朝比奈信置(あさひな・のぶおき) 1528~1582

今川、のちに武田家臣。通称は藤三郎。三郎兵衛・兵衛大夫・政貞とも称す。駿河守。
はじめは今川氏に仕えていたが、永禄11年(1567)に甲斐国の武田信玄今川氏真領へ侵攻(武田信玄の駿河国侵攻戦:その1)するにあたって信玄に内応し、主君であった氏真を遠江国掛川城へと没落させた(薩埵峠の合戦~今川館の戦い)。
信玄に帰属してからは「信《の一字を与えられて信置と吊乗り、駿河先方衆の一員として駿河国の用宗(持舟)城を守り、山県昌景の相備えとして百五十騎の侍大将に任じられた。
天正10年(1582)の武田征伐に際し、織田軍と連携して出撃した徳川軍の攻撃を支えきれずに2月21日に開城して投降、4月8日に織田信長の命により子・信良とともに庵原で自刃させられたというが、一説では同年3月に蒲原で戦死したともいう。
信置の子・照勝は徳川家康に仕えた。