![]() | こんばんは。 >私が狂った みんなも狂った だいたい大意は合っているんじゃないかと思いますよ^^;。。 『その気になって-カッ飛んじゃおうゼ美奈子』にそんな箇所ないか、つい探してしまいましたが^^;; 後半のコンサートツアーからの箇所はだいたいそんな意味なんじゃないかと。。 例えば182Pの、『風邪薬より音楽が、注射よりファンの熱狂が、美奈子には効く!!』なんて所は結構近いのではないかと。。^^ |
![]() | その気になって-カッ飛んじゃおうゼ (1986年7月10日、ワニブックス) ですが。。。(^-^; 連休中に読み直してましたが。。。 「私が狂った みんなも狂った」という表現ですが ボクの記憶の中で だいぶ。。。 デフォルメしてたみたいですう(__) こんど 正確なとこの引用を載せますね(・ー・) (恐らく プロのライターによる編集等なしで 本人が書いた文章 を そのまま 載せてる。。。 とことか 日記形式なので その当時の様子が 良くわかる。。。とことか) 資料としての価値は すばらしいものがありますので 「その気になって」お勧めです。。。(・ー・)v |
![]() | >ところが、イタリア語、ドイツ語となると腰が引けてしまうのです。英語は少し分かるのですが、イタリア語、ドイツ語、付け加えるとフランス語も全く分かりませんので、それが原因だと思います。 こちらは、英語も含めて外国語の歌詞は全くわからないですが、訳詩があれば、鑑賞する分には支障はきたしません。イタリアオペラのアリアにしてもドイツ・リートにしてもです。ただ、ドイツ・リートに関しては、音楽と詩の結びつきが密接であると言われているので、原語本来の意味が分かって聴いたほうが、より深く鑑賞できるとは思いますが。 >フランスではフランソワーズ・アルディーとラベルぐらいしか知りません。確かラベルはフランス人でしたよね?第一、歌曲ありましたっけ?と言うほど造詣がありません。 フランソワーズ・アルディーという人は知りませんでした。ちょっと調べたら、1960~1980年代に活躍したシンガーソングライターだそうです。なお、シャンソン歌手といえば、エディット・ピアフが最も有名で、「バラ色の人生」や「パリの屋根の下」、「愛の賛歌」などは日本でもよく知られている名曲です(言うまでもなく、愛の賛歌は越路吹雪の代表曲の一つ)。それから、「枯葉」で有名なイブ・モンタン、ジャクリーヌ・フランソワあたり。いずれも、往年のシンガーです。 それから、ラベルというのは、あのモーリス・ラヴェルのことでしょうか?クロード・ドビュッシーと並ぶフランス近代音楽の大家ですね。「水の戯れ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」などに代表されるピアノ曲の分野が本領です。いわゆるクラシック愛好家でなくても、「ボレロ」はよく知られている曲です。ラベルはクラシック音楽史上屈指の管弦楽法(フランスではベルリオーズに匹敵する)の大家です。 http://www.yung.jp/yungdb/op_3.php?id=741 ちなみに、歌曲はラベルの本領ではないようです。フランス歌曲の分野では、ドビュッシーやラベルよりも前の世代であるフォーレ、それからデュパルクあたりが有名です。 話はポピュラーに戻りますが、上記のシャンソンにしてもカンツォーネにしてもオールディーズにしても、(たとえ原語の歌詞の意味が分からなくても)やはり、原語で聴きたいものです。ただ、たとえ、日本語訳で歌ったとしても、訳詩の出来と歌い手自身の歌唱力・表現力が素晴らしければよい。例えば、カヴァーポップスの女王、弘田三枝子の歌唱力・表現力は、明らかに本家のヘレン・シャピロやスーザン・シンガーより優っています。また、コニー・フランシスに匹敵するかそれ以上。 また、1960年代後半、日本でもカンツォーネがブームになっていたそうで、「夢見る想い」、「ナポリは恋人」、「愛は限りなく」などが有名です。