土屋昌恒(つちや・まさつね) 1556〜1582

武田家臣。通称を惣三(宗三)。右衛門尉。
金丸虎義の五男だが、土屋直規の娘との縁組によって土屋氏の名跡を継いだ。実兄・昌次の継いだ土屋氏と昌恒の継いだ土屋氏は別系のようであるが、その関係は不明。
信玄勝頼の2代に仕え、勝頼時代には侍大将を務めた。
天正10年(1582)の甲斐国田野での武田家滅亡に殉じての「片手千人斬り」の逸話は有名。織田方の滝川一益・川尻秀隆の兵と戦って戦死した。27歳の若さだった。
昌恒の遺児は母と共に母方の実家がある駿河国に逃れ、のち徳川家康に見出されて養育を受け、長じて忠直と改めて常陸国土浦6万石の大名に取り立てられた。