明治時代の廃藩置県のあと、県の境界線は何度か書き直され、再編されながら、しだいに現在の都道府県が形成されていきました。
明治初期は今よりもかなり上流まで多摩川が境界線だったようで、現在の多摩市や町田市のある地域は、神奈川県に属していましたが、その後、東京に組み入れられました。
聖蹟桜ヶ丘駅から歩いて5分ぐらいのところに、神奈川縣廳(県庁)と刻まれた石が残っています。かつてこの地が神奈川県に属していたことがわかります。
そういう歴史のせいもあってか「多摩」のつく地名が、東京都と神奈川県のあちこちに点在していて、何となくまぎらわしいことになっています。
かもきちは「東京都多摩区」とか「神奈川県多摩市」とか書かれた年賀状を受け取ったことがあります。郵便番号さえ正しければ、いいかげんに書いても届いてしまうようですね。
その郵便番号が、多摩市は神奈川県と同じ200番台なので、ますます誤解を生んでしまうのかもしれません。
(2005年7月)