本文へジャンプ

 

 


上映時間30分

内容

地図の上 朝鮮国にくろぐろと 
       墨をぬりつつ 秋風を聴く       石川啄木

1910年(明治43)大韓帝国の名前が世界地図から消えることになる。日韓併合。日本による本格的な朝鮮半島の植民地支配の始まりであった。
しかし、韓国を併合するまでには、実に35年もの長い道のりがあった。

江戸時代、日本は鎖国をしていたが朝鮮とは国交を保っていた。そして、使節団が相互を往来した。朝鮮から日本へ来た使節団を朝鮮通信使と呼んだ。幕末の激動する政治情勢の中で、朝鮮通信使は途絶えた。明治新政府は朝鮮に国交の再開を望む国書を送った。しかし、その内容が朝鮮国王を日本の天皇の下に見下すものであったために拒否される。日本は軍艦を派遣し、武力衝突を引き起こした。これが雲揚号事件である。日本は朝鮮と江華条約を結び、釜山、元山、仁川を開港させた。日本の朝鮮侵略への第一歩であった。

こうして、朝鮮半島では権益を巡って清(中国)やロシアと次第に争いが激しくなっていき、やがて、日清戦争や日露戦争となる。
さらに、日本に対抗する閔妃を暗殺。朝鮮統監府から総督府へと支配を強め、、その間に起こる甲午農民戦争などの反日の戦いに軍隊を送って制圧。しかし、民衆の戦いは止まず、安重根に伊藤博文が暗殺される。そして、併合後には国中に反日の嵐が吹き荒れた。3・1万歳運動である。

明治維新とともに日本が歩みだした近代化への道。欧米列強に肩を並べんと富国強兵、殖産興業を目指した近代化が日本にとって光とすれば、朝鮮支配はその道のりについて廻る影であった。しかし、朝鮮にとって日本の光は国家と民族を否定する刃であり、しかも、その刃の犠牲にされる謂れは何もなかったのである。

脚本・監督 中津義人
制作 東映株式会社教育映画部