このうち、前の2つは、弘田三枝子がカヴァーしていますが、やはり、本家(ジリオラ・チンクェッティ)よりも優っているといえます(残念ながらYouTubeでは削除された)。最後の「愛は限りなく(Dio Come Ti Amo)」は、イタリアのポピュラー曲の中では「Time To Say Goodbye(Con Te Partirò)」と並ぶ傑作だと思います。本家(ジリオラ・チンクェッティ)と日本人(布施明と倍賞千恵子)を聴き比べてみてください http://www.youtube.com/watch?v=-WY9vR0DsNY http://www.youtube.com/watch?v=xhaNs09_Xqw http://www.youtube.com/watch?v=IMxupa1ZyGA&feature=related >ミューズさんの投稿が、スパムと誤判定されて残ってました。どうも、urlが7つ以上含まれていると、スパムと判断してしまうようです。 投稿しようとしたときにも、そのようなエラーメッセージが出ていました。 それから、リンク先のURL文字列の長さにも制限があるようです。でも、まあ、大した問題ではありませんでしたので、お気になさらずに。 | |
![]() | 私の場合、歌は、意味が分からないと受付けないです。やっぱり日本語がいいです。せめて英語でないと、、 |
![]() | ミューズさんの投稿が、スパムと誤判定されて残ってました。どうも、urlが7つ以上含まれていると、スパムと判断してしまうようです。 →ミューズさん どうも失礼しました。 書き込み内容、既に投稿されているものとほとんど同じなので、特に復活させることはしません。 |
![]() | 本田美奈子からやや逸脱した感がありますが、ご容赦ねがいます。ミューズさん音楽の造形が深いので、必死でやり取りしておりました。 ミューズさんに、あくまで個人的な意見ですが、佐藤しのぶが、日本一歌が上手だと言わせてもらったのですが、そう考える理由は、ソプラノにしてあの重厚な声なのです。楽器演奏の場合、演奏家の技術と楽器の品質を区別することは容易なのですが、声楽はその区別ができません。たぶん専門家ならできるのでしょうね。でも、私はとてもそこまでは無理で、全体として聞こえる音で判断せざるを得ません。しかし、こうも考えるのです。最終的に出てくる音が優れている場合、これは完全に確かな技術に裏打ちされています。例えば、平凡なヴァイオリニストがストラビバディを弾いても、鈴木のヴァイオリンを弾いても、ほとんど区別が出来ません。しかし、同じ鈴木のヴァイオリンでも名演奏家が弾けば、そのヴァイオリンは自分の目いっぱいの音色を出してくれます。こんな話もあります。普通のピアニストには弾きにくく良い音が出せない難しい調律を施したピアノを、ロシアのピアニスト(名前は忘れました。)が完全に弾きこなした。その方が上手く引けるのだそうです。声楽の場合、演奏技術である歌唱技術と楽器である声質との区別を私はつけられません。それで、やむを得ず、全体としてこのように聞こえるから、それを支える歌唱技術があるのに違いないと推定しているだけなのです。一言でソプラノと言っても、確か4種類だったと思うのですが、声質により分類されています。詳しいことは専門家でないと分からないのですが、佐藤しのぶと森麻季では声質が異なります。佐藤の声は高い音を出していても、同時に豊かな低音が共鳴しています。楽器で言うところの名器なのです。これは訓練もあるでしょうが、天分なのです。正確にはソプラノの声質カテゴリーの異なる森麻季には出ない声です。ところで、森は不思議な人です。原語での歌唱は素晴らしいのに、(イタリア語は全く分からないので本当にそうなのかどうかは、少し自信がありませんが、マリア・カラスより上手だと思えるのに、)日本語歌唱になると何となく妙に感じるのです。