フカヒレ料理はいつ頃「発見」ないし「発明」されたのでしょう。
「秦」の始皇帝は言うまでもなく、「唐」「宋」の皇帝や「元」のハーンも食べた記録は全くありません。万歴24年(1596年)刊行の『本草綱目』に初めて出てきます。
「明朝」末期から「清朝」の始め頃でせいぜい400年位前なんですね。その頃は東南の沿岸部に住む人達の特別な料理として紹介されているだけで、中国全土に
メジャーデビューしていた訳ではないらしいです。
17世紀になると。朱彝尊(しゅいそん)が『食憲鴻秘』の中で初めてフカヒレの詳細な作り方を紹介しています。「フカヒレをきれいにし、煮込んでから切る。糸状にばらばらにしてはいけない。肉の付いている方がよい。小さすぎてはいけない。鶏か家鴨と共に必要な時に用いる。スープは澄んでいるのが良いが、脂っこいのは良くない。料理酒を使うのは良いが、醤油を使ってはいけない。」とまぁ、あまり親切ではない説明なんですが、肉が付いている方が良い。と書いてあるように当初は新鮮な物が使われていたんでしょう。
時代は下って18世紀。グルメで有名な袁枚(えんばい)は『随園食単』で「フカヒレは柔らかくなりにくいから、2日間煮込んでようやく柔らかくなる。その後上質な火腿(中国のハム)や鶏のスープに新鮮なタケノコと小さじ一杯の氷砂糖を加え、柔らかくなるまで煮込む。」とあるようにこの時代のフカヒレは現在のような乾物になり、広大な中国大陸を流通できる形になりました。
さらに時代は下って18世紀半ば。フカヒレ料理は急速に発展しました。梁章鉅は『浪跡叢談』の中でフカヒレが宴席に上る様子を記しています。「最近、楊州あたりの金持ちが客を招待する時、フカヒレの根っ子の部分を使わないものはいない。名付けて「肉翅」と言う。楊州の人はこの料理を作るのが最も得意で、できたフカヒレ料理の味は濃厚で奥深さが在る。まさに天下に二つとない逸品である。」とまぁ、ベタ褒めです。
以上の資料から、18世紀の半ばから19世紀のはじめには現在と同じようなフカヒレ料理が完成し、「ツバメの巣」「ナマコ」に並び海産珍味の頂点に登りつめました。
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