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[582] マイクの話など 投稿者:管理人のひろさん [近畿] 投稿日:2011/05/28(Sat) 10:19
 マイクの話が出てたので、若干、、、

 オペラでマイクを使わないのは、オペラという形式が形成されたころはマイクがなかったからというのが直接的な理由で、良いか悪いかではないでしょう。後ろの方に座っ
ている観客にまで聞こえないことには音楽として成り立ちません。
 もともと、人が自然に話した場合はそんなに大きな声になりません。声楽家でも、インタビューで普通に話すときはマイクを通して話します。また、オペラ歌手でも、ポップス系の歌を歌う場合には、発声を変えてマイクを使います。

 繰り返しになりますが、マイクを使うかどうかは、発声が違うということであってどちらが優れているという話ではありません。
 マイクを使った歌い方の長所は、「普通のしゃべり方に近い自然さ」ということがあると思います。自然な発声のため、言葉として聞き取りやすく、歌詞が心に自然に
入ってきます。感情も自然に歌に乗せることができます。もう一つの利点としては、声量を絞った本当に小さな声でも観客に聞こえるため、声の大きさを小から大まで幅広く変えることができることがあります。

 もう一つ、自然な発声の利点があると思います。美奈子さんの歌で、よく感じるのですが、オーケストラとの調和という意味で、クラシックの発声より、美奈子さんの
発声の方が良いと思うことがあります。クラシックの声楽家+オーケストラの演奏を聞くと、人間の声が目立ちするきらいがあります。特にソプラノの声は目立ってしまい、声楽家が声を出している時は、楽器の音は後ろの方に引く感じになります。編曲自体、そのことを考慮していると思われます。美奈子さんの声+楽器の演奏は、両者がとけ込んでとても良い感じになります。特に、新世界を歌っている時に、ストリングスの音と美しく絡み合っているを感じました。美奈子さん+弦楽四重奏、または美奈子さん+オーケストラの演奏を聞いていると、美奈子さんの声だけでなく、バイオリン他の音が美しく響いてきます。ソプラノ協奏曲とでも言うのでしょうか。

 美奈子さんは、別にオペラ歌手になろうとしていた訳ではありません。美奈子クラシックというべきものは、これから自分で作ろうとしていた音楽の1ジャンルだと
思います。

[581] ミューズさんのおっしゃるとおりだと思います。 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/28(Sat) 05:50
580 流石、ミューズさん、理路整然たるご文書拝見させていただきました。私も前衛芸術は分野を問わず、全く受け付けません。個人的には、岡本太郎が限界です。「感動」と言う言葉をキーワードに考えると、全くそのとおりだと思います。ご紹介いただいた、シャーリス・ペンペンコさんの歌唱素晴らしいですね。この人が、クラシック音楽の門をたたく必要など全く無いと思います。

 因みに、・・・またやっちゃうかな、「スノッビズム」等、私は何とかかんとか理解しているつもりですが、博学なるミューズさんやホラ吹き私の書き込みにももしかすると、遠慮されて、管理人さんのホームページに書き込を躊躇される方がいるかも知れません。私はそのような方々の意見も是非とも拝聴したいと思います。美奈子さんを今も愛する人たちは、多少の意見の食い違いがあっても、みんな仲間です。もちろん悪意は全くございませんが、私、このゲスト室を何だか乗っ取ってしまったようで申し訳なく感じております。出来るだけ易しい言葉と表現で書き込みたいなと私は思っております。全然出来てないじゃないかと批判を受けても、自分の考えまでは変えるつもりはありませんので、その点だけは容赦願います。

 6月7日に神戸で震災支援のチャリティーコンサートがあります。予定では森麻季さんも唄います。

 管理人さん、[580]は、自らの戒めのために消去なさらにで下さい。申し訳ありませんが、本当に恥じ入ることであっても、敢えて残させて下さい。
大和の蛙さん、すみません。こちらの書き込み見る前に、 削除してしまいました、、、 番号一つずれて、この書き込みが580になってしまいました。

[579] クラシックとポピュラー 投稿者:ミューズ [関東] 投稿日:2011/05/28(Sat) 03:42
先日の書き込みの中で、“マイクを使うのはどうか云々”の話がありましたが、本来、マイクなしで歌う声楽家やオペラ歌手と比較すること自体、ナンセンス。管理人さんが言われるとおり、美奈子さん(それから、他のクロス・オーバー系アーティストも)の歌唱はマイクを使うことによって日本語の歌詞がはっきりと聞き取れるわけであり、それが大きな魅力の一つであります。また、楽曲自体も原曲の作品をポピュラー風に大幅にアレンジしたものであり、あえて誤解を恐れずに言えば、あくまでも”クラシック風味の“ポピュラー音楽そのものと言えます。もちろん、ポピュラー音楽でも、否、「現代の音楽作品」の中ではポピュラー音楽(ミュージカルナンバーや映画音楽も含む)しか、聴く者の魂を揺さぶる音楽は見いだせない感じがします。