「からたちの花」と「千の風になって」がYouTubeにあります。“O Mo Babbino Caro(私のお父様)”があんなに上手で、ヘイリー・ウィステンラも唄っていますが、ヘイリーは森ほど上手ではありません。ところがですよ、森の日本語歌唱している「千の風になって」よりもヘイリーの英語歌唱“A Thousand Winds”の方が断然良い。これは趣味の問題かもしれませんね。でもやはり森の日本語の発音のせいだろうと思うのですが、原語歌唱があれほど素晴らしいのに、日本語歌唱になると急に肩すかしをくらったように感じます。それでも非常に上手なのですよ、もちろん。 ミューズさんの仰るとおり「男女を問わず、日本人の声楽家がその本領を最も発揮する分野は、日本の歌曲、抒情歌の分野である」と思います。これは全く同感です。佐藤の「早春賦」と「荒城の月」をご紹介させていただこうと思っていたのですが、ミューズさんは、もうとっくにご存知ですよね。鮫島有美子もとても上手ですよね。私の好みの問題に過ぎないかもしれませんが、佐藤の声の方が僅かに良いと思います。これには異論があって当然だとも思います。 私は、声質と発音にはかなりこだわりを持っていますが、それら以外はほとんどこだわりなしなのです。歌のおねいさんから佐藤まで何でもOKです。「隣のトトロ」なんか楽しくて大好きです。行き当たりばったりで聴いて、魅力的でうっとり引き込まれてしまう曲を聴いているだけなので、余り音楽のジャンルを意識していないと言えばそうなのですが、たぶん鈍感なのだと思います。この前テレビで、偶然、中学生のヴァイオリン・ソリスト松本紘佳(ちゃん)がフルオーケストラをバックにシベリウスを弾いていました。余りの凄さについ見とれてしまいました。あれは子供の音ではありませんでした。それとモノクロの「人形の家」の弘田にも未だに見とれています。何だか支離滅裂ですよね。ところが、イタリア語、ドイツ語となると腰が引けてしまうのです。英語は少し分かるのですが、イタリア語、ドイツ語、付け加えるとフランス語も全く分かりませんので、それが原因だと思います。フランスではフランソワーズ・アルディーとラベルぐらいしか知りません。確かラベルはフランス人でしたよね?第一、歌曲ありましたっけ?と言うほど造詣がありません。 ミューズさんの仰るとおり、「本田美奈子の場合は、アルバム「アヴェ・マリア」や「時」に含まれる楽曲を聴けばお分かりのように、何とも言えぬ暖かさや優しさが伝わってきます。ある意味、声楽家の唱法では感じられない心地よい安らぎを与えてくれます。これこそが、クロスオーバー歌手本田美奈子の最大の魅力だ」と思います。全く同感です。しかし、私の定義は非常に消極的で、正統派クラシックには全部ではありませんが、聴いたあと疲労感が残ることがありますが、クラシック・クロスオーバーには余り疲労を感じません。クラシック・クロスオーバーって先祖帰りかもしれませんね。現代の流行歌は皆同じに聞こえる。米国のヒットチャート上位はいつもラップ・ミュージックでこれも皆同じに聞こえます。それに比べてクラシック・クロスオーバーは安心して聴けます。60年代のアメリカンポップスのカヴァーも新鮮に聞こえるのも同じかもしれません。ただ独特の世界観を持ち出すのには無理があり、ここに鬼束みたいな人が入り込んできます。 余談なんですけど、本田美奈子ももしかしたら MINAKO With Hellcatsと称して天国から地獄に興行にでて、地獄の鬼相手にヘビーな曲をノリノリで唄っているかもしれません。「Ave Maria」と「時」が良すぎて、無意識のうちにディオニッソスの娘であった本田を見ないようにしていたかもしれません。反省。 |
![]() | 復帰しました(笑)。いっぱい書き込みがある、、、 これから、じっくり読みます。 |
