![]() | 管理人のひろさんを初め、みなさん、こんばんは。 この間のクラシック、並びにクラシカル・クロスオーバーについての論議はとても楽しいです。私が知りうる範囲では、本田美奈子.さんの掲示板は、マリアさんのところを含め、現在五枚存在しています。また、ブログへのコメントやゲスト・ブックまでとなると、ここを含めてかなりの数に上ると思われます。 しかしながら、(以前はそうでもなかったのですが)これらの「板」では、美奈子.さんのクラシック、並びにクラシカル・クロスオーバーについての論議がなされることは、あまりありません。これは、そっちの方向に話が行くと、他の方たちが引くと言うよりは、私が突っ走ってしまうことに原因があるようです。つまりは、私の悪い癖=すぐ脱線をする、ということなのです。例えば、「新世界」を話題にすると、イシュトヴァン・ケルテスという指揮者にまで飛んで(及んで)しまうということです。 さて、今日は、歌姫:本田美奈子.さんと、その歌詞の世界について語りたいと思います(一般論になるかもしれませんが・・・)。 私はこう思うのです。歌が大好きで、自身が歌手になりたかったお母様(工藤美枝子さん)から産まれそして育ち、子ども時代は地元朝霞市の「のど自慢大会」で優勝し、小学校の卒業文集に「将来の夢は歌手」と書いた「工藤美奈子」という少女が、「スター誕生」では決戦大会で一枚もプラカードが上がらず(この時上がったのは、徳永英明さんと、「松本明子」←すなわち、各プロダクション及びレコード会社のスカウトマンの見る目全く無し)、原宿で偶然スカウトされ、演歌歌手志望(プロデビュー後、歌番組で「北の宿から」「氷雨」などを熱唱)だったにも関わらず「××隊」なるグループ(ユニット)に入れられそうになり、あまりの歌唱力ゆえに「本田美奈子」という芸名のアイドル歌手としてソロ・デビューし、(アイドル)ポップスやバラード、さらにはロックも歌い、「1万二千いや五千分の一」とも言われるオーディションを勝ち抜き、ミュージカル女優としての確固たる地位を築き、クラシカル・クロスオーバー分野への進出を果たし、40代になったらジャズを歌いたいと言い(NHKのドラマ「ハート」にはジャズ・シンガー役で出演し、ジャズのナンバーを熱唱)、デビュー20周年はノージャンルで駆け抜けたいとインタビューに答えた(前置き長すぎ。一部省略あり)、真の歌姫:本田美奈子.さんこそ、その存在自体が、歌が、歌声が、「クロスオーバー」であり「フュージョン」であると。 美奈子.さんは、こう言いました(「天に響く歌」の冒頭より引用)。 私には歌です 歌しかありません 歌の世界で太陽になりたいです みなさん、どう思われます?これは、美奈子.さんの歌手人生自体が、「クロスオーバー」であり「フュージョン」であるとしか、私には思えません。 また、美奈子.さんを形容する言葉として何を選びますか? 歌姫、天使、真摯、情熱、挑戦、慈愛、寛容・・・。いくつあっても足りません。いや、全ての言葉を用いても充分とは言えないでしょう。 さて、歌詞の世界に入りたいと思います。 私たちクラシック音楽ファンは、それこそ「耳にタコ」ができるぐらい、数多ある名曲の名旋律を聴き込んでいます。そのメロディーに乗せられた日本語の歌詞を、母国語を日本語とする「日本人」のクラシック音楽ファンが聴いたらどうなるか。言わずもがなでしょう。前にも述べましたが、私なら、バッハやモーツァルトやベートーヴェン・・・のあれ歌って欲しいなと思わずにはいられません。 アルバム『AVE MARIA』を制作する段階で、候補に上がった曲数は、二百いや三百とも言われております。私はそのリストが知りたい。コロムビア・ミュージック・エンタテイメントの岡野博行プロデューサー、そのリストをぜひ公開して下さい。 作詞家:岩谷時子先生や美奈子.さん自身が用いる言葉は、それこそ「ありふれた」ものです。では、なぜゆえに、ここまで美奈子.さんの歌や歌声が(特にクラシカル・クロスオーバー分野において)、心に届く・響くのか。