柿崎景家(かきざき・かげいえ) ?〜1575

上杉家臣。通称は弥次郎。和泉守。越後国頚城郡柿崎および猿毛城主。
主君・上杉謙信をして「景家に分別(英知)があれば、越後国で及ぶ者がないだろう」と言わしめた上杉家随一の猛将。
関東および信濃国方面の合戦にはほとんど出陣して活躍した。ことに永禄4年(1561)の川中島の合戦:第4回には先鋒隊将として武田勢を押し詰め、勇名を馳せた。景家3百騎は越後軍の最精強部隊だった。
永禄12年(1569)に結ばれた越相同盟に際しては謙信が北条氏康の子・氏秀(のちの上杉景虎)を養子としたのに対し、景家は子・晴家を質として小田原に送った。だが天正3年(1575)、織田信長と通じたという疑いから、越中国水島で討たれたという。
天正6年(1578)8月、謙信の跡を継いだ景勝によって孫の憲家が起用され、家を継いだ。