これは、何を意味するかというと、1950年代以降今日に至るまでの現代芸術音楽が聴衆から乖離したスノビズムに陥っているということです。例えば、ブーレーズやシュトックハウゼン、ノーノといった前衛作曲家の作品(いわゆるセリエリズムの作品)は何度聴いても、親しむことはできない。ケージやフェルドマンなどは全く耳が受け付けない。日本の武満徹の一部の作品だけは何とか聴ける、といったものです。もちろん、専門家筋の評価は高いかも知れませんが。それに比べると、いわゆる“クラシック音楽”の大家(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、マーラーなど)の作品ははるかに親しみやすいといえます。

ただ、一口にポピュラー音楽といっても、玉石混交。人それぞれの好みはあるにせよ、外見の華やかさ(あるいは可愛らしさ)だけで人気を保っている歌唱力ゼロの輩でも歌えるような浅薄な音楽から、世界トップレベルのアーティストが聴かせてくれる魂を揺さぶるような音楽まで、まさにピンキリです。このうち、ピンのほう、つまりポピュラー音楽のスタンダードナンバーは今後も実力派のアーティストによって歌い継がれると思います。現代芸術音楽は歴史の彼方に消え去ったとしても。

それから、ここ数年一気に有名になったので、ご存じの方もかなり多いかと思いますが、フィリピンのシャリース・ペンペンコ。まだ、10代なのに驚くべき天才的アーティスト。初めて聴いたときは衝撃を受けました。まさに本家を凌ぐかとも思えるほどの圧倒的な声量と歌唱力の持ち主だと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=BzuxSHRS3FI
http://www.youtube.com/watch?v=u7SSMMJ6Qhg&feature=fvst

[578] 訂正いたします。 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/27(Fri) 05:38
 [564]ではなく、[574]でした。

[577] きょろちゃん☆さん、管理人さん、ありがとうございます。zyam62さん、お気使い、感謝いたします。  投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/27(Fri) 05:31
 きょろちゃん☆さん、ギターも弾をひかれるのですね。アーコースティックでは、余り気にならない、左指で誤ってはじいてしまった解放玄の音、ミストーンが、エレクトロニック・ギターでは全部まる聞こえになります。これって、プラグドの難しさですよね。音を出すことよりも、ミストーンを出さないことに多大な注意を払わねばなりませんから、プラグドにはプラグドの難しさがありますよ。もちろん、アンプラグドだからと言って、ミストーンは許されませんが、ヴァイオリン練習中の人に、「出た」、「出た」、「また出た」・・・と指摘し続けると、「うるさい!」になります。余計なお世話だそうです。

 管理人さんからSuperflyって、一人のユニットで、一人のバンドであると教わりました。一人のバンド??? 要するに、伴奏のアウト・ソーシングということ?(CDショップのお姉さんも、「Superflyを結構気に入っている」と言ってました。)

 森麻季の「一○」、やっと分かりました。「一朶(いちだ)」です。私、森麻季を侮っていました。彼女には佐藤しのぶ程の絢爛豪華さはありませんが、とても神々しく聞こえます。少なくとも、森麻季の“Ave Maria”(2010年)からはそう聞こえます。以前の比喩は取り下げます。私の完全な誤りです。恥じ入り、悔い改めます。いうなれば、佐藤しのぶが真っ赤なバラで、森麻季が白百合です。佐藤しのぶの日本語歌唱は全部聴き取れますが、森麻季の日本語本当に聴き取るのが難しいのですが、それはそれで良いのかも知れません。美奈子さんとは歌唱方に、確かに違いがありますが、マイクを用いれば、難しい歌唱方をしなくても、言葉がきれいに聴き取れるということなのかなと暫定的に納得しております。

 zyam62さんが投げかけられいる質問に、まだ十分には答えられていないと思いましたので、[564]に追加させていただきます。私の場合、お恥ずかしながら、涙が出てくるのです。最近は、森麻季の「Stand Alone」と佐藤しのぶの「さとうきび畑」を、しっかり聴いたりなんかすると、目頭が熱くなり、全く耐えきれなず、何度も何度も涙をふいてしまいます。

そろそろ仕事に出かける支度をせねば。

[576] あ Superfly (^−^ 投稿者:きょろちゃん☆ [地球外] 投稿日:2011/05/26(Thu) 11:21
ときどき TVで見かけて 気になるひとの ひとりですう(^−^
あ そうそう すこし 60年代後半の臭いしてますよね(^−^)
>あのひと
ご本人もそのへんの時代がすきで 意識されてるのでは(^−^

ちなみに 和田アッコさんが脅威を感じる新人のひとりに
Superfly の名前があがってましたね(^−^
(あと ひとりが MISIAだったか?)