もちろん、美奈子.さんの歌唱力・表現力・声質・声域などはあります。しかしながら、私は一番の理由として、以下のことを考えずにはいられません。 それは、作家井沢元彦氏が、『週刊ポスト』誌に連載中の『逆説の日本史』シリーズ(及びその単行本・文庫本を含む)、並びに彼の著書で繰り返し述べている「言霊信仰」が、日本語の歌詞には存在するからだと思うのです。 言霊(ことだま):言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。(以下略、岩波書店『広辞苑』第六版より引用) つまり、日本人の社会には言霊への無意識の信仰があるということです。だからこそ、心に届く・響くのです。このことについては、もちろん異論があるとは思いますが、少なくとも私は、このように考えております。 すみません。長々と持論を述べたことについて、深く反省をしております。また、このような場を与えて下さった管理人のひろさんに、改めて感謝申し上げます。 |
![]() | 管理人様、みなさん、こんばんは。。。 つばさ375号様、こんばんは。。。 ドビュッシーが遺したピアノの曲で、私が好きなものは『月の光。』『沈める寺。』『葉ずえを渡る鐘の音。』『亜麻色の髪の乙女。』…などです。他にも色々と有るのですが、割愛します。『月の光。』は『ベルガマスク組曲。』の3番目に有りますね。『月の光。』は特に、遊佐慶子氏が演奏されて居るものが好きです。。。 クラシック音楽を多く聴いていたと言う影響も有り、一時期は、宗次郎やENYAの音楽にも魅力を感じていました。しっとり・ゆったりとした音楽を、自然に好むようになったのです。同時に、女性の唄声に親しみを感じるようになりました。最近になって発売されたENYAの新作アルバムは、是非とも購入したい作品の一つです。。。 私は先日、『α波音楽。』について少し触れたのですが、クラシック音楽で、α波が強く出る作品として最も有名なものが、ヴィヴァルディの『四季。』の『春-第1楽章〜第3楽章。』と言われています。私は勿論、春も好きですが、冬の第2楽章も好きでした。。。 其して。。。 私が本田美奈子.さんの音楽と直接、出逢うきっかけになった作品が『AVE MARIA。』でした。其の中でも、最も印象に残った唄声が『アヴェ・マリア。』『ヴォカリーズ。』です。スキャット(ハミング?)のみで歌詞は全く無かった、と言う事が却って、私が本田美奈子.さんの唄声に夢中になれたきっかけだったように想います。クラシック音楽が大好きだった私にとって、最も波長の合った音楽作品だと感じたのです。。。 『AVE MARIA.』、『時。』、『クラシカル・ベスト。』は、本田美奈子.さんが遺して下さった、唄声による『クラシック音楽。』だと言っても過言では無いと想います。。。 |
![]() | ひろさん、すっかり明けてしまいましたがアケオメです。今年もよろしゅうに(^^)。 | |
![]() | ケイさん、明けましておめでとうございます。 本年もよろしく |
![]() | つばさ375さん、 >美奈子.さんのクラシカル・クロスオーバー分野への進出(挑戦)については、いわゆる「クラシック至上主義」のファンたち、特にオペラや歌曲の愛好者から「あれは亜流(邪道)だ」と非難された記憶があります。何て視野の狭い人たちなのでしょう。「良いものは良い」と素直に認めればいいのに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ むしろ、親しみやすい日本語の歌詞をつけ、原曲に独特のアレンジを施した楽曲であるからこそ、クロスオーバーとしての魅力ある作品に仕上がっていると思います。そして何よりも、本田美奈子.さんの情感のこもった美しい歌声は、心に深くしみわたるような感動的な歌声です。魂を揺り動かす祈りの歌です。それだけで、音楽として唯一無二の価値があります。正統のオペラや歌曲とはもとより同一次元では評価できないものです。 >指揮者の「スコア至上主義」と同じです。