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上映時間30分

内容
1931年(昭和6)満州事変が起こる。これは関東軍の陰謀による計画的な軍事行動であった。国内では「満蒙は帝国の生命線である」と国を挙げて叫んでいた。

中国大陸侵略の道のりは遠く日清戦争に遡る。勝利した日本は遼東半島、台湾、澎湖島を日本の領土とした。しかし、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉で遼東半島を清国に返還する。次第に帝政ロシアの力が強まる中、権益拡大を目指す日本は、ついにロシアと衝突。日露戦争である。これにも勝利した日本は、朝鮮半島での独占的支配権とロシアが建設した南満州鉄道、そして、三国干渉で還した遼東半島の租借権を手に入れる。1910年(明治43)の日韓併合で中国進出の土台を固める。1914年(大正3)第一次世界大戦が起こると日本の経済は重工業を中心に飛躍的に発展。しかし、1929年(昭和4)世界大恐慌が始まると日本経済もたちまち行き詰まり倒産が続出。失業者が溢れ、農村では生糸や米の値段が暴落。娘の「身売り」が相次いだ。その状況下で肥沃な大地と資源を持つ満州、膨大な市場である中国大陸は日本の経済を根底から支えていた。

一方、中国国内では1925年(大正14)第一次国共合作がなって国民政府が樹立、蒋介石率いる国民革命軍が北伐を開始し、日本軍に迫っていた。

これに対し日本は「満州は生命線」と位置づけ、中国東北部を中国本土から切り離す「満蒙分離政策」を推し進める。満州事変は、そうした政策を具体化させる軍事行動であった。僅か5ヶ月で満州全土を占領すると、清朝最後の皇帝愛親覚羅溥儀を元首とする満州国を樹立し、中国から分離独立させる。世界は、これを日本の傀儡政権として認めず、いっせいに日本を非難。日本は国際連盟を脱退する。

こうした日本の武力侵略に中国各地で抗日闘争が繰り広げられ、各地で日本軍による虐殺事件が起こる。撫順市の平頂山虐殺事件では3千人近い村人が非業の死を遂げた。

また、日本は大勢の農民を満蒙開拓団として満州に送り込み、結果、中国の農民から土地を奪うことになり、こうしたことがますます反日闘争を激化させていった。

そして、1937年(昭和12)北京郊外の蘆溝橋で日中両軍が衝突。本格的な日中戦争の開始であった。日本軍は北京、天津を相次いで占領。上海では無差別都市爆撃を行い、ついに南京をも陥落させる。その南京では敗残兵狩りを名目とした虐殺が行われた。

こうして日中戦争は泥沼化し、それから手を引く機会を逸した日本は、ついに1941年(昭和16)南進政策の下に、太平洋戦争へと突入していったのである。


脚本・監督 中津義人
制作 東映株式会社教育映画部