![]() | >佐藤しのぶが日本一歌が上手いと考えています。 佐藤しのぶというと、以前、NHKの紅白でヘンデルの「ラルゴ(オン・ブラ・マイフ)」を歌っていたのを憶えています。ヴェルディやプッチーニなどのイタリア・オペラを本領とする超一流のソプラノ歌手の1人ですね。日本人のソプラノ歌手といえば、鮫島有美子も素晴らしい。ただ、当方、声楽家の聞き比べはしないので、誰が一番すぐれているとかはわかりませんが。若手の実力派は誰なのかは尚更わからない。 ところで、男女を問わず、日本人の声楽家がその本領を最も発揮する分野は、やはり日本の歌曲、抒情歌の分野であると思います。例えば、 http://www.youtube.com/watch?v=NdW9VpjlJNY http://www.youtube.com/watch?v=hCbCbKN7kQQ&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=AaCNkJ-DEms&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=mREIOQP76Ag http://www.youtube.com/watch?v=AfL70Ux5Wdw 実に素晴らしい。次いで、外国民謡や歌曲の日本語版、サントラやミュージカルナンバーにもこれはというものがあります。 ところで、「大和の蛙」さんは、声楽家の歌う楽曲の中でどの分野がお好みでしょうか?私の場合は、上記のような日本の歌曲の他、ドイツ・リート(ドイツ歌曲)をよく聞きます。有名どころで言えば、シューベルトの歌曲集「冬の旅」や「白鳥の歌」、シューマンの歌曲集「詩人の恋」、「女の愛と生涯」、それからグスタフ・マーラーの「大地の歌」などです。ただ、マーラーの場合は、管弦楽伴奏付き歌曲あるいは長大な交響曲の中に声楽パートを伴う形態になります(例えば、交響曲2番~4番)。 それから、リート以外では、ワーグナーの楽劇になります。全曲通して聴いたことがあるのは、晩年の最高傑作「パルジファル」。ワーグナーの楽劇は、アリア中心のイタリア・オペラとはだいぶ趣が違って、管弦楽が単なる伴奏的役割ではなく、劇進行の中心的役割を果たしていることにあります(つまり、劇のあらすじや歌い手の歌唱だけでなく、管弦楽演奏の部分だけでも音楽として十分鑑賞に値する)。これは、管弦楽と声楽を高度に結びつけたベートーヴェンの「第九」や「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」といった作品の影響を受けたものと言われています。マーラーの作品もその延長線上にあると思われます。 話がそれましたが、クラシック音楽に興味がお持ちであれば、こちらのサイトを覗いてみてはいかがでしょうか。 http://www.yung.jp/ >本田美奈子もブライトマンも森も大差ないので、全部ソプラノに入れても構わないと思います。 森摩季さんは、佐藤さんや鮫島さんと同様、やはりクラシック専門のソプラノ歌手という位置付けにあると思います。これに対して、サラ・ブライトマンや本田美奈子さんは、もちろん、ソプラノ唱法ではあるけれども、何というかいわゆる声楽家の人達には感じられない独特の味わいがあります。すなわち、声楽家の人が日本の歌謡曲や外国のポップス、シャンソン、カンツォーネ、サントラ等を歌うと若干違和感があると思うときがありますが、クロスオーバー歌手(もちろん、ポピュラー歌手も)の場合は、全く違和感がありません。特に、美奈子さんの場合は、アルバム「アヴェ・マリア」や「時」に含まれる楽曲を聴けばお分かりのように、何とも言えぬ暖かさや優しさが伝わってきます。ある意味、声楽家の唱法では感じられない心地よい安らぎを与えてくれます。これこそが、クロスオーバー歌手本田美奈子の最大の魅力だと思います。 |