[575] 管理人さ、有難うございます。 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/26(Thu) 05:19
 Superflyの説明、有難うございます。最初これ日本語なのかな?何語なのかなと思いながら聴いていると日本がだと分かりました。それと、ジャニス・ジョプリンの香りが多少したので気になりました。
 最近、書き込み過ぎ、それも美奈子さんと余り関係ないことばかり。一寸反省しております。
 それから、管理人さん意見も沢山いただければと幸いなのですが。是非とも宜しくお願いします。
すんません、平日、なかなか時間がとれなくて、、、
週末、まとめて、なんか書きます。

[574] あくまで私の場合 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/26(Thu) 05:10
 zyam62さん、ミレイユ・マチューとは、随分お渋いですね。私、フランソワーズ・アルディーとともに小学6年生か中学1年生のころ、良く聴いていました。こまんちゃくれたくそガキでしたから。でも、まだまだ幼なすぎて背伸びをしていただけでしたね、いま考えると。本当に初めて電気ショックが走ったのは、東京音楽祭でケイト・ブッシュがMovingを唄うのをテレビで見たときです。当時既に本国イギリスではWuthering Heightsでデビューしていたのですが、その時がケイト・ブッシュの本邦初公開であったはずです。あの頃、まだ中学生だったと思うのですが、セイコーのCMにも出ており、近所の時計屋さんから宣伝用の小さなケイト・ブッシュのポスター兼飾りのようなものを、断りもなく、いただいてきました。探したら今でも持ってると思います(時計屋さん、ごめんなさい。)。
 現在は、美奈子さんは除いてという前提ですが、森麻季の神々しく神聖なマリア様の唄に心を洗われております。
 「困難な時にも、母のような大きな愛をもってマリア様が見守って下さる。音楽もマリア様のように、すべての人を幸せにするためにあるものだと私は信じています」(森麻季)。この言葉に嘘はないと思います。「アベ・マリア」の中の「Stand Alone」は、「坂の上の雲」の主題歌よりも聴き取りやすいと思います。「迷い悩むほど人は強さを掴むから、夢を見る。凛として、旅立つ1○の雲を目指し」(○は、聴き取れないし、漢字が読めない、ダメですね。)とても美しい歌声に心が洗われます。まるで蝶々がひらひら飛ぶがごとくヴァイオリンが奏でるしらべのようです。

 美奈子さんには唄しかないけれど、「ミス・サイゴン」や「ひめゆい」の時の感情がこみ上げて、震災被害者と、きっと唄をとおし、手を取り会って、生きようとうするに違いありませんよ。そんな人だから、沖縄戦の悲惨なミュージカルの「きみ」を演じ切れたののですよ。勿論ベトナム戦の「キム」もです。

 因みに、畑村洋太郎氏はとても正直な人です。この人にもハッタリがありません。何しろ、吉野家で大好物の牛丼を食べて、「うん、美味しい」と言う人ですから。畑村氏は「失敗学」や「技術伝承」の話で有名ですが、それ以前に「直観でわかる数学」(決して易しくありません。)で、大学入試の際、自分は数学の問題は解けるが、数学が全く分かっていなかったとおっしゃっています。東大の先生が今更そんなこと普通言えますか。余程謙虚で正直な人なのだと思いました。世の中には、まあ一般人向けですが、私でも誤りを指摘できる怪しげな数学書があります。そんな数学の研究者よりもこの方の方が良く分かっておられます。ですから、原発事故と言う未曽有の経験から最大の教訓を学び取って欲しいと思います。畑村氏は権威であるだけに、その権威だけを利用しようとする政治家がいてもおかしくありません。畑村氏はしっかり調査するでしょう。しかし、その結果が揉み消される可能性も十分考えられます。

[573] こころに届く歌とは? 投稿者:zyam62 [関東] 投稿日:2011/05/26(Thu) 00:00
美奈子さんは「聞いてくれる人の心に届く歌を歌いたい。」といっていました。心に届く歌とは一体どんな歌なのでしょうか。
僕はラジオから流れるクラシックのピアノ協奏曲(フリードリッヒ・グルダのピアノ協奏曲第5番「皇帝」)を聞くともなく聞いているうちにその音楽の世界に引き込まれ、そのピアノ曲の一音一音に魂をゆさぶられるような体験をしたことがあります。音楽が終わったときに何か放心状態のようになっていました。しばらくたって「あぁ、これが感動というものなのか。」と思いました。それは自分の内面が浄化されたというか、その音楽を聴く前と後で自分という人間が変わったと思えるような体験でした。ミレーュ・マチューの曲(アクロポリスアデュー)を何気なく聴いているときにも同じような体験をしました。こんな体験はしようと意識してもできるものでないし人間の一生の中でそう何回もできる体験だとも思えません。体験せず終わってしまう人生も多いことでしょう。いい音楽って不思議なもので、理屈抜きに人間の深奥部に直接届いて聞く人の魂をゆさぶるような働きがあるものなんですね。

本田美奈子さんがめざしたものはそんな音楽だったのではないかなって思います。美奈子さんは歌を通して社会貢献したいというはっきりした意志を持っていました。もし生きていたら大震災の被災者に向けてどんな歌を歌ったんだろうと夢想します。

[572] 洋ちゃんにエール 投稿者:大和の蛙 [近畿] 投稿日:2011/05/25(Wed) 00:20
 福島第1原発の事故調査委員会の委員長に、畑村洋太郎氏が就任するそうですね。最善の抜擢だと思います。政治的圧力さえ加わらねば、良いのですが。洋ちゃん、がんばれー!(大先生に何たる不遜な!でも、洋ちゃん誠実で浮世離れしていて、カワイイんです。)

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