楽譜通りに教科書通りに演奏したからといって、それが「名演」と言えるのでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ バロック〜古典派時代の音楽の演奏の主流が、オリジナル楽器によるピリオド奏法になってから久しくなりますが、やはり、それでもなお、1960年代以前のモダン楽器の演奏、さらには第二次大戦前の19世紀ロマン派的な演奏スタイルによる名盤にも他に替え難い魅力があると思います。 代表例を挙げるとすれば、1939年のメンゲルベルグ指揮のJ.S.バッハの「マタイ受難曲」。ピリオド演奏信奉者ならずとも、“論外”と切って捨てられるような演奏かもしれませんが(例えば、大編成のオーケストラと合唱団による演奏スタイル、楽曲の至るところがカットされている、オリジナルの楽譜を恣意的に改変したともいうべき奏法など)、やはりこの演奏は素晴らしく、20世紀の演奏史における一つの金字塔であることは確かです。たとえ、歴史的に誤りだとしても、あたかもロマン派音楽のような“ドラマティックな苦悩の表出”としての演奏が、イエス・キリストの受難の悲劇(それから、師であるイエスを裏切ったペテロの苦悩)を最もリアリティに表現しているからです。 上記のように、いわゆるクラシック音楽の定番曲でさえ、楽譜に忠実な演奏が必ずしも「名演」とは限らない(逆に、「名演」が必ずしも楽譜に忠実な演奏とは限らない)以上、ましてや、クロスオーバーというジャンルにおいては、原曲を独自にアレンジする=編曲が行われる(また、オリジナルの歌詞をつける、歌唱法や発声法も楽曲の魅力を生かしたものに変化させる)のがむしろ自然であると思います。それゆえ、本田美奈子.さん(および他のクロスオーバーアーティスト)の楽曲は称賛されこそすれ、いかなる正統派クラシックの愛好者(および評論家筋)からも批判を受ける筋合いのものではないと考えます。 |
![]() | 3連投して、誠にすみませんの一言です<m(__)m> 私の本田美奈子.さん&クラシック音楽ファンとしての「人生最大の後悔」。 2003年12月31日、札幌コンサートホールKitaraの大ホールの客席にいなかったこと。TVのCMで「ジルベスター・コンサート(これ自体は毎年)」があることを知りながら、仕事の忙しさにかまけて、チケット買い忘れ。しかも、私の居住地は、札幌市から車で5〜6時間のところにあります。 オープン以来、Kitaraには毎年2・3回は足を運んでいます。なのに・・・。まさか、その2年後に・・・ 「覆水盆に返らず」 |
![]() | 連投してすみませんm(__)m 下記281のコメント中、カラヤンのファースト・ネームは「ヘルベルト」、ドビュッシーのミドル・ネームは「アシル」です。打鍵ミスをしてしまいました。何せ、10秒に一回は「Back Space」or「Del」なもので・・・(^_^;) |
![]() | だんだんと面白い展開になってきました(笑)。管理人のひろさんも認めて下さいましたので、もう少しだけ(?)語らせていただきます。 まず初めに、最初の投稿で書き忘れたことなのですが、私は本田美奈子.さんに、日本のクラシック音楽界の「カラヤン」的存在になって欲しいということです。 ベルベルト・フォン・カラヤン。言わずと知れた大指揮者の一人ですが(名指揮者かどうかは、かなり?)、彼の遺した最大の業績は、クラシック音楽の裾野(ファン層)を広げたということです。そのことを美奈子.さんに期待します。例えば、「風のくちづけ」→「イタリアーナ」→「リュートのための古代(古風な)舞曲とアリアの第1組曲〜第3組曲」→「レスピーギ」→「ローマ三部作」・・・となって欲しいのです。いわゆる「伝道師」的な役割を。 カラヤンについては、好き嫌いがはっきり分かれますよね。私は「アンチ」です。持っているCDは2枚だけ。しかも、デニス・ブレインのホルンが聴きたくてモーツァルトの協奏曲集を買ったら、伴奏がカラヤン/POだった。