![]() | いえいえ、ミューズさん、平時なら断水でも大変ですよ。ただ、今回は災害の規模が大きすぎて、それと比べれば断水ぐらい取るに足らないと考えるのが極普通の神経なのでしょう。1日にして死者、行方不明者3万人ですから。太平洋戦争では310万人の尊い命が失われましたが、先の大戦は3年10か月であったので、たった1日でこれだけの被害を出したのは、米爆撃機の行った都市爆撃のときぐらいです。普通の戦闘では、これほどの短時間に、万単位の犠牲者出すことはありません。都市爆撃は、その目的が何であろうと、結果的には、大規模虐殺に他なりません。福島原発事故の話も100年単位で考えなければならないもので、どんなに短くても、50年は立ち入り制限されるのではないかと考えます。おまけに、世界的なニュースでは、米国がオサマ・ビンラディンを、時事上、暗殺してしまいました。これって民主主義を標ぼうする国家の行うことですか。相手が例えテロリストでも、テロ攻撃を加えて良いはずがないのに。米国は世界一のテロ国家という裏の姿を持っていますので、当然といえば当然なのですが。私は、ビンラディンを支持してはおりません。大体、ビンラディンがどのような主義、思想を持っているのか知っている人が日本に何人いるでしょう。日本に入ってくる重要な海外情報は全部米国経由ですから、政治がらみの話は全部脚色されているか、不都合なことは一切伝えません。これほぼチョムスキーの受け売りです。段々憂鬱になってきた。気分が暗い時ほど、楽しいことを考えて、明るく笑って生きましょう。(どこかで聞いたセリフですね。) 私は古めの映画は比較的知っているのですが、音楽となると全く無知なのです。ですから、ザ・ピーナツは「モスラ」の歌(曲名不明)、倍賞千恵子は「男はつらいよ」の車虎次郎の妹、さくらとしか知りませんでした。ご紹介いただいたそれぞれの曲を聴いて、ザ・ピーナツは見事なハーモニーだなと思いました。さくら、いえ倍賞千恵子も「こんなに歌が上手なの、なら歌唄ってよ」と思いました。ただ個人的には弘田三枝子ショック(まあ、うれしいショックです。まだ繰り返し聴いています。「ミコちゃんのヒット・キット・パレード」取り寄せてみます。)が大きすぎて、頭の中の整理がついていません。一つ言えることは、「実力派が受け入れられなかった」のではありませんね。ミューズさん、有難うございます。 これは私が本当に勝手に思ていることで誰に同感を得ようとの思いませんし、反対意見があっても当然な話なのですが、個人的には、佐藤しのぶが日本一歌が上手いと考えています。佐藤は完全なソプラノですし、音楽的には同一ベクトル上にある森摩季と比べると大人と子供ぐらい違います。決して森が下手くそな訳ではありません。私はブライトマンとほぼ同じと、これまた勝手に評価しています。佐藤を基準とすると、本当は音楽のベクトルが多少異なっていても、本田美奈子もブライトマンも森も大差ないので、全部ソプラノに入れても構わないと思います。これ思いっきり異論が出そうですね。怖!しかし、ベクトルが重要なのです。いくら佐藤が大巨人でも、弘田三枝子のようには唄えないし、ましてやジャニス・ジョプリンのように唄うことなど想像すらできません。要する歌唱をある程度の比較はできても、完全な比較など不可能であるということです。弘田の例を出すとこの歌唱のベクトルには時間軸まであるのです。 昨日2年振りに会った実弟が鬼束を聴いていました。今度本田美奈子のCDを送り付けます。 |
![]() | >近所のCDショップに見に行ったのですが、弘田美枝子は1枚も有りませんでした。本田美奈子なら何種類かのベスト盤、「Ave Maria」、「時」、「アメイジング・グレイス」、「ラスト・コンサート」と大体揃っているのにな。 ミコのカヴァー・ポップス時代(つまり全盛期)の楽曲を集めたアルバムが「ミコちゃんのヒット・キット・パレード」です。 楽曲的にすべてが傑作というわけではありませんが、あのパワフルで屈託のない歌声(反面、洗練されていない荒削りともいえる雰囲気もある)は、やはり余人をもって代えがたい魅力があります。