足利義勝(あしかが・よしかつ) 1434〜1443

室町幕府第7代征夷大将軍。在位期間は嘉吉2年〜嘉吉3年(1442〜1443)。
6代将軍・足利義教の嫡男。母は日野(裏松)重光の女・重子。永享6年(1434)2月9日に生まれる。幼名は千也茶丸。
嘉吉元年(1441)6月に父・義教が赤松満祐に暗殺された(嘉吉の変)ことを受け、管領・細川持之らに擁立されて義教の後継者と定められ、嘉吉2年に9歳で元服して正五位下・左近衛中将に任じられ、11月17日に征夷大将軍となった。
しかし、わずか8ヶ月のちの嘉吉3年7月21日、赤痢のため没した。享年10。法名は慶雲院栄山道春。
当時、この義勝の夭折は、父・義教に深い怨恨を持つ一色義貫足利持氏赤松満祐らの怨霊による邪気のためと噂された。