。− マイクを通して 歌う歌手の世界の 難しさ 恐ろしさ というものも あるんですよね(・ー・) 声がでかい 音域が広い 音程が正確とか クラシックで 重宝される 資質なんて 現代の音楽じゃあ まあ 屁のつっぱりにも なりません(・−・)(まあ 極論ですが。。。) 電気で増幅するから なんぼでも でかい声がだせるし 音域や音程なんかも デジタルなデータに 落とせば 電気的な処理で なんぼでも 調整可能(^−^; あるのは 音源としての 声質の素晴らしさ 楽曲の解釈の ユニークさ アイデアの独創性 個性的なメロディのラインを作れる すぐれた相対的音感 歌手として マニュアル通りの技術とかでなく 裸の感性が ためされる場なんですう(^−^ 現代の音楽におけるステージとは!!!(・ー・)b と 思います(・ー=☆ |
きょろちゃん☆さん、ご無沙汰しております。 確かに、一流ならそのとおりです。「実際は、ちっちゃな音でないんだけど感覚として、物理的な大きさよりちっちゃく聞こえさせる技があるのかも。。。」というのが正そうですね。 |
|