後年、ダイエットと○形で別人のように変貌したミコの歌声とは一線を画しています。ただ、1970年代のミコの洗練された歌声もまた違った魅力があります。 また、「スタンダードを唄う」はジャズのスタンダードナンバーを集めたもの。 ※URL貼り付けたら、エラーになったので省略しました。キーワード検索してみてください。 >当時は演歌しか実力派は受け入れられなかったのかな? そんなことはありません。あの不世出の天才デュオ、ザ・ピーナッツは歌手生活16年のうち10年以上も人気・実力ともに絶頂の期間が続きました。あの歌声・ハーモニーはまさに和製ポップスの黄金時代を象徴しています。 http://www.youtube.com/watch?v=9zGJXV_Rjuc http://www.youtube.com/watch?v=7_cHsz4W248 http://www.youtube.com/watch?v=jVhDKUpKtkc&feature=related それから、歌謡曲から叙情歌まで幅広い分野の歌を歌いこなしてきた倍賞千恵子がいます。 http://www.youtube.com/watch?v=YyaZeGthGd4 http://www.youtube.com/watch?v=VRe_cW8jIrM その他、1960代後半以降では、布施明や黛ジュンが出てきました。 >それとも弘田に良い楽曲のめぐり合わせがなかったのかな? 1960年代半ば以降は、カヴァー・ポップスの人気が急速に衰えていった頃であり、この分野が本領であった弘田三枝子は、歌謡曲への方向転換を図り、1967年から68年にかけてシングル(例えば、筒美京平の「渚のうあわさ」など)を立て続けに出していました。しかし、いずれもヒットには結びつかず、いわゆる低迷時代が続いたわけです。そこへ、(外見も楽曲の雰囲気も)がらっとイメージチェンジして1969年に登場したのが「人形の家」であり、これが大ヒットしました。その後も、似たような曲調の楽曲(「私が死んだら」、「ロダンの肖像」など)を出しましたが、大ヒットには結びつかず、1970年代をもって、歌謡曲の分野でのミコの活動は終わりを告げたといってよいでしょう。しかし、10代から歌い続けているジャズ、それから1968年から手がけたR&Bの分野では、やはり、実力派としての本領を発揮し続けました。ただし、それも1980年代までです。それ以降の声の衰えは激しく、かつての面影は見る影もないといってよいでしょう。 >因みに、ミューズさん[関東]とありますが、震災大丈夫でしたか? 茨城なので、数日断水が続いた以外は問題ありません。 |
![]() | CDショップ更に2軒回りましたが、結果は同じ。弘田三枝子の痕跡すらありませんでした。このまま忘れ去られて良いのかな?「人形の家」のように。私は今から掘り返してみます。(ご本人は存命中ですので、墓あばきする訳ではありません。済みません、当たり前でした。) 弘田と声質がよく似ている、しばたはつみは確か最近亡くなられましたよね。私はずっとしばたの方が弘田よりも声がよく出ていると思っていました。しかし、これは完全に誤りであると考えをを改めました。世代がずれていただけですね。正確には、弘田の方がつややかで、のびやかで、力強いと思います。あの時代の歌手の中では、楽曲には恵まれませんでしたが、朱里エイコが最も歌唱に長けているとも思っていましが、これもペンディング。私の頭の中にある歴史を書き直さないといけないな状態です。60年代のオールデイズのカヴァーにしても、クラシックの楽曲にしても、オリジナル楽曲に恵まれることの困難さの証だと思います。朱里の最期は、本当はどうだか本人にしか分かりませんが、傍目には哀れなものです。短命、不遇な人って数知れなくいるんでしょうね。これからと言う時に亡くなった本田美奈子も、必ずしも例外とは言えないのでしょうね。(無理やり落ちはここに持っていく。これも見え見え、済みません。) |
|