アンネ・ゾフィー・ムターのヴァイオリンが聴きたくてブラームスの協奏曲を買ったら、伴奏がカラヤン/BPOだった(まあ当然なんでしょうけれども)。その2枚だけです。 美奈子.さんのクラシカル・クロスオーバー分野への進出(挑戦)については、いわゆる「クラシック至上主義」のファンたち、特にオペラや歌曲の愛好者から「あれは亜流(邪道)だ」と非難された記憶があります。何て視野の狭い人たちなのでしょう。「良いものは良い」と素直に認めればいいのに。指揮者の「スコア至上主義」と同じです。楽譜通りに教科書通りに演奏したからといって、それが「名演」と言えるのでしょうか。 「レコード芸術」誌や「音楽の友」誌などでは、美奈子.さんをソプラノ歌手として取り上げていましたし、「あの日」以降もちゃんと追悼文を掲載してくれました。また、美奈子.さんは、定期演奏会ではないものの(ピクニック・コンサート的なもの)、NHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団などといった、日本のトップ・オーケストラ(世界的なレベルから見れば?ですが)との協演実績もあります。また、協演した演奏家たちから絶賛されたという話も耳にしたことがあります。 私は、バロックからストラヴィンスキーやバルトークまで(さすがに新ウィーン楽派はダメです)聴きますが、唯一聴かないのが、いわゆる前期ロマン派のメンデルスゾーンやシューマンなどです。「メン・コン」は「駄曲」だと思っています。ヴァイオリン協奏曲では、ヴィヴァルデイから始まって、モーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ラロ、サン・サーンス、ドボルザーク、ブルッフ、ブラームス、シベリウス、ウォルトン、バルトークなど、メンデルスゾーンよりもずっとずっと魅了的です(演奏家にもよりますが)。 ただし、例外があって、シューマンのピアノ協奏曲イ短調は大好きです。なぜなら、「ウルトラセブン」の最終回、モロボシ・ダンがアンヌ隊員に「ぼくは、ウルトラセブンなんだ」とカミング・アウトする場面のBGMとして使われた、ただそれだけの理由です。 私の愛するクラシック音楽の系統は、バッハの対位法、モーツァルトの旋律、ベートーヴェンのソナタ形式、リムスキー=コルサコフ・ラヴェル・レスピーギの管弦楽法(オーケストレーション)です。これだけは絶対に譲れません(笑)。また、美奈子.さんのミュージカル女優時代はよく知らないのですが、「命をあげよう」や「On My Own」などは、オペラのアリアだと思って聴いております(この辺り、認識に間違いがあれば、ひろさん、どうぞ指摘して下さい)。 Floraさんへ。 クロード・ァシル・ドビュッシー、いいですね。私も、ジャン・マルティノン、シャルル・デュトワ、チェリビダッケで聴いています。音符という絵の具で、五線譜というキャンバスに描く、印象派の絵画。「牧神の午後への前奏曲」ならば、フルートはジャン・ピエール・ランパルかジェームズ・ゴールウェイでしょうか。「夜想曲」では「海の精」の女声コーラスが好きです。ホルストの「海王星」のように。 ミューズさんへ。 特にお気に入りの楽曲(ベスト20)の選択は超難しいですね。私の場合は、第1位「ボレロ」、第2位「ラプソディー・イン・ブルー」は未来永劫普遍なのですが、第3位以下は横一線で並んでいて、悩みます。ブラームス・ブルックナー・マーラーの交響曲についてはどうしても言及したいのですが、ここは我慢して「三大レクイエム」だけについて。私ならば、ジェスマイヤーが補筆するよりも未完のままこそが美しい「モーツァルト」よりも、静かに眠っている魂を騒々しく叩き起こすような「ヴェルディ」よりも、規模が小さいながらも清澄さや透明感に満ち溢れている「フォーレ」を選びます。美奈子.さんにはフォーレ作曲「レクイエム」作品48を捧げます。でも「ピエ・イエス」は美奈子.さん自身に歌ってほしいかな? もう少しだけと言いつつ、またもや、ダラダラと長くなってしまいました(反省)。 |
![]() | 管理人さん、皆さん、お久しぶりです。新年明けましておめでとうございます。 当方がクラシカル・クロスオーバーのジャンルに注目しだしたのは、ほかならぬ本田美奈子.さんの歌声に接してからです。といっても、亡くなられてからのことですが、「アヴェ・マリア」、「時」、「クラシカル・ベスト」等のCDの楽曲は欠かさず聴いています。また、それ以来、サラ・ブライトマンら他のクロスオーバー・アーティストの楽曲(それに関連してバラードなどのポピュラー音楽)、さらに、ウェストエンドの代表的ミュージカル(「オペラ座の怪人」、「キャッツ」、「ミス・サイゴン」、「レ・ミゼラブル」等)の楽曲にも関心を持つに至った次第です。 また、以前から鑑賞の中心となっていた(そして今でも)音楽はやはり、西洋芸術音楽(いわゆるクラシック音楽)になります。作曲家でいえば、J.S.バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト(特に晩年)、ヴァーグナー、ブルックナー、マーラーの代表曲が中心となります。次いで、パレストリーナ、ヘンデル、ショパン、リスト、シューマン、ブラームス、フランク、ドビュッシー、20世紀前半ではストラヴィンスキー(但し、「春の祭典」まで)、バルトーク、そして、新ウイーン楽派(シェーンベルグ、ベルク、ウェーベルン)などです。 特にお気に入りの楽曲(ベスト20)は(演奏家にもよるが)、 ・J.S.バッハの「マタイ受難曲」、「ミサ曲ロ短調」 ・モーツアルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー版) ・ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、「弦楽四重奏曲14番と15番」 ・シューベルトの「冬の旅」、「ピアノソナタ20番と21番」 ・ワーグナーの「ローエングリン」、「パルジファル」 ・ブラームスの「交響曲1番と4番」 ・フランクの「交響曲 ニ短調」 ・ブルックナーの「交響曲7番〜9番」 ・マーラーの「交響曲3番、9番、10番」 といったところでしょうか。 それまで、いわゆるクラシック一辺倒だったのが、本田美奈子.さんのクロスオーバー系の楽曲をきっかけに、ミュージカルナンバー(ミュージカルそのものはまだ)やポップスのスタンダードナンバーなどの魅力に気付いたのはうれしい限りです。また、さらに時代を遡って、懐かしのオールディーズ(1950年代〜60年代のアメリカン・ポップス)やシャンソン、カンツォーネなども聴いてみましたが、結構よいです(日本では1960年代前半にカヴァー・ポップスが大流行だったとか)。 | |
![]() | ミューズさん、ご訪問ありがとうございます。 いろいろ書き込みありがとうございます。私もいろいろ勉強になって嬉しいです。 |
![]() | つばさ375号さん、floraさん、詳しい書き込みありがとうございました。クラシックに詳しい方の投稿、嬉しい限りです。なんか、レスをつけようかと思ったのですが、クラシックにはそれほど詳しくないので、的はずれなものになってしまいそうです。とりあえずお礼まで。 |
![]() | 管理人様、みなさん、こんばんは。明けましておめでとうございます。今年も宜しく御願い致します。。。 つばさ375号様、初めまして。。。 書き込みを楽しく拝見させて頂きました。クラシック音楽についての詳細だけでなく、本田美奈子.さんを大切に想う気持ちも伝わって来ました。。。 クラシック音楽についてですが、私が中学〜高校生の時に良く聴いていたのはドビュッシー、ショパン、バッハ、モーツァルトでした。。。 ショパンの『革命。』などは勿論、モーツァルトの『雨だれ。』などは特に好きな曲でした。他に『アイネ・クライネ・ナハトムジーク。』『英雄ポロネーズ。』などもです。私は今のところ、バッハの作品はパイプ・オルガンによるものしか持って居ません。私は、パイプ・オルガンによる演奏曲の中では『トッカータとフーガ。』が特に好きでした。この曲だけでなく、バッハの曲は、同じ旋律を何度も繰り返すと言う独特の方法で形成されて居るものが多いです。。。 ここで、ドビュッシーの音楽について少し御話したいと想います。ピアノ演奏曲で有名なものと言えば『ベルガマスク組曲。』などが有りますが、私にとって、ドビュッシーが遺した交響曲の作品でも、特に集大成とも感じられる作品は、交響詩<海>・夜想曲・牧神の午後への前奏曲…の3作品ではないか、と考えています。ともに、アムステルダム交響楽団が演奏し、1976年に同曲が収録されたアルバムを持っています。。。 交響詩<海>は、『海の夜明けから真昼まで。』『波の戯れ。』『風と海の対話。』の3楽章で構成されて居ます。『海の夜明けから真昼まで。』は、夜明け前の静寂・太陽が地平線から顔を覗かせた瞬間・御昼頃に天頂高くまで昇った太陽の其々の素顔を余すところなく、『波の戯れ』は、其の名前のとおり、小波が立つ様子や風を、『風と海との対話。』は、対話と言うより嵐が来ている様子を、其々の楽器の演奏で高度に表現されて居る音楽作品です。。。 夜想曲は『雲。』『祭り。』『海の精。』の3楽章による構成です。『雲。』は、形を変えながら、空に悠々と漂う雲の様子を表現しています。『祭り。』は、最初から高音域の演奏で始まる曲です。街全体が祭りで賑わう様子を表現しています。演奏の途中に、オーケストラ全体で、祭りが最高頂に達した時の様子を表現している箇所が有ります。日本で言えば、御神輿が徐々に近づいてきて、目の前で『わっしょい、わっしょい。』…と言う時のような心地良い緊張感・高揚感と言った雰囲気だけでなく、見物客の気持ちの高ぶりさえも表現しているような音楽です。。。 『海の精。』は、単に楽器の演奏だけでなく、女性のコーラス(ソプラノ・アルト)が主体の作品でも有ります。女性のコーラスを曲中に組み合わせる事によって、海に妖精が居る雰囲気・海上で妖精が戯れている様子などを上手く出している作品です。神聖さを感じます。。。 『牧神の午後への前奏曲。』は、フルートの音色が主体です。牧神と言うよりも、牧場ののんびりとした風景を曲にしたような作品ですが、海の精と同様に神聖さを感じる作品です。。。 ドビュッシーの作品は、幻想的な情景などを容易に想い浮かべる事が出来る作品が多いです。どちらかと言うと、印象派に近いのでは、とも想います。ドビュッシーの作曲方法は少し独特で、ドレミファまでは他の作曲家と同じですが、ソラシド以降は、ピアノで言えば黒色の鍵盤にあたる音域(半音域)を多用している事が多いです。。。 私が中学生の時くらいだったと想いますが、『α波音楽。』と言うものが流行った事が有り、クラシック音楽だけでなく、映画音楽なども取り入れた作品が売られた時期が有りました。おかげで、『太陽がいっぱい。』などと言った映画音楽を知る事が出来ました。鳥の囀り・波の音・河のせせらぎの音のみが収録されたCDも販売されたりもしました。これらの作品が発表されるようになってからは、私にとってクラシック音楽がより、身近になったとさえ想います。。。 私が本田美奈子.さんの音楽を聴くようになってからは、改めてクラシック音楽の素晴らしさを知ったと想います。私が本田美奈子.さんの音楽を聴くようになるまでは、既存のクラシック音楽に歌詞を載せて作品を残しているものと言えば、さだまさしさんの『男は大きな河になれ』、平原綾香さんの『ジュピター。』くらいしか知りませんでした。さだまさしさんの曲は、『モルダウ。』に歌詞を付けた作品でしたね。。。 元々、クラシック音楽好きだった私にとって、本田美奈子.さんにはもっと、クラシック音楽の素晴らしさを私達に伝えて欲しかったと想いますし、これからもクラシック音楽の世界を極めて欲しかった、と想わずに居られませんでした。とても素晴らしく、優しい声の持ち主だったのですから